連載
「独裁」か「秩序」か? 連載「そうだったのか! シヴィライゼーションV」の第4回は,新システムの「社会制度」に迫る
文化勝利となるとやはり定番はこの人か。エジプトやローマも良いと思われる |
社会制度をゲーム的に説明すると,プレイを有利に運ぶための特殊能力みたいなもので,いろいろと趣深い名前が散りばめられたギミックでもある。今回は,残念なことに,普段よりちょっとだけお役立ちの度合いが高いかもしれないが,そうでもないような気もする。まあ,その程度の役立ち具合だということを理解したうえで,読み進めてほしい。だって,ムダ知識連載なんだもん。
とりあえず勝ちたいのであれば
いきなり結論めいた話から進めるが,「名誉」の社会制度があからさまに強い。対蛮族戦闘にプラス修正が入るというのは,初手で取るべきだということだろうし,その下にある5つの小項目も強い。困ったら「名誉」のコンプリートを目指すというのは,あながち間違いではないだろう。
また,「文化後援」もいい選択だ。文明によっては微妙に相性が良くない(ギリシアはもともと類似の能力を持っている)こともあるが,基本的にどの小項目を取っても強い。というかそもそも都市国家が強いので,都市国家との関係をコントロールする文化後援は,凶悪に強い。
名誉は突出した強さを誇っている。なんのかんので初手は名誉がいい |
先に左2つを埋めてしまうと,経験点1.5倍を早い時期から得られて便利 |
これら以外の社会制度は,総じて同じ時代で取得できる制度に比べて効果が露骨に見劣りする。もしくは,効果が限定的すぎる(特定の勝利を目指す場合にしか使いづらい)。あるいは,そんな時代まで勝負が続いていたなら,圧倒的に勝つか,どうしようもなく負けるしかないというものばかりだ。困ったら名誉か文化後援というのが確実な選択といえる。
なお,文化勝利を狙うのであれば,「自由」と「信仰」は重要な制度となる。とくに「自由」については,これなしで文化勝利は考えられないというほどのレベルだ。というわけで,「自由」と背反する「独裁」は,必然的に取る機会が減ることになるだろう。
新しい酒は,新しい革袋に……?
ところで現実を振り返ったとき,社会制度(Civ5的に言えば「文化点の結晶」)はそう簡単に変わるものなのだろうか? あるいは,「今日からこのシステムでいきます」といわれて,そう簡単に実行され得るものだろうか? また,社会制度に変化が発生する場合,いったい何がそのきっかけなのだろうか?
とりあえず「独裁」の制度であれば,「今日からそうします」的な変化があり得るのは歴史上のさまざまな事例が示している。ほとんどの場合,独裁体制への切り替え(あるいは成立)にはそれなりの時間と準備が必要になるが,「ここから独裁が始まった」と定義できるタイミングを指摘することは不可能ではない。
文化勝利を目指すからといって,防備をおろそかにすることはできない |
また,「我が国には古来より◯◯という社会制度(あるいは文化)がある」と定義される場合,本当にそれが「古来から存在していたのかどうか」「古来から存在しているものと同一であるか」を疑う必要がある。実際,騎士道精神や武士道精神といったものは,時代によって相当に内容が違っている。中身に即して考えれば,同じ言葉でくくられることに多少の無理があったりする。
社会制度というものは,「古い革袋に,新しい酒」として成立していることも,決して珍しくはないのだ。そしてこれは,「社会の実態は時代とともに変化するのだから,同じ看板を掲げたとしても,その中身は時代にあわせて変化するのが当然」といった議論だけでは賄いきれないことでもある。
「時間」感覚の差
「新しい革袋に,新しい酒」というのは,一つの理想だ。だがこの比喩を社会に当てはめるとうまくいかないことがあるのは,想像に難くない。少なくとも,古い革袋に完全依存していたグループにとってみれば,その変化はデメリットでしかない。また,そういった利益配分の問題以外のケースもある。
例えば,イギリスが世界に覇権を唱えていた時代,彼らの一部はアフリカの工業化を計画していた。インドをイギリスの工場としたように,アフリカでも同じようなことができるはずだと考えたのである。ところがこの計画は上手くいかなかった。
理由はいろいろと考えられるが(それこそ経済的な理由など),一つ,興味深い考察がある――それは,「言語を支える概念の違いが大きすぎた」という説だ。
真木悠介氏が「時間の比較社会学」(岩波現代文庫,2003)で述べている内容を借りると,アフリカの一部言語は,過去を表現する語彙に非常に富んでいるが,その反面,未来を表現する言葉をほとんど持たないことがあるという。場合によっては,「時間」というものの認識のされかたがそもそも異なることすらあるそうだ
共産主義の強さは相当なもの。ただ,文化勝利を目指すのでなければ,ここまでやらなくてもいいだろう |
文化勝利をするためには,ここからさらに「ユートピア計画」を建築しなくてはならない。技術者で一発建設はできないので注意 |
時間の認識が西洋におけるそれと決定的に異なる環境において,「締切りは来週の月曜日,その次は同じ週の土曜日のうちに」といった類の計画が機能しないのは明らかであり,しかもそれは「労働者が怠慢だから」ではない。けれど,納期という概念が機能しなかったら,資本主義社会は成り立たない。
このように,世界に対する根本的な理解が食い違っている場合,そこに無理に新しい制度を持ち込んでも,うまく機能しないことがある。たとえ表面的には古くからある制度のような体裁で新しい制度を持ち込もうとしても,このレベルでの齟齬は克服し難いのだ。
あくまで個人的な感触だが,こういった齟齬は現代においても決して消えてはいないように思う。とくに情報工学の発展に伴い,「時間の理解」は変化してきているのではないだろうか。ここで生ま得る齟齬は,新しい制度一発で解消できるようなものではないだろう。
社会ダーウィニズムの向こうで
大芸術家は積極的にランドマークにしてしまっても良いだろう。積み重なるとかなり効果的 |
むしろ個人的にCiv5を問いつめたいのは,社会制度の最終2枠が「独裁」と「秩序(というか共産主義)」であることだ。これはつまり,近代以降の国家の最終形態は,共産党独裁ということなのだろう!
なんていう冗談はさておき,Civシリーズの名前に冠されるシド・マイヤー氏は,どうやら共産主義が大好きなようで,シド印のゲームとの付き合いが長ければ「またですかシド先生」と言いたくなることが多々ある。
Civ5での「共産主義」は,「すべての都市で生産力が+5される」という強烈な効果があるので,それを獲得した文明は社会ダーウィニズムに則って,ほかの文明を淘汰していけるだろう。実に夢のような物語だ。
一方,「秩序」の小項目である「統一戦線」(他国が都市国家に対して有している影響力を通常よりも早く減衰させる)は,例え「秩序」を,そして「共産主義」を保有している文明の間であったとしても,お互いにお互いの影響力を減らす効果がある。このあたりになんとも言い難い無駄なリアリティがあるのもまた,シド流というところだろう。
文化勝利を目指す場合,同時に「ワン・シティ・チャレンジ(OCC)」も狙っていける |
軍事力や技術力だけがCivにおける勝ち筋ではない |
「シドマイヤーズ シヴィライゼーションV 日本語版」公式サイト
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