インタビュー
「ICO」と「ワンダと巨像」のリマスター版を迎えて。上田文人というゲームデザイナーは,何を考えて作品を創るのか――日本が誇るゲームデザイナーがみっちり語る2時間
ゲームというものは,製品なのか,作品なのか
――ビデオゲームって,まだ製品紹介の域を出てないですよね
上田氏:
ただまぁ,話はちょっと変わっちゃうんですけど,そのあたりのことで感じてる違和感はあります。
4Gamer:
といいますと?
ビデオゲームというものは,製品なのか,作品なのか。
自分が特に感じるのは,こういうインタビューとかもそうだし,発売前に作り手自身が、宣伝役として作ったものをプロモーションするということは,ほかの業界の作家ではあまり聞いたことないですよね。
4Gamer:
確かに……。
上田氏:
たとえば小説家だと,小説がリリースされたあとに「この作品を振り返っていかがですか」って聞くとかはアリだと思うんですが,その小説がいかに素晴らしいか,どういうところが売りなのかをリリース前に先頭に立って説明する小説家ってあんまりいないと思うんですよね。
つまりビデオゲームって,まだ製品紹介の域を出てないですよね。「今回の新しい製品は,こういう機能があります」っていう。
4Gamer:
言われてみればそうかもしれませんね。
上田氏:
そこに,ちょっと違和感を感じるときがあります。
4Gamer:
なんか我々の存在意義にも関わってくる話なんですが,確かに納得できる部分はあります。
上田氏:
自分が表現してるものがいかに優れてるかということを自分の口から言うのは,難しいんじゃないかと……。最善の選択をして出来たものですので,当然優れていると思っているんです。
4Gamer:
立場上なんだかだんだんツラくなってきました。
上田氏:
映画の試写会とか行って最初に監督が出てきて,その映画の素晴らしいところを長々と語るより「観て下さい」っていうほうがいいですよね。
まぁもしくは,映画が公開されたあとで制作にあたっての苦労話とか,そういうものとかならたくさんあるしいいと思うんですけど。
4Gamer:
まぁでも真面目な話,自分で作ったものの良いところを自分でいくら説明しても,信用度というか説得力ってあまりないような気もしますね。
上田氏:
でしょう?
4Gamer:
「作品」と呼ばれる制作物――映画とか音楽とか――を紹介するときの表現手法として,例えば音楽だったら「悲しいときに聴いてください」とか「楽しいときに一緒に歌うのがオススメ」とか,そういうものがあるかもしれませんが,ゲームにはそういうものはほとんど存在しませんね。
確かに,どうしても「製品」として捉えて,その製品がどうグレードアップしたのか,その製品のスペックはどういうものなのか,そういう部分の話に終始してる気はします。
上田氏:
でもちょっと変わってきたかな,と思うのは,今回のE3の「Battlefield 3」とかで,その作品の凄いところの解説は一切なくて,いきなりプレイを始めて無言でプレイしてそのまま終わるんですよね。ああいうのはいいな,と思います。あれだけ映像からの情報があれば,「次に右から敵が出てきて,これを撃つんです」「このゲームの面白さはここです」みたいな説明は必要ないですよね。
そういう部分でも,何かが少しずつ変わってきているのかもしれません。
4Gamer:
我々も再考の余地が大いにありますね。そもそも,既存のものを考えもなしにそのまま再利用しているテキスト情報の限界は,すでに感じてはいるのですが。
上田氏:
確かに4Gamerさんは,ムービーとかこういうインタビューとかもたくさんあるじゃないですか。ICOとワンダも作っていただいたし。
4Gamer:
なんとなく説明するのもおこがましいかと思って,ワンダは「説明なし」にしたんですけど,図らずも意図に沿っていたようでよかったです……。
演出というのは,いかに錯覚を引き起こすかということ
――崖の向こうにも「ちゃんと世界がある」ように感じさせないといけないわけです
ところでゲームとはあんまり関係ないんですけど,「巨像」とか「アグロ」とか,最近では「トリコ」とかもそうですけど,上田さんの作品には「まるで生きているかのように動く」ものが多いですよね。
上田氏:
「ヨルダ」もそうですよね。「ヨルダ」もそれを目指したものなので,仲間に入れてください(笑)。
4Gamer:
あ,この場合人型以外といいますか……(笑)。
上田氏:
あぁ,動物ってことですね。
4Gamer:
おそらく上田さん自身も,そこにはこだわりがあって動かしているんだろうとは思うんですが,「生きているように見える」っていうのは,どういうことなんでしょうか。
上田氏:
というと?
4Gamer:
人は何を見て「生きているようだ」って判断してるんでしょうか。きっと上田さんにはそれが分かっているから,作り上げられるんだと思うんです。
例えば,携帯機とかでよくある「ペットを飼うゲーム」って,どう控えめに言っても「生きている」ようには見えません。
上田氏:
結構手厳しいですね(笑)。
4Gamer:
あぁいえ。むろんそういうゲームは「生きているかのように見せる」ことが目的ではないので,そこを非難しているわけではありません。あくまで対岸に置いた例というか。
でもアグロにせよ,巨像にせよ,もちろんトリコにせよ,すごく生々しい動きをするわけです。私の目は,どこでそれを「生々しい」と思ってるんだろう,と思うわけです。
上田氏:
例えばトリコ自体の表現として,生々しさというのはコンセプトでもあるので,トリコを生々しいと感じてもらえるのはまさしく狙い通りなんですけど,巨像に関して言うと,生々しさっていうのは逆に言うと避けていたんですよ。
4Gamer:
避けていた,とは。
上田氏:
さっきの眼球の話とかそうですけど。
4Gamer:
あ,なるほど。いえ,そういう「リアリズム」とはまた違った意味での「生々しさ」です。説明がマズくてすいません。
上田氏:
なるほど。でもそこもやっぱり「リアリティ」なんじゃないですかね。ファンタジーの中での生き物ではなくて,さも存在しているような,という意味での生々しさということですよね?
4Gamer:
そうです。
上田氏:
言うならば,七色に光り輝いて,何よりも固い鱗を持って……みたいなものがないということですよね,端的に言い換えると。
4Gamer:
例えば上田さんが,そういう細かいものを理詰めで積み重ねていって,それを元にして魔法のスパイスを振りかけることによってああいう動きになっているのか,それとも,最初から「そうじゃないだろ,こうだろ」とか泥臭い感じでやってるのか。
いつぞやのインタビューでも聞いたことではあるんですけど,さらに深いところまで聞かせてください。
上田氏:
あのときも言ったように,どっちかというと後者ですね。「そうじゃないよね,こうだよね」みたいな。でもそれは動きに関してだけじゃないですけど。
例えば巨像やトリコを例に取ると,あのサイズのものになると,突起物とか付いていたとしても質量的に「そんなに頭ぶんぶん動かせないよ」とか,そういう物理法則に則ったものに近づけようとしてるわけです。
でもまぁそれは単にリアリティへのこだわりとでもいうんでしょうか,不自然なところを極力排除していった結果そうなったということです。
4Gamer:
ではちょっと質問の仕方を変えさせてください。コンピュータ上にいるそのキャラクターに対して愛着を持てるか持てないかのその情報密度の閾値をどうお考えなのかを知りたいんです。
例えば先ほどのペット飼育ゲームで生々しさを感じられないっていうのは,表面的な表現に終始しているという話だと思うんですけど,例えば一方で巨像とかヨルダとか,そしてトリコとか,見ているだけで愛着がわいてくるんです。どこまで作り込めば,愛着を持ってもらえるとお考えですか。
上田氏:
キャラクターへの愛着という意味でいうと,「そこに物語がない」というのが大きいんじゃないですかね,愛着が持てないのは。例えばただ単にそこに犬や猫がいるだけ,っていう。
4Gamer:
でも巨像そのものには物語はないですし,トリコに至ってはまだ何も知りません。何もストーリーがない状態で見ても,愛着が持てるわけです。だからたぶん,違う何かが作用してると思うんですが。
上田氏:
ならばそこは,演出なんじゃないでしょうか。物語にも絡む話ではありますけど,モニターの向こうに,その世界がちゃんと存在していて息づいてるように見せる演出,といえばいいですか。それこそが「錯覚」ですよね。演出というのは,いかにその錯覚を引き起こさせるのかということだと思うので。
4Gamer:
なるほど。言うならば「逆・不気味の谷」になっていて,非常に興味深いんです。
上田氏:
ゲーム内のアートに関してスタッフに説明するのも,本当に難しいことなんです。トリコなんかで言うと,例えば崖がありますよね。そしたら,その向こうにも「ちゃんと世界がある」ように感じさせないといけないわけです。つまりそれは単に描き割りの絵を置くのではなくて,向こうにちゃんと地続きで世界がつながってて,その先にはもしかしたらもっと違う何かがあるかもしれない。そういうことを想像させないといけないんです。
4Gamer:
上田さんがMMORPGを作ったら,すごく楽しい冒険ができそうですね。
上田氏:
でもまぁそれをどうやって表現するのかというと,ちょっと説明のしようがないんです(笑)。
4Gamer:
でしょうね(笑)。
上田氏:
自分の中には確実に,こうすればこう感じてもらえるんじゃないか,とその瞬間での方向性は指し示すことが出来るんですけど。
4Gamer:
なるほど。話をちょっと戻すと,いつだったかお話しした,「実際にペットを飼ってる人が見ても,こうじゃないとしか思えない」状態で,錯覚が起こらないんですよ。
上田氏:
それは演出の方向性の違いじゃないですかね。
前回も言いましたけど,なぜトリコがああいう造形なのかというと,実際に飼っている人たちの厳しい目を逸らすために色んな要素を混ぜて,うまくごまかしているからです。うまくごまかすことも演出ですから,それによってリアルに感じてもらえるわけです。なんでトリコは渋谷が舞台じゃないのかといったら,実際の渋谷を調べてアラ探しをすることに終始されるよりは,ファンタジーなんだけどさもありそうな世界のほうが錯覚させることが出来るよね,ということなんです。
4Gamer:
なるほど,よく理解できました。
上田氏:
もしかしたら僕,以前どこかで言ったかもしれませんけど,お台場にガンダムありましたよね。
4Gamer:
ありましたね。写真で見たことしかないですけど,いかにランドマークとはいえただのガンダム立ちで,なんかちょっともったいないと思ってました。
上田氏:
ですよね。例えば僕があの展示をまかされたら,たぶん違う方法で展示します。
例えば……そうですねえ,ひざまずいて給油してるシーンの展示とか,コンテナに乗せられてるシーンを展示するほうが,もっと「本物」っぽいですよね。
4Gamer:
戦車のプラモをジオラマで作るような感じですね。
上田氏:
そこが「演出の方向性の差」だと思うんです。どっちがいいか悪いか,っていう話じゃないですよ。
でもリアルにガンダムを感じたいのであれば,片腕が取れててクレーンで吊されたりしてるくらいのほうがいいかな,とは思います。
4Gamer:
感覚的にはとてもよく分かるんですけど,なんかこう,説明しづらいですよね。
上田氏:
そうなんですよね。だから「演出家」っていう人がいるんじゃないですかね。簡単に説明できてしまうようなことであれば,そういう人はいらないはずですし。
4Gamer:
なるほど,確かに。
上田氏:
しかもそういうものは,その都度変わるんです。
4Gamer:
時代と共に変わっていきますね。
上田氏:
何が「リアル」なのかということも変わっていきますしね,きっと。
4Gamer:
しかし,今まで聞いてきたようなこだわりを持って作品を作って,ゲームエンジンとかAIエンジンとか物理エンジンとかって,もしかして毎回作り直してるんですか?
上田氏:
そうですね。作り直してます。
4Gamer:
やっぱりそうなんですね。なんというか……いまどきの時流には……。
上田氏:
則ってないですよね。いやそこは僕も則って欲しいんですけど。
4Gamer:
作りたいものが先にあって,そこから逆に考えて「こういうものが必要だ」っていう話になって作るんですか?
上田氏:
それはエンジンに関してですか?
4Gamer:
はい。上田さんにそうやって作ってほしいというわけではないですが,最近であればよそのエンジン買ってきて使うという選択肢も多くあるわけじゃないですか。例えば木を描くならSpeedTreeでいいんじゃない,とか。
上田氏:
はい,はい。
4Gamer:
コストも時間もかかるのに,毎回作っている理由はなんでしょうか。既存の汎用エンジンのクオリティに満足できない?
上田氏:
クオリティ……というわけではないですね。機能を少し上乗せするために,ゼロから作らなきゃならないっていうのがネックで。
今後もっとエンジンが進化していって,上乗せも容易に出来るエンジンっていうんですかね,ゲームエディタが出てくれば大きく変わってくると思います。
4Gamer:
なるほど。
では結果として,ICOやワンダで作ったプログラムは,トリコに共有できていなかったりするんでしょうか。
上田氏:
思想は生きてますけどね……。
4Gamer:
もう時間があまりないようで,そろそろ締めなくてはならないのですが,「ICO」の次は「Nico」(編注:Next ICOでNicoというコードネームだった)なわけですが,「トリコ」の「トリ」は「3」を意味する「tri」……ですよね?
上田氏:
はい,そのとおりです。
良かった。そこに言及しているインタビューを見つけられなかったので,確認しておきたかったのです。「3番目のICO」という名前であることを考えると,ファンとしてはそれだけで興奮できますね。
さて最後に,トリコのことは聞けないようなので,まだまだ先の話であることを承知でお聞きするんですけど,トリコの次にはどんなものを作りたいとお考えですか?
上田氏:
まったく違った物か,同じ路線のものですかね。
4Gamer:
全部じゃないですか(笑)。
上田氏:
本当だ(笑)。ただまぁ本当に,今の路線で,本当に映画のようにお客様が楽しみにしてくれて,腰を据えて遊ぶような作品か,まったくそうじゃない別なものか,その両方をやってみたいんですよね。
4Gamer:
そうじゃないものっていうのは,カジュアルなもの,みたいな意味合いですか?
上田氏:
そうですね。もっと気楽に遊べるような。
時間やお金や,どこかでゲームを作るコストというものが下がってくれば,さっきのゲームエディタの話じゃないですけど,もっとたくさん作りたいな,と思ってるんです。
4Gamer:
そうじゃない人なんだと思い込んでいたので,「たくさん作りたい」というのは今日一番意外な言葉でした。
上田氏:
生きてる間に何本作れるんだろう,とか考えますし。できるだけ多く作って,できるだけ多くの人を楽しませたいですね。
4Gamer:
分かりました。長い時間,ありがとうございました。
話をしながら当たり前のことに思い当たったのだが,氏の作品は,新しいほうでさえすでに6年前の作品だ。「ワンダと巨像」が登場した2005年11月といえば,PS3は「発表されただけ」の段階で,まだGBA(ゲームボーイアドバンス)の系譜が現役,PSPやDSが出て1年ほど(PSP-2000もDS Liteも出ていない)というタイミングのことだ。改めてそう書くと,とても古く思えてしまうが,そんな6年前の作品なのに――それどころか10年前の「ICO」でさえ――再び久しぶりにプレイしてみて,その作品が持つパワーが,いまだに少しも色あせていないことに驚かされる。
ICOにせよワンダにせよ,人目を引く派手なイメージイラストもないし,髪の毛がオレンジだったり青かったりする女の子も出てこない。有名声優も使っていないし,勇者が世界を救う単純明快で分かりやすいストーリーもない。そういうものとは違うレイヤーで勝負しているのだろうということは,話の端々から伝わってくるし,そもそもこんなに長い話をしなくても,作品をプレイすれば容易に想像がつく。
インタビュー中には色々な発言が見られ,それらを言葉どおりに捉えるのであれば,上田文人というゲームデザイナーは徹底してドライでロジカルな考え方をもって,新しいコンピュータエンターテインメントを創出している人物ということになる。
がしかし,彼の話し方――これは文字では伝わらない――や,記事の中には起こされない相づちや言葉の切れ端,端々で語られる創作姿勢などを考えるに,これはあくまでも個人的な見解に過ぎないが,「売れるものをまず作ろうとしている」という発言はポジショントークであり,やはりその実態は,プレイヤーが想像しているとおりの「飽くなき姿勢で自己の表現を追求し,楽しませることを最優先に考えるゲームデザイナー」であるようにしか思えない。そうでなくて,なぜICOやトリコのような作品が生まれるのだろうか。
ICOの「手をつなぐ」というシステム(余談だが,手をつないだまま長時間ヨルダを連れ回すとなんとなく罪悪感を覚えませんか),ワンダにおける重く切ないストーリーライン,そして記事には入っていないが,トリコ絡みで口にした「凄くやせた野良犬を見たときの複雑な感情」という発言などを鑑みても,氏が繊細な心情の動きに重きを置いていることは容易に見てとれ,やはりそれが,「売れる」とか「売れない」とかそういうものとは違う部分で作品を印象的なものに引き上げ,一定数のユーザーに深く突き刺さる「素晴らしき一本」になっているのだろう。
筆者の力量不足のため,あちらこちらへとふらふらと話が飛ぶ構成になってしまい,読みづらいことこの上ないのだが,氏がどんなことを考えながら作品を創っているのか,そのほんの一端でもお届けできていれば幸いだ。
――2011年9月27日収録
「ICO」公式サイト
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