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Access Accepted第794回:2023年の名作「Baldur\'s Gate 3」を生んだLarian Studiosの苦悩と成功
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印刷2024/06/03 11:00

業界動向

Access Accepted第794回:2023年の名作「Baldur's Gate 3」を生んだLarian Studiosの苦悩と成功

画像集 No.009のサムネイル画像 / Access Accepted第794回:2023年の名作「Baldur's Gate 3」を生んだLarian Studiosの苦悩と成功

 海外ゲームに詳しい人であれば,Larian Studiosの名前を知らない人はいないだろう。1996年の設立以降,「Divinity」シリーズによりRPGファンには評価されつつも,ブレイクスルーまでには苦節を味わっていたメーカーだ。今回はポーランドで開催されたB2Bイベント,Digital Dragons 2024の同社にまつわるセッションを紹介しよう。


「Baldur's Gate 3」で飛躍したLarian Studios


 ベルギー第3の都市,ヘントを拠点にするLarian Studiosと言えば,2023年の「Baldur's Gate 3」が主要ゲームアワードを総なめにするほどに高く評価され,今や一線級の開発会社として知られている。
 現地時間2024年5月18日から20日までポーランドのクラクフで開催されたB2Bイベント,Digital Dragons 2024にて同社はワルシャワに新たなスタジオを設立することをアナウンスした(関連記事)。カナダのケベックシティ,アイルランドのダブリン,マレーシアのクアラルンプール,イギリスのギルフォード,そしてスペインのバルセロナに続く,Larian Studiosにとって第7の開発拠点となる。

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 そんなLarian Studiosは,1996年にスヴェン・フィンケ(Swen Fincke)氏により設立された。大学時代にストラテジーゲームの名作「Empire」や,RPGの大ヒットシリーズである「Ultima」,さらには「DOOM」といったゲームにハマり,音声認証への興味からゲームプログラミングに傾倒し,大学の卒業後に開発会社を興す決意をしたのだという。
 Digital Dragons 2024の基調講演に登壇したフィンケ氏は,同社がどんな道のりを歩み,何を考えてゲームを作っているのかを語った。
 今でこそ,「Starfield」や「Diablo IV」などの作品に引けを取らないRPGを作り上げるメーカーとして認知されているが,その道のりは非常に険しかったようだ。


「作りたいゲームを作る」ために起業するも……


Larian StudiosのCEO,スヴェン・フィンケ氏。Digital Dragons 2024の会場では,若い開発者からサインや写真を求められ続けており,もはやレジェンドの域に達しているようだ
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 「自分たちのゲームを作りたい」という野望を持って設立されたLarian Studiosだが,当時のベルギーにはゲーム産業もなければ,まだ新しいエンターテインメントビジネスであるゲームに投資してくれるような銀行もない。何とかかき集めた5万ドルで作ったテクノロジーデモをもとに仕上げたのが,1997年にionosというパブリッシャからリリースされた「The L.E.D. Wars」だった。

 この「コマンド&コンカー」に似たRTSは大きな成功に至らなかった。その後,「Work for Hire」(クレジットにも載らない下請け)で何とか生計を立てながら,コツコツと開発を続けていたプロジェクト「Unless: The Treachery of Death」がInfogrames傘下にあったAtariの目に留まる。
 しかし,AtariがPC向けのパブリッシング事業から撤退したことで契約を解消。さらに,ドイツのゲーム開発会社であるAttic Entertainment Softwareのサポートと引き換えに,テーブルトップRPG「The Dark Eye」のライセンス権を獲得してルールの作り替えを行うものの,すでにAtticが提携していたInfogramesの経営難により資金繰りができなくなり,1999年夏にプロジェクトは頓挫した。

 そこで,自分たちの世界観に作り替えたのが「Divinity」だ。当初,Larian Studiosは「Divinity: The Sword of Lies」をプロジェクト名として提案したが,新たなパブリッシャとなったcdv Software Entertainmentにより,「Divine Divinity」へと改称されたという。2000年内にリリースする予定だったが,2002年9月まで延びてしまい,最終的にはパブリッシャから告訴されそうにもなった。

ロイヤリティさえないWork for Hire時代。「LMK」はAtticと共同開発した「The Lady, the Mage and the Knight」だが,のちの「Divinity」シリーズの基礎となるエンジンができあがりつつあったことが推測できる
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 「Divine Divinity」は「Diablo」にインスパイアされたと思われるハック&スラッシュのアクションRPGだ。会話選択や評判システムのほか,ロックピックやピックポケットなどのノンコンバットスキルを搭載し,キャラクターは自由にスキルを習得できるという,のちのシリーズにも引き継がれる特徴を持っていた。

 同作はMetacriticのスコアが80点を超え,2004年には続編「Beyond Divinity」がリリースされているが,Larian Studiosの追加収入はほぼなし。その理由について,「契約書をしっかり読んでいなかった」とフィンケ氏は話している。
 この時点で開発メンバーは35人になっていたため,どうやって彼らを食わせていくかが,経営者であるフィンケ氏の最大の懸念だったという。

 2006年に開発を始めたのが「Divinity II: Ego Draconis」だ。開発費は「Divine Divinity」の約6倍となる600万ユーロに膨れ上がっていたものの,「自分たちの最高傑作にしたい」という熱意により,新たなパブリッシャであるdtp Entertainmentに対して開発期間延長を要求する。
 しかし,リーマンショックの余波がまだ残っていた時期であり,パブリッシャに待ってもらうことはできなかった。その結果,2009年にリリースした同作は,Larian Studiosのタイトルとしては最も低い62点というMetacriticのスコアに留まることになった。


50年経っても覚えられるゲームを作るために


 「Divinity II」を中途半端な形でリリースしたことから低い評価を受け,Larian Studiosは士気が低下したうえに経済的にも危機を迎える。会社に注ぎ込んでいたフィンケ氏の個人資産も底をつき,ある晩にはガソリンスタンドに立ち寄ったが,小銭も銀行カードの残高もなく,明け方まで待って妻にお金を工面してもらったそうだ。
 当時のフィンケ氏は40歳前後だったと思われるが,作りたいゲームのために起業したのに12年経ってもうまくいかず,「私の髪が白くなったのはこの時期。一晩で白髪になっちゃったよ」と語るほど,メンタル面でも危機的な状況だったという。

 そんなとき,フィンケ氏はゲームイベントで出会ったBioWare幹部の言葉を思い出す。「限られたお小遣いしかないゲーマーがMetacriticを見て,80点と85点と95点のゲームから選ぶとしたら,それは自明だよね?」。
 フィンケ氏も当たり前のことだと思ったが,当時のBioWareと言えばヒット作を連発しており,Larian Studiosは足元にも及ばない。「我々だって,50年経ってもプレイヤーが遊び続けるような名作を作りたいが,そのチャンスはない。どうすればいいんだ」。そこでフィンケ氏が出した答えは,テンポよくゲームをリリースすることはできないが,時間をかけて自分たちが満足できるまで開発を続けることだった。
 「このレシピは1990年代においても,今でもRPGというジャンルにおいては変わらないと思います」と語っている。

フィンケ氏が無一文になったことに気付いたというガソリンスタンド。「壁に追い詰められたとき,人は何でもやってやろうと思う」
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 こうしてフィンケ氏は,投資会社に出資を要請。2社にアタリを付けて,「会社の半分(1社につき24.5%)を提供します。利益が出なければ,会社とIPをすべてお譲りする」というイチかバチかの提案をして受け入れられる。パブリッシャに頼るのではなく,自社販売を行うことで,自分たちのゲームを作ろうとしたのだ。
 投資会社から得た資金で最初に行ったのは,dtp Entertainmentとの交渉だった。「Divinity II」の版権を買い戻すと,2010年にはバグフィックスのアップデートを行い,DLCを追加した「Divinity II: Flames of Vengeance」をリリースし,ゲーマーの信頼を回復する。

 さらに2つのチームを作ると,スピンオフとなるRTS「Divinity: Dragon Commander」(2013年)と,Co-opを念頭に置いた「Divinity: Original Sin」(2014年)の開発を進めていく。Larian Studiosにとって幸運だったのは,Kickstarterによるクラウドファンディングが話題となり,ゲーマーから開発資金を得ると共にファンベースを拡充できたことだったという。

 フィンケ氏が大きな賭けに出た結果,「Divinity: Original Sin」は500万本のセールスと1億ユーロの収益を生み出す。その資金を元手に,ケベックシティ,ダブリン,サンクトペテルブルク(ロシア)にオフィスを構え,ほぼ24時間体制でゲームを開発するための下地を作った。
 これは,2017年にリリースされた「Divinity: Original Sin II」を作るためだ。講演では同作について詳しく触れられなかったが,ローンチから1か月で70万本,現在までに1500万本に達する大ヒットばかりではなく,Metacriticでも90点以上のスコアを記録している。

Larian Studiosにとって,ブレイクスルーとなった「Divinity: Original Sin II」
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フィンケ氏の言動に見る企業カルチャー


 フィンケ氏のセッションでは,後半に「Baldur's Gate 3」の話題にも言及している。なお,GDC 2024の基調講演と重複するところもあったので多くは割愛するが,当初予定されていたセリフは4万6000ラインほどだったのが,最終的には25万ラインにまで増え,シネマティックスは総計174時間に達するほどの大ボリュームになったそうだ。
 この数字は,壮大なドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」全シーズンの2倍にも及ぶというから驚かされる。もちろん,会話の選択などによってキャラクターのリアクションが異なるため,1回のゲームプレイではその一部を見るに過ぎない。

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 GDC 2024の基調講演に「Baldur's Gate 3 」を開発したLarian Studiosのスヴェン・フィンケ氏が登壇した。GDC AwardsではGOTYに輝き,2023年度で最も輝かしい作品となった本作。壇上では6年分の開発秘話と,新作への意思が表明された。

[2024/03/22 19:30]

 「Baldur's Gate 3」の開発は5年以上を要した。ギルフォード,クアラルンプール,バルセロナにもスタジオを構え,フル稼働でゲームを作り込んだ結果は4Gamer読者にはご存じだろう。メジャーなゲームアワードを総なめしただけでなく,Metacriticのスコアは96点を超えるという驚異的な評価を獲得。Larian Studiosをトップブランドの開発スタジオに押し上げた。

「Baldur's Gate 3」の思い出深いカットシーンはいくつもあるが,とあるキャラクターを葬り去ったあとに踊り出すアスタリオンの狂気が印象に残っている
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 Digital Dragons 2024の会場ではLarian Studios Warsawの重鎮と話す機会があり,「Larian Studiosは,7つのスタジオで同じゲームを作っている」と教えられた。大手メーカーであれば,24時間体制でゲームを作れるグローバルな体制を整備していることも多いが,筆者が知る限りでは「アートチーム」「モデリングチーム」などの専門スタジオを置いていることが多い。
 これに対して,Larian Studiosは各地のスタジオに同じスキルセットを持つプログラマーやレベルデザイナーが常駐し,彼らは毎日コミュニケーションを取りながら作業を進めていく。非常にコスト効率の悪い作業を行っているようにも見える。

 しかし,フィンケ氏の講演を聞いたことで,こうしたシステムを採用しているのは,開発者のメンタルヘルスをも気遣い,最善の開発パイプラインを作り上げるための経営者として努力なのだと理解できた。だからこそ,GDCの大賞を獲得した際にフィンケ氏は「経営状況が悪くなったからと言って,簡単に解雇するパブリッシャは意識を変えるべきだ」と怒りをぶちまけたのだろう。

フィンケ氏と言えば,「Baldur's Gate 3」の開発者ビデオダイアリーに出演する姿を覚えているゲーマーも多いだろう。献身的にコミュニティを盛り上げ続けた
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 ただし,そのように豪語したからには,Larian Studios Warsawの設立でさらに100人近い従業員を抱えるというプレッシャーがフィンケ氏には付きまとう。GDC 2024では「『Baldur's Gate 3』の拡張パックもDLCも続編も作らない」とフィンケ氏は語っており,彼は新しい運命を切り開こうとしている。
 これは筆者の妄想に過ぎないが,「Baldur's Gate 3」の成功をバネにして「Divinity」の最新作に挑むのではないだろうか。フィンケ氏とLarian Studiosにとって,さらなる挑戦が続くのは間違いない。彼らの次回作に期待してやまない。

※来週(6月10日)は筆者取材のため,休載となります。次回の掲載は6月17日を予定しています。

著者紹介:奥谷海人
 4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
  • 関連タイトル:

    Baldur's Gate 3

  • 関連タイトル:

    バルダーズ・ゲート3

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