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SNKの社内イベントで行われた特別講演「盛田 厚×松原健二 対談」聴講レポート。今だから明かせるPSのアレコレや,現況と今後の展望が語られた
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SNK新社屋フォトレポート。ギースの圧を感じながらミーティングできる会議室やレアグッズが展示されたショールームなど見どころ満載
「10年で世界のトップ10パブリッシャ」を目標に掲げ,さまざまなチャレンジをしているSNK。そんなSNKの本社が2023年3月,JR新大阪駅近くに移転し,新たなオフィスを構えた。今回,オフィスにお呼ばれして社内を案内してもらったので,フォトレポートでその模様をお届けする。
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- ライター:大陸新秩序
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「餓狼伝説」最新作に込めた思いとは――。小田泰之氏に聞くSNKの近況と各タイトルの開発進捗
「THE KING OF FIGHTERS」「SAMURAI SPIRITS」「餓狼伝説」など,SNKの名だたるIPをリヴァンプするプロジェクトを手がけている同社の大阪スタジオ。その大阪スタジオを取り仕切っている,SNKの第一ソフトウェア開発事業部 プロデューサー 小田泰之氏に,近況や各タイトルの開発進捗などを聞いた。
元プレジデントが明かす,PlayStationの思い出
対談の前半では,松原氏と盛田氏のこれまでの経歴などが紹介された。松原氏は自身がSNKで業務を行うようになってからもうすぐ2年になるとし,それまでは「ゲームをしっかり作っている会社だな」とは思っていたが,関西にある企業ということでなかなか接する機会がなかったと語った。
また,SNKが掲げている「10年で世界のトップ10パブリッシャになる」というミッションにも言及し,「まだまだ道のりが長いですけれども,一緒にやっていければいいなと思っています」と,聴講しているSNKのスタッフに呼びかけていた。
盛田氏は,1982年に入社してから2019年に定年退職するまで,一貫してソニーグループに在籍していたとのこと。ただソニーグループ内では,何度も転職したのと同じくらい多くの経験ができたそうで,非常に感謝しているという。その経歴をすべて話すと朝までかかるそうで,会場では主にゲームに関わる部分をピックアップして紹介していた。
入社当時の盛田氏は,ソニーの国内営業本部に配属され,MSX規格のパーソナルコンピュータ,HiTBiTの営業を担当したとのこと。どうやってHiTBiTを売っていくかを考えたときに,「ゲームを遊べる」ということを前面に打ち出すのがユーザーにわかりやすいのではないかという案が出たそうだ。営業は10名弱のメンバーが手分けして全国を回っていたという。
盛田氏によると,月曜日に営業会議があり,そのまま各自の担当地域に出張。土日は自分で店頭に立ち,自分でHiTBiTを売って,月曜日にその結果を報告して……というサイクルで働いていたそうで,「当時は働き方改革なんてなかったので,それこそ24/7で1年360日くらい頑張っていた」と話していた。
しかし盛田氏らがそれだけ頑張っても,MSXゲームパソコンは,ほぼ同時期にリリースされた任天堂のファミリーコンピュータに勝てなかった。当時は落胆したそうだが,盛田氏は「あのとき全員で頑張った結果として得た経験値が,のちのPlayStationなどにつながったと信じている。皆で1つの方向に向かって一生懸命走れば,そのときは結果が出なかったとしても,未来につながるということを学んだ」と話していた。
またMicrosoftとソニーが組んだプロジェクトに携われたことや,ビル・ゲイツの話を聞けたことなど,貴重な体験ができたとも語っていた。
やがて盛田氏は経営管理の部署に転属し,2006年7月にはソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下,SCE)の経営管理を任されることに。そこから盛田氏はPlayStationに関わることになるのだが,会場では3つのエピソードが紹介された。
1つめは,PlayStationの生みの親・久夛良木 健氏と一緒に仕事をしたことで,盛田氏は「彼は本当に情熱的で,仕事に厳しく妥協しない。何回も怒られて,『お前なんかもう要らない』と言われたこともある」と当時を振り返った。
また盛田氏が定年退職する直前には,久夛良木氏に誘われて一緒に屋久島に行ったとのことで,「本当にたくさん怒られたが,旅行に誘っていただけるくらいの関係にはなれたのかなと思うと,少しは認めてもらえたような気がしてうれしかった」とも話していた。
2つめのエピソードは,辞表にまつわるものだ。PS3発売の直前にソニー ヘッドクォーターの経営企画部門からSCEに異動した盛田氏は,厳しいビジネス環境が続くなか,「これがダメだったら,経営管理責任者の自分は会社を辞めなければならないだろうな」と考えており,辞表を常に上着のポケットに忍ばせていたそうだ。
何とか黒字転換を達成し,SCEのマネジメントにその報告をして帰宅したのち,盛田氏はビールを飲みながら辞表を破り捨てたのだとか。
3つめのエピソードは,PS4期におけるコンシューマゲームの再活性化である。PS4は北米や欧州で2013年11月に発売され,グローバルでの売上は絶好調だったという。しかし2014年2月に発売された日本では,ゲーム市場がモバイルゲームに席巻されており,「コンシューマゲーム市場はこのままシュリンクしていくのではないか」とメディアなどに言われ始めていた。
2014年9月にSCE ジャパンアジア プレジデントに就任することになった盛田氏は,「PS4の売上拡大と言うよりも,日本市場でのコンシューマゲームの再活性化というミッションを与えられて,皆で本当に必死になって施策を議論した」と話し,「今話しているだけでも,ドキドキする。ドキドキというのは,ワクワクドキドキの意味もあるが,嫌な汗が出るという意味もある」と当時を振り返った。
松原氏もまた,辞表にまつわるエピソードを披露。2001年にコーエー(当時)に入社した松原氏は,自身が携わったオンラインゲーム事業が一区切りついたと考え,2006年には自身でオンラインサービスの会社を設立しようとしていたとのこと。辞表が受理され,新会社の資金調達も始めていたが,あるときコーエーの創業者である襟川陽一・惠子夫妻に呼び出され,「この会社の社長をやらないか」と打診されたという。
3時間以上にわたり膝を突き合わせて話し合った結果,2007年6月,松原氏はコーエーの代表取締役社長COOに就任。辞表の話は取り消しになるわけだが,松原氏は「当時の役員達にもすでに辞意を伝えていたのに,会社に残るばかりか社長になるなんて,どんな顔で言えばいいのかと思っていた」と話していた。
そのほか盛田氏は,子どもたちのPlayStaionに対する認知を高める取り組みの一環として,Pascoブランドで知られる敷島製パンの取締役在任時に菓子パンのパッケージ袋にソニーグループで作り出したキャラクターをプリントして販売し,メディアミックスのシナジーでPlayStaionとパンの両方の売上増を狙ったこともあったと言う。「キャラクター菓子パンの売上は,初月は好調だった」そうだが,その後どうなったかは語られなかった。
なお,盛田氏がSNKの存在を意識したのは,SCE ジャパンアジア プレジデントに就任した直後だったという。プレジデントとは言え,ゲーム業界では新米だった盛田氏は「もっとゲームについて勉強しなさい」と,勧められて読んだ漫画「ハイスコアガール」でその名を見つけたそうだ。
また,プレジデントとして挨拶に行くゲーム会社のリストにSNKの名前があったことや,PlayStation Classicが思うように売れなかったときに「アケアカNEOGEO」シリーズがヒットしていることを知り,「何でウチだけレトロゲームがうまくいかないんだ」と思っていたエピソードを明かし,「当時のSNKは,どちらかと言うとライセンスビジネスにシフトしており,直接話す機会はそんなになかったが,要所で名前を聞いており,いい意味で気になる存在だった」と話していた。
ゲーム業界の重鎮2人がSNKに関わることになった理由
続いて,盛田氏と松原氏がSNKに携わることになった経緯が紹介された。盛田氏は2019年の年末に定年退職したあとコロナ禍が起き,外出もままならなくなったため,一本ずつゲームをクリアしていこうと決めて順番にプレイし始めたそうだ。
SIE時代は,ゲーム業界の人たちと会うことが多く,ゲームタイトルのさわりだけをプレイして,少し語れるようになったら次のタイトルへ,ということを繰り返しており,じっくりひとつのゲームを楽しめなかったという。
こうして何本かのタイトルをクリアできた頃,とある人物から「SNKがこれから大きく成長するために,大きな変革をしなければならないので,サポートしてほしい」と声をかけてもらったとのこと。盛田氏は「旅行も行けない中,SNKと旅するのは面白い」と考え,すぐに快諾したそうだ。
松原氏は2020年7月にセガを辞めてからも,「ゲーム業界に何か貢献したい」と考えていたという。そんな中,知人から「ゲーム会社のアドバイザーをやってみないか」と声がかかり,実際に3社程度に助言することになったという。
やがて「とあるゲーム会社が社外取締役を求めているが,どうか」という問い合わせが来たので,「もう1社くらいなら大丈夫かな」と思って応じたところ,その会社がSNKだったそうだ。すぐにSNKの親会社にあたるサウジアラビアのMiSK財団のスタッフと話をする機会を設けられた松原氏は,ゲーム業界での経歴を根掘り葉掘り聞かれたという。
その2週間後に設けられたオンラインミーティングにて,松原氏は「SNKのCEOになってくれないか」とオファーされたそうだ。さすがに「もっとSNKについて勉強する必要がある」と,その場での回答を避けた松原氏だったが,似たようなやり取りが2週間に1回ほど続いたそうだ。
そして2021年4月,松原氏はMiSK財団のオーナーであるムハンマド・ビン・サルマン皇太子とオンラインミーディングをすることに。ムハンマド皇太子は,自身がいかにSNKのタイトルが好きかを熱弁し,「あなたの経歴を読ませてもらった。ぜひCEOになって,SNKを1990年代当時のように輝かせてほしい」と語ったという。
結果として松原氏は,2021年10月にSNKの代表取締役社長CEOに就任する。決め手となったのは,ムハンマド皇太子の「SNKを日本の会社として,1990年代当時のように,もう一度輝かせたい」という考えだったそうだ。
会社をサウジアラビアのものにする,あるいはIPをビジネスなどに活用するといったことではなく,「自分の大切なものを支援して,世界で羽ばたけるようにしてほしい」という気持ちが伝わってきたので,松原氏も「それなら手伝ってもいい」と思えたとのこと。
スタッフが全力でゲーム開発に取り組めるよう,環境を整えている真っ最中
話題はSNKの現況にもおよんだ。社内では,松原氏が入社する前に仕込んでいた事業を「従来事業」,入社後から取り組んでいる事業を「新規事業」と呼んでいるとのことで,従来事業は極めて堅調で,それだけで会社として成立するという。
とくにTencent Gamesがリリースしたスマホゲーム「METAL SLUG: AWAKENING」が好調で,予想していなかったロイヤリティが入ってきているそうだ。
さらに従来事業について,松原氏は「思ったよりも伸びている」とし,たとえばライセンス事業については自身の入社前よりもポテンシャルを高めている。
また「METAL SLUG: AWAKENING」についても,デベロッパであるTencent GamesのTiMi Studiosのスタッフが日本のIPを好んでいることや,まだ中国でしか展開していないのに,ほかの国や地域でローンチしたらどうなるか期待していることなどを明かした。
一方,新規事業については,東京スタジオを新設し,大阪スタジオも増員しているので,開発するタイトルの幅が広がっているという。その成果は2〜3年後に見られるようだ。
SNKの掲げる「10年で世界のトップ10パブリッシャになる」というミッションについては,新作の開発がどんどん進んでいると松原氏は話す。大型タイトルの開発中,マイルストーンごとに行われる内容を役員が審査する会議を,最近は頻繁に行っているという。必ずしもゲームに詳しいとは限らない親会社の役員も参加しているので,映像を交えるなど分かりやすく伝える工夫が必要だそうだ。
また盛田氏も社外取締役としてつい先日,開発中のタイトルのデモを見せてもらったとのこと。
盛田氏は,格闘ゲームにキャラクター性をフィーチャーしたパイオニアはSNKであることに言及し,「その強みを生かし,さらに操作性を進化させていく意気込みをすごく感じた」「今のゲームは,1本あたりに昔の2〜3本くらいの要素を入れるようになってきている。いろいろ試行錯誤する必要があるのでプランニングも工数的にも大変だとは思うが,ぜひ『SNKの答えはこれだ』というものを作ってくれることに期待している」とコメントしていた。
SNKのスタッフに抱いているイメージを問われた盛田氏は,PlayStation事業に携わったことで,「ソフトがないと,いくら素晴らしいハードを作ってもただの箱なんだな」と学んだことを明かし,「その意味で,クリエイターの方々を本当に尊敬しているし,何かを創り出す能力は素晴らしいと思っている」と回答。
またSNKのスタッフに向けて,「今のSNKは,皆さんのやりたかったことができるように環境を整えるとコミットしてくれていると理解し,皆さんもどんどん『こうしてくれ』と声を出して,自分たちが必要な環境を手に入れてほしい。ただ,そういう環境を整えてもらったら,もう言い訳できない。皆さんがフルスイングできる環境で,存分に力を発揮して,自分自身の,SNKの,ユーザーの夢を実現してほしい。」と呼びかけていた。
松原氏は,2年前に入社して以来,毎週前半は大阪,後半は東京で業務に携わっており,できるだけスタッフと接するようにしているという。その中で感じるのは,ゲーム作りに対するこだわりとのこと。とくに格闘ゲームは熱心なプレイヤーが多いため,彼らの期待に応えて優れたタイトルを作り続けてきたところに魅力を感じるそうだ。
その一方で,これからは世界でもっと遊んでもらえるようにタイトルの数を増やし,扱うジャンルも広げていくことになるため,今の状況を「千載一遇のチャンス」だと伝えているという。「いい仲間といい仕事をして,いい思い出を作るくらいに捉えてもらえるといいかなと思う」と語った。また「ファミリーイベントなど,スタッフが活性化していくように,業務を取り巻く環境の整備にもチャレンジしていきたい」と話していた。
対談の最後には,盛田氏が時代の変化に言及し,「かつてSNKがゲームセンターの世界を変え,PlayStationはそのゲームセンターの世界を家庭に持ってきた。そういった時代が変わるときはそうそうあるわけではないが,ゲーム業界はおそらくこの5年くらいで大きく変わる。そして今,SNKも変革の時期が来ている。それらの変化に身を置けることを,大きなチャンスと捉えてほしい」と語った。
松原氏は,「格闘ゲームを作ってきたSNKのような会社を世界のトップ10にするというチャレンジは,前例がない。ただ,それにチャレンジできることがエキサイティングだと捉えている。もちろん成功を目指すが,その過程にはいろんな課題があるはず,それらの課題を解決しながら,少しでも成功に近づいていく経験は,皆さんの将来の糧になるだろうし,いい思い出になるだろうと思う」と話す。
また「私達の作るものは面白さであり,なかなか言葉で言い表したり,記号化したりできない。そういった,感性の部分と,プログラムのような理性の部分を組み合わせる産業はエンタメしかない。エンタメは生活必需品ではないが,子どもから大人まで,さまざまな人達の生活に彩りを与える存在。ほかの産業や業務に比べて,自分達の仕事はどんな価値があるのかをしっかり見出し,誇りを持って臨んでほしい」と話していた。
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