インタビュー
「ゼビウス 1000万点への解法」から40年。マトリックス代表・大堀氏とベーマガ創刊編集長・大橋氏が黎明期のゲーム業界を語る
1983年にアーケードでの稼働を開始し,洗練されたグラフィックスと世界観で高い評価を獲得したシューティングゲーム「ゼビウス」。その攻略本である「ゼビウス 1000万点への解法」は,ごく普通の高校生が手がけた同人誌でありながら,情報に飢えた当時のゲーマー達の間で話題を呼び,今に語り継がれる大ヒットとなった。
その高校生――ペンネーム“うる星あんず”こと大堀康祐氏は,その後ベーマガ創刊編集長である大橋氏のスカウトを受け,同誌のゲームライターとして活躍。やがてゲームクリエイターに転身し,今では90名余の従業員を擁するゲームデベロッパ・マトリックスを率いている。
ゲーム業界の黎明期を共にメディアの立場で駆け抜け,その後のゲームジャーナリズムに多大な影響を与えた両者が語る,当時の思い出や未来への展望。その一部始終を,ぜひ堪能いただきたい。
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ベーマガ創世記――ゲーム好きの居場所を求めて
4Gamer:
まずは大堀さんと大橋さんの出会いについて聞かせてください。
大堀さんが16歳,私が35歳の頃ですから,もう40年ほど前ですよね。大堀さんが校則の厳しい学校に通っていたから,学校の最寄り駅で待ち伏せしていました。
大堀康祐氏(以下,大堀氏):
そうそう。新大久保駅ですよね。
大橋氏:
当時の私はベーマガの編集長を任されていたわけですが,ナムコのゲームをパソコン(当時はマイコン)に移植する正式ライセンスを契約してきたと,平山哲雄副社長(当時)から言われ,移植ソフトを制作するよう指示を受けていました。
当時は電波新聞社のような企業が,ゲームやゲームの本を作ること自体,異例だったのです。その頃,アマチュア無線関連で知り合ったハドソン創業者からゲームカセットの注文が多くて困っているという相談を受け,電波新聞社の支局網を通じて流通する事も始めていました。
4Gamer:
ベーマガが,まだ月刊「ラジオの製作」付録の小冊子だった時代のお話ですね。その,支局というのは?
大橋氏:
支局は各地方の主要都市にあり,取材の他に書店や電気店に本などを拡販する業務も担っていました。電気店ではマイコンを扱っていましたからゲームカセットの流通は喜ばれました。お互いWin-Winなんですよね。
4Gamer:
ああ,なるほど。
大橋氏:
ただ,正式ライセンスを受けたからには,ナムコさんに監修をお願いしなくちゃならない。流通網も大事ですが,何よりゲームの中身が大切。とくに「ゼビウス」の遠藤雅伸さんはすごく厳しくて,中途半端なものを持っていくと「ハッキリいって,ゴミですね」などと厳しく指導されますから,しっかりゲームのことが分かる人を探さなくちゃならなかった。
4Gamer:
そこで,“うる星あんず”こと大堀さんに白羽の矢を立てたわけですね。
大橋氏:
そうです。遠藤さんに相談して,「ゼビウス」を極めた人として紹介してもらったのが,大堀さんと田尻さん※でした。確か大堀さんとは3回ほど学校の外で待ち伏せして……最終的に電波新聞社のある五反田に拉致しました。なんとしても「ゼビウス」の全16面をクリアしてもらい,それを撮影したかったからです(笑)。
※田尻さん……現・ゲームフリーク代表取締役社長の田尻 智氏。「ポケットモンスター」の生みの親の一人として知られる氏だが,学生時代はゲーム攻略を中心としたミニコミ誌「ゲームフリーク」を創刊し,自らライターとして活躍した。
当時はアーケードゲームの移植なんて勝手にやるのが当たり前でしたし,正式にライセンスを取ろうなんて発想は,あまりされてないなかった。ナムコさんのヒット作である「パックマン」にしても,それこそ似たようなゲームが何十種類とあったくらいで。
4Gamer:
確かに,そんな時代でしたね。
大堀氏:
僕が「ゼビウス 1000万点への解法」を同人誌として出したのも,そうした時代でした。ただ,「スペースインベーダー」訴訟※の判決を新聞で見ていたので,「許諾を取らないとまずい」と思って,発売する前にナムコさんに連絡を取ったんです。
今考えると,我ながら厨二病だったと思いますが,ナムコさんも多分「変な奴がいるもんだ」って思ったんじゃないでしょうか。でも「いいから会社へ来なさい」って招待してくれて。
※「スペースインベーダー」訴訟……1978年にタイトーが発売した「スペースインベーダー」は日本中で大ブームを巻き起こしたが,同時に後続業者による多くの海賊版を生み出した。後にタイトーは「スペースインベーダー パートII」の海賊版を販売した業者を相手取り訴訟を起こし,これに勝訴。プログラムが「著作権法で保護される著作物」として認められた,初の判例となった。
4Gamer:
高校生としては,すごい行動力ですね。
大堀氏:
ペラ紙に書いただけの企画書もどきと,1000万点のプレイを録画したビデオテープだけ持って「頼もう!」ですからね(笑)。タイミングも良かったんだと思います。ナムコさんも業界のクリーン化に向けて動き出していた時期で,僕らみたいなファンジンでも相手をしてくれて,開発者とも引き合わせてくれました。
4Gamer:
「ゼビウス 1000万点への解法」は,当時どんな方法で頒布されたんですか。
大堀氏:
当初は行きつけのゲームセンターに委託販売をお願いしていました。でも人気が出るにつれ生産が間に合わなくなっていって,以降は田尻さんに原稿を渡してすべてお任せした形です。利益は折半で,増刷から流通まで。
4Gamer:
大堀さんも田尻さんも,そこからベーマガや「LOGiN」(アスキー)※にフィールドを移して行ったわけですね。
※LOGiN(ログイン)……1983年に創刊されたパソコン誌。「月刊アスキー」の別冊としてスタートし,ゲームを中心とした誌面を展開。後にファミコン用ゲームを紹介するコーナーが独立し,今の「ファミ通」に続く家庭用ゲーム専門誌「ファミコン通信」を生み出した。
大堀氏:
そうですね。電波新聞社とアスキーで,お声掛けいただいたのは僕もほぼ同時だったんですが,大橋さんの熱意に打たれて僕はベーマガに。一方,田尻さんはLOGiNを選んだんだと思います。
4Gamer:
大橋さんは,当時のゲームカルチャーの盛り上がりをどう見てらしたんですか。
大橋氏:
それはもう,映画やテレビに次ぐ,新しい文化が花開く瞬間に立ち会ってるんだと思って見てましたよ。「マッピー」の音楽は楽しいし,「ゼビウス」はSF映画を見ているような感覚で。だから当時のナムコの主要なゲームは,すべて移植のためにライセンスを取りに行きましたし。
4Gamer:
しかし,大橋さんはアマチュア無線や電子工作,オーディオなどがご専門だったのですよね。仕事とはいえ,畑違いだったのではないですか。
大橋氏:
当時の副社長がアメリカに長くいたせいかゲーム好きでね。昼休みにゲームセンターに行くような社会人なんてまずいなかったから,私も「変な副社長だなあ……」と思っていたんですけど(笑)。どうも私は彼に気に入られてたようで,ナムコ関連の仕事が私に回ってきたみたい。
4Gamer:
ああ,なるほど(笑)。ベーマガのゲームの記事は,当初別冊の付録扱いだったと聞いています。
大橋氏:
「スーパーソフトマガジン」という名前でね。当時のベーマガはプログラミング投稿の雑誌だったので,ゲームそのものを扱っていいか迷いがあったんです。そこで別冊の小冊子を付録に付ける形でテスト的にスタートしたんですよ。
大堀氏:
別冊の部分だけ,よく万引きされたものです(笑)。
4Gamer:
スーパーソフトマガジンの第1号は「ゼビウス」ではなく「マッピー」だったんですね。
大橋氏:
私は「ゼビウス」の攻略記事をお願いしたんですけど,大堀さんの希望でね。ナムコさんも非常に協力的で,イラストも貸し出してくれました。
大堀氏:
「ゼビウス」は「ゼビウス 1000万点への解法」の販売を田尻さんにお願いしていたので,ベーマガに同じものを載せるのは不義理だと思ったんです。それよりは,新作の「マッピー」の紹介と攻略を合わせてやってしまおうと。
大橋氏:
「マッピー」は画面がスクロールするから,撮影が大変でね。今みたいにセーブやポーズの機能もないわけだから,大堀さんがプレイしている横から,望遠レンズを付けたカメラで写真を撮るんです。こう,光が入らないように周囲にダンボールで覆いを作ったりして。
大堀氏:
ブラウン管は端が歪むから,真ん中の部分しか使えないんですよね。そうやって撮った写真をプリントし,カッターで切り貼りして。
4Gamer:
一方で,ナムコ作品の移植作業も大橋さんと大堀さんを中心に進められたんですよね。ソースコードや開発資料の提供があったわけではないですし,つまりリバースエンジニアリングというか,目コピで再現していくみたいな作業ですか。
大橋氏:
そうですね。大堀さんのプレイを横から眺めながら。それで完成したらナムコの監修に出すんです。
4Gamer:
となると,やはり大堀さんのような名プレイヤーの協力が不可欠ですか。
大橋氏:
私はゲームのことは,大堀さんから教えてもらったようなものです。例えば「パックマン」の4匹のゴーストに性格の違いがあるってことを,大堀さんのプレイを見て知ったくらいだから。それまでナムコさんに監修に出しても,ダメと言われるばかりだった理由が,それでようやく理解できたくらい。
4Gamer:
ああ。それも教えてもらえないんですね。
大橋氏:
ただ遠藤さんは,言葉こそ激しいですけど,最後にちょっとだけヒントをくれましたね。ある意味,ゲーム作りを徹底的に仕込んでもらえたと思っています。
4Gamer:
そもそもなんですが,電波新聞社はなぜ正式な許諾を得る道を選んだんでしょうか。当時であれば,他社に倣って海賊版で商売することもできたと思うのですが。
大橋氏:
我々は新聞社ですから,自分たちでゲームを作ることなんてできない。だから開発者の思いのこもった,品質のいいゲームを出来る限りいい形で移植するしかなかったんだと思います。それに,その道を選んだからこそ,大堀さんを口説けたわけですから。
4Gamer:
確かに……。
大橋氏:
それと,私は50になるまで小学生でも読めるエレクトロニクスホビーの入門雑誌を作っていましたから,「子供に恥ずかしくないもの作ろう」っていう気持ちもありました。だからアダルト作品の広告が来てもベーマガに載せたくなかったし,海賊版を作るなんてもっての外。会社の上もそこは同じ考えでした。
4Gamer:
ああ,よく分かるお話です。当時の出来事でほかに思い出深いものというと,何かあったりしますか。
大橋氏:
松島さん※が「タイニーゼビウス」の原作を投稿してきたときは,編集部だけでなくお手伝いしていただいているライターの皆さんも驚愕しました。それでよそに取られまいとプログラマーの藤岡さん※と一緒に松島さんのお宅にうかがったりしましたね。松島さんのお母さんに「僕らは怪しい者ではありません。息子さんが作ったゲームの販売権の契約に来ました」って言ったら,それはもうビックリされて。
※松島さん……現在はるつぼゲームワークスに所属するプログラマー,松島 徹氏。スペック的に恵まれないPC-6001で「ゼビウス」を再現した手腕から天才と呼ばれたが,当時の松島氏はまだ中学生であった。代表作に「スペースハリアー」(セガサターン移植版),「エヌアイン完全世界」など。
※藤岡さん……現・電波新聞社取締役 マイコンソフト事業部 責任者の藤岡 忠氏。プログラマーとして,電波新聞社でさまざまなタイトルの移植に携わる。なにわさんの愛称でも知られている。
4Gamer:
それはびっくりするでしょうね(笑)。
大橋氏:
「タイニーゼビウス」はすごく売れたので,年末にテープを10万本くらい作ったのに足りなくなったんですよ。そしたら主要販売店のトップからクレームが来ているから早く作れと,電波新聞社の会長に叱られました。仕方ないから年明けに歌謡曲のテープをダビングする会社に行って,増産してもらったんです。本数を伝えたら「こんな数頼んでくるところほかにないよ」って言われましたけど(笑)。
大堀氏:
大橋さんが新しいモノを否定しない「とりあえずやってみよう」精神の人だったから,いろいろな才能が集まってきたんですよ。
大橋氏:
ベーマガ編集部には,大堀さんをはじめとしたゲームのうまい若者が集まってて,なんだかある種の梁山泊みたいなところがありましたね。あんまり賑やかだから,周囲に仕切りを作られちゃって。「なんで中学生をこんなに働かせるんだ!」って,手伝いをしてくれている中学生のお母さんが怒鳴り込んできたこともありました。今だったら捕まってますよ。
4Gamer:
そんな環境の中で,大堀さんが攻略記事に情熱を注いだのは,どんな理由からだったんでしょうか。
大堀氏:
当時のゲーム好きは,友達と情報に飢えていたんですよ。「ゲームを遊ぶと成績が悪くなる」なんて言われてた時代ですし,ゲームの話をしてるのが女子にバレようものなら,「大堀が不良になった」なんて騒ぎになりかねない。それがすごく悔しくて。だから,同好の士が集まる場所を作りたかった。ベーマガのハイスコア集計の連載も,そういう思いから始めたんですよ。
4Gamer:
ああ,ゲーム好きはそこに集まるはずだと。
大堀氏:
ええ。それに都道府県で競い合うような遊び方もできますし,今で言う聖地みたいなゲームセンターが生まれることにもつながります。実際,当時有名だった巣鴨キャロットには,修学旅行の学生さんがたくさん訪れるようになったそうですし。
それから,自分は「ゲームは文化になる」って信じてたので,それを世に知らしめたかったというのもあります。開発者の側も同じ情熱を共有していることが分かって嬉しかったですし,大橋さんの力を借りて,誌面でそれを叫んでいたようなものですね。
プレイヤーからクリエイターへ。立場を変えても貫かれるゲーム愛
4Gamer:
ここからは,ちょっと切り口を変えた質問をさせてください。大堀さんは「ゲーム文化保存研究所」(以下,IGCC)という団体を立ち上げ,ゲームを文化として保存する活動もされていますが,そもそものゲームとの出会いはどんな形だったのですか。
大堀氏:
最初はやっぱり「スペースインベーダー」ですね。ちょうど中学校に上がるタイミングだったと思いますが,バッティングセンターの片隅にあるゲームコーナーで見かけて,「なんじゃこりゃ!?」って(笑)。
4Gamer:
バッティングセンターですか。駄菓子屋とかではなく?
大堀氏:
あの頃はインベーダーブームだったので,いろいろとヘンな場所にもゲーム台が置かれていたんですよ。肉屋やパン屋の前にもテーブル筐体があって,妹連れでプレイしたのを覚えています。駄菓子屋さんにゲームが置かれるようになるのは,もう少し後ですね。
4Gamer:
なるほど。「スペースインベーダー」のどんなところに惹かれたのでしょうか。
大堀氏:
それまでのアーケードゲームって,10円玉を弾いて遊ぶような,いわゆるエレメカがほとんどだったんです。ビデオゲームがあっても,「ブロック崩し」や「テニス」のような抽象的で無機質なものばかりで。その中にあって,生きているかのようなキャラクターがブラウン管に映し出される「スペースインベーダー」は,ものすごく魅力的でした。
4Gamer:
では,「スペースインベーダー」でゲームにのめり込んでいったわけですね。
大堀氏:
いえ。本格的にのめり込んだのは,次の世代の「ギャラクシアン」とか「パックマン」からです。とくに「パックマン」は,先ほど話題にのぼったゴーストの個性なんかもあって……ガーンと金属バットで殴られたような衝撃を受けました。中学の授業中にも,ノートにずっとパックマンを描いていたくらいです。
4Gamer:
今で言うところの,世界観の広がりを感じたと。となると,ナムコのゲームには思い入れが深そうです。
大堀氏:
そうですね。当時,いろんな会社が「スペースインベーダー」の派生作品をリリースする中,ナムコさんはまったく違うアプローチをしていて。とくに「ギャラクシアン」には,「ウチのゲームはどうだ!」という気概を感じたものです。だって100円玉を投入したときに,「ギャラクシアン」だけは「ヒューン!」っていう効果音が鳴るんですよ。もう発想のレベルが違います。
4Gamer:
ナムコのサウンドは,当時から評価が高かったですね。
大堀氏:
ええ。ラジカセをゲームセンターに持っていって,筐体から音を録音したくらいです。クリアに録れるよう,なるべく弾を撃たないでプレイしたりして。今のようにサウンドトラックが発売されるような時代ではなかったですから。
4Gamer:
大堀さんはベーマガでライターとして活躍されたのち,ゲームの開発側に回られたわけですが,そこにはどんな思いがあったのでしょうか。
大堀氏:
僕自身はゲーマーなので遊ぶほうが好きなんですが,大橋さんや遠藤さんなど,いろいろな先輩方に助けられてきましたので,ゲーム業界に恩返しがしたかったんです。当時はゲームの専門学校もなく,ゲームのことなんて何も分からない自分に,先輩方は門戸を開いて,さまざまなことを教えてくれました。その恩をクリエイターになることで返そうと思ったんですが,皆さん口を揃えて「それは俺たちに返すんじゃなく,次の世代に何かしてやれ」って言うんですよね。
4Gamer:
ああ。
大堀氏:
だから僕は「ゲームを作りたい人」のための場所を作りたいと思いました。それがマトリックスです。ゲームから情熱を受け取った人に先人たちから学ぶ機会を提供し,これからのゲーム業界を紡ぐ仲間になってほしい。かつて自分がそうであったように。だからマトリックスでは,何よりパッションを大事にしています。
4Gamer:
大堀さんは,ご自身の優れたプレイヤーとしての資質が,ゲーム作りに役立ったと感じたことはありますか。
大堀氏:
「自分だったらこう改良する」というのは,ゲームを遊ぶとき常に考えてますね。そうしてこれまでの経験をライブラリー化しているからこそ,初見のゲームでも人より早く先に進める。僕はゲームを派生学だと考えているので,どんなタイトルも何か別のタイトルの延長線上にあると感じるんです。
4Gamer:
マトリックスの代表取締役を務めつつ,2016年にIGCCを立ち上げましたが,そこにはどんな狙いがあったのでしょうか。
大堀氏:
ゲームの歴史を築いてきた先人の皆さんがご高齢になってきました。日進月歩のゲーム業界だけに,まだまだお元気な方もおられますが,そうした方の思いやオーラルヒストリーは,今記録しておかなければ失われてしまいます。まだ語れない,公にできない話もあるかもしれませんが,可能な範囲で取材して,まとめていきたいと思っています。
4Gamer:
その成果の一つが,2023年に発売された「ALL ABOUT DATA EAST データイーストのすべて」でしょうか。
「ALL ABOUT」の復刻第1弾は「ALL ABOUT DATA EAST(データイースト)」に決定。書影が公開に
過去に電波新聞社が発売したゲーム攻略本シリーズ「ALL ABOUT」の復刻第1弾が,「ALL ABOUT DATA EAST(データイースト)」になることが,同社代表取締役である平山 勉氏のXアカウントで明らかとなった。今回は,ALL ABOUT DATA EASTの書影が公開されている。詳細は,続報を待とう。
大堀氏:
ええ。以前の「ALL ABOUT」シリーズは攻略にフォーカスした内容でしたが,今回の「ALL ABOUT DATA EAST」は,ゲームの歴史を文化として残すことが目的です。今はYouTubeで検索すれば攻略方法がすぐに分かる時代ですから,それよりも会社とゲームの足跡をキッチりまとめることを優先しています。
4Gamer:
反響はいかがですか。
大堀氏:
大きな反響をいただきました。もちろん反省点もありまして,全ゲームリストなどで手が回らなかった部分があるのは確かです。ただ,これには理由があって,福田(哲夫)社長のお話があまりにも面白すぎたので,時系列でまとめていったら,デコカセ※が生まれるところで紙幅が尽きちゃんですよね。でも,まだすごいネタが残ってますから,早く2冊目にとりかからなくちゃと思っているところです。
※デコカセ……デコカセットシステム。データイーストが開発したアーケード基板で,カセットテープでゲームが供給されるため,稼働するゲームを安価に交換できたのが特徴。1980年から1985年頃にかけ,40作以上のタイトルがリリースされた。
4Gamer:
分かりました。ところで,お二人は今現在もゲームをプレイしますか。
大橋氏:
私は,今はほとんどやりませんね。ゲームに関係した活動でいうと,「U-16プログラミングコンテスト」の審査員くらいなものです。今の子供たちは目がすごく肥えていますから,すごいゲームを作るんですよ。昔とはもうスタート地点から違っていて,それこそ未就学でもプログラムを書けてしまう。そこから新しい文化が生まれてくるんじゃないかと,今から楽しみです。
大堀氏:
大橋さんはIchoigoJamなどの普及活動もされてますからね。
僕は昔ほどではないですが,今でもプレイしています。ただ,これからのゲームは軸足自体が変わってくるんじゃないかと思っていて。コンピューターを使った映像表現や,人をおもてなしする要素があるものは,全部ゲームなんじゃないかと。なので,なんでも触ってみるようにはしています。
4Gamer:
というと?
大堀氏:
例えば,家族のお金を管理するアプリを作ったとします。単に管理するだけなら数字が表示されるだけでいいですが,そこに子供が使い方を学べるように,キャラクターが成長する要素を加えたりもできるわけです。すると,これはもう立派なゲームなんじゃないかと。
4Gamer:
ゲーミフィケーション的なアプローチということですね。一方で,グローバルで見ると日本のゲーム企業の影響力が落ちている,あるいは元気がないといった見方がされることもありますが,大堀さんは何か思うところはありますか。
大堀氏:
大規模なゲームの作り方にまだ慣れてないんじゃないか,とは思います。「作りながら直す」という日本のやり方はロスが大きくて,工業製品としてのゲーム作りでは海外に押されている側面がある。でも,ゲームってそれだけじゃないですよね。開発の規模にしてもいろいろなサイズ感があるし,遊ばせ方だってさまざまです。むしろ,バリエーション豊かなものを生み出して発信できる今は,いい時代なんじゃないかと。だから僕は,むしろワクワクしています。
4Gamer:
大橋さんはどうでしょうか。ゲームだけでなく,デジタル産業と広く捉えてもらってもいいのですが。
大橋氏:
確かに日本に元気がなくなってきている,という話は良く聞きます。でも日本にはゲーム産業だけでなく,撮像装置や半導体材料,製造装置と世界でトップシェアを押さえた企業がたくさんあるわけです。それに諸外国から遅れているとはいえ,今は小中学生が皆コンピューターを持つようになりましたからね。これからが楽しみですよ。
4Gamer:
マトリックスは今年で30周年とのことですが,何かイベント的なことは予定していますか。
大堀氏:
2024年7月に30周年を迎えるので,それに合わせていろいろと準備しています。採用も積極的に行っていく予定なので,興味を持った人はぜひリクルートページから応募してもらいたいです。日本的な文脈のゲームを世界に発信したいと思っていますので,その仲間になってくれる人は大歓迎です。
4Gamer:
IGCCの活動についてはいかがですか。
大堀氏:
そちらも引き続き,とくにゲームの分類保存に力を入れて続けていくつもりです。先にもお話ししたように,ゲームは派生学ですので,多くの作品は過去のものから派生して生まれてくる。新しい作品を生み出すためにも,必ず必要な作業だと思っています。
4Gamer:
分かりました。最後に,これは大橋さんにぜひお聞きしたいと思っていたんですが……大橋さんは趣味のアマチュア無線から業界に入られて,35歳でベーマガを立ち上げ,70半ばになった今も,こうしてお仕事を続けていらっしゃいます。そのバイタリティはどこから来るのでしょうか。
大橋氏:
幸いなことに独居老人なので,なんでも好きなことができるんですよ(笑)。今は週に2回,電波新聞の一面にコラムを書かせてもらっているのと,月に1回大阪の補聴器屋さんに行って,新製品のアドバイスをしたりしています。あとは月に3回くらい,週末に電子工作とかプログラミング,ロボット教室をやっている人たちのお手伝いをしたりね。そこで子供たちと触れあうのが,すごく楽しいんです。これが原動力ですね。
大堀氏:
僕も自分が大橋さんの歳になったら,こんなにアクティブに動けるとは,とても思えないですよ(笑)。
大橋氏:
今週末もBCLっていう海外放送を聴く人たちがウチに11人来てね。ラジオの組み立てと宴会をする予定なんですよ(笑)。
4Gamer:
ますますのご活躍を楽しみにしています。本日はありがとうございました。
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