今や「誰もが持っている」と言っても過言ではない携帯電話。そして,スマートフォンの普及により「携帯電話でゲームを遊ぶ」ことも当たり前となっている。
ゲームをプリインストールした携帯電話自体は1994年から存在していたが,日本で多数のゲームが携帯電話でプレイできるようになったのは
1999年2月22日にiモードのサービスが開始されてからだ。最初期のものは,バンダイのクイズゲーム
「ドコでも遊べガス」や,ハドソンのアドベンチャーゲーム
「メールドラマ 北へ。」(ドリームキャスト用ソフト「北へ。White Illumination」の前日譚)といった,ブラウザベースのきわめてシンプルなものだった。
それから約20年を経て,今はスマートフォンで,多人数参加型のTPSや,3DグラフィックスのMMORPGなども当たり前のようにプレイできるようになった。その一方でフィーチャーフォン,いわゆる“ガラケー”向けのサービスは,ドコモの場合だと「dマーケット アプリストア」を2015年にサービス終了,iモードは2019年9月30日をもって新規申し込みの受付を終了,同年10月29日には「2026年にFOMAおよびiモードのサービスを終了する」ことを発表した。auやsoftbankも,おおむね同様の段階的なサービスの終了を行っている。
※本稿では電話機能を基本仕様とした携帯型通信端末全般を「携帯電話」と記す。
関連記事
最新のプラットフォームが隆盛を誇る一方で,以前のプラットフォームは消えていく。時代の節目を迎えるにあたり,本稿では
携帯電話ゲームのたどった歴史を,開発者へのインタビューとともに振り返ってみたい。インタビューを行ったのは,
ケイブの古川 守氏と関根和人氏である。両名とも,ケイブが2002〜2014年にかけて提供していたガラケー向けのゲーム配信サービス「ゲーセン横丁」に携わり,現在でも同社でスマホ向けのアプリゲームを手掛けている,開発者の立場から今昔を知る人物だ。
ケイブのゲーム事業部ディレクター・古川 守氏と,同じく関根和人氏。ガラケー向けに提供されていた「ゲーセン横丁」での配信アプリから,近年の「ゴシックは魔法乙女〜さっさと契約しなさい!〜」(iOS / Android)や「三極ジャスティス」(iOS / Android)の企画・ディレクションまで,多くの携帯電話ゲームに携わっている
|
※インタビューの収録はCOVID-19感染拡大による緊急事態宣言の発令前。
4Gamer:
まず概論的なところで,スマートフォン向けアプリと,ガラケー向けのアプリの違いについて聞かせてください。
関根氏:
まず表現力が段違いですよね。ガラケーはミニゲームでも商品として成り立ちましたが,スマートフォンだとそうはいきません。
古川氏:
表現力が向上したので,データの容量も大きくなりました。それに応じて開発期間も長くなっています。
関根氏:
単にデータ量の問題だけでなく,ゲームを1つのコンテンツやサービスとして成り立たせないといけないので,開発や企画のハードルはだいぶ高くなってますね。
古川氏:
昔の企画といえば,「低速なパケット通信で,いかにゲームの性能を引き出すか」という発想が求められたりもしました。今とは全然違いますね。
携帯電話ゲームの黎明期
ケイブ最初期の携帯電話向けコンテンツは,占いサービス「ステラ占いランド」(2001年1月に「愛のナビロボ」と改名)。画像はカラーだが,モノクロ液晶のころから提供されていた
|
|
4Gamer:
ケイブ初の携帯電話向けコンテンツは
1999年2月,iモードと同時にスタートした占いサービス
「ステラ占いランド」とのことです。当時のことはご存知でしょうか。
古川氏:
自分がケイブに入社したのが2003年なので分からないのですが,弊社の代表が着メロや占いコンテンツに早くから目を向けていたそうです。ただ,マスを取るというものではなく,新たな市場が展開されるにあたって,ニッチな材料に手を広げ,ユーザーを抱えるという戦略だったと聞いています。
関根氏:
私も当時はケイブではなく,大手ゲームメーカーに所属していました。
iアプリの登場直後(
2001年初頭)は,ミニゲームをたくさん作りましたよ。当時は2週間で作ったゲームがたくさんの人にダウンロードされて遊ばれるという,今思えばバブルみたいな時代でした。
4Gamer:
まだ携帯電話で利用できるコンテンツ自体が少なかったですからね。
関根氏:
先程の「ミニゲームでも商品として成り立った」という話にも通じますが,1つのコンテンツを少人数で作れたり,1つのアイデアだけで1本のゲームを作れたりしたので,ゲーム作りとしては非常に楽しかったです。
4Gamer:
大手ゲームメーカーのアプリゲームは,家庭用ゲームのキャラクターを使いつつ面白さをどのように演出するかといった工夫を重ねていた印象もあります。
関根氏:
容量が少ない中でコンシューマ的な遊びをいかに表現するかという意味でも,503i時代はいろいろチャレンジできる時期でしたね。
4Gamer:
最初に購入された端末は何でしたか。
古川氏:
P501i(1999年5月発売。松下通信工業・当時)でした。
関根氏:
私はもともとPHSを使っていて,その次にP503i(2001年1月発売。松下通信工業・当時)に乗り換えたんです。
2001〜2003年ごろのガラケー(モック)。縦方向に短く,丸みのあるデザインが多い |
左からSO503i,N503i,D503i,P503i,F503i(ドコモ・高機能iモード携帯機特集「高機能iモード携帯機の概要」より抜粋) |
4Gamer:
P501iは最初期のiモード対応端末ですね。やはり,そういった点で購入されたのでしょうか。
古川氏:
いえ。P501iのときはモノクロ液晶ということもあって,ほとんど通話でしか使っていませんでした。カラー液晶の503iに買い替えたあたりから,待受の壁紙とか着メロとかを気にするようになり始めたんです。でも,503iもゲームには使っていませんでしたね。
4Gamer:
P503iは初のiアプリ対応端末ですが,関根さんが購入されたのは,お仕事の関係でしょうか。
関根氏:
実際,仕事用にバリバリ使いましたし,研究的なところもあったのですが,それ以前に「手元でゲームができる」ということに魅力を感じていたんですよ。ついでに通話もできますし(笑)。
4Gamer:
最初からゲームのプラットフォームとして見ていたと。
関根氏:
出来ることは本当に限られていたんですけどね。使えるメモリの容量が
10k+10k(※)ですよ! ぶっちゃけると,
「ゴシックは魔法乙女〜さっさと契約しなさい!〜」(
iOS /
Android 以下,ごまおつ)で表示している弾1つのグラフィックスが,それくらいのデータ量です(笑)。
※DoJa 1.0仕様のmova 503iでは,アプリケーション本体に10キロバイト,アプリケーション外のデータに10キロバイトまで利用できた。
2000年ごろの携帯電話では,この弾を1つ表示させたら,他は何もできなくなる
|
古川氏:
そんなもんでしたか(笑)。
関根氏:
そんなもんなんですよ! その少ない容量の中で,どうやってゲームを表現するかというのが問題でした。今だとデザイナーだったりプログラマーだったりと分業されていますが,あの時代は「デザインもプログラムもやる」という人がいて,1本まるまる作っていたりしたんです。自分はプランナーでしたが,それでも「どうやって画像を詰め込めば10キロバイトに収まるか」とかを考えて作っていました。
4Gamer:
2001年にはiアプリのほか,3G回線(第3世代移動通信システム)の提供が10月に開始されて,現在から見てもモダンな雰囲気のデバイスとなってきました。ケイブは
2002年9月17日に
「ゲーセン横丁」(以下,ゲー横)をスタートさせたわけですが,そもそもゲー横がケイブ的にはどういった位置づけのプロジェクトだったのか,ご存知でしょうか。
古川氏:
テーマとしては「ゲームセンターという空間を携帯電話で表現すること」だったそうです。なので,自社だけでなく他社さんのゲームも配信していました。
ゲーセン横丁サービスイン時のラインナップは,「怒首領プチ」「ガンバード」「ストライカーズ1945」「ドンピン」(怒首領蜂がモチーフのピンボール)の4本。なお画像の解像度は,ほぼアプリ等倍
|
|
関根氏:
「忍者くん〜阿修羅ノ章」とかね。外から見ても
「すごい再現力だ」と思っていましたよ。
古川氏:
ねえ?
関根氏:
「ねえ?」って,自分で作ってたんじゃないんですか(笑)。限られた容量の中で,アーケード向けシューティングの大事な部分をうまく抽出して移植しているな……と感心した記憶がありますよ。あと,私がケイブに入る直前ごろに
「ドドンプチ零」が配信されたのですが,あれは本当によくできていました。
ゲー横オリジナルタイトルの「ドドンプチ零」。音楽は並木 学氏による完全新曲だった
|
|
|
古川氏:
「ドドンプチ零」はアーケードゲームのスタッフが作ったんですよ。あそこで携帯アプリ用シューティングゲームのエンジンが1つ確立されたので,その意味でも大きな価値のあるタイトルでした。
4Gamer:
2002年5月に504iシリーズがリリースされてアプリの使用可能な容量が飛躍的に増加した(※)ので,複雑な処理も可能になりましたからね。
※DoJa 2.0仕様のmova 504iでは,アプリケーション本体に30キロバイト,アプリケーション外のデータに100キロバイトまで利用できた。
古川氏:
自分が入社した2003年は,ちょうど
「怒首領蜂大往生」をアプリ化しようとしていました。100キロバイトくらいの容量制限がありましたが,ただ撃って避けるだけでは他のシューティングと変わらないので,その中でどこまで再現できるか,原作の特徴をなるべく残すような工夫を加えました。例えば,後の
「ケツイ〜絆地獄たち〜」には通常ショットとロックショットの切り替えや,敵に近づくほど高スコアを狙えるシステムといった特徴がありますが,そういった要素をなるべく再現するようにしたんです。
4Gamer:
「ドドンプチ零」はアプリオリジナルのタイトルですが,そのほかにも2006年の
「スターソルジャー vs 怒首領蜂 大往生 CARAVAN'06」など,ゲー横独自のタイトルも精力的に作られていた印象があります。
「怒首領蜂大往生(前編)」 |
「スターソルジャー vs 怒首領蜂 大往生 CARAVAN'06」 |
古川氏:
そうですね。それに,アーケード版のプロモーションも兼ねて外伝的なミニゲームもたくさん作っていました。
関根氏:
「エスプピンボール」とかありましたよね。あと,アレですよ。ポイントを貯めてリアルの賞品と交換できるクレーンゲームの,取られまくって大変なことになった……。
古川氏:
「わくわくキャッチャー」は色々あったので,ちょっと……(笑)。
関根氏:
でも,外から見ている分には「すっげえブッ飛んだ挑戦だなあ」と思っていました。今でこそスマホのクレーンゲームが普通に遊べますが,でもケイブはあの時代に,ガラケーで似たようなことをやっていたわけですよ。
4Gamer:
早かったと言えば,アーケード版
「虫姫さま」(2004年リリース)のオンラインランキング用パスワードを入力すると,
「虫姫さま外伝 シンジュが森の迷い子」(2005年リリース)に隠し甲獣が出現するというギミックもありましたね。
アーケードゲームのアプリ連動としては,ごく初期のものと言えるかと思います。
古川氏:
そのあたりも,ゲー横をアーケードゲームのプロモーションとして利用する動きの一貫ですね。
簡単に表すと「アーケードで遊ぶほどアプリで得する!」という仕様だった「虫姫さま外伝 シンジュが森の迷い子」
|
4Gamer:
2003年に「Adobe Flash Lite」がリリース。その対応端末であるD505iが発売されて,Flashを用いた携帯電話ゲームも出てきました。Flashに関してはいかがでしたか。
古川氏:
ローコストで大量にゲームを作れるんじゃないかということで,ゲー横でもFlashのゲームはいろいろありました。でも,当時のFlashで大量のスプライトを表示することは難しかったので弾幕を実現できず,弊社のキャラクターを用いたミニゲーム系のものを配信した程度です。評価も芳しくありませんでした。
関根氏:
FOMA端末向けのiアプリと比べたらFlashの表現力は乏しいと言うか,時代に逆行するようなところがありましたね。後のタミヤさんとの取り組みもFlashゲームからだったのですが,個人的にはFlashゲームに可能性を見い出せていませんでした。あと,意外とコストは掛かったんですよ(笑)。
古川氏:
そもそも,ケイブのファンから求められていなかったよね。小さいゲームでも,表現された世界観や,プレイヤーが自分で工夫できるスコアシステムなど,ゲーセンのゲームをイメージできるものが求められていた。
関根氏:
そうなんですよ。やっぱりケイブのユーザーって“ゲームゲームしたもの”が好きなので,Flashだと満足できるゲームを提供できないという部分が大きかったですね。
古川氏:
実は個人的に,Flashで弾幕シミュレータみたいなゲームを作っていて,自機がショットを撃たなければスプライト数を稼げると考えていたんですけど,それでも(スプライトが)出ない出ない(笑)。
関根氏:
FOMAでもキツかったのに,Flashでやるのは無謀ですよ(笑)。でもFlashゲームの流れ自体は好きだったんですよね。「またワンアイデアでゲームが作れるぞ!」という。でも,Flashは思った以上に表現力が弱かった印象です。
4Gamer:
話はズレますが,そのFlashの更新および配布が
2020年いっぱいで終了となります。それについて何かお話しいただけることはありますでしょうか。
関根氏:
うーん……難しいですね。
古川氏:
Webの方ではそれなりに使っていたんですけどね。
関根氏:
なので,「Flashさん,お疲れ様でした……」みたいなところで(笑)。
4Gamer:
ケイブは最初に挙げた占いサービスのほか,
「ハーフノートJAZZ」や
「超シネマミュージック」などの携帯電話向けサービスも展開していましたが,これらには関わっていらっしゃいましたか。
古川氏:
いえ,開発チームが別だったんですよ。モバイルゲームとモバイルコンテンツで分かれていました。
関根氏:
占いや着メロなどをやっていたのがモバイルコンテンツですね。
4Gamer:
なるほど。以前,
タイトーステーション溝の口店のイベントで,松本大輔氏が「着メロ担当として入社して,上司に頼み込んでアプリのサウンドも担当するようになった」と話していましたが,そういうチームの違いもあったんですね。
古川氏:
ええ。松本はモバイルコンテンツのチームにいて,そこにモバイルゲームのチームから仕事を発注するみたいな形でした。
4Gamer:
松本氏は
「ケツイDeathtiny」企画のとき,アプリは容量がキツキツで相当難儀したとも話していました。
古川氏:
1フレーズのループだけでそれっぽく作るとか,いろいろやっていましたね(笑)。
関根氏:
今は本当に良い時代になりましたよ……。
4Gamer:
2003年は「Adobe Flash Lite」のほか,
DoJa 3.0仕様の505i(アプリ本体は30キロバイト,データは200キロバイトまで)や
DoJa 3.5仕様の900i(同じく100キロバイト/400キロバイトまで)が登場して,環境が一気にパワーアップしました。モバイル向け標準3D APIのOpenGL ESが登場したり,ドコモが「パワーアップiアプリ」の提供を開始したりもしています。
古川氏:
ケイブとしては900i用にオンライン戦略シミュレーションの
「陸海空ジオラマ大爆破」(以下,ジオ爆。2004年7月リリース)の開発を始めたころですね。
関根氏:
ジオ爆のうち,空戦と陸戦のアプリ(※)は古川さんが作っていましたよね。
※ジオ爆のユーザークライアントは「作戦アプリ」「空戦アプリ」「陸戦アプリ」「海戦アプリ」の4種類があった(アクセサリ的なアプリを除く)。「作戦アプリ」のマップ上で攻撃する敵拠点の選択や自軍拠点の建設を行い,それ以外のアプリで敵拠点への攻撃を行う。
古川氏:
ジオ爆は作戦アプリでマップ上の陣取り争いをするんですけど,敵の基地にダメージを与えるのはシューティングのアプリでやるんですよ。シューティングなので,やっぱりハイスコアに直結させてスコアに応じたダメージを与えるというゲームシステムでした。そのせいで,シューターが幅を利かせすぎたゲームになってしまいましたが(笑)。
関根氏:
私は
「ミニ四駆GPX」(2005年11月リリース)を作っていました。タミヤさんの協力のもとで開発したタイトルで,ミニ四駆を走らせるだけのシンプルなゲーム性なんですけど,当時の携帯電話アプリとしてはけっこう本格的な3Dのゲームだったので,人気を取ることができました。携帯ゲームって,基本的には短い時間で楽しめる暇潰しみたいなところがあると思っていて,当時も毎日少しずつ時間を潰しながら,遊びの習慣化を目指すというコンセプトでゲームを作っていましたよ。
ケイブが運営していたタミヤの公式モバイルサイト「ミニ四駆★★TAMIYAワールド」において,中心的なコンテンツとして提供されていた「ミニ四駆GPX」
|
|
4Gamer:
最初に「スマートフォンだとゲームを1つのコンテンツやサービスとして成り立たせないといけない」というお話がありましたが,その萌芽とも言えそうな時代ですね。
古川氏:
それでも,開発期間は1本あたり長くても半年規模,早ければ1か月と,企画からすぐにリリースできる魅力はありました。企画を考えるにあたっては,当時のコンシューマ機では一部に限られていた“通信を使った遊び”が念頭に置かれていましたね。ただ通信速度が今と比べると非常に遅かったため,最低限の通信量で他ユーザーとのつながりを感じられる遊びを考えて提供する必要がありました。
ジオ爆はミリタリーというマニアックな世界観でしたが,数千人単位で築かれた2つの軍隊が,時間帯を問わず戦争に明け暮れてくれました。プレイヤー同士でコミュニケーションを取って夜間奇襲をかけたり,味方には敬われ敵には恐れられるエースパイロットが生まれたりもして,こういった協力型対戦ゲームが好きなプレイヤーから厚い支持を得られたんです。
関根氏:
「ミニ四駆GPX」は,昼のスキマ時間でマシンをセッティングして,夜にレースやチームコミュニケーションで楽しむというライフサイクルで楽しんでもらうことに注力しました。携帯電話ゲームの「少しの時間で毎日遊ぶ」という性質で,ミニ四駆ライフを満喫してもらえるように設計したんですよ。運営においても,週末にはレース大会やチームバトルなど,「ミニ四駆ライフを充実させるならこれだよね」的な仕様を継続的に積み込んでいきました。
古川氏:
「ミニ四駆GPX」は
3Dグラフィックスなのがすごかった。
関根氏:
でも限られたポリゴン数でやらなければいけないので,どうしても凹ませられない部分が出てきたりしました。テクスチャで凹んでいるように見せかけたりもしましたね。タミヤさんにも「ここはよくできていますね」と褒められたり(笑)。
あと毎月,本物のミニ四駆が届いてた。
古川氏:
机の周りがミニ四駆で埋め尽くされていたよね(笑)。
関根氏:
ゲームの開発が本物のミニ四駆を作るところから始まるんです。ミニ四駆を作って,3Dデザイナーのところに持っていって,「これを作って!」と頼むという。
4Gamer:
当時の携帯電話用ゲームだと,1つのマシンにつき何頂点くらい使えたのでしょうか。
関根氏:
10年以上も前なので覚えていないですね(笑)。ただ,本当に少なかったですよ。
古川氏:
当時は「何ポリで」とか言ってたのに,忘れちゃったよね(笑)。
関根氏:
でも,少ないポリゴン数で可能な限り本格的なミニ四駆を再現することを目標としていました。マシンだけでなくコースもポリゴンですし,ちゃんとカメラワークも作っていたんですよ。それに,プレイヤーを飽きさせないため,いろいろなコースを作って配信したりと,開発する側としてはけっこう楽しかったです。
4Gamer:
携帯電話ゲームにおけるプレイヤーの囲い込みが明確になってきたのも,このあたりでしょうか。
関根氏:
そうですね。最初はタミヤさんが版権を持ったマシンしか出せなかったんですが,小学館さんに頼み込んで,小学館さんが版権を持っているマシンも入れて,ファンを確保するといった戦略を取り始めたり,そんなことをやっていました。たぶんジオ爆にもいろいろあったと思いますが,ゲー横自体にはありましたっけ?
古川氏:
ゲー横自体としては,あまり考えてなかったかな。
4Gamer:
当時のマネタイズ方式は月額利用料か売り切りがメイン(※)で,イベントで集中的なプレイを求めたりするような現在のスタイルとは,だいぶ違いますよね。
※ゲー横は月額料金制(税込315円・当時)で,月初にゲーム内通貨が発行されるので,それを使ってゲームを購入するというスタイルが基本だった。
関根氏:
コンテンツが気になったら,その場で購入して1か月くらい遊んで,そこで「うん面白い!」と言わせれば勝ち,みたいな文化でしたね。なので,いかに最初に興味を持たせて,お金を払ってもらうか,みたいなところが勝負だった気がします。
古川氏:
どちらかと言うと,そのコンテンツをプレイすること自体の満足度が重要視されていましたよね。
関根氏:
ただ,「ミニ四駆GPX」の終わりくらい(2010年ごろ)に,「課金でさらに遊べる」みたいな仕組みを作ったんですよ。お金を払うと,一日にプレイできるレースの回数が増えるというものです。
古川氏:
今で言うAP回復ですよね。
関根氏:
そういう
アイテム課金が出てきたのが,
2000年代後半ですよね。
「ラヴニーの絵本」(※)(2006年12月リリース)の課金要素もそういうところからですよ。あんまりお金の話ばかりなのもアレですが(笑)。
※「ラヴニーの絵本」はケイブ初のアクションRPG。MMORPG風の演出が盛り込まれており,903i以降を対象としたメガゲーム(DoJa 5.0仕様の903i以降に向けた「メガiアプリ」規格のゲーム)版にはコミュニティ機能も搭載されていた。
古川氏:
だんだん考え方が今に近くなってきていますね。「ラヴニーの絵本」ではフレンドのキャラクターを戦いに連れていけましたし。ゲー横もサイト名が
「極上シューティング」に変わったり,ひとつの転機だったと思います。
4Gamer:
「ラヴニーの絵本」はMMORPG“風”でしたが,他社に目を向ければ,2003年リリースの
「ウルティマオンライン モバイル版」や2006年リリースの
「エターナルゾーン」など本物のMMORPGもリリースされていました。なぜケイブではそういった方面は選択しなかったのでしょうか。
古川氏:
ちょくちょく常時通信の話自体は出ていたのですが,同時接続できるとは言っても
パケット制限が厳しい時代でしたので,誰もが楽しめるものだとは思えなかったんです。なので,「ラヴニーの絵本」の企画趣旨も「通信は最小限で,皆で遊んでいる感じを演出」するものとなりました。あらかじめプレイヤーにキャラクターのセリフを登録してもらって,それを状況に応じて表示させることで,MMORPGのフキダシみたいな演出をさせたりしていましたね。
2004〜2005年ごろのガラケー(モック)。画面が大きくなり,筐体のボリュームも増した。左端のSO505icは,ごく短い期間だけ流行したリボルバー型で,2004年度のグッドデザイン賞を受賞している
|
4Gamer:
ちなみに,ケイブのソーシャル要素がある携帯電話ゲームで言えば,個人的には
「SWITCH」(2008年9月リリース)にハマって,よくプレイしていました。
古川氏:
「SWITCH」はいろいろあったね。巨大ボスを全プレイヤーで倒すレイドイベントを実施したら,1週間かかる想定だったのに瞬殺されたり(笑)。
関根氏:
「爆発を何回作り直してるんだよ!」みたいなこともあったり(笑)。
古川氏:
電脳空間という設定だったので,ケイブに演出的なノウハウが無くて,いろいろなチャレンジで時間を取られてしまったんですよ。携帯電話を通じて電脳空間にアクセスして,ウイルスに感染した他のプレイヤーを助けに行く……という世界観にこだわりがあって,作り込みました。
ただ,これもオンライン要素は常時通信ではなく,間接的な連動でしたね。常時通信でのリアルタイム対戦を初めてやったのは,試験的に搭載した
「対戦!ローズシスターズオンライン〜ピンクスゥイーツ外伝〜」(2009年1月リリース)でした。オンライン対戦は,時間を決めてやっていた覚えがありますね。
4Gamer:
マッチングしやすいようにですね。
古川氏:
でも,やっぱりプレイヤーの遊ぶタイミングは人それぞれなので,たとえどんな時間帯であってもアクティブに協力や対戦ができるというところは押さえるべきだと思っていました。そこで「
アルカナハート カード・オブ・グローリー」(2010年2月リリース)では,リアルタイム通信ではなくAIによる擬似的な対戦を,また採用しています。やはりガラケーコンテンツは通信速度が出ませんから,ゲームのスピード感を重視するなら,無理をして常時接続にこだわるべきではないと。