4Gamer:
ボードゲームはCDSの普及によって,新たな消費者を獲得し始めているのでしょうか?
徳岡正肇氏:
そこの判断は難しいですが,海の向こうで活況を呈しているのは事実です。CDSを支持しないデザイナーに,ある種のアンチテーゼとして受け止められることで,旧来的手法のゲーム側にも新しい動きが出始めたのです。「既存の方法でも,面白いゲームは作れるぞ」という,反証的な作品作りとして。
4Gamer:
沈滞していると思われた分野が動き出したわけですか。
徳岡正肇氏:
ええ。傑作といわれるゲームがことごとくCDSベースという状態が3〜4年続きまして,そうした事態へのリアクションとして,です。
CDSでは従来のシステムで描きにくかった,明瞭な形でない対立をゲームにできるわけで,やはりインパクトは大きかった。ポエニ戦争のように,状況全体を扱わないとうまく説明できないモチーフもゲーム化できる。高度な政治性を帯びた,現代の広い意味での「戦争」も,これで初めて合理的にゲーム化できます。
切込隊長:
むしろ狭義の政治そのものも,ゲーム化できそうですね。「55年体制」とか。
徳岡正肇氏:
かつて,ボードストラテジーゲームのモチーフには「敵と自分が,あらかじめ準備してぶつかり合う」というシチュエーションが必須だといわれたことがあります。これから外れるものはロールプレイングゲームの範疇というわけですね。そうした,一度は限界と思われた枠を,ボードゲーム界は半泣きになりながら乗り越えました。
それから思うに,コンピュータストラテジーの分野でも「ゲーム化できない」と思われているテーマが多々あると思います。そうしたものの多くが,本当はゲーム化可能なのではないかと。
切込隊長:
システムのブレイクスルーで,コンセプトに基づいたゲーム化の可能性が大きく変わるわけだ。現在のコンピュータストラテジーにおけるマーケティングは,あるテーマの「見え方」をコントロールすることでお客さんを掴んでいくというものであって,その基層には,いわば枯れた“元ネタ”としての,既存のボードゲームがある。
枯れているからこそ,ゲームのシステムもお客さんの理解の範囲に収まって,そのうえでの工夫があるわけだけれども,往々にしてそれが「出られない枠」になってしまう。そこからの脱却を考えるうえで,CDSというボードゲーム側の革新について考えてみると。
徳岡正肇氏:
そう,ボードゲームの側は,CDSというブレイクスルーを見いだした。とはいえ,それをコンピュータに持っていって……などという甘い話でないのはもちろんです。ボードとコンピュータでは,見えるものと見えないものの範囲からして違いますから。
切込隊長:
ただし,誰でも知っている,それでいてゲームにしづらかった事件をゲーム化するときの,一つのヒントにはなり得るような気がします。「The Ancient Art of War」や「Balance of Power」のような作品だって,かつては提案されていたわけですし。
徳岡正肇氏:
今度,「Twilight Struggle」をプレイする会をやりましょうか(笑)。「Balance of Power」という言葉も出てきたことですし。
切込隊長:
ぜひやりましょう。
徳岡正肇氏:
ボードゲームは,追いつめられているという実感があるせいか,実はどん欲な挑戦が見られる分野です。「シヴィライゼーション」ボードゲーム版とコンピュータ版の関係はともかくとして,コンピュータ版が実現したゲーム性を逆輸入した別のボードゲーム,「カタン」にも似た“ドイツゲー”があったりして。
ボードからコンピュータに行った「ヨーロッパ ユニバーサリス」,その続編である「ヨーロッパ ユニバーサリスII」に影響を受けたと思われる,「Struggle of Empires」という作品もあります。同盟関係が「ディプロマシー」的外交でなくセリで決まるなど,これまたひねったルールが見られるのですが。
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コンピュータ版「シヴィライゼーション」シリーズによく似たルールを持つ,Martin Wallace(マーティン・ウォレス)の「TEMPUS」 |
4Gamer:
同盟関係がプレイヤーの意思と関係なく決まるんですか?
徳岡正肇氏:
ええ。そもそもプレイの順番を毎回セリにかけるんですが,そこで1番・3番・5番,2番・4番・6番が,そのターンは同一陣営になります。「決着がついてどちらかが突出しそうな2国を,周辺諸国の共謀で強制的な同盟関係に追い込む」といったことが可能なわけです。
切込隊長:
よく考えられてますねえ。それは。
徳岡正肇氏:
はい。すごく深いレベルでヨーロッパの外交を言い当てているのです。
4Gamer:
ううむ,チャレンジ要素の有無こそが問題なのかなあとも,思えてきました。
徳岡正肇氏:
シリーズ後継作品に,本当にドラスティックな要素が含まれているのか。前作からの変更点ばかりを気にしても,前作を買っていない人には届きませんし。
切込隊長:
対戦システムを主体に組まれたスタンドアローンのコンピュータゲームは意外と多いのですが,これをオンラインサービスにしようという試みも,必ずしも成功していないですしね。
ただ,「マジック:ザ・ギャザリング」という対戦カードゲームの隆盛に先駆ける形で,アミューズメントスポットにおける対戦格闘ゲームの流行があったことは,実のところたいへん重要な経緯だったのかもしれない。その意味でも,「三国志大戦」にはずっと注目しています。
4Gamer:
いま格闘アクションはさておくとしても,ストラテジーゲームの場と形をより広く捉えてみよう,という方向ですね?
切込隊長:
ええ。あれはうまくいったパターンだと思いますので。
徳岡正肇氏:
開発陣も「RTS然としたゲーム」と言ってますしね。
切込隊長:
戦略じゃんけんに徹したのが勝因ですかねえ。
徳岡正肇氏:
横で見ていて,何が起こっているか分かるのは魅力的ですね。カードがあって軍隊が進んでと,非常に分かりやすい。もちろん,プレイされる環境とセットで考えるべきポイントですが。10万人というプレイヤー数そのものは,RTSの対戦プレイとして考えたとき,すでに世界レベルです。
切込隊長:
おやじプレイヤーがやたら多いのも特徴ですね。
徳岡正肇氏:
三国志大戦を指して「あれはストラテジーゲームじゃない」と言うことは,いくらでもできます。ちょうど,CDSベースのボードゲームを「シミュレーションゲームじゃない」と言えるように。
ただ,市場ではゲームの厳密な分類が問われているわけではなく,もっと基本的な楽しみ方の部分こそが問われているんじゃないかと思うわけです。そこに戦術性がある。そのことこそが重要なのです。
切込隊長:
例えば海外のRTSエンジン開発メーカーに共通しているのは,自分達が作ってきたRTSを掘り進めても,どうやらお客さんはそれほどいないらしいと気付いていることです。そこで,もっとカジュアルなものを作るか,逆に複雑なものをマニア向けに作るかしないといけない……と試行錯誤していますが,その模索方向は本当に正しいのだろうか,と。実際,アミューズメントスポットという,従来とは異なる場で三国志大戦は成功した……。
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RTSに似たシステムを持つアーケードカードゲーム,セガの「三国志大戦」 |
4Gamer:
放つターゲット,プレイされる場,あるいはシステム的ブレイクスルーの可能性と,いずれもそう安易に固定して考えてはいけないわけですね……。ストラテジーゲームの立ち位置を確認する意味において,おそらくは有益な視角になったところで,お開きにしましょう。本日はおつかれさまでした。
徳岡正肇氏・切込隊長:
おつかれさまでした(笑)。
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いやがうえにも「濃い」二人が,ゲーム内のディテールからストラテジーゲーム市場全般までを語ったのが今回の対談企画だ。共通の基盤となっているボードゲーム体験,その夢としてのマルチプレイ,ボードゲームから引き継がれた問題である,モデル化/シミュレーション手法と歴史性の関係,そしてプレイから自然ににじみ出てくる,現実社会に対する批評性。「ハーツ オブ アイアンII」,ひいてはParadox Interactiveの作品全般が持つ魅力を語る視角は,かなりの程度カバーできたと思う。
カードドリブンシステム(CDS)という,新しいボードゲームデザイン手法に発する話題は,ストラテジーゲームが開拓し得るフロンティアがまだまだ広がっている可能性を示唆し,アミューズメントスポットにおける「三国志大戦」の成功もまた,既存の手法を別の分野に応用できる可能性の問題として話題に上った。
もちろん,現実との対話,批評要素を持つパズルとしてのヒストリカルストラテジーを全幅に語るならば,我々の日常と消費生活そのものを俎上に載せる必要があるのだが,そこはさすがにこの対談で扱い得る範囲を超えている。
そこまで掘り下げなくても,記号的な「意味」をプレイアビリティと一緒に楽しみたい人は大勢いるはずで,現実的な供給と潜在的な需要の間の(外見的な)停滞を打ち破るものは何か,少し考えてみたというのが,ここでの話である。既存のストラテジーゲームが積み上げてきた手法が何をゲーム化するのに有用か,また,既存の方法以外でどういった知的競技が成り立ち得るかといった問題は,興味を持った人がそれぞれに考えを進めてみてほしい。
ストラテジーゲーム史上にどう位置付けるべきかはともかくとして,思い返せば「ハーツ オブ アイアンII」の日本市場におけるスマッシュヒットこそ,停滞が打ち破られた局面そのものだ。現実とはかくも興味深いものであり,その現実をモデル化して手玉に取ろうとする欲望こそがおそらく,新しい「ストラテジー」を生み出すのである。そういう視線で周辺を見直してみると,いろいろ面白い事象は見つかるはずなのだ。