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[CEDEC 2020]日本人よ,このままでいいのか? 日中ゲーム開発の現状や,日本のゲーム開発者が進むべき道が熱い思いで語られた講演をレポート
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田村氏はまず,日本と中国のGDPとゲーム市場規模の推移を紹介した。2003年の時点では,日本のGDP(国民総生産)は中国の2倍だったが,2010年に抜かれ,現在,中国のGDPは日本の3倍になっている。ゲーム市場も,2013年に抜かれ,GDPと同様,現在の格差は3倍だという。
当然この変化の中で,ゲーム開発の環境も変わってきたわけだが,田村氏は,2003年から2020年にかけて何があったのかを,3期に分けて紹介した。
第1期の2003〜2006年は,中国ゲームの幕開けと言える。この頃の日本は圧倒的にコンシューマ市場が強かった。韓国MMORPGが入ってきた影響で,PCオンラインゲームの開発が増え始めたほか,2006年にMobageがスタートして,ソーシャルゲームも登場し始めている。
一方,中国のゲーム市場は日本に比べて非常に小さかった。しかし,2004年に中国のゲームイベントChina Joyが初めて開催され,この年を以て「中国ゲーム元年」と呼べるという。日本と同様,韓国などからMMORPGが流入し,当時の中国のゲーム会社はローカライズ/運営を中心に行っていた。日本のコンシューマゲームのアウトソーシングが始まったのもこの頃だ。
第2期の2007〜2012年は,iPhoneが登場したスマホ黎明期だ。中国は,2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博に代表されるように,経済成長の真っ最中。田村氏はアウトソーシングの関係で中国によく出張をしていたが,発展のスピードに驚いたという。2004年にはたった2本しかなかった上海の地下鉄は,十数本に増え,ホテルの料金も倍になったそうだ。
ゲーム市場はPCオンラインゲーム一辺倒で,移植から次第にオリジナルタイトルが増えていった。
この頃の日本では,ガラケーによるソーシャルゲームブームが到来し,主流だったコンシューマ市場が縮小し始める。PCオンラインゲームは,多くの日本人がコンシューマ機文化で育ってきたこともあって,予想よりも伸びなかった。
世界のゲーム開発がスマホへシフトした2013年〜現在が,第3期となる。2013年は,日本のゲーム業界に2つの事件があった。1つは,長年トップだったコンシューマ市場を,モバイル市場が追い抜いたこと。もう1つは,上記のように,日本のゲームの市場規模を中国が抜いたことだ。現在の中国のゲーム市場の規模は4.9兆円で,日本どころかアメリカを抜いて世界1位になった。
これらをざっくりまとめると,2013年以前の日本はコンシューマ機向けのゲーム開発がメインで,スタンドアロンタイトルを極めていた。一方の中国は,PCオンラインゲームの開発がメインで,オンライン技術を高めていた。
そして2013年以降,開発の主戦場がスマホに移ってからは,日本の現場はあわててコンシューマからスマホにシフトし,不慣れなオンライン技術や課金システムに手をつけなければならなかった。だが中国は,PCオンラインゲームで培ったノウハウをベースにスマホに参入できたため,開発能力の差が歴然としてきたのだと,田村氏は分析した。
さらに田村氏は,日本がスマホゲーム開発に乗り遅れた理由として,2系統に分かれていたことがあったと述べる。1つは,コンシューマをメインに扱う老舗ゲーム会社だ。彼らの場合,コンシューマの市場が主舞台だったため,エース級クリエイターがあくまでそちらで開発を続けてしまった。
もう1つの系統はソーシャルゲームをメインとする会社で,こちらもガラケー売上が好調なため,ガワだけスマホに対応して中身はブラウザゲームのままな「ガワネイティブ」のタイトルを多く出していた。
つまり,どちらも日本国内にそこそこの市場があり,既存商品が儲かっていたことから,スマホへのシフトが遅れたというわけだ。この失敗理由を示す言葉として田村氏は,「イノベーションのジレンマ」を挙げた。
日本から中国は3D,中国から日本は2Dを発注
続いては,現在の日中の開発,制作業務についてだ。日本から中国への主要発注は,アセット制作が圧倒的だという。
最も多いのはビジュアル制作だが,2Dは制作者の文化が反映されやすいので,あまり発注されない。その一方,「あくまで肌感覚」だと断ったうえで田村氏は,日本から中国への発注の8割が3D系業務だと述べた。中国は,キャラも背景もリアル系のモデルが得意だからだが,最近は日本のデフォルメキャラへの対応力も高まっているそうだ。
中国の3D系リソースの特徴として,モデルクリエイターは大量にいるが,モーションクリエイターが限られていることが挙げられた。日本側が納得するレベルのクリエイターは少なく,発注が難しいという。エフェクト関係の人材はさらにレアで,中国国内でも需要が高く,供給が追い付いていない状況だ。
こうした現状を踏まえたうえで田村氏は,中国へのアウトソーシングの豆知識を披露した。一番重要なことは,きっちりとした仕様書,サンプルデータをもって,トライアルを行うことだ。完成品のクオリティを中国に提出できないプロジェクトは,ほぼ失敗するという。
中国企業は,フィードバックやチェックバックの現場共有,次回以降の反映ができるところや,丸投げに対応ができるところは少ないと述べる。
続いては,中国から日本への発注……と聞くと,驚くかもしれないが,ここ2,3年でそれほど珍しいこともなくなったと田村氏は言う。なにしろ,現在の日本のゲーム市場の規模は,中国の1/3だ。かつて,日本の人件費は世界一高かったが,今は日本よりも,中国の大手ゲームパブリッシャの給料のほうが高い。中国パブリッシャにとって,日本の人件費はそれほど高いものではないのだ。
中国が日本に何を発注しているかというと,圧倒的に多いのがキャラクターデザインだという。キーワードは「二次元」で,中国では日本のアニメの人気が高く,最近では「アズールレーン」のような成功例もあるため,二次元需要は高い。そのため,2Dキャラクターのデザインやキービジュアル,背景制作が発注されるのだ。
コロナで見えた,緊急事態時に必要なこと
2020年は新型コロナウイルスの感染拡大によって,世界情勢が大きく動いた年だ。続いて田村氏は,新型コロナウイルスで分かった,日中ゲーム開発のトラブルや問題点を解説した。
1月下旬(春節),中国各地でロックダウンが始まり,多くの地方出身のゲーム開発者が職場に戻れなくなった。都会出身のスタッフも,政令により出勤ができない。同時に日本では,中国企業に連絡しても返事が来ないという事態が発生した。出勤できないのだから,当然だろう。
そうした中,双方同意のうえ,途中精算して日本の現場が引き取れれば,良いケースだと言える。つまり,日中の現場のコミュニケーションがしっかりしていて,合理的な判断ができ,前に進めたのだ。
反対に,連絡が一切つかず,合意のないまま引き取って後に金銭トラブルが発生してしまったのが悪いケースとなる。緊急事態時に,企業の対応力の明暗が浮き彫りになったのだ。
海外協業を成功させるためのノウハウとして田村氏は,何かあったときに精算しやすくするため,発注内容をできる限り人日で,工数を作業単位で明確化しておくべきだと述べた。
また,担当者以外のつながりも強化しておくべきだ。海外企業との取引は,日本語がしゃべれる1人の担当者しか知らないケースが多く,緊急事態時にその人と連絡が取れないとアウトになる。会議や出張を通じて,顔なじみを作っておくべきだという。
あらゆるコミュニケーションツールを使うのも重要で,中国ではFacebookやLineが使用できないため,最低限Wechatでつながっておくべき。日本在住者のいる海外企業と協業できれば,さらに安全だろう。
日本人よ,このままでいいのか?
田村氏は,頻繁に海外出張に行くが,ここ十数年間,海外から日本を見て,日本が下降線を辿っていることを肌で感じるという田村氏。そのときいつも考えるのが,日本のゲーム開発者の強みや弱みはなんなのかということだ。
日本には,そこそこの人口がいて,そこそこの市場があるため,国内でなんとか仕事が回っている。しかし今後,人口の減少に合わせて,ゲーム市場も縮小するため,海外とやり取りしないと回らなくなるだろう。この状況で,日本のプロデューサーやディレクターが海外と接する機会が少ないのを,田村氏は問題視している。自分達のやり方が最高だと錯覚して,相手国の特性を引き出せていないというのだ。
田村氏が危機感を覚えているのが日本のプログラマで,「Unity」しか扱えない人が多く,C/C++での開発経験者が少ない。ゲームを作る以上,C/C++は必須科目だという。
企画についても,日本人が海外で通用することは少ない。その一例が市場の好みの問題で,世界ではPvPが好まれるが,日本ではPvEが主流だ。
3Dデザイナーのレベルは高いが,コストで太刀打ちできない。中国や東南アジアの3D技術も年々向上している。
日本の数少ない牙城の1つが,2Dデザイナーだ。日本人が優勢な分野ではあるものの,「アズールレーン」などの成功例が出てきたことを考えると,油断できない。
なんだか暗い話が並んでしまったが,そもそも「日本のゲームクリテイターはいつから劣化が始まったの?」という強い言葉で田村氏は自説を述べた。田村氏はそれを,KPI(重要業績評価指標)という単語が業界に入ってきた頃だと考えている。ソーシャルゲームバブルの頃,何十億円という開発費をかけたコンシューマゲームより,数千万円で作ったソーシャルゲームのほうが売り上げが大きいという現象が発生し,KPIに長けた者が業界を制していた。そのため,コンシューマゲームの開発現場は金食い虫である,という扱いになってしまったという。
当時,日本には世界で勝負できるクリエイターがたくさんいたが,彼らのモチベーションはガタ落ちし,ゲームのデキが悪くてもKPIが良ければ良いという風潮が生まれる。こうした環境から,日本のゲームクリエイターは劣化してしまったというのだ。
日本人の優れた特性はなんだろうか? と田村氏は問う。それは計画性や緻密さ,チームワーク,真面目さなどで,これらは素晴らしいものではあるが,それだけでは世界に勝てない。田村氏は,日本人の最大の特性は「職人魂」だと強調した。
日本のゲーム業界にKPIという単語が導入されて以来,職人は減少し,消費者的な考えを持つ人が増えた。ゲーム業界を元気にするために,今一度職人魂を呼び起こす必要があるというのが田村氏の主張だ。
職人として日本のゲーム開発者が復活するための鍵となる要素として田村氏は,「基礎力の強化」「海外をもっとよく知る」の2つを挙げた。日本は,スマホへのシフトにはすでに失敗しており,ここはもう中国やアメリカに追いつけない。だから,次のシフトを虎視眈々と狙う。そのため,今は基礎力と海外知識を強化しておくべきだというのだ。
日本のゲーム開発者は基礎力が足りておらず,例えば,ある大手パブリッシャでは,新卒2年ほどでプロデューサーという肩書を与えられ,プロジェクトを仕切っていると田村氏は言う。地道な現場の基礎を体験せずにプロデューサーを名乗るような人間が増えれば,日本のゲーム業界は終わってしまう。きっちり経験と実績を積むべきだという。
海外を知るというのは,ネットで調べることではない。むしろその逆で,海外出張や旅行を通じて,生の情報を手に入れ,海外の人と直接交流して,その国を知るべきだという。そうした生の知識がなければ,これから海外で戦うことはできない。
最後に田村氏は,今の日本のゲーム業界は江戸末期と似たような状態だと述べた。国民に元気がなく自信を失い,海外との技術格差は大きくなる一方なのに,古い体制にしがみついているというのだ。
幕末の閉塞感を打破したのが,岩倉使節団だった。彼らは海外で最先端の技術を学び,それをカルチャライズして日本の近代化を加速した。日本のゲーム業界も同様に,開発者の英知を結集して海外の進んでいるところを学び,日本の良いところを再発見し,ネクストスタンダードを狙うといった取り組みが必要なのだという。
日本の社会人の平均勉強時間は,わずか6分しかない。勉強している人は1日数時間だが,大半の日本人はまったくしておらず,平均するとそのぐらいになってしまう。これでは海外に勝てるわけがなく,日本が落ちていくのは当然だ。だから,日本人クリエイターはもっと勉強して,古い栄光を捨て,基礎を学びなおし,海外をもっと知ってほしい,と切なる思いを打ち明けて田村氏はセッションを締めくくった。
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