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バーチャロン生誕15周年,ビールと共に振り返るその歴史。「4Gamer.net Presents『電脳戦機バーチャロン』編年史(仮)」イベントレポート
今回のイベントの主役は,もちろん,「こちら」の記事でもインタビューに応じてもらった本作のプロデューサー,“Dr.ワタリ”こと亙 重郎氏と,本作の移植を担当した村山 亨氏。
イベントは,バーチャロンシリーズの歴史や裏話について,亙氏と村山氏がトークを繰り広げた第1部と,文化放送「超!A&G+」で放送中の「RADIO 4Gamer」の公開録音が行われた第2部,そして来場者へのプレゼント抽選会が行われた第3部の,計3部構成で行われた。本稿では,シリーズファンなら必聴の裏話が飛び出した,第1部の内容を中心に,そのイベントの模様をお伝えしていこう。
「バーチャファイター」から得たヒラメキがバーチャロンに。
“Dr.ワタリ”OMG誕生秘話を語る
イベントの開始と共に,まず壇上に登場したのは,本イベントの進行を務める,DJ急行氏と本誌編集者TeTの2名。“Mr.プラスワン”ことDJ急行氏の軽妙なトークで場が暖まった後,満を持して亙氏と村山氏が登場すると,会場は大きな歓声に包まれた。
バーチャロングッズの持ち込みで,ワンドリンクサービスだった本イベント,会場には多種多様なグッズが見られた。中には亙氏自身が見たことのないものも |
歓声とともに迎えられた亙氏。意外に(?)多かった女性客は全員第2部の岡本さん目当てなのかと思いきや,ちゃんとグッズを持参している方まで |
「電脳戦機バーチャロン」(以下,OMG)がアーケードに登場した1995年,その前夜といえば,ハードウェアの進歩により,従来の2Dドット絵のゲームから,ポリゴンによる3Dグラフィックスを使ったゲームに,主流が変わりつつあった時代だ(ちなみにアニメの「新世紀エヴァンゲリオン」も95年の秋番組だ)。
セガも「バーチャレーシング」を皮切りに,3Dグラフィックスのタイトルを次々に発表していったわけだが,そんな折,初代「バーチャファイター」を見た亙氏は,「ポリゴンってメカなんじゃないか」というひらめきを得たのだという。折しも格闘ゲーム全盛のこの時代,当時の3Dグラフィックスとメカものの相性の良さに気づいた亙氏は,メカものをやるなら今だと考えて,94年の春先から本作の企画を練り始めたのだという。
亙氏も,当時とくにロボットゲームに強い情熱があったわけではなく,どちらかというと“かわいいの”好きだったというが,当時の技術力で可能なことを優先した結果辿り着いたのがOMGとのことで,結果としてその読みは正しかったということだろう。
カトキハジメ氏を起用した理由は?
お次の質問は,「バーチャロイドデザインにカトキハジメ氏を起用した理由」について。ご存じのとおり,本作では作中に登場するすべてのバーチャロイド(以下,VR)が,ガンダムなどのメカデザインで有名な,カトキハジメ氏の手によって生み出されている。
そもそも当時のセガにはオリジナルのキャラをデザインするための専門部署が存在せず,社内で作ったプロトタイプのVRで勝負に出るのは厳しかったそうだ(このプロトタイプのデザインは,フォースの限定版に同梱の冊子「クロニクル 15」で見ることができる)。OMGのゲーム基板であるModel2は,当時としては最新基板ではあったものの,まだまだ表示できるポリゴン数には限界があった。VR一体に割けるポリゴン数は約350ポリゴン(後に1000ポリゴン強までアップ)で,その制約の中で,プレイヤーが100円を投じるに値するデザインを作り上げなければならない。
そこで白羽の矢を立てたのが,カトキハジメ氏だ。数多くいるメカデザイナーの中でも氏を選んだ理由としては,初代OMGの企画時期に前後して放送されていた「機動戦士Vガンダム」の存在が大きいという。Vガンダムに登場するカトキメカは,魅力的であるのはもちろんのこと,制約の多いアニメ作画の中で,90年代に相応しいガンダム像を描き出そうとする,デザイナーとしての思索を感じ取ったという。そんなカトキハジメ氏ならば,同じく制約の多いゲーム環境でも,魅力的でありうるデザインを描き出すことが可能なのではないか? かくしてテムジンやバイパー,フェイ=イェンといったVR達が世に登場することになったわけだ。
ちなみに企画当初には,いわゆる「スーパーロボット」系のデザインにする選択肢もあったそうだ。結果的には現在の「リアルロボット」寄りの形になったのだが,前者を選んでいたとしたら,もしかすると今とは全然違うゲームになっていたかもしれない。
そうした紆余曲折を経て臨んだロケテストだったが,プレイヤーからは想像以上の反応があったという。最初はおっかなびっくりで遠巻きにしているプレイヤーが多かったものの,歴戦のゲーセン野郎達が一人二人とコインを投じ,次第に盛り上がっていったと,当時の思い出を語る。
ただオペレーター(ゲームセンターの経営者)からの反応はイマイチだったそうで,「バーチャロン? 麻雀ゲームか?」「(麻雀ゲームのくせに)女の子がいない」など,厳しい(?)コメントが多数だったそうだ。
「クロニクル 15」には富野氏との対談も収録されている。「富野さん自身は愛してますよ(笑)」 |
話題を振りまきつつも,驚異的な速度でビールジョッキを空けていく亙氏。都合7杯は飲んだようで,のんべで知られる氏も,イベント終盤では結構ふらふらに |
オラタンからフォースの移植にいたる経緯
これは結構有名な話として伝えられているのだが,実は前作Xbox 360版「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ver.5.66」(以下,オラタン)は,チームのとあるプログラマーが,「勝手に作った」ものであるという。当の本人は,業務が終了してタイムカードを切ったあと,終電までの時間を使って移植の作業を行っていたそうで,その結果として生まれたのがXbox 360版オラタンというわけだ。全国のチャロナー(バーチャロンファン)は,かのプログラマー氏には足を向けて寝られないだろう。
そうして日の目を見ることになったオラタンのセールスが好調だったこともあって始まったフォースの移植だが,その開発は苦労の連続だった。まず90体以上の機体が登場するにも関わらず,アーケード版の当時の資料がほとんど残っておらず(亙氏「そもそも企画書が存在しないんですよ」),さまざまなパラメーターなどは,アーケード版の実機を元に(それこそダメージを目分量で量るような勢いで),確認していく作業だったという。そもそも現存する筐体を調達するのもの一苦労で,沖縄の店舗で見つけた筐体を取り寄せて,開発室に設置したのだそうだ。
シリーズ新作の可能性は?
バーチャロンについても,そういうアイデアとチャンスがかみ合う瞬間を待っているとのこと。それがバーチャロンを続けていくソリューションとして最適ということで,慌てて作ってもいい結果が生まれないであろうことが強調されていた。
またカトキハジメ氏の優れたデザインもあり,アクションゲームとしてのとしてのバーチャロンファンは勿論のこと,プラモなどの二次商品として展開するバーチャロンのファンが存在していること,またOMGから数えると15年という歳月で,ファンの平均年齢が上がっていることを踏まえて,多様化したファン層に向けたものを用意していきたいと,亙氏はコメントした。もちろんアクションのバーチャロンが王道であるとしながらも,今はどういう順番で何を作っていくのが最適か,考えているそうだ。
続編のあり方について,さまざまな方向から検討されていることがうかがえる亙氏の発言。具体的な話にまでは及ばなかったものの,ファンにとっても嬉しい報告となったのではないだろうか。
宴もたけなわで第1部は終了。
続きは年明けの「RADIO 4Gamer」で
ここまでで亙氏もかなりのアルコールが入り,宴もたけなわといったところで第1部は終了,舞台は2部の公開録音へと移っていった。残念ながら公開録音の内容についてはここで書くことができないので,本日(1月6日)放送予定の「RADIO 4Gamer」を待ってほしい。
- 関連タイトル:
電脳戦機バーチャロン フォース
- 関連タイトル:
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ver.5.66
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(C)SEGA CHARACTERS (C)AUTOMUSS CHARACTER DESIGN:KATOKI HAJIME
(C)SEGA CHARACTERS (C)SEGA/AUTOMUSS CHARACTER DESIGN:KATOKI HAJIME