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創立70周年,タイトーの歴史に刻まれた貴重なゲーム機やロボットをすべて動く状態で公開。「70周年 レトロ筐体・AM機械展示会」に行ってきた
タイトーの歩み | 株式会社タイトー 70周年記念サイト |
イベント会場に展示されていたのは,1970年代から1980年代にかけてアミューズメント施設などで稼働していたアーケードゲーム筐体やエンターテインメント機器,ロボットなどの実機。しかも全9種,すべて動く状態だった。
来場者を迎えてくれたのは,タイトーが1984年に制作したイベント用ロボット「ゆめ丸ジュニア」だ。同社は1980年代にゲームで培った技術を応用し,ロボット開発を手がけ,「タイトーロボットフェスティバル」なるロボットを操作して遊ぶイベントを開催していた。
ゆめ丸ジュニアは,タイトーのイベント用ロボットの中でも最も人気が高く,動作は自動ではなく,別室のオペレーターがラジオコントロールで操作している。前進,後退,回転といった移動と連動して足が動き,二足歩行のような動きを見せてくれる。
会話もやはりオペレーターがワイヤレスマイクを通して直接しゃべるというローテクな仕組みだが,それが逆に可愛らしくも見える。そんなオペレーター用の操作機材一式も,当時のものが使われているというのは興味深いところだ。
会場に展示されていたアーケードゲーム機は全5台。こちらもすべてプレイができるものだった。
リリース順に紹介すると,1972年の「スピードランナー」は,アクセルとハンドルで操作し,3車線を走る車を追い越しながらスコアを競うドライブゲーム。プレイヤーの車は筐体の上側に仕込まれていて,ハーフミラーで路上に映し出される仕組みだ。別の車にぶつかると,回転しながら吹っ飛ぶという派手な演出が実に楽しい。
これらがすべて機械式ロジックによって動くエレメカであり,エンジン音のサウンドは8トラックのカセットテープから流れているそうだ。
「ウエスタンガン」(1975年),「インターセプター」(1976年),「スペースインベーダー」(1978年)の3作品は,かつてタイトーで活躍したゲームクリエイター西角友宏氏が手がけたものだ。
「ウエスタンガン」は,左右のガンマンを拳銃型コントローラで操作し,2人対戦が楽しめるビデオゲーム。CPUはまだ使っておらず,ロジック回路で開発されていたが,同作をライセンス供与した米ミッドウェイ社がCPU使った電子回路で作りあげたことに感銘を受け,のちの「スペースインベーダー」ではCPUを採用することになったそうだ。
「インターセプター」は,西角氏が手がけたエレメカ「スカイファイター」をビデオゲームに移植したもの。当時としては斬新なコクピット視点の3Dシューティングで,飛行する戦闘機に照準を合わせて撃ち落としていく。西角氏は「スペースインベーダー」よりも同作に愛着があったとのことだ。
そして,ご存じ「スペースインベーダー」は日本だけでなく,世界中でヒットしたビデオゲーム。2020年には「最も長く続いているビデオゲームシリーズ」としてギネスの世界記録に認定されている。
1988年の「トップランディング」は,旅客機の離着陸を楽しめるフライトシミュレータだ。前作「ミッドナイトランディング」ではスプライトで夜景を表現していたが,新たに3Dポリゴンを採用し,昼間の情景を映し出している。現代のゲームと比べれば3DCGはチープではあるものの,「スペースインベーダー」からわずか10年で,ここまで進化した技術力は見逃せない。
「電車でGO!」は展示物の中で最も新しく,1996年(正式稼働は1997年)の作品だ。リリースから27年が経過している。シリーズ化はもちろん,「職業ゲーム」という新たなジャンルを開拓したパイオニアでもある。開発当初は社内から反発もあり,初代の生産台数は比較的少なかったそうだ。
そして,会場で強い存在感を放っていたのが「ギターロボット 弦遊(げんゆう)」だ。本物のギターを自動演奏するロボットだが,人の形をしていない。ネックには弦を押さえるための仕掛け,ボディには弦を弾く機械の指があり,それらをコンピュータが制御して,リモコンで選曲された曲を演奏するというものだ。
人間には不可能な機械ならではの演奏が可能で,1987年に50台限定,1250万円(!)で発売され,高級ホテルなどに導入されたという。展示されていたのは金色だったが,銀色のバリエーションもあり,現存するのはタイトーが保管する金と銀の各1台とのこと。
このロボットのために制作されたテーマ曲「イリンクス」は,ギタリストのクロード・チアリさんが作曲を手がけている。ロボットでしか演奏できない特別な譜面になっていて,ゴダイゴのミッキー吉野さんと浅野孝已さんが演奏楽曲の監修を担当したそうだ。
会場には,1980年代に多数のアーケードゲームのハードウェア面を主に手がけてきた,タイトーの技術顧問を務める三部幸治氏が訪れていた。
今回のイベントについて,三部氏は「今はビデオゲームが中心の世の中。物理的な機械でゲームが動くことに対し,非常に新鮮な驚きをもって皆さんご覧になっている」と述べる。ビデオゲームの歴史に関する展示や講演において「昔はこういうゲームの作り方をしていた」という話をすると,古くからのゲームファンには懐かしく,新しいファンには興味を持ってもらえることが,とてもうれしいという。
CPUを使わず,機械や回路のロジックだけでゲームを作っていた時代は,クリエイターが頭の中にゲームデザインのイメージを最初からしっかり持って,そこから回路図を書いてはんだ付けをしていくという作り方だった。その後,CPUを使うようになってからは,ゲームのことはあまり考えずに基板を作り,途中からゲームデザインやプログラムを考えていくという作り方へと大きく変わったそうだ。
作り方が変わったことにより,ゲームにもいろいろな工夫ができるようになった。その一方で,昔ならではの良かった部分を切り捨てながら進化を遂げてきたことが,年代順にゲーム機を並べてみるとよく分かると,三部氏は語ってくれた。
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