連載
【Jerry Chu】もっと大人のストーリーを
Jerry Chu / 香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー
Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」Twitter:@akemi_cyan |
もっと大人のストーリーを
ここでいうゲームとは,コンシューマゲームのことだが,大学を卒業して就職するとゲームに使える時間が少なくなる。そのため,じっくりとゲーム機で遊ぶより,通勤中に短時間で遊べるスマホゲームのほうが好まれるのは想像に難くない。
「スマホゲームという代用品が台頭したから,従来のゲーム機が衰退するのはしょうがない」と考える人も少なくないだろう。しかし,日本よりもスマホが普及している欧米では,コンシューマゲームがかつてないほどの隆盛ぶりを見せている。PCゲームが盛んで,コンシューマゲームにとって厳しい市場であるはずにもかかわらず。
ソニーによると,PlayStation 4は歴代のPlayStation史上最速のペースで世界中に普及しているそうだ(ソニーの経営方針説明会資料)。また,Pew Research Centerが2015年に発表した報告では,アメリカの大人の約40%がゲーム機を所持しているという(出典元)。
どうやら日本とは対照的に,海外ではゲーム機が広く支持されているようだ。
個人的な話をすると,大学に進学してから日本のRPGをほとんどプレイしなくなったのだが,つい先日,「久しぶりに日本のRPGに触れたい」と思い,「ファイアーエムブレムif 白夜王国」を購入した。
念のために書いておくと,「ファイアーエムブレム」とは大国間の戦争をテーマにしたシミュレーションRPGシリーズである。最新作の「ファイアーエムブレムif」は,西洋風の騎士が率いる暗夜王国軍と,和風の侍が指揮する白夜王国軍の激突で幕を開ける。
デフォルメされた騎士と侍が名乗りを上げ,鍔迫り合いや派手な一騎打ちを演じる。セクシーな装いの美女や年端もいかない少女も武器を携え,戦場に飛び込もうとする。少年少女の流麗なる戦い。それは日本のゲームやアニメでよく見られるものだが,釈然としないものを感じる。
「戦場はそんなに綺麗なはずがない」と突っ込みたくなるのだ。
実は「ファイアーエムブレムif」を遊ぶ前,ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」を見た。中世ファンタジー世界における権力争いを描いた群像劇として,世界各国で人気を博している作品だが,今年4月に放送が開始された第6章では「ある合戦シーン」が登場する。
主人公であるジョン・スノウ率いる軍勢が,敵の術中にはまり包囲される。混沌とした戦場に無数の弓矢が降り注ぐ。死体は山と積み上がり,ジョンの軍勢は退路を塞がれる。絶望のあまり逃げ惑う兵士達の悲鳴と断末魔の叫び。ジョンは血と泥に塗れ,混乱した自軍の兵士に危うく押しつぶされそうになる。
映画「プライベート・ライアン」を想起するような惨たらしい衝撃的な戦場の光景は,TVドラマでは他に類を見ない名場面だった。だからなのか,「ファイアーエムブレムif」のオープニングには違和感を禁じえない。
もちろん,「ゲーム・オブ・スローンズ」と「ファイアーエムブレムif」ではターゲットが異なり,生まれた土地の文化も違う。直接,比較すべきではないことは分かっている。後者がアニメ調の演出を採用しているのは,日本のライトゲーマーや若年層にアピールしたいという狙いがあるのだろう。
だが,アメリカのエンターテイメント作品は生々しい現実を見せているのに対し,日本のゲームはあくまでデフォルメされた美しい世界を描いているという対比は浮き彫りになる。
海外では大人のキャラクターを主人公にしたゲームが多い
「The Walking Dead」や「The Last of Us」は,どちらも文明が崩壊した世界を舞台にしたサバイバルホラーである。主人公は大人のキャラクターであり,我が子同然の愛する子供を守るために他人を犠牲にできるか,子供にどんな生き方を教えるか。「親としての価値観」が問われる作品だ。
こうした作品の成功があってか,大人の感情と思惑を描いたゲームは増えつつある。
「Uncharted 4: A Thief's End」(邦題「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」)の主人公であるネイサン・ドレイクは,家族との平穏な生活を守るためにトレジャーハンターとしての情熱を押し殺さなくてはならない。家族を思うがゆえに冒険への熱意を捨てたネイサンの姿は,「ゲーム作りに熱中するあまり,私生活を蔑ろにしてしまったクリエイターの写し鏡である」と,本作のディレクターであるNeil Druckmann氏が明かしている(出典元)。
職業生活と私生活は両立できるのか。「Uncharted 4」のクリエーターは,ネイサンの苦悩を通じて,プレイヤーに問いかけたのだ。
「God of War」シリーズの主人公 クレイトスは,これまで荒ぶる戦神として知られてきた。しかし,E3 2016で発表された新作では,子育てに砕心する親としての姿が描かれるようだ。敵を叩き潰して雄叫びを上げる狂戦士ではなく,息子の成長を見守る父となったクレイトス。この方向転換について,ディレクターを務めるCory Barlog氏は「ゲーム業界の人間も年をとり,物事を別の視点から見るようになった。実際に子供を持つことで,創作に対するアプローチも変わる」と語った(出典元)。
Cory Barlog氏の考え方は,決して珍しいものではない。
サイボーグ技術や隔離政策といったシリアスなテーマを取り扱ったアクションRPG「Deus Ex: Mankind Divided」において,ゲームプレイディレクターを務めたPatrick Fortier氏は次のように語っている。
「ゲーム業界は成長している。我々は昔よりも成熟していて,20代の頃に楽しんだものも,40代や50代になると楽しめなくなる。日常生活に関連した題材やシリアスなテーマをビデオゲームというメディアで取り扱いたい」(出典元)。
こうした発言から,海外のクリエーターは年齢を重ねると,大人としての感性を創作に生かしていることがうかがえる。仕事と生活のバランス,子育て,時事問題など,大人の悩みと考えをゲームで描こうとしている。
GDC 2016に登壇したマイアミ大学のBob De Schutter教授は,ゲーマー人口の高齢化に備え,「大人向けのゲームを作ろう」と聴講者に呼びかけた。これは,単なる暴力表現や性的描写を指しているのではなく,斬新なゲームプレイや考えさせるテーマ,意味のあるセリフ,感情に訴える体験を作るべきという主旨の提言だ(GDC公式サイトより講演の映像)。
Lucas Pope氏の「Papers, Please」は大人向けのゲームの好例であり,高齢者の間でも高く評価されたという。
なぜ日本では大人向けのゲームが少ないのか
欧米と比べて,日本には大人にアピールできるゲームが驚くほど少ない。
アニメ調の少年少女が戦い,勇気と友情を高らかに謳う。日本のゲームは,中高生向けの作品が主流であるように思える。大人の感性に訴えるストーリーと世界設定を備えたゲームはなかなか見られない。
無論,大人向けのゲームが皆無というわけではない。男性の結婚への不安を描いた「キャサリン」,老いたスネークを主人公に据えた「METAL GEAR SOLID 4 GUNS OF THE PATRIOTS」といった作品は,大人だからこその心情を巧みに表現した。極道と裏社会を描いた「龍が如く」シリーズも人気を博している。
だが,こうした作品は少数派だろう。
中高生向けの作品自体には何の問題もない。しかし,プレイヤーはいつまでも中高生であり続けない。大学生や社会人になれば,考え方や好み,感受性も変わり,やがて中高生向けのコンテンツに興味を持てなくなる。
筆者も中高生の頃は,日本のRPGが好きだった。「ペルソナ」「.hack//G.U.」「テイルズ オブ」などのシリーズ作品を好んでプレイしたものだ。だが,やがてアニメ調のゲームにはだんだん食指が動かなくなった。「龍が如く」シリーズも「正義は必ず勝つ」といったお約束展開に飽きてしまい,少年漫画のようなシナリオではなく,世界史や政治思想に基づいた欧米のゲームに興味を惹かれていった。
日本では大人になると「ゲーム離れ」をする人が多いのは,日本のゲームは大人向けに作られていないからではないか。自らのゲーム歴を回顧して,そう思う。
なぜ日本では大人向けのゲームが生まれにくいのか。それは,「ゲームは子供向けの玩具」という既成観念によるところが大きいと考える。
日本のテレビゲーム黎明期を支えた大手ゲーム会社は,もともと玩具メーカーであるケースが多く,ゲーム機を玩具の延長と考える人は当時から少なくなかっただろう。1980年代から90年代にかけてファミコンで大成功を収めた任天堂は,ゲーム機を子供が安心して遊べるものとして広く宣伝し,「ゲームは子供向けの玩具」というイメージはすっかり定着した。
日本のゲーム会社に大人向けのゲームを作る意欲が薄いのは,そんな既成観念が根強く生きているからだろうか。
セガゲームスの名越稔洋氏は著作「龍の宿命 『龍が如く』を作った男 名越稔洋」において,「龍が如く」の企画を立ち上げたとき,「極道を主人公にするゲーム」ということで社内会議では誰もが賛成しなかったことを記している。「メインターゲットである子どもに受け入れられないものを作って、売れるわけがない」と反対の声が湧き上がったという。日本のゲーム会社にとって,大人向けのゲームは未知の領域だったようだ。
それに対して,欧米のゲーム業界はコンシューマゲーム機ではなく,PCとともに発展し,ゲームを「玩具」ではなく「ソフトウェア」として捉えてきた。たとえば,Electronic Artsは創設当時,「コンピュータは人を泣かせることができるか?」というスローガンを掲げ,ゲーム開発者を「ソフトウェアアーティスト」と称した(出典元)。
ゲームは大人が使うソフトウェアだから,子供に不適切な表現を取り込むに抵抗が少なかっただろう。
「僕たちのゲーム史」の著者であるさやわか氏は,大人がテレビゲームをプレイしなくなった原因は,ゲームの物語化と画像技術の肥大化にあると論じた。同じゲームとはいえ,かつて熱中した「スーパーマリオブラザーズ」のようなゲームと,ストーリーとムービー演出に凝った「ファイナルファンタジーXIII」のような最近ゲームでは何もかもがかけ離れている。昔のゲームを楽しんできたゲーマーは,最近のゲームに違和感を覚え,プレイする意欲を失ってしまったのではないか,と推論する。
さやわか氏の見解は,確かに一理ある。
ストーリー要素が少なく,お手軽に遊べるスマホゲームは大人にも人気がある。だが,ストーリーとムービー演出を多用していても,深みのあるストーリーと豊かな感情描写があれば,大人のゲーマーにも魅力的に映るはずだ。「The Last of Us」や「Uncharted 4」のストーリーは,大人だからこそ深く共感できる。
アニメ調のデザインや中高生向けのゲームを非難するつもりは毛頭ない。中高生ゲーマーの期待に応えるのは,立派な仕事だ。筆者も10年前に「ファイアーエムブレムif」をプレイしていれば,さぞお気に入りの作品になっただろう。
だが,ひたすら若者に傾倒するようでは豊かな文化は育たない。日本のゲーム業界には,大人の琴線に触れるようなコンテンツ作りにも挑戦してほしい。
唐突だが,映画「シン・ゴジラ」を観た。ご存じの人も多いだろうが,ゴジラが悪い怪獣をやっつけるコミカルな内容ではない。子供がワイワイ楽しむというより,大人がじっくりと考えさせられる映画だった。
これまでゴジラ映画は,ファミリー向けの怪獣対決から,大人が唸るような政治ドラマまで,多彩なテーマを扱ってきた。大人のゲーマーを引きつけ,「ゲーム=玩具」という既成観念を覆すために,日本のゲームはゴジラ映画のように裾野を広げてほしい。
■■Jerry Chu■■ 香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。 |
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