インタビュー
プロゲーマーとして歩んだ道とその先。選手を引退したCrazySamさんとManjuさんにインタビュー
今でこそ,落ち着いてはきているものの,Steamの同時接続ピークは常に上位に入っており,Steam定番タイトルの1つとなっている。
PUBGは“日本において”競技シーン※が花開いたタイトルの1つでもある。2017年にDMM GAMESが開催した「PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP 2017 by DMM GAMES」から始まり,公式プロリーグである「PUBG JAPAN SERIES」が2020年まで開催された。その後はPUBG JAPANが運営する公式大会「PUBG JAPAN CHALLENGE」へと移行,2022年は名前を変えて「PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP」として,再始動する。
そんなPUBGの競技シーンだが,2017年から数えること4年で,選手層には移り変わりが生じている。かつて最前線で戦った選手たちも,少なくない人数が引退して新たな道を歩み始めている。一方で,新たな選手たちも数多く登場してきており,彼らがこれからのPUBG競技シーンを引っ張っていくのだろう。
今回は,選手を引退したCrazySamさんとManjuさんにインタビューを実施した。最初期から競技シーンで戦い続けた2人と共に,PUBGの競技シーンを振り返りつつ,「選手の引退後」についての話を聞いてみたので,ぜひ一読してほしい。
※競技シーンの定義が難しいところだが,本稿では「PUBGのプロリーグもしくはそれに準ずる大会」などを指す。
V3 FOXの元リーダー。チームの中核として活躍を続け,2021年のPUBG JAPAN CHALLENGE Phase1で総合優勝をし,念願の国際大会に出場した。海外への留学経験もあり,英語も話せるという。
CrazySamさん
SunSisterに所属し国際大会に何度も参加,PJSでの優勝経験も多数ある。Mr.PJSと呼ばれた,PUBG JAPAN SERIESのスタープレイヤーの1人。選手引退後はSunSisterを脱退し,フリーで活動している。
4Gamer:
よろしくお願いします。さっそく,PUBGの競技シーンを振り返っていきたいのですが,2人ともPUBGの競技シーンに参加したのはいつごろでしょうか。
2018年? 2018の1月でしたっけ。公式リーグが始まったのはニコニコ闘会議でやったやつ。
CrazySamさん:
PJSはそうだけど,その前にあったよね。2017年に。
4Gamer:
PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP 2017 by DMM GAMES(関連記事)です。お2人とも出場されてましたよね。
Manjuさん:
あー! 出てましたね。
出てました。SunSisterだけ3チーム出てたんですよね。ルール上問題はなかったんですけど,すごい叩かれたんですよ。トップ4までが韓国の大会に出場できたんですけど,その中にSunSisterが2チーム入っちゃって,それで「チーミングだ!」って。
4Gamer:
そういうこともありましたね……。Manjuさんはその時,まだプロではなくて,アマチュアチームのLethal Eliminatorsから出てましたね。
Manjuさん:
……多分そうだと思います。
CrazySamさん:
えっ,まだV3なかったんだ。
Manjuさん:
V3のPUBGチームはまだなくて。あの大会のあとにV3に入ったんだよね。
4Gamer:
Lethal Eliminatorsにはどういう経緯で入ったんですか。
Manjuさん:
大会に出たかったから募集していたチームに声かけたらOKと言われて。そのチームでは,1人が抜けてSCARZに行くっていうから枠が1つ空いてたんです。
4Gamer:
CrazySamさんはどういう経緯でSunSisterに?
CrazySamさん:
SunSisterで「オーバーウォッチ」のプロだったMolisさんが,PUBG部門をやりたいって,選手の募集をしたんですよね。CinVeさんとか,Weskerさんとか,fiachanとか,今でも活躍してる選手が集まった感じですね。
そのとき集まった選手たちの中に自分もいて,そこからずっとSunSisterに所属してました。最初は,めっちゃ人いましたね。PUBG部門は3チームくらいあって,全体で20人くらいいたんじゃないですかね。
4Gamer:
あの当時,プロチームでメンバーを募集しているところって,少なかったですよね。プロチーム自体,今ほどはなかったですし。
CrazySamさん:
募集をしたのはSunSisterが一番早かったはずです。だから,今でもやってる人が集まったんだと思います。
今でこそ,お金をもらえるチームもありますけど,当時,そういうところは本当に少なくて,お金が出るところの方が珍しかったんで,あまりプロでやる意味もなかったんですけど。
4Gamer:
たしかにそうかもしれません。それで,予選を突破してPUBG JAPAN CHAMPIONSHIPの決勝に行くことになるわけですが……,Manjuさんは決勝に出てました?
Manjuさん:
出てない……。
4Gamer:
でも予選は突破してましたよね。
Manjuさん:
しました……。あの大会のときに,ソロでドン勝取って「決勝に行ける!」って喜んでたのに。
寝坊して……出られなかったの。
その節は関係者ならびにチームメイトの皆様に大変ご迷惑をおかけしました。
一同:笑
4Gamer:
PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP 2017 by DMM GAMESで,CrazySamさんのいるSunSister Suicider'sが優勝して韓国の大会に行ったんですよね。あの時に韓国に行ったのが,SunSisterの2チームと,Buhidou GamingとTeam Destroy。Buhidou Gamingがその後のRascal Jesterで,Team DestroyがSengoku Gamingになりましたね。
「PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP 2017 by DMM GAMES」の優勝チームはSunSister Suicider’s。上位4チームはアジア大会への出場権を獲得
DMM.comは本日,「PLAYERUNKNOWN'S BATTLE
GROUNDS」の開発元であるBlueholeと協同で開催するオンライン大会「PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP 2017 by DMM GAMES」の決勝順位と,アジア大会への出場権を獲得した上位4チームを発表した。優勝はチーム「SunSister Suicider’s」だ。
CrazySamさん:
そうですね。でも,あの大会はボロボロでした。何歩も先に進んでた韓国のチームにうまく対応できなかったです。もう1つのSunSister(Unknown)は活躍したんですけどね。
4Gamer:
それで韓国大会が終わり,PUBG JAPAN SERIESが始まる(関連記事)と。
CrazySamさん:
αリーグとか,βリーグとかでしたっけ。もう遠い過去すぎてあまり覚えてない(笑)
Manjuさん:
そう。PUBG JAPAN SERIESのαリーグ,βリーグって順にやっていった。
4Gamer:
あのときのSunSisterのメンバーはたしか,gabhaさん,Sabracさん,Molisさん,CrazySamさん。
CrazySamさん:
そうですね。懐かしい。
4Gamer:
ManjuさんがV3に入った経緯は?
Manjuさん:
PJSにはアマチュアチームのGtVで参加したんですけど,予選を勝ち抜いて,PJSαリーグに出場することが決まった後にプロチームから声が掛かって,GtVごとV3に入る形になったんです。それでV3に所属することになりました。
多分,いろいろ所属できるプロチーム探してたと思うんですけど,チームの代表は別の人だったので,あまり詳しくは分からないんですよね。
4Gamer:
当時は,アマチュアチームが実績を残して,そのままプロチームに吸収されるっていう流れがありましたね。その時のV3のメンバーは確か――。
Manjuさん:
Giepie,yobiyobi,Whitejack……。
CrazySamさん:
もうみんないないじゃん。いや,初期のSunSisterもだけど(笑)。
Manjuさん:
そう。もうみんないない。
4Gamer:
PJSは国際大会への切符を手に入れるための大会でもあったんですが,ルーマニアでの大会がPJS初めての国際大会だったのかな。SunSisterが行きましたよね。
「PUBG JAPAN SERIES αリーグ Phase1」,優勝チームはSunSister Suicider's。「PGL PUBG Spring Invitational」に参戦決定
DMM.comが,DMM GAMESにてチャネリングサービスを展開している「PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS」の公式大会「PUBG JAPAN SERIES αリーグ Phase1」の最終結果が発表された。また,αリーグ Phase1終了翌日に行われた「PJS αリーグ入替オンライン予選」の結果も明らかになっている。
CrazySamさん:
そうですね。あの時はDetonatioNとすごい僅差で,数キル差でルーマニア行きを勝ち取った記憶があります。ただ,当時の国内大会はTPP(三人称視点)がメインだったんですけど,ルーマニアの大会がFPP(一人称視点)でした(笑)。
Manjuさん:
あの時,FPPで可哀そうみたいな雰囲気あったよね(笑)。あれがあったから,FPPとTPPの混合形式になったはず(関連記事)。
CrazySamさん:
なんで国内大会はTPPにこだわっていたんでしょうね。
4Gamer:
今思えばそうですが,あの当時はTPPこそPUBGみたいな雰囲気がありましたから。
CrazySamさん:
今ってほとんどの大会でルールが統一されてるじゃないですか。あの当時はそういうのがあんまりなくて,国によってルールが違ったりしてましたよね。
4Gamer:
当時から,競技シーンが成熟しているタイトルには統一ルールがありましたけど,PUBGは新興の競技シーンだったので,統一ルールがまだ定まっていなかったんです。
Manjuさん:
αリーグはドン勝で500ポイント,キルで5ポイントとか。今ではちょっと考えられないルールだった。
4Gamer:
Phase1はDay2まではニコニコ闘会議で行われて,Day3が各地域のネットカフェに集まってプレイする,オンラインとオフラインの混合大会みたいな形でした。
CrazySamさん:
そうでしたっけ。じゃあ僕もネカフェに行ったのかな。覚えてない。
Manjuさん:
全員ネカフェだったよ。当時,静岡に住んでて,会場が名古屋のネカフェだったから行ったもん。Sabracさんとか,Melofoさんとかがいたのを覚えてる。北海道は札幌が会場で,道北に住んでるWhitejackが車で2〜3時間かけて行ってた。
CrazySamさん:
めっちゃ大変じゃん。あんまり苦労した覚えがないから東京は快適だったのかな。
4Gamer:
Phase2からはお馴染みのあの会場になって,東京に全チームが集まるようになったんです。
CrazySamさん:
僕はその時,東京の端っこに住んでたので,東京の会場と言っても往復で3時間半くらいかかって,めっちゃ大変だったんですよ。家から最寄りの駅に行くまでバスで30分かかるし。
Manjuさん:
大会当日の移動は大変だったよねぇ。
CrazySamさん:
遠い人とか移動だけで疲れるんで不利ですよね。
Manjuさん:
Whitejackは車で2〜3時間移動して,飛行機乗って,電車乗って会場にくるっていう。考えるだけでしんどい。
CrazySamさん:
それはほんとにしんどい(笑)。
4Gamer:
オフラインであれだけの人数を定期的に集めるっていうのは,他では見ない形式でしたね。
CrazySamさん:
そうですね。一番大変だったのは間違いなく大会運営の人だと思います。64台以上のPC,PJSの初期だと80台以上のPCを用意する必要があるんですから,それだけでも大変さが分かる。
初めてだらけだったんで,トラブルが起きることもありましたよね。
4Gamer:
覚えてるのは会場の電力不足で,PCが落ちたトラブルですね。
Manjuさん:
その時は,次回は電源車を用意してしっかりと対策するっていう公式発表がありましたね。ちゃん次のことも考えてくれてるんだと安心した記憶があります。
CrazySamさん:
あの大会で唯一,不満だったのは机でした。めちゃくちゃ“ローセンシ”だったんで,マウスを激しく動かすんですけど,プレイ中は対面にいる選手とか揺れてたんじゃないかな。一回,Rioさんに「揺れるんだけどー!」って言われたもん(笑)。
Manjuさん:
競技としてあんまりよくはないんですけど,どこが死んだーって大声でしゃべってるチームの声が聞こえてきたりはしてました。
CrazySamさん:
耳栓してても聞こえてきた(笑)。
4Gamer:
取材してるときもすごく声が聞こえてくるんですよね。会場に流れる緊張感もあって,印象に残ってます。
選手活動の中で印象に残ってることはありますか。
CrazySamさん:
僕らは最初,無名のプレイヤーの1人でしかなかったんですけど,いろんな大会に出て,勝って負けてを繰り返していく中で,応援してくれる人が出てきたことですね。選手として活動してて,そうやって支えてくれる人が初めてできたんです。
道で歩いているときに声をかけてくれる人とか,何かを贈って応援してくれる人とか,そういう人たちに自分が支えられているということを実感しました。選手をやってなかったら,道端で声をかけられるとか人生で体験しなかっただろうなって。いい経験でした。
Manjuさん:
ファンもそうですが,僕は神戸学園がV3を運営することになったことが印象に残ってます。給料も出るようになって,選手活動に専念できたので。それがなかったら,就職とかも考えて,PUBGをここまで続けることはなかったんじゃないかなと。ありがたかったです。
4Gamer:
なぜプロゲーマーになろうと思ったんでしょうか。
CrazySamさん:
自分はプロゲーマーを目指していたわけじゃないんです。当時はプロゲーマーが仕事になるかって言われればそんなことはなくて,ただ単にゲームが好きで,強くなりたいって思ってる人たちの集団がプロゲーマーだったというだけで,その中にたまたま自分もいたっていう。成り行きじゃないですけど,そんな感じですね。
Manjuさん:
僕もそんな感じですね。さっき言ったように,気付いたらプロチームに入ってたって感じです。なろうと思ってなったわけじゃないですが,それでもプロと呼ばれるようになったのは嬉しかったです。
4Gamer:
選手活動中の初期,2人とも兼業だったと思うんですけど,プロ一本でやろうと思ったきっかけはなんだったんですか。
CrazySamさん:
海外大会がすごく増えてきて,休むことが多くなったので,申し訳ないので。「ごめんなさい。辞めます」っていう話をして,そこから完全にプロ一筋って形になりましたね。
専業プロゲーマーになるときに,チームはすごくサポートしてくれました。moruさん(SunSisterのオーナー太田 桂氏)にはすごく感謝してます。
Manjuさん:
最初のうちはアルバイトもあって夜の練習しか参加できず,もっと練習したいって思ってたんです。そのタイミングで神戸学園がV3のオーナーになって,サポートしてもらえるようになってゲームに専念できるようになったって流れですね。
4Gamer:
プロゲーマーとして結果を残すには,サポートがあるかどうかはやはり大きな問題なんでしょうか。
CrazySamさん:
どうでしょうね。僕はその辺,疑問に思っています。もちろん,環境は大事なんですけど,兼業でやってる人はやってるじゃないですか。結局,本気だったらどんな状況でもやるんですよ。
ただサポートがあると楽だとは思います。だけど,その環境に甘えない人って,やっぱり強いですよね。プロをやっててそう思いました。
4Gamer:
なるほど。たしかにそういった面はあるかもしれません。
CrazySamさん:
兼業でやってた時と成績を比べたら,むしろ兼業でやってた時の方がよかった気もするんですよね。でも人によると思うので,なんとも言えないところです。
4Gamer:
選手活動で目標にしていたことは何でしょうか。
Manjuさん:
選手活動の中で,一つの目標にしていたのは国際大会に出場することでしたね。
4Gamer:
V3に関してはちょっと運が悪かったところもありましたね。タイミングさえ合えば国際大会に出場できる成績は残してましたし。
Manjuさん:
それも実力のうちだったのかなとは思ってますけど,最後に国際大会に出場できて嬉しかったですね。
CrazySamさん:
目標……って難しいなぁ。明確に目標って言うのはなくて,楽しかったから選手をやってたっていうのがありますね。
強いて言えば,大きい大会って追い詰められるじゃないですか,そこで笑っていたかったというか,楽しむことが目標だったのかなって思います。
でも,難しかったですよね。やっぱりすごい勝ちにこだわってしまって,周りが見えなくなるっていうのは割とあったんで。そういう土壇場の大会で,心から楽しめたら結果も変わったかもしれないし,良い記憶として残ったのかもしれないって思いますね。
4Gamer:
お2人はeスポーツってなんだと思いますか。
CrazySamさん:
eスポーツ自体が正確に何を指しているのかは分からないですし,やっている側からすればeスポーツを意識しているわけではないんですよね。言ってしまえば「ビジネス」として見てる人たちの言葉かなって思ってます。
4Gamer:
やっている側からしたらそうかもしれませんね。eスポーツって呼ばれて自分たちがプレイしてるタイトルが盛り上がればラッキーくらいの感覚じゃないのかなと。
CrazySamさん:
そうですね。eスポーツ=ゲームって考えた上で,「楽しくやれればいいこと」くらいの感覚です。
Manjuさん:
僕はもともと競技で勝ちたいっていう思いが強かったので。eスポーツっていう括りの中では勝つことの幸福感みたいなものを楽しんでましたね。勝ったときはめちゃ気持ちいいので。そういうのは,ほかでは味わえないかなと。
4Gamer:
「みんなが本気でやっている中で勝つことの楽しさ」ということでしょうか。
Manjuさん:
そうです。だからこそ,そこで勝つことを目指して練習するのも楽しかったですね。
CrazySamさん:
勝ちを目指すために練習することが楽しかった……。僕は苦しい記憶の方がどうしても勝ってしまうところがありますね。練習するのが楽しいって思えたことは,そんなにないかもしれないです。
結果として「苦しかったけど勝てて楽しかった。よかったね」ってなることはあるんですけど。辛かったことも多かったですね。
4Gamer:
プロを続けていく上でどういったことが辛かったのでしょうか。
CrazySamさん:
勝つためのビジョンがチーム内で違うとき,それぞれの意見が間違っているってことは絶対にないんですよ。それでもちょっとの戦術の差で,お互いに譲れない部分があって,すごい言い合いになることもありました。
その意見のぶつかり合いが白熱して,お互い言いすぎちゃうことがあって。それを後悔というか,「ゲームなのになんでこんな楽しくできないんだろう」っていう,自分の根っこの部分が崩れる時が,すごくきつかったですね。
Manjuさん:
プロとしてお金をもらって活動してたんですけど,それに見合う結果を出すために練習して,それでも結果が出なかったときっていうのが辛かったですね。チームメンバーとかみ合わなかったり,メンバーが抜けていったりとか。自分がうまくやれているのかっていう悩みはいつもありました。
CrazySamさん:
あと,競技タイトル以外のゲームをやり込めないって言うのも辛かった(笑)。もともと僕はゲームが好きなので,ほかのゲームもやりたいけど,やりにくいというか。別に禁止されているわけじゃないですけど,そこはやっぱりPUBGをやらないと,って。
4Gamer:
PUBGをやることが義務になっているというか。
CrazySamさん:
そうなんですよね。お金を頂いている以上は,やらないといけない。でもそれでやっていることってゲームじゃない……というか,ゲームを純粋に楽しめなくなる。ただ単にお金を稼ぎたいだけなら働いて稼いだお金でゲームを笑顔で遊べる方が,楽しむっていう面で見たときには良いと思いました。
4Gamer:
競技シーンを通じて成長できたと思うことはありますか。
CrazySamさん:
今でも荒っぽい方だと思うんですけど,昔よりは角が取れたというか,丸くなりましたね。チームで何かをするっていうことを,ほぼ毎日ずっとやってきて,その中で協調性というか,人の意見を汲んだり,通すべき主張を通したりってことの重要性っていうのを学べたのかなと思いますね。成長できたことは他にもたくさんあるんですけど。
あとはそうですね。注目される中での立ち振る舞いですかね。全部が全部,綺麗に立ち振る舞えたとは思っていませんけど,自分が見られているってことは意識してました。見ている人は見ているので。
Manjuさん:
発言には気を使ったかなぁ。気をつけすぎて何をしゃべればいいか分からなくなって,Twitterであまり発信してなかったのもたぶんそのせいです(笑)。
僕も相当尖っていたので。チームとして活動して,協調性とかを少しは学べたのかなと思います。人間性というか,そういうのが成長できたと思います。
4Gamer:
選手を引退しようと思ったきっかけはなんだったんでしょうか。
CrazySamさん:
配信とかでも言ってますけど,昔ほどの熱がなくなったんですよね。
例えば,負けそうな状況で,味方の雰囲気をぶち壊してまで,何をどんな手段をしてでも勝つ,っていう気力がなくなったんです。
それがなくなった時点で,選手でいるべきじゃないと,自分自身で思ったんです。そういう,本気で勝ちを追求しないやつが競技シーンにいるのは,どうなんだろうって自分で思って。そこで選手を辞めようかなって思ったんですよね。
Manjuさん:
熱かぁ……。僕は,「V3でまず国際大会に行く」という目標を2021年に果たすことができて,1つの区切りがついたんです。それで,じゃあこの先どうするんだって,将来のことも含めていろいろ考えたときに,おばあちゃんの言葉もあって,次のステップに進もうと決心しました。
4Gamer:
引退した今は何をしているのでしょうか。
Manjuさん:
今はV3の運営の仕事をしてます。本当は美容師になる予定だったんですけど。おばあちゃんが美容師をしててその影響で,美容師をやってみたいとい気持ちもあって。それで,学校に行く予定で,引っ越し先も決まってたんですけど,V3の小林代表からV3のミドルマネージャーをやってみないかって,声をかけてもらったんです。
すごく悩んだんですけど,選手だった自分がその経験を活かして,選手と経営側の架け橋になれるならと思って,V3に加入することに決めました。それで今は,選手の話を聞いて経営者に伝え,逆に経営者の話を選手に伝えるっていうことをやっていますね。
4Gamer:
仕事を始めて大変なこともありましたか?
Manjuさん:
ありましたけど,それは言えないです(笑)。でもそういった大変なこともポジティブにとらえてるので,ぜんぜん苦じゃないですね。解決できれば嬉しいので,何かトラブルがあっても,それを解決してやろうっていう前向きな気持ちでやってます。そうじゃないと,ちゃんと寄り添って意見を聞けないですから。
4Gamer:
CrazySamさんはどうでしょう。
選手を引退して,いろんな所から声をかけてもらったんですよ。ストリーマーチームやPUBG Mobileのコーチのオファーがあって悩んだんですけど,1人で活動していこうと決めました。
今後どうするかっていうのは,まだちゃんと決めてないんですけど,今まで見てくれていたファンの人たちに,配信を楽しんでもらいたいって思ってます。それと,ゲームをゲームとして楽しめるように,ですかね。今の時間は楽しくて,それをもう少し味わいたいので,しばらくは1人で活動していきます。って,遠回しに言ってますけどニートです(笑)。
4Gamer:
いわゆるストリーマーとして活動していくということですか。
CrazySamさん:
そうですね。いちおう,いつまで続けていくのかっていうのは決めてます。ゲームを楽しみつつできる活動をしていって,それが軌道に乗ったらそのまま続けていくでもいいし,ダメだったときは別の道に行こうかなって,考えてます。
Manjuさん:
ゲームを楽しむ。ああ,僕もゲームを楽しみたいですね。あんまりいろんなゲームに触れてこなかったので,自分がやったことのないゲームとかもやってみたい。
CrazySamさん:
選手を辞めてから,ゲームを“すごく楽しめる”ようになったんですよね。PUBGをやってても,選手としてやってた時と感覚がぜんぜん違う。苛立つことが少なくなったというか,やられてもゲラゲラ笑っていられるし。感じ方が変わって,純粋にやってて面白いです。
4Gamer:
これから選手を目指す人へのアドバイスはありますか。
CrazySamさん:
やる前から辞めた後のことを考えた方が良い……とかですか。例えば辞めた後にストリーマーとしてやっていくっていうなら,その土台を,選手のときに作っておかないといけないし,配信が嫌いだからやらないってスタンスでいくのであれば,常に勝ち続けて,お金に困らない選択肢をとらないといけない。土台作りはともかく,常に勝ち続けるのは本当に難しいんですけどね。
あとは関係者に助けてもらえるような立ち回りをしておくといいと思います。人とのかかわりは大切です。
神戸学園は選手を育成するっていう取り組みもしているんですけど。プロとしてやっていく上で大事だなって思ったのが,「あなたがいて私がいる」って言う教育方針です。自分を支える人がいるから,自分がいるんだよっていうことなんですけど。
例えば,チームメンバーがいるから自分がプレイできる。ファンがいるから活動できる。誰かがいるから自分がある。そういう考え方にすごい感銘を受けたんですよね。だから選手になる人も,そこを大事にしてほしいです。
僕は昔それが出来てなかったと思うんです。自分本位というか。勝つためにやってることに「なんでついて来ないんだ」って思ってて,「あなたがいて」って部分を大事にしていなかった。だからこそ「あなたがいて私がいる」っていうのはすごく大事だと思いました。
4Gamer:
では最後に,ファンの人にメッセージをお願いします。
Manjuさん:
今まで応援していただき,ありがとうございました。勝ってるときも負けてるときも応援が励みになりました。今はV3のマネージャーをやっていて,自分の好きなV3を伸ばすために活動していますので,これからもPUBGのV3 FOX,そしてV3全体の応援をよろしくお願いします。配信などもやっていくと思うので,コメントをいただければ嬉しいです。
CrazySamさん:
約4年間,応援していただき,本当にありがとうございました。勝ってるときだけじゃなくて,負けているときも支えてくれた人,お叱りをいただいたことも含めて,「言われても当たり前だ」と思う部分もあったので,感謝しています。
今後なんですけど,ストリーマーを個人で,半年くらいはやっていこうと思っているので,過去の自分を知ってる人とか,配信見に来て,こいつ面白そうだなって思ったら,これからも応援してもらえるとすごく嬉しいので,よろしくお願いします。
4Gamer:
ありがとうございました。
CrazySamさんのTwitchチャンネル
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