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[EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート
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印刷2018/01/30 18:18

イベント

[EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート

 東京・池袋サンシャインシティで2018年1月27,28日に開催された「EVO Japan 2018(Day1-2)」。本稿では,27日に池袋サンシャインシティ展示ホールの7階会議室で行われたトークショー「ゲームセンター文化のゆくえ――eスポーツの起源を巡って」の模様を紹介する。

 このトークショーに登壇したのは,高田馬場ゲーセンミカドの店長であるイケダミノロック氏,元「ゲーメスト」編集長の石井ぜんじ氏,社会学者の加藤裕康氏,日本ハイスコア協会会長の京城氏,日本ハイスコア協会理事の松浦恵介氏(以上,50音順)の5名。それぞれの視点から,現在のe-Sportsにつながる部分のあるゲームセンターの文化が語られた。

左から加藤氏,イケダ氏,京城氏,石井氏,松浦氏
画像集 No.003のサムネイル画像 / [EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート


加藤裕康氏


 “ゲームする身体”と題し,「そもそもビデオゲームはスポーツと言えるのか?」ということについて語った加藤氏。とくに同氏のようなファミコン世代だと,「ゲームを遊んでいると親などの大人に叱られるが,スポーツをやっていると褒められる」という原体験があるので,ゲームをスポーツとすることへの世間的な違和感を顕著に感じているようだ。

 加藤氏は,松田恵示氏を引用して「ビデオゲームは局所化した身体技能」,ヨハン・ホイジンガを引用して「スポーツにも遊びの要素がある」,さらにジョージ・ハーバート・ミードが定義する“客我(他者が自分に望むことや自分の行動の結果を想定できる,自己の中の客観的な自我)”が形成されていなければビデオゲームもスポーツもプレイできないことから,根本的にはビデオゲームとスポーツは同様のものであると語った。

 ただゲームと身体的スポーツとで異なるのが,身体性の大小だ。人間は市川 浩が定義するところの直接経験(実際に肉体で触れる経験)を重視して生活しており,ビデオゲームのような間接経験(コントロール可能な媒体で触れる経験)やテレビ番組のような疑似経験(コントロール不可能な媒体で触れる経験)ばかりでは,次第に身体的な関係を得たいという欲求が沸き出す。そして,ゲームセンターという場やEVO Japanのようなe-Sportsイベントがそれを充足させる場になりうるというわけだ。


石井ぜんじ氏


 石井氏は,e-Sportsの根幹である「ゲームの競技性」ということにフォーカスし,その源流と言える「ゲームセンターのハイスコア文化」について紹介を行った。

 メディアにおけるハイスコア集計が行われる以前から,スコアの概念があるエレメカやピンボールマシンにおいて,筐体にハイスコアが貼り出されることはままあり,石井氏いわく「なんとなく意識する」程度には存在感があったという。また,そういった原初のハイスコア争いは競争自体を目的とするものではなく,ゲームセンターを盛り上げるという目的のための手段の1つだったと語る。

 ハイスコア集計を最初に始めたメディアは,電波新聞社が刊行していた「マイコンBASICマガジン」。集計企画のきっかけとなった「ゼビウス」が大ヒットしたこともあって,“ハイスコア争い”が全国的に広がり,ハイスコアを目的としたゲームプレイが普及する。そして,1980年代後半にゲーメストでもハイスコア集計を開始。1980年代のゲームは難度が高く,すぐにゲームオーバーとなるのが普通だったため,それを遊び続けられるスコアラーは自然と憧れを集めたという。

 そのほか,石井氏は自身が関わったゲームイベントとして,初の「ストリートファイターII」全国大会や,100位までランクインとすることで参加の間口を広げた「ギガウイング」スコア大会などのエピソードを語った。前者については,「ストリートファイターII」の歴史を振り返った記事でも語られているので,参照してほしい。


京城氏


画像集 No.004のサムネイル画像 / [EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート
 ライターとしてゲーメストなどに関わっていた京城氏は,石井氏を補足する形で,ハイスコア文化がより顕著に根付いた1990年代以降の情勢を語った。
 まず1985年,新風営法が施行(※)されたことでゲームセンターの長時間営業が難しくなり,ループゲームの数が減少。それに伴い,「どれだけプレイを続けてスコアを稼ぐか」というスタイルから「限られたプレイの間にどれだけシステムを活用してスコアを稼ぐか」というスタイルのゲームが流行する。
※「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(前・風俗営業取締法)」の大幅改正。これによりゲームセンターなど遊戯施設が風俗第五号営業となり,深夜営業が禁止となった。

 1990年代になると対戦格闘ゲームのブームが起き,それに導かれる形でゲームセンター自体や他ジャンルのゲーム,ハイスコア争いも活性化。ゲーメストではハイスコア登録の多い店舗を表彰したこともあり,有力店舗同士がライバル関係になるほどだったという。時には,なじみのプレイヤーへ閉店後のフリープレイを提供していた店舗に対し,それを快く思わなかった他店舗の人間が殴り込みをかけて,警察沙汰になるほどだったとか。“ハイスコア争い(物理)”といったところだろうか……。
 またゲーメスト編集部自体も,プレイが録画されたVHSを届けるため直接ゲーメスト編集部を訪ねてきたプレイヤーがいたり,集計タイトルや集計方法などについて電話で長々とクレームを入れるプレイヤーがいたりと大変なことがいろいろあり,担当者は頻繁に変わったという。

 1995年前後には,「バトルガレッガ」「怒首領蜂」などゲームプレイやスコアシステム,演出などを高いレベルでまとめたゲームが多くリリースされ,ハイスコア界隈をより盛り上げる。とくにケイブのタイトルは人気を博し,「全1(全国1位)」のブランド化が進行したという。「ワンプレイのスコアによって名誉や特典を得る」というのは,現在ケイブが提供している「ゴシックは魔法乙女 〜さっさと契約しなさい!〜」iOS/Android)にも見られる要素だ。

 ただ,1990年代は「ストリートファイターII」「バーチャファイター」「THE KING OF FIGHTERS」など対戦格闘ゲームの大きなブームが起こったため,「ゲームセンターでの競い合い」という意味では,ハイスコア争いは若干日陰者となっていたようだ。


松浦恵介氏


画像集 No.006のサムネイル画像 / [EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート
 エンターブレインによるゲーメストの精神的後継誌「アルカディア」の編集者だった松浦氏は,さらに2000年以降のハイスコア界隈を語る。2000年代後半ごろになるとハイスコアはさらにニッチなものとなり,ハイスコア集計自体も各メーカーによるオンラインランキングが主軸となっていったため、アルカディアの読者アンケートでは「興味がない記事」のトップ常連に。
 オンラインランキングは,初期だと「ミスタードリラー」「虫姫さま」のようなパスワード式が多かったものの,後に完全自動型となり,しかも今ではプラットフォーマーがシステムを提供しているので,ソフトメーカーは比較的容易に実装できる。

 そんな現在,ハイスコアの集計を行うメディアというものに意味はあるかどうかについて,松浦氏は「意味が濃いか薄いかはともかく」としつつも,「ある」と語る。その意味とは,プレイヤー心理に関するもの。ひとつの媒体に複数タイトルのハイスコアが掲載されることで各タイトルのプレイヤーが「ハイスコア界隈」というコミュニティへの帰属意識を得られ,心理的に孤立せずハイスコアの追求を続けられるとのことだ。また,締切を設けた月1での集計は,リアルタイム集計とは違った楽しみもあるという。

 対戦格闘ゲームのシーンでは,掲示板やwikiによるテクニックの共有,YouTubeやニコニコ動画による攻略ビデオの共有が一般化し,全体的なプレイヤーレベルが均された。それでも重要な情報は一部コミュニティで共有されるに留まるので,情報戦は未だに重要。解析の方向性も変わってきていて,今はキーディスプレイ(入力したボタンやレバーを画面上に表示する)機能を使って強豪プレイヤーの癖を解析することも行われており,そういった注目を浴びやすいプレイヤーは,わざと変なボタンを押して誤情報を混ぜていったりもしているそうだ。

 そのほか,エンターブレインが開催していた対戦格闘ゲームの全国大会「闘劇」に関して,参加者が海外プレイヤーや他タイトルプレイヤーと交流したり,運営スタッフとして参加したさまざまなゲームセンターのスタッフで大会運営などのノウハウを共有したりといったことが行われており,それらはEVO Japanが掲げた「コミュニティをひとつに」のスローガンに通じるものがあったと語られた。
 EVO Japan 2018の会場にはVEWLIXやブラストシティが設置されていたが,そういったアーケード筐体をイベント用に調達して,池袋サンシャインシティに持ち込み,設営して稼動させるということの裏側には,ゲームセンターという場や闘劇というイベントで受け継がれてきたミームが活きているのだろう。

EVO Japan 2018会場の一角では,アーケード筐体による対戦が行われていた
画像集 No.001のサムネイル画像 / [EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート 画像集 No.002のサムネイル画像 / [EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート


イケダミノロック氏


画像集 No.005のサムネイル画像 / [EVO Japan]ゲーメスト編集長やミカド店長,アルカディア編集者などが登壇した“ゲームセンター文化”のトークショーをレポート
 最後のイケダ氏は,今現在のゲームセンターを経営するということについて語った。アーケードゲーム市場は縮小傾向にあり,店舗数が右肩下がりで減少しているのは言わずもがな。新規店舗もなくはないが,そのほとんどはプライズゲームやメダルゲームを中心とした店舗で,ビデオゲームを中心とした店舗は稀となっている。そんな中で営業を続けているミカドの特徴と言えば,ほぼ毎日,何かしらのイベントを開催していること(参照)。

 イベントは,営業的には集客と客単価の向上が目的となっており,さらに少数ながら熱烈なファンがいるタイプのタイトルの大会を複数本まとめて行うことで,各タイトルのコミュニティを近づけて掛け持ちプレイヤーを増やす狙いもあるという。
 また,ミカドではすべての大会を実況付きで配信している。イケダ氏は,アーケードゲームの大会と実況配信は親和性が低いと思っていたが,実況で讃えることによりプレイヤーがハイスコアのランクインに似た満足を得られていると語った。

 ただ,重要なのはこういったイベントを“続けていく”こと。これらは筋トレのようなものなので,継続させなければ大した意味はないという。

 そんなイケダ氏にとって,ゲームセンターとは「老若男女がフラットな立場で金銭を支払って楽しさを得る」施設であり,一方e-Sportsは「トッププレイヤーが真剣に戦って賞金や社会的地位などを得る」ものなので,扱っているものは同じゲームながら,ゲームセンターとe-Sportsはあまり関係のないものと捉えているようだ。
 これは加藤氏の語った「根本的にはビデオゲームとスポーツは同様」と反する主張のようにも聞こえるが,例えるなら「野球は野球でも,草野球リーグの界隈とプロ野球の世界はあまり関係がない」といったところだろう。



 根本にスポーツと同じロジックを持ち,ピンボールやエレメカ,TTL(トランジスタと抵抗器による論理回路)式ビデオゲーム(※)の時代から競技的な文化が自然発生してきたゲームの世界。その競技性からハイスコア集計や店舗大会が発展したが,時代が流れてオンラインランキングやe-Sports大会といった新しいシーンが台頭し,トレンドも移り変わる。「e-Sports」という言葉自体の定義も曖昧な現在,それを取り巻く環境はさらに変わっていくだろう。
※記録で確認しうる最古のビデオゲーム公式大会は,「テーブルホッケー」を種目として1974年に行われた「セガTVゲーム機全国コンテスト」とのこと。次に古いのがアメリカでAtari2600版「Space Invaders」を種目として1980年に行われた「Space Invaders Tournament」。

 ただゲーセン育ちのゲーマーである筆者としては,e-Sportsでの活躍を目指すプレイヤーには,その源流にハイスコア争いや店舗大会といったゲームセンター文化があること(※)を少し心に留めてもらえたら幸いである。
※もちろん,ハドソン全国キャラバンのようなコンシューマゲームの大会も数多くあったし,e-Sportsの文化はLANパーティから派生してきた部分も大きいので,「全てはゲーセンが源流なのだ」とは言い難い。あくまで「源流のひとつ」である。
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