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そもそも表現というのは,全部タイムトラベルなんですよ――「タイムトラベラーズ」の原点は,「時をかける少女」にあり!? 大林宣彦監督の思想にイシイジロウ氏が迫る
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印刷2012/09/29 00:00

インタビュー

そもそも表現というのは,全部タイムトラベルなんですよ――「タイムトラベラーズ」の原点は,「時をかける少女」にあり!? 大林宣彦監督の思想にイシイジロウ氏が迫る

「時をかける少女」は

あの時代のテクノロジーで実現できたゲーム(大林監督)


4Gamer:
 その中でもとくに,タイムトラベルが強調されている作品は,やはりイシイさんが大きな影響を受けたという,時をかける少女ですよね。

大林監督:
 時をかける少女は,筒井康隆さんの原作自体がタイムトラベルものですからね。でも僕は,筒井さんがタイムトラベルというモチーフを利用することで,純愛を描いたんだと受け止めたんですよ。
 だから,タイムトラベルものとして映画にするのではなく,純愛ものとして描けば,純愛はもちろん,その純愛がタイムトラベルの持つ不思議も描出できると考えたわけです。それこそが,映画でなければ観られない“殉愛”だろう,と。

イシイ氏:
 タイムトラベルと恋愛をからめた映画は,「ある日どこかで」などがありましたけど,時をかける少女はさらに思春期の持つ淡い恋,そして純愛というモノに絡めていましたね。

画像集#006のサムネイル/そもそも表現というのは,全部タイムトラベルなんですよ――「タイムトラベラーズ」の原点は,「時をかける少女」にあり!? 大林宣彦監督の思想にイシイジロウ氏が迫る
大林監督:
 当時はショーケンや薬師丸ひろ子のような“猫背型”の俳優が人気を集めていた時代だったんですが,時をかける少女では,大正ロマンチシズムのような,背筋を伸ばして3m離れて歩く男女を描いたんですね。だから周囲のプロデューサー達は,今どきの若者はこんなものを観ないって言っていました。でも,当時の若者達が大勢,この映画を観たんです。
 それは,映画の観客もまた,タイムトラベルを求めている,つまり恋を求めているということなんです。恋を求めるということは,要するに時間の位相を見ること。恋というのは,“僕の魂の時間”と“君の魂の時間”の位相が交差する瞬間にしか生まれないということを,みんなは本能的に知っているわけです。

4Gamer:
 そんなことを考えたことはありませんでしたが,確かにそうかもしれないです。

大林監督:
 恋というのは,時間をさかのぼったり,自由に行き来できたりするものなんですね。
 恋の季節というのは,この瞬間に出会ったから恋し合えたけど,一秒ずれていたらすれ違ったかも知れないようなものでしょう。そして,お互いに持っている過去と未来がどうずれるかが,恋の純潔度につながっていくわけですから,これを丁寧に描いていけばタイムトラベルもの……というより,映画そのものになるし,この二人の運命はゲーム性に富んだものにもなる。

4Gamer:
 ゲーム性……ですか?

大林監督:
 つまり運命とか偶然,あるいはそれと同じ価値の必然は,人間がそれを勝手にそう言っているだけなんです。“上の人”が行っているゲームの中に,僕達は単位として存在しているだけで,それが飛び交って交差していくことで,人間社会,あるいは自然界に生命の宇宙が生まれているわけでしょう。
 そういう意味で,時をかける少女はあの時代のテクノロジーで実現できたゲームなんですよ。時間を自由にしてしまってね。

イシイ氏:
 “上の人”という概念は,実はタイムトラベラーズにも通じるモノだったりするんですが,同じ意味で映画作りにゲーム性があるという考えは凄く分かります。

大林監督:
 その話でいうと,この100年ちょっとの期間は,映画において1秒間をフィルム何コマで撮るかという実験の歴史だったんですよ。
 最初は1秒間に16コマで撮っていたんですけど,トーキーになってからは24コマなんですね。この24という数字は,1日が24時間ということもあって,いわば時間の単位なんですよ。これは偶然の中の必然みたいなもので,自然界の意志に一番合うんですよね。
 例えば1970年代に,ジョージ・ルーカスが新しい技術で映画を変えようとしていた時期がありました。当時アメリカのビデオは1秒30フレームだから,フィルムも30コマで動かそうということを彼らは本気で考えていたんです。さらに突き詰めて行って,いっそのこと60コマで動かそうとかね。そのほうが情報の投影時間が長くなるから,リアルになるだろう,と。
 だけど,どうも映画にならないということに気が付いて,結局,24コマというところに落ち着いたんです。映画は1秒間のうち5/9秒は絵が映っていて,4/9秒は絵が映っていない。その繰り返しなんですね。だから90分の映画でも絵が映っているのはトータルで50分しかない。この不完全さが,映画を映画たらしめているものだということに,ルーカスも実験を重ねたことで気付くんですね。

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イシイ氏:
 僕の知る限り,ゲームにフィルムとフィルムの間の闇の概念を持ち込む話は聞いたことも無いですから,これはまさに目から鱗です。

大林監督:
 実は恋というのも,それと同じなんですよ。

4Gamer:
 えっ?

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大林監督:
 1日24時間がまるまる明るかったら,「この子のほっぺたが可愛い」とか「唇が可愛い」とか,「振り返ったときのふくらはぎがいい」とか,「そのときにひらめいたスカートがいい」とか,情報はくっきり見えますよね。でも,それでは恋にならないんです。夜の暗闇の中で目を閉じたときに,「ああ,彼女の心はスイスの湖のように美しい」なんてことを思ったときに,恋になるわけで。
 つまり,1日24時間のうち12時間は目を使って情報を見る,残りの12時間は目を閉じて情報ではない見えない心を見るということが,恋につながるんです。ね,映画と同じでしょう?

4Gamer:
 それをルーカス監督達も気付いたと。

大林監督:
 1秒間に30コマ,60コマを投影できるようにすれば,映像装置としては見事になるし,情報装置としても立派になるでしょう。でも,観察力は大きくなっても想像力が失われてしまうから,物語装置として役に立たなくなるわけです。

4Gamer:
 映らない時間があるからこそ,物語装置としては役立つと。

大林監督:
 うん。僕は映画というメディアの面白さについて,“行間を見る詩である”という言い方をしているんですね。詩というものは,そもそも行間を読む表現であって,書かれている文字は誰が読んでも同じ情報だけれど,行間は10人が見れば10通りの見方があるんです。

4Gamer:
 先ほどの俳句のお話もそうですよね。

大林監督:
 そう。そして,その異なる主観が恋を生むんです。
 福永武彦という人の言葉ですけど,恋というのは好意的な誤解であってね,それを持ってコミュニケーションするのが,人間の一番良いコミュニケーションのやり方なんですね。
 観察して相手の悪いところを見つめていがみ合うより,恋をして相手の悪いところもいい個性だとお互いに認められれば,良いコミュニケーションじゃないかと。つまり重要なのは,想像力なんですよ。

4Gamer:
 観察力ではなく。

大林監督:
 映像というのも科学文明が生んだものですが,面白いことに4/9秒が暗闇という欠陥があったからこそ,文化になったんです。想像する余地があったから。
 僕なんかはそういう面白さの中で映画と戯れている人間ですから,秒速24コマで動くことがよりリアリズムに近付くというならば,秒速12コマで動かしてやろうとかね。秒速8コマで撮った映画も僕の作品にはあるし。そういうことで,想像力をいかに映画の中に入れていくかということを,僕はいつも考えているんですよ。
 だから科学技術が発達していって,情報装置になっていきそうなものを,物語装置に引き戻していくというのが,僕が映画を作るときの“戦い”なんです。


大衆文芸は説明の世界で

純文学は想像力の世界(大林監督)


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イシイ氏:
 せっかくなので,時をかける少女について,いくつか細かい質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?
 僕はタイムトラベルものって,記憶を扱った悲劇を描けるジャンルだと思っているんですが,それを初めて美しい形に仕上げたのが大林監督の時をかける少女だというイメージがあるんです。それ以降のタイムトラベルものは,アニメでもゲームでも,すべて影響を受けているとも思っていますし。
 ……映画の最後に「芳山君,芳山君」と言っていた堀川五郎が,深町一夫が消えた瞬間に「和子ちゃん」と言い出すことの恐ろしさというか残酷さ……何というか人生を壊して去って行く未来人……なんて酷い,みたいな印象を受けたんですが,原作にもないあのシーンを,なぜ思いつかれたんですか?

大林監督:
 僕は常々,「映画は言葉である」と言うんですよ。あのシーンは,「どこへ行ったの? 和子ちゃん」という言葉が浮かんだときに,これは映画になるなと。そこからのつながりですね。
 そしてもう一つは,「時はやってくるものなのね」というセリフ。時が過ぎていくことの悲劇を描いて,整合性のある映画なんだけど,どこかでそれを破ってやりたくてね。時がやってくるなんていうと,タイムトラベルものの論理から外れるから,筒井さんも最初は怒ってたんですよ,きっと。でもそのうち,「分かった,これは純文学だ」と納得してくれたんでしょう(笑)。

イシイ氏:
 確かに,まさに純文学ですよね。

大林監督:
 大衆文芸には整合性が必要なんですけど,純文学なら想像力でできることなんですよ。大衆文芸として整合性をきっちり描いていくと,よくできたタイムトラベルものになるんです。でも純文学にすれば恋愛映画に変身させられるということを考えたんですよね。
 だからあそこで「和子ちゃん」と言い出すのは,これほど残酷なことはないんですけど,“恋とは断念である”という純文学の思想でね。あそこに感銘してもらえると嬉しいですね。あれがこの映画の命になるところですから。これは秘密の部分だった(笑)。

イシイ氏:
 ああ,良かったです!
 そうそう,深町一夫のお祖父さんとお祖母さんが最後に何かを燃やしているシーンがありますよね。あれ,ずっと僕はパジャマだと思ってたんですけど,あとで観ると違うんですよね。でもパジャマの伏線なんかのおかげで,いつの間にか自分の頭の中で架空のシーンが出来上がってしまって。飲みに行ったらとにかく,そこのシーンがあるからこの映画は凄いんだ! なんて話をしていたんですけど(笑)。

大林監督:
 なるほど! そうするべきだった! 早く教えてよ! 映画というのは,そういうもので,それこそが恋と同じで好意的誤解というものなんです(笑)。
 観た人それぞれが僕の映画にないものまで観てくれてね。「『さびしんぼう』で,屋根の上の2匹の猫が見つめ合うシーンが良かった」という手紙をもらったんですけど,そんなシーンはないんです。観た人がきっと,猫が好きで,猫に託して映画を観ちゃったんだろうね。

4Gamer:
 ちょっと不思議で面白い現象ですね。

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大林監督:
 僕もね,稲垣 浩さんが監督した伊丹万作脚本版の「無法松の一生」が好きなんだけど。最初に観たのは子供の頃なんですよ。子役だった長門裕之さんが,無法松にらっきょうを食わされていやがるんですよ。その後,少し成長したシーンで,子供が学校から帰ってきてちゃぶ台の上にある何かをつまみ食いするんです。
 小学生の僕は僕なりに,前はらっきょうを食えなかったのが,らっきょうを食えるようになったことで,成長を描いたんだと解釈したんです。でもね,あとで観てみると,あそこで食べるのは里芋かなんかなんだよね(笑)。

4Gamer:
 大きさもだいぶ違いますね(笑)。

大林監督:
 でもね,あそこはらっきょうじゃなきゃいけないの。らっきょうであるが故に名作になっているんですよ。つまりね,僕が稲垣さんよりも,無法松の一生を名作にしちゃってるの(笑)。
 これが,映画を観るということなんですよ。

4Gamer:
 それこそが,実際にフィルムに何も写っていない4/9秒に観客が何かを見出してしまえる,映画だからこその楽しさというものなんでしょうか。

大林監督:
 そうなんです。僕は舞台挨拶の時に「僕が作ったのは単にフィルムで,スクリーンに映すだけの影で,それが皆さんの心に映ったときに,やっと映画になるんです。だから今日は,いい映画になることを願います」と言うんですけど,それはそういう意味なんです。
 僕が作った段階では,まだ映画になっていない,単なるモノなんですよ。

イシイ氏:
 それにしても,あのエンディングは凄いです。あらゆるタイムトラベルもので,あれを超えられるものって,まだ何も出ていない気がします。2004年公開の「バタフライエフェクト」でも監督が試行錯誤のうえ,やはり同じエンディングにたどり着いていますし。
 正直,タイムトラベラーズでも,その先を目指して挑戦はしたのですが,どこまで近づけたか……。あと何十年か頑張って,いつか完全に超えられたといえるアイデアをを考えたいと思っていますけど。

大林監督:
 さっきも話しましたけど,映画はそもそも大衆文芸なんですよね。純文学を映画にするときも,分かりやすい大衆文芸にすることが多いんです。大衆文芸というのは説明の世界で,純文学は想像力の世界ですからね。
 でも僕は,大衆文芸を純文学で作ろうとするんです。そうすると“あやかし”の映画になるんですよ。

4Gamer:
 あえて説明をしないで,観る人の想像力に委ねるという……。

イシイ氏:
 いやぁ……。今日は何だか弟子入りに来たような気持ちです。
 タイムトラベラーズも“あやかし”のゲームなのかも。皆さん今のお話聞きました? って確認をしたいぐらいですよ(笑)。

大林監督:
 ふふふ。映画というのは例えば,実際に動いていない絵でも,想像力で動いているように見せなきゃいけないんですよ。情報として動かすだけではなくてね。そこが大きな分かれ道で。それこそがクリエイティブということなんです。絵が映るものは何でも情報装置だと思ってしまうんだけど,それが映画であれゲームであれ,人の心の中で物語になる。それは想像力があるからであって。
 だから僕は,「あなたにとって理想の映画は?」と聞かれたら,「2時間スクリーンは真っ黒で,僕の語る声だけが聞こえていて,だけど2時間が終わると皆が,そこに映像を観たと思ってくれる映画」と答えるんです。それで「100人がいたら100通りの映像がそこにあるような映画ができるといいねぇ」って。実際,僕はそういう試みを年中やってきているんですよ。観る人の主観によって,違うものが見えるような,ね。

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4Gamer:
 それは確かに,職業として映画を批評している人にとって,批評しづらいものですよね。へたに批評しようとしたら,自分自身が丸裸になりかねないですから。

大林監督:
 これもね,好意的な誤解のコミュニケーションなんですよ。僕達が作る芸術は,平和を作るコミュニケーションじゃなきゃいけないわけだから,そういうものを作ると観た人が参加して,好意的に誤解しながら主観の中で作品を良くしてくれるんです。
 恋人だってそうでしょう? あれが一番主観的なものですからね。世界にもし一人しか客観的に素敵な恋人がいないなら,その子を皆で奪い合って戦争になって人類が滅亡します。でもそれぞれに自分だけのオンリーワンの恋人がいるから,平和に人類が繁栄するわけでね。

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