インタビュー
[インタビュー]「機兵とドラゴン」と「モンスタークリエイト」を同時に作っていた森山 尋氏は実際のところ何者なのか。クリエイター人生を振り返ってもらった
奇しくも近い時期に毛色の違う2作を手がけた森山氏は,どんな経緯でゲームを作るようになったのか。その半生を振り返ってもらいつつ,新作2タイトルについて語ってもらった。
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パチスロ生活から
専門学校を経てゲーム業界へ
4Gamer:
今日はよろしくお願いします。
森山さんは,あまりインタビューなどを受けないタイプだと聞いていたんですが,今回は大昔のことから最新作のことまで,ざっと振り返っていただこうと思います。
いきなりですが,ゲームを作り始めたのはいつ頃のことなんでしょう?
僕はゲームを作るのが仕事で,表に出てしゃべるのはプロデューサーの仕事だと思ってますからね(笑)。
今49歳なんですが,専門学校からこの業界に入ったのは,確か22歳か23歳のときなんですよ。
専門学校に入る前は,ちょうどバブルの時期で毎月パチスロでけっこう稼いで,日々焼肉を食べたりする生活をしていたんですが,バブルが崩壊するとパチスロでは食っていけなくなったんです。
ある日,パチスロで負けて,そろそろ潮時かなぁと思いながら帰るときに専門学校……バンタン電脳情報学院(現バンタンゲームアカデミー)で入試をやっていて,受付の方が「受けませんか?」みたいに声をかけてきたんですね。それでなんとなく受けてみたら合格して,通うことになりました。
4Gamer:
それまでゲームを作りたいというようなことは考えていなかったんですか?
森山氏:
映画監督になりたいという漠然とした夢はあったんです。でも映画監督になるための道って,あまりないんですよね。それで諦めかけていたときに,たまたま専門学校に出会って,「そういえばゲームって面白いかもな? 最先端な感じだし,グラフィックスとかサウンドとか,総合芸術みたいなところがあるな」と。
でもゲームを作るとなると,プログラムの勉強をしないといけない。だけど僕は数学なんて大の苦手だったんで,教科書を買って勉強し直したりしつつ,どうにかプログラマーになりました。
4Gamer:
専門学校卒業後は,どんな会社に入られたんですか?
森山氏:
当時は新卒でゲーム会社の入社試験を受けて,それに受かったら入るといったルートが確立されていないギリギリの時代だったんで,基本は住所を調べてドアを叩いて回るみたいな感じでした。
でも専門学校にはゲーム関連の求人がたまに来るんです。それを受けて受かったら行ってみて,合わなかったら辞めるみたいな感じでしたね。
当時は,晴れて入社できても,出社してすぐに先輩のドッターがエルフの耳の角度のことでケンカをしている姿を目の当たりにして……もうここにはいられないと思ってすぐに「今日で辞めさせてください」みたいなことを繰り返してました(笑)。
4Gamer:
それでもゲーム業界で働こうという意志は持ち続けていたんですね。
森山氏:
まあそうですね。専門学校も通ったし……。
紆余曲折を経てちゃんと入ったのは,「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」でチーフプログラマーだった内藤 寛さんが作った,クライマックスという会社でした。
厳密に言うと,その前の会社でもちゃんと働いていたんですけど,入社後2〜3か月で倒産したんです。午前中に社長から「今日の午後,差し押さえの赤紙を貼る人達が来るんで,私物を持って帰るように」って。
4Gamer:
当日いきなりは面くらいますね。
森山氏:
100人ぐらいの規模のゲーム会社でも,普通に倒産するんだなぁって驚いたことを覚えています。でも先輩達はそれすら動揺することなく慣れた様子で,私物の機材を運ぶためにすぐに赤帽(運送業者)を呼んだりしていて……。この業界はすげえなって(笑)。
そこからクライマックスに入って,「スーパーランナバウト」とか,内藤さんが作った有名タイトルの精神的続編とかに関わっていました。時期的にちょうどセガサターンからドリームキャストに移り変わるようなタイミングでしたね。
4Gamer:
コンシューマゲーム業界に勢いのあった時代ですよね。
森山氏:
そうですね。PlayStationだセガサターンだで盛り上がっていた時代でした。でも僕は「今年はきついからボーナス減るよ」とか「倒産だよ」とか,そういう人生だったから,あの盛り上がりの恩恵にはあずかれていないんですよね。もうちょっと早く生まれて同じ道に進んでいたら,いい思いもできたかもしれないんですけど(笑)。そんな感じで20代はプログラマーとして働いていました。
その後,「レガイア伝説」を開発したプロキオンに,企画……というか実質スクリプターとして入って,「レガイア デュエルサーガ」に関わっていました。実はこのとき,今もPICTOYで一緒にゲームを作っているプログラマーの菊地正彦と出会ったんです。でも,プロキオンはけっこうすぐに辞めちゃったんですよ。
4Gamer:
何かきっかけがあったんですか?
森山氏:
ちょうど,9.11(※2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件)が起きて衝撃を受けたんです。それまで,戦争やテロを身近に感じたことがなかったんですよね。それで戦うゲームを作る気分になれなくなって。そこから半年ぐらいは,またパチスロで暮らしながら,戦わないゲームを作るような会社はないのかな? と思って探していたところ,見つけたのがスキップだったんです。
4Gamer:
西 健一さんら,ラブデリックの元スタッフによる会社ですね。
森山氏:
ええ。西さんは僕の師匠にあたるんですけど,最初に行ったときはびっくりしましたよ。鈴木浩司社長のことを西さんが「タコ!」なんて怒鳴ってるもんだから,なんだこの会社? って(笑)。
でも,初めて真面目に書いた企画を西さんに気に入ってもらえたんです。当時の西さんが見ていたところに近い,戦わないゲームだったんですよね。それで「面白いから,お前,うちに来なよ」って誘ってもらいました。でも当時,“24部”(恵比寿開発部)と呼ばれていたチームは西さん以外が全員,僕が入ることに反対していたらしいんですよね。
4Gamer:
なかなかすんなり行かなかった,と。
森山氏:
ちょうどその時期,中学時代からの親友と久々に再会して飲みに行ったら,そいつも小さいゲーム会社で戦わない,殺さないゲームを作っているということで,「力を貸してよ」と言われたんです。さすがに親友にそう言われたら……ということで,そのときには西さんにお断りを入れて。
4Gamer:
すぐにスキップに入ったわけではなかったんですね。
森山氏:
ええ。そこで西さんから「どこに行くの?」と聞かれて,「松尾憙澄さんという方のところです」と答えたら,実はその松尾さんって,西さんがmoonを作ったときのプロデューサーだったんですよ。たまたまなんですけど。それで西さんが,「たぶんどうにもならないと思うけど修行してこい」みたいに送り出してくれました。
で,1年ぐらいそこでメディアでは語れないような経験をいっぱいしました。千駄ヶ谷の,かつてラブデリックがあったオフィスだったんですけど,毎日夕方から夜になると芸術家が来るんですよ。絵を描く人や占いをする人,音楽をする人なんかがやってきて,セッションが始まるんですね。面白い会社でした。
4Gamer:
ラブデリック時代のエピソードとして西さんと木村祥朗さんからうかがったエピソードそのままですね……。
クソゲーだから,覚悟のうえで買ってほしい――「moon」移植版配信開始記念,木村祥朗氏&西 健一氏インタビュー
移植版「moon」が,2019年10月10日にNintendo Switch向けに配信された。オリジナル版を開発したラブデリックの主要メンバーの一人であり,移植版の開発・監修も担当したOnion Gamesの木村祥朗氏と,「moon」の基礎となる世界観を立案した西 健一氏は今,この作品に対してどんな思いを抱いているのか。当時を振り返りながら,たっぷり語ってもらった。
森山氏:
でも,やっぱり案の定ゲーム自体はなかなかうまく進まず,そうこうしているうちに西さんから「そろそろこっちに来なよ」と電話がかかってきて。それで松尾さんにも「西さんから誘われていて」と相談したら,「行って来いよ。またこっちが良くなったら戻って来ればいいし」って送り出してもらったんです。
4Gamer:
いい話です。
森山氏:
でも,スキップに入って「ギフトピア」の開発に参加したはいいんですけど,最初に「開発終盤だから来い」って言われたはずなのに……蓋を開けたらぜんぜん終盤どころの完成度じゃなかったんですよ!(笑)
僕はスクリプターで,プログラマーで,企画もできたので,その時点でギフトピアに足りない部分を勝手に自分で考え,すごいパワーで各分野の作り込みに取り組んでいたんです。そんなゴリゴリに必死な僕の姿を見て,最初は関係がうまくいってなかったメンバー達も,ついには僕を認めてくれました。そしてどうにか完成までこぎつけました。終盤だったはずなのに,半年かかりました(笑)。
4Gamer:
ギフトピアにもそんな逸話があったんですね。「moon」でも木村さんから似たようなお話を聞いた記憶があります。
森山氏:
こういう話はよくあるんですよ(笑)。
でも西さんが元々構想していたであろう,もっとヘンな(いい意味で世の中にはない)ゲームではなくて,ちゃんと遊べるゲームにしちゃったな……というのは当時感じていました。
スキップ時代の「ちびロボ!」で
ゲームディレクターとして独り立ち
4Gamer:
「ギフトピア」完成後,森山さんがディレクターとして手がけられたのが,任天堂から発売された「ちびロボ!」ですよね。当時は西さんとお二人でディレクターという形でしたが。
僕がずっとディレクター志望だったので,西さんも「次はお前がやれ」って言ってくれたんです。でも24部の人達からは第一印象で嫌われているし,一度断ったくせにまた来ちゃうし……。それでもギフトピアで終盤がんばったから少し認めてもらえたけど,当然24部はやはり全員,西さんのゲームを作りたいメンバーなので……正直やりにくかったです(笑)。
でも西さんは西さんでゲームのディレクションに飽き始めていたから,「森山やってみろよ」みたいに言うんです。それで落としどころとしてダブルディレクターという形で何本か……動きそうになったけど動かない……みたいなことが続いて,ようやくちびロボ!に至った感じです。
4Gamer:
ちびロボ!の企画はどういう経緯で生まれたんですか?
森山氏:
元々はバンダイさんとどこかが共同で出資して作っていたもので,西さんの戦友でもある江藤桂大さんがスキップの開発一部で作っていて,完成もしたんですけど,何らかの事情でお蔵入りになってしまったものがあったんです。
それを任天堂の宮本 茂さんが,「キャラクター自体はめちゃくちゃいいから,西君のところで作り直したら?」と声をかけ,さらにバンダイの鵜之澤 伸さんからも了承を得てくださって,それなら……とやることになった流れですね。で,ダブルディレクターとしてゲーム部分は僕,ストーリー部分が西さんという役割分担でした。
4Gamer:
ゲーム的に,お蔵入りになったバージョンから引き継いだものはあるんですか?
森山氏:
江藤さんが作っていたのは,アクションゲームではなくてシミュレーションっぽい,ポインターでキャラクターを動かすようなものでした。なので,キャラクターだけを持ってきて,ゲームの企画は一から作り直しましたね。
これが3年半ぐらいかかったのかな。24部のみんなが求める面白さと,パブリッシャである任天堂が求める面白さは違うし,その板挟みになって……大変でしたね。僕はちゃんとした面白いゲームを作りたいんですけど,当時の24部でそれは異端だから,どうもそりが合わないという。そのうち,西さんは西さんでたまりにたまったものをブログにぶちまけて辞めちゃうんですよ。慌ててそのブログを消したら,「なんで消すんだ」って電話がかかってきて(笑)。
4Gamer:
今だから笑って話せるんでしょうけど,当時はきつかったですよね……。
森山氏:
ディレクターとして完全に孤立ですから,本当にきつかったです。でもそこでみんなに土下座するぐらいの勢いで説得をして,どうにかなったんですけど……つらすぎて細かいことは覚えていないぐらいです。でも精神的には鍛えられましたね。
そうやってどうにか作り上げて,それなりの結果も出たことで次につなげることができましたし。
4Gamer:
あの雰囲気のゲームが,こんな修羅場で作られていたとは……。
森山氏:
そして開発が終わると,西さんが戻ってくるんです。「釣りに飽きた」って(笑)。
それで「一人でディレクターやりたいだろうけど,まだ自分のオリジナルはできないだろうから,続編の中でやりたいことを5%でも出せ」というようなことを言われて,たぶん当時僕のことを一番嫌っていたデザイナーと組んで(笑)次に取り組むことになったんです。
4Gamer:
嫌われていた(笑)。
森山氏:
僕と同い年ぐらいで,西さんの弟分みたいな感じで可愛がられていたんですよ。仲は悪かったけど,お互い力はあったので,こいつと協力すればディレクター,デザイナーとして独り立ちができるだろうという利害が一致して(笑)。
そのときに,菊地を誘ってプログラマーとして来てもらう予定だったんですけど,なかなか企画が進まなくて契約が決まらなかった。でももう菊地にはすぐ前の会社を辞めてしまっていて,本格的に動き出すまで無職で待ってもらうことになってしまい……。
そしたら菊地が携帯電話を組み立てるアルバイトをし始めてくれたんですが,そっちでどんどん出世しちゃって,その会社で偉くなりつつあったんです。このままじゃ呼び戻せなくなりそう……というギリギリでどうにか呼べて,「咲かせて!ちびロボ!」を作りました。
4Gamer:
そんな背景が(笑)。
咲かせて!ちびロボ!で目指していたのはどんなゲームだったのでしょう。
森山氏:
戦う要素がほとんどない,公園を作るゲームです。
10代の頃から父親のPCを使って海外のゲームに触れることがあって,何かを作る……それこそ世界をいじれるゲームとか,神視点のゲームなんかが元々好きだったんです。「ポピュラス」とか「ブラック&ホワイト」とか。要は自分がやりたいものをちびロボ!の世界に入れてみた感じです。
当時,アメリカではWalmartが植林事業キャンペーンのキャラクターとして,咲かせて!ちびロボ!を採用してくれたなんてこともありましたね。そんなゲームを6〜7人で作れて,オリジナル作ではないもののディレクターとして独り立ちできた実感がありました。実際の開発期間は1年ちょっとぐらいでしたね。
4Gamer:
その次が,「おかえり!ちびロボ! ハッピーリッチー大そうじ!」ですね。
森山氏:
これはちびロボ!の正統な続編を作ってくれということで,10人ぐらいで作りましたね。ここで,ちびロボ!に関してはやり尽くしたというか,最高傑作ができたと思えたんです。それでスキップを辞めて,アソビズムに入りました。
4Gamer:
スキップ時代,任天堂との仕事を続けたことで,何か学んだことや得たものなどはありますか?
森山氏:
いろいろあるんですけど,とくに大きいのは考え方の順番というか……。例えばアクションゲームの場合,コントローラのボタンにどんなアクションを割り当てるかを,最初に完璧に決めなければいけないんです。それまでは企画を進めながらアクションをボタンに当てはめていくものだと思っていたんですが,その逆なんですよね。アクションの手触りを重視するうえで,言われてみれば確かに……と納得できたんですけど,最初に言われたときは衝撃を受けました。
これ以外にも,“任天堂イズム”や“ミヤモトイズム”的なものを,宮本 茂さんから直接継承されている田邊賢輔さんとずっとやりとりをしてきたので,そこの影響はかなり自分には色濃くありますね。
だから,任天堂イズムと西イズムという,一見すると相反するものを僕の中で自分なりに融合させていったのが,スキップで過ごした6〜7年です。
4Gamer:
ものすごく濃密な時期ですね……。
森山氏:
アソビズムに入ってから,森山スタジオという形でゲームを作っていましたが,そこでの作り方はたぶん任天堂さんの作り方に近いものだったと思います。のちに森山スタジオから他社へ転職した方々は,ゲームの作り方の違いに戸惑ったこともあったと聞きました(笑)。
たった3人で作った「ドラゴンリーグ」は,
「ストII」+「ラブワゴン」
4Gamer:
アソビズムにはどういう経緯で加わったんでしょう?
森山氏:
アソビズムの大手氏とは,長い付き合いがあったんです。スキップに入る前に松尾さんのところで働いた時期は,同時に母校の専門学校で企画科の講師もやっていたんですね。一応,母校やゲーム業界に恩返しをしたいという気持ちもあって。
そこの教務に面白い方がいて,その人が「君に会わせたい人がいる」と紹介されたのが,アソビズムを立ち上げる前の大手氏。そこからずっと,「一緒にやりましょう」と誘われていたんですよ。
4Gamer:
ずいぶん前からそういう声はかかっていた,と。
森山氏:
はい。それ以来,たびたび会うごとに誘われていたのですが,当時はアソビズムもi-modeの受託開発などやっていましたが苦戦していましたし,僕は僕で修行の身だったこともあり,「一緒にやるのは今じゃないな」と考えてずっと断っていたんです。
そういうやりとりが6〜7年あり,僕がスキップを辞めるときに久しぶりに会って話をしていたら,ふと「面白いかも」と思えてきたんですよね。
「まったく無名な会社に入ってゼロから築き上げてみたい」っていうチャレンジャーな気分になってきて
4Gamer:
それまでたびたび誘われていたこともあり。
森山氏:
一度はかなり本気で断ったこともありますからね。「もう二度と誘わないですから」なんて言われたんですけど,しばらく時間が経つと「そろそろどうです?」みたいな(笑)。
4Gamer:
そしていざ,森山さんがアソビズムに加わると,ヒット作を連発するようになると?
森山氏:
そういう意味で言うと大した経営者ですよね。無名の僕を6〜7年間も誘い続けて,結果そういう状況になったのだから(笑)。
4Gamer:
アソビズムでは,どんなことに取り組まれていたんですか?
森山氏:
ゲーム開発に関する人事から決済まで,ほぼ全ての決定権をもらって,いろいろやっていました。社長じゃないんだけどな? って思うぐらいに(笑)。
でもそうこうしているうちに,2012年に大手氏が一家で急に長野に移住して,会社の拠点が東京と長野の二つに分かれることになったんです。東京に残った僕は,ゲーム開発事業に関するほぼ全て,採用面接から社員のマネージメント業務,開発やプロモーションの決済に至るまで,それまで以上に全部を担当することになりました。
これを10年ぐらいやってきましたね。既存のゲームでけっこうな売上があることもあり,逆に言うと好きにやらせてもらえましたし,自由度は高かったと思います。純粋に自分が面白いと思ったものだけを作れたし,コンソールの業界では不可能だった,大貧民でいうところの革命を起こせたと思うんですよね。
4Gamer:
革命,ですか。
森山氏:
コンソールの業界だと,まったく無名な会社のゲームが販売ランキングで老舗パブリッシャの上を行くことなんて,ほぼできなかったんです。でもガラケーからスマホにつながる時代のソーシャルゲームの世界では,アイデア勝負で思いついたことをできるだけ誰よりも早く取り組みさえすれば,革命が起こせたんです。
4Gamer:
確かに,それまでのゲーム業界外の会社がソーシャルゲームでヒット作を連発した時代でした。
余談かもしれないですが,森山さんのタイトルに「ドラゴン」と付けられていることが多いのには,何か理由があるんでしょうか?
森山氏:
ドラゴンに思い入れがあるわけではないんです。
さかのぼると,僕はアソビズムに加わってから,任天堂さんに「いきものづくり クリエイトーイ」(以下,クリエイトーイ)の企画を持ち込んで小規模のチームで作っていたんです。その時期に大手氏の部署が大人数でほかのゲームをいろいろと作っていたんですけど,どうもうまくいっていない様子だったんですね。
で,クリエイトーイだけだとこの会社はもたないぞと思っている時期に,カヤックさんがガラケー向けのソーシャルゲームでうまくいっているという話を聞きました。そっちならアイデア次第でチャンスがありそうだと思って,“定刻開戦”の仕組みを考えついたんです。そこから3人でガラケー向けの「ドラゴンリーグ」(以下,ドラリー)を作り始めました。
4Gamer:
3人!?
森山氏:
iモードでうまくいかなかったドット絵のアクションゲームのアセットを流用して,プログラムだけで作り上げた感じです。若い奴らがやる気を出して,3か月ぐらいで作り上げましたね。
4Gamer:
それができたのも定刻開戦の仕組みを考えついたからこそ,ですよね。
森山氏:
ええ。あれを僕は「『スト2』+『ラブワゴン』」って呼んでるんですけど。
4Gamer:
それはどういった……?
アーケードで「ストリートファイターII」(以下,ストII)がはやっていた時代,僕が18:00にいつものゲーセンに行くと,同じメンツがそろっていたんですよ。つまり,同じ時間に同じ場所に行けば,必ず会える奴らとゲームができるんです。
それと同じで,多様なライフスタイルの中,誰もがずっと持っているガラケーやスマホで,同じ時間になったら友達と一緒に遊べる仕組みがあったら面白いだろう,と。
4Gamer:
そこがスト2ですね。
森山氏:
で,ラブワゴンっていうのは,フジテレビで放送されていた「あいのり」でおなじみのラブワゴンで……要は,閉鎖空間に強制的に人を入れると愛憎が生まれるということなんです。それで生まれたのが強制入団の仕組みで,これを僕は「ラブワゴンシステム」と呼んでいました。
結果,ものすごく仲が悪くなるチームもあるから,それがイヤで辞めちゃう人もいるんですけど,それこそが人間だから面白いと思うんですよ。それに,多くのゲームだと同じギルドに居続けると報酬がもらえたりするんですけど,それだと報酬目的で一緒にいるみたいな話になるんですよね。だけど報酬はとくないのに一緒にいることがギルドの絆になるっていうのが,なんかいいんじゃないかなと思って。
4Gamer:
なんとなく理解できました。
森山氏:
で,定刻開戦のリーグ戦ということにして,タイトルにはとりあえず「リーグ」さえ付けられればなんでもいい。ただヒットコンテンツには「ドラゴン」が付いているものが多いから,「ドラゴン」さえ付けておけば覚えやすいんじゃないかな? というだけで,「ドラゴンリーグ」というタイトルになりました。
4Gamer:
本当に深い意味はなかったんですね(笑)。
森山氏:
申し訳ないぐらいドラゴンに深い意味はないんです。
ただ,その後に「ドラゴン」を付けない「ガンビット」(iOS / Android)というゲームはうまくいかなかったんですよね。そう考えると,「ドラゴン」って僕にとってお守りだったのかもしれないです(笑)。
4Gamer:
ドラリーは配信当時,熱心なプレイヤーが多かったことを記憶しています。
森山氏:
ありがたいことに,配信開始当日から熱かったですね。
僕はドラリーで世界を変えるぐらいのことを本気で思っていたんですよ。でも配信前に試遊してもらった社内外の人達からは「クソゲー」だとか「全面改修すべき」だなんて言われて。でもそういう声を全部無視してリリースしたんです。当時のソーシャルゲームはライトユーザーがメインの市場なのに,「ライトユーザーお断り」って言って。
4Gamer:
すごい(笑)。
森山氏:
でも結果,ゲームだけで盛り上がってくれて,クチコミで広まっていきましたね。当時の盛り上がりは,いまでも忘れられないです。ただ,盛り上がりすぎると賞味期限が短くなるんです。恋愛と同じで(笑)。
4Gamer:
ああ……。
森山氏:
だいたい3か月,長くて半年ぐらい熱中すると,ふとした瞬間に離れて行っちゃうんです。リアルタイムバトルに没頭すると,それ以外の生活に影響が出てしまうという問題もあって(笑)。
4Gamer:
よく聞く話ではあります。
森山氏:
それこそ,すごく美味しいラーメン屋って,どんなに美味しくても毎日通えば飽きるじゃないですか。でも,美味しすぎずまずすぎもない,ちょうどいいラーメン屋なら毎日通えるような感じで。そんなことを学びましたね。
ただ,少し後に「絵が違うだけじゃん!」っていうようなゲームが出てきたときはけっこうショックでした。しかもそっちはTVCMなんかもやっていて,CMを出す予算のないドラリーがニセモノみたいな空気になっちゃって。でもその後,定刻開戦が一大ジャンルになったときには,先駆者として光栄だと思えるようになりましたけど。
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