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[GDC 2019]ゲームメカニクスだけに依存しない,面白いゲームの作り方。その技術を支える「6つの動詞」とは
GDC 2019の3日目,スクウェア・エニックスのシニアデザイナーPrasert "Sun" Prasertvithyakarn氏が「Can You Make a Good Game Without Good Play Mechanics?」というセッションを行い,現代的なゲームが持ち得る楽しまれ方にはどんなものがあるのか,その分析を発表した。
ゲームメカニクス以外の楽しさを定義する,6つの動詞
Prasertvithyakarn氏はまず,「これまでゲームは,優れたゲームメカニクスを楽しむものであるとされてきた」と指摘する。ほかの部分が提供する楽しさというものも存在はするが,バランスとしては圧倒的にゲームメカニクスが大きかったと言える。
しかしながらゲームが多様化する中で,ゲームメカニクスが中心となっているわけではないのに,「ゲーム」として楽しまれている作品(インタラクティブな玩具/アート/映像/各種アプリケーションなど)は急激に増えていった。そして現代においては「キャラクターを愛でるソーシャルゲーム」や「VRを利用した物語体験」といった作品があちこちで作られており,そしてこれらの「どこからどこまでがゲームなのか」という境界線は大変に曖昧なものとなっている。
もちろん,ここで「これはゲームではない」とか「これはゲームとされるに相応しい」とかいった主張をするのは自由だ。しかしゲームデザイナーという仕事をしていると,否応なしにこれらの作品を作らねばならなくなることもあるとPrasertvithyakarn氏は語る。
ではこのように,楽しまれる要素としてゲームメカニクス以外の部分が「重たく」なっているコンテンツを作るときに,ゲームデザイナーは何ができるのか。Prasertvithyakarn氏はここで「動詞」が鍵となると述べた。
例えば,アイスクリームというコンテンツについて考えてみよう。
アイスクリームを消費するにあたり,最も一般的な消費の仕方は「食べる」(動詞)ことだ。けれどもし,ここで「インスタグラム」(動詞的用法)であればアイスクリームはどのような実装になり得るだろうか?
そう,写真のような実装があり得る。このように,動詞が変われば,アプローチも変わってくるのだ。
では,ゲームに対してはどのような動詞が適用され得るのだろう。「遊ぶ」のは当然として,それ以外には何があり得るのか? Prasertvithyakarn氏は1つずつ順番に,ゲームに対して適用され得る動詞を示していった。
(1)探検する
探検すると言うと,そこには新たなる挑戦があるような印象が強いが,柔らかな「探検」としては「観光」というものがある。一般的に観光には何かに挑戦する要素が含まれないが,間違いなく楽しいものだと言える。
ゲームにおける探検を考える場合は,アイテム化と可視化を考慮する必要がある。というのも現実世界では(あるいはゲームであってもオープンワールドであれば)「ここからが○○という領域で,ここから先は××という領域」という境目が,そこを移動する人間にとってそこまで明瞭ではないからだ。
このため,例えばマップ上にポイントを設定したり,そのポイントの周囲を「エリア」として設定したりする(可視化。オープンワールドのゲームで移動していると村の名前やエリアの名前がテロップで入ったりするのはコレ),またはスタンプラリーのような形で「ここに来た」ことを意識させる(アイテム化)といった工夫が必要となる。
またこのようにして探検の進捗を定量化することにより,探検を続けるプレイヤーには途中から「コンプリートのための探検」という新しい目標も設定される。
(2)ロールプレイする
「ゲーム内のキャラクターになりきって,ゲーム世界やゲームが提供する物語を楽しむ」というのもまた,ゲームの楽しまれ方のひとつだ。けれども「ロールプレイ」と言っても,その実装には大きく分けて2つの方向性があることには注意が必要だとPrasertvithyakarn氏は指摘する。
1つは,プレイヤー自身の代理人となる存在を作り上げ,そのキャラクターを通じてロールプレイする方向性。もう1つは,ゲームが提供する特定のキャラクターに感情移入しつつ,ロールプレイするという方向性だ。この2つの方向性は明確に異なるため,「どちらにするか」はハッキリと決めておく必要がある。
(3)作る
問答無用で楽しい。ただし「何かを作ることと,何かをデザインすることは,別のことだ」とPrasertvithyakarn氏は語る。
例えば「何かを作る」というのであれば,
- キャラクターをカスタマイズする
- 環境をカスタマイズする
- シーンをカスタマイズする
- 写真を撮る
- 絵を描く
などなど様々な方法があり,かつそれらの選択肢は実にシンプルなものだ。
けれどこれだけでは,現代的なゲームにおける「作る」は完成しない。作った上で,「シェアする」ところまで進んで初めて,「作った」ことになるというわけだ。
また「作る」ことに興味のないプレイヤーに対しても,スクリーンショットという創作物をシェアしてもらうことはできるし,そのようにゲームを設計することもできる……が,これは,「キャラクターの自撮りが撮影できて,それをネットでシェアできればいい」という話ではない。大事なのはプレイヤーがゲーム内で体験したことを,シェアできる形状に変化させて提供する,ということだ。
(4)コミュニケートする
Prasertvithyakarn氏はこの項目を提示しつつも,同時に「とはいえコミュニケーションは,常に楽しいとは限らない」と語った。実際,コミュニケーションが強制されてしまうと,それは楽しいどころか,ときに苦痛にすら転じてしまう。
一方で人間のコミュニケーションは言語だけで行われるものではない。「誰かを助けたい」「いたずらしたい」といった本能的な(かつ非言語的な)欲求をうまく刺激すれば,言語依存しない(そしてゲームに実装しやすい)コミュニケーションを喚起できるとPrasertvithyakarn氏は指摘した。
とはいえ「助けたい」はともかく,「いたずらしたい」という欲求を無制限に発揮できるとなると,ほかのプレイヤーを傷つける結果に終わってしまう。あくまでほかのプレイヤーを傷つけることなく,また「いたずらにしか使えない機能」でもない形で,プレイヤーのちょっとした工夫としてほかのプレイヤーに害のないいたずらができる,といった温度が望ましい。
(5)放送する&見る
eスポーツに限らず,ゲーム実況(ときにはただゲームプレイを垂れ流すだけ)はゲームの楽しみのひとつとなってきているし,それを視聴するというのも大きな比率を占めるに至っている。
「プレイヤーを自然と配信者にする」「配信したり,その配信を見たりすることが楽しいゲームにする」といった工夫は,よりその重要性を増している。
(6)二次創作する
ファンによる二次創作小説やイラスト,同人誌,二次創作ゲームなど,ゲームのファンダムから生まれてくる二次創作物は数多い。そしてそうやって二次創作をすることそのものが,楽しいこととして広まっている。
とはいえ現状を見ると,「ファンの数は多いが,ファンによる二次創作の数は少ない」というゲームも存在する。規制その他をさておくとしても,「二次創作が生まれにくいゲーム」というものが存在するのだ。
Prasertvithyakarn氏はこの原因として「登場するキャラクターが,プレイヤーの間に愛や憎悪,あるいは好奇心を呼び覚ますキャラクターになっているかどうか」にあると指摘する。
まずそもそもゲームにおける二次創作は,「ファンがオリジナルのキャラクターを作って,ゲームが提供する物語世界で活躍させる」よりも「ゲームに登場するキャラクターが,ゲームとは異なる物語を展開させる」ほうが多いとPrasertvithyakarn氏は語った(若干,一部で戦争が起きそうな見解だが,今はそこで争う場面ではないだろう)。
しかるにキャラクターに対する愛は,そのキャラクターの幸福を望むようになり,また他のプレイヤーもまた自分が愛するキャラクターを愛してほしいと望むようになる。それがインスピレーションとなって,二次創作が生まれる。
これは憎悪や好奇心においても同じだ。憎しみを抱く対象には不幸と憎しみを望み,興味が尽きない対象には分析とその共有を望み,かくして二次創作が生まれる(大事なことなので二度言うが,今は争う場面ではない)。
このようにしてプレイヤーが「望み」を抱くに至った先で,二次創作は生まれるというわけだ。
プレイヤーの期待を裏切らない
さて,かくして6つの動詞が出揃ったが,Prasertvithyakarn氏は「ここには大きな罠がある」と指摘した。
ここでデザイナーを待ち構えている罠とは,「プレイヤーの期待」だ。最初に指摘されたように,「ゲームメカニクスによる楽しさ」と「ゲームメカニクス以外による楽しさ」の割合は,作品によって異なる。その一方でプレイヤーの側には,「この作品はゲームメカニクスの部分が楽しいはずだ」「ゲームメカニクス以外の部分が楽しいはずだ」「そのミックスが楽しいはずだ」といった期待(ないし予断)がある。
もしここで,デザイナーが提供する作品が持つ配合比率と,プレイヤーが作品に期待する配合比率が著しく食い違っていた場合,その作品が見かけ上どんなにうまくできていたとしても,往々にして大変なことになる。
講演の最後にPrasertvithyakarn氏は,「ゲームメカニクスは大変に強力なツールだが,それだけに頼ってしまうと,あなたが作れるゲームの可能性が制限されてしまう」と指摘。「良いゲームメカニクスと,それ以外のアプローチの両方の使い方を知っているゲームデザイナーを目指すべきだ」と語って,講演を終えた。
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