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[GDC 2016]30年のゲーム開発を振り返り,13名の業界人がトークを繰り広げた「Flash Backwards 30 Years of Making Games」をレポート
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印刷2016/03/17 21:40

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[GDC 2016]30年のゲーム開発を振り返り,13名の業界人がトークを繰り広げた「Flash Backwards 30 Years of Making Games」をレポート

 今年で第30回を迎えた,ゲーム開発者会議の元祖であり,現在でも最大規模を誇るGame Developers Conference。次々とハードウェアやテクノロジー,ビジネスモデルが変化する中,第1回の20人から,現在の2万6000人もの参加者が集うビッグイベントへと成長してきた。

 そんなGDCでは,近年の慣習として水曜日早朝に「Flash Forwards」と題したセッションが行われ,イベントに参加する講演者達が,自分の講義内容について短く語るというのが近年の慣習になっていた。しかし今回は「Flash Backwards: 30 Years of Making Games」(さっと後ろを振り返って:30年間のゲーム開発)というタイトルで,業界の新旧のリーダー達が次々と登壇するというものになっていた。

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 GDCの前身となるComputer Game Developers Conferenceの発起人として,1988年に勤務先の異なる20人の仲間達を集めてゲームの理想について語り合う機会を持ったChris Crawford(クリス・クロフォード)氏をはじめ,13名が次々に繰り広げたトークの様子を紹介していこう。


Chris Crawford(クリス・クロフォード)氏

冷戦をテーマにしたストラテジーゲーム「Balance of Power」のゲームデザイナーとして頭角を現し,ゲーム開発者会議の発起人となる。「The Art of Computer Game Design」( 邦題:「クロフォードのゲームデザイン論」)はゲームデザインを理論化した業界初期の名著として知られている
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 「GDCが発足した当初,ハイエンドPCは今の15倍もする1万1000ドルだった」と,過去と現在の比較から話を始めたクロフォード氏。テクノロジーだけでなくゲーム市場も爆発的に広がってたことを数字で見せ,1980年代には「スタートレック」の中だけだったスマートフォンやタブレット端末などの新興市場が開拓されたと述べる。
 最後は自分が首を絞められている若かりし頃の写真を紹介した上で,「ゲーム産業は常に流動的で,変わりないのはボクの不人気だけ」と話していた。



Lori Ann Cole(ロリ―・アン・コール)氏

1980年代から90年代にかけてSierra On-Lineに在籍し,「Quest for Glory」のデザインを担当。社内結婚した夫と共に現在もゲーム開発を続けており,RPG要素の詰まったアドベンチャーゲーム新作「Hero-U: Rogue to Redemption」を制作中だ
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 Roberta William(ロベルタ・ウィリアム)氏やJane Jensen(ジェーン・ジェンセン)氏とともに,Sierra On-Line時代に活躍した女性ゲームデザイナーの1人であるコール氏。
 1990年代後半に「消滅した」と言われていたはずのアドベンチャーゲームが,今も形を変えて存続し,Telltale Gamesの「The Walking Dead」やDONTNOD Entertainmentの「Life is Strange」を筆頭に,再び活気を帯びていることを紹介した。



Greame Devine(グリーム・デヴァイン)氏

1990年に南カリフォルニアでTrilobyteを設立したデヴァイン氏の代表作は,インタラクティブ・ムービーを前面に押し出した「The 7th Guest」(1993年)や「The 11th Hour」(1995年)。「Quake III Arena」の開発に参加後,VR分野に進出している
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 デヴァイン氏の話題は,インターネットの接続が贅沢なもので,まだまだフロッピーディスクドライブが主流だった1990年代初期。CD-ROMの登場によってゲームのコンテンツ量が肥大化するとともに,Cyanの「Myst」やTrilobyteの「The 7th Guest」といった“グラフィックアドベンチャー”が生まれていった時代を回想する。さまざまな形態のデスクトップPCが存在した中で,Microsoftが主流となって推進した「Multimedia PC」がスタンダードとなったことで,ゲームビジネスに大きな革命が発生したと話していた。



Phil Harrison(フィル・ハリソン)氏

1992年にソニーのアメリカ法人に入社し,やがて久夛良木健氏に抜擢される形でSony Computer Entertainmentの発足に関わる。その後も長らくSony Computer Entertainment Europeを率いた。2012年にはMicrosoftへ移籍したものの,2015年に退職している
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 ハリソン氏は,1994年1月にラスベガスで初代PlayStationの制作発表が行われるまでの奮闘を回想していた。
 任天堂とのオーディオ関連の提携により,ゲームビジネスに参入し始めていたソニーが,久夛良木健氏のリーダーシップにより,日本から輸入するのに1個15ドルもしていたカートリッジではなく,CD-ROMを搭載したゲーム機PlayStationの開発に着手したのだ。まだRAMも高価だった時代だが,ゲーム開発者との協議の末,1MBから2MBに引き上げたことを例に,ゲーム開発者とプラットフォームホールダーの新しい関係が生まれていったのだと語った。



Raph Koster(ラフ・コスター)氏

1996年に北米で商業的にヒットした最初のMMORPG「Ultima Online」のデザイナーとしてゲーム業界で頭角を現し,その後もGDCではMMORPGジャンルにおいて活躍していた人物。現在もゲーム理論についての講義などを重ねている
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 当時「MUD」(Multi-Users Domains)という名称で呼ばれることの多かったオンライン型のテキストRPGは,コスター氏を始めとする熱狂的なファン達によって「グラフィックスを持ち込もう」という機運が高まっていく。
 そんな彼らが,それぞれの就職や起業をとおして生み出していったのが,1995年に商業リリースされた初のMMORPG「Meridian 59」や,「御三家」と呼ばれたヒット作「Ultima Online」「Everquest」「Ashron’s Call」などの作品群だ。良くも悪くも2004年の「World of Warcraft」の登場を以てMMORPGジャンルは崩壊したというコスター氏だが,そのDNAはTwitterやFacebookといったSNSに生きているのだと述べた。



Dave Jones(デイブ・ジョーンズ )氏

DMA Designのリードデザイナーとして「Lemmings」や「Grand Theft Auto」といった作品を生み出す。「Grand Theft Auto 2」を最後に離職したので,当初は高く評価されることはなかったものの,今も「Crackdown 3」の製作で精力的に活動を続けている
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 1988年にスコットランドの田舎町ダンディーに10人の有志によって設立されたDMA Designが,現在のゲームジャンルに大きな影響を与えるたった12枚の企画書を書いたのは,1995年のこと。今のシリーズとは大きく異なるトップダウン型のグラフィックスではあったものの,レースゲームではなくドライブゲームであり,レースコースではなく都市内部を走り回り,NPCの運転する車を乗っ取ったり攻撃できるというデザインが絡み合って,“オープンワールド”という新しい観念を持つ「Grand Theft Auto」ができあがっていった。
 ゲームデザインが複雑化した一方で,うまくやればゲーマー達が何百時間も居座れるオープンワールドの体験は,「ゲーム開発者にしか生み出せないもの」とジョーンズ氏は締めくくった。



Ken Lobb(ケン・ロブ)氏

1981年に,加賀電子の北米系列企業として発足したTaxanに就職して以降,NamcoやNintendo of Americaなどを渡り歩き,MicrosoftではXbox Liveでコアゲームの配信を勧めた人物としても知られる。「Killer Instinct」(2013年)のリードデザイナーも務めた
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 長い経歴を持つが,GDCで檀上に立つのは初めてと語るロブ氏が,Microsoftに入社したのは2001年のこと。2001年にローンチした初代Xboxのオンライン配信プログラムとして2002年に始動した「Xbox Live」は,当初は「Robotron 2084」のような古い2Dゲームを念頭に置いたサービスでしかなかったものの,2006年あたりから質の高いダウンロード専用タイトルがリリースされ始め,そのころから一気にユーザー数とライブラリーが増えていった。埋もれていくソフトを知ってもらうために,2008年に「Summer of Arcade」というセールスイベントを開催したのはロブ氏の発案であったという。



Chealsea Howe(チェルシー・ハウウィ)氏

ハウウィ氏は,2010年に大学を卒業後にZyngaに入社。一年目に追加フィーチャーのデザインやマトリックス分析の担当を任された「Farmville」が,Facebookユーザーの4人に1人がプレイしていたほどの人気作へと成長する。現在はElectronic Artsのモバイル部門に所属
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 大学を卒業して任されたプロジェクトが,すでに大きな話題になっていたソーシャルゲーム「FarmVille」だったというハウウィ氏。ファンの要望にタイムリーに応えていくことに専念していた彼女が,しばらくして気付いたことが,「ファンが声を上げて要求することと,実際にプレイするゲームのスタイルはまったく異なる」ことであったらしい。



Luke Muscat(ルーク・マスカット)氏

iPhoneプラットフォームだけで,3億ダウンロードを記録したという「Fruit Ninja」や,「Jetpack Joyride」といった作品のリードデザイナー。2015年には独立して仲間達とPrettygreatを起業する
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 ゲームなんて誰もプレイしていないようなオーストラリアの片田舎で生まれ育ったマスカット氏が,大都市ブリスベンで就職先を見つけたのは2007年のこと。当時は,家族のだれも,マスカット氏が何をしているのかも理解できず,自分の情熱と裏腹に家族に仕事内容を語る機会も減っていたという。
 しかし,タッチスクリーンを搭載したスマートフォンの台頭によって,子供や老人でも手軽にプレイできるゲームが登場し,操作体系を極端に簡略化させたマスカット氏の「Fruit Ninja」も大ヒットを遂げた。「今は誰でもゲームで遊べ,ゲームを作れる時代になっている」とマスカット氏は話していた。



Tim Schafer(ティム・シェーファー)氏

「Day of the Tentacle」や「Full Throttle」「Grim Fandango」といった1990年代のLucasArts Entertainment後期作品を手掛けたゲームデザイナー。Double Fine Productionsを率いて,「Broken Age」や「Massive Chalice」といった作品で精力的に活動中
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 ゲーム業界でも古参のシェーファー氏と言えば,2012年にKickstarterで目標額を大きく超える345万ドルを獲得し,ゲームビジネスにクラウドファンディングという新しい投資形態を取り入れる契機を作り上げた人物だ。
 シェーファー氏は,その発想は「Double Fineのゲーム作りに関するドキュメンタリードラマを作りたい」とアプローチしてきた,インディーズ映画製作者との会話の中で閃いたと話し,「ファンという新しいボスを持つことで,本来なら存在しないプロジェクトが世界に生まれる」と,今後の発展に期待を寄せていた。



Seth Killian(セス・キリアン)氏

現Sony Computer Entertainment Americaのゲームデザイナー。「ストリートファイター」の熱烈なファンとして2002年にゲーム大会を主催し,現在ではEVOとして知られるe-Sportsイベントを生み出す。2006年から2012年までカプコンで活動していた
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 キリアン氏が,サンフランシスコに程近いサンホゼで「ストリートファイター」の遊び仲間達を集めて,ゲーム大会EVO Championship Seriesを開いたとき,まだ北米には定期的に行われるゲーム大会というコンセプトはほとんどなかった。キリアン氏は,こうした熱狂的なファン達をサポートすることで,本来なら1年と持たないゲームの寿命を10年にも伸ばすことができると力説。
 e-Sportsは「ゲーム産業における再生可能エネルギー」と表現し,ゲーム大会の季節ごとに盛り上がりが復活するコミュニティにエールを送った。



Palmer Luckey(パルマ―・ラッキー)氏

大学に通い始めた18歳のときに,個人製作していたVRヘッドマウントディスプレイ「Rift」の存在が熱狂的な“VR仲間”達の間でウワサとなり,クラウドファンディングのキャンペーンに成功。2014年にはFacebookに20億ドルで買収されて,いよいよローンチも近づく
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 「3年前に初めてGDCに参加したとき,バーチャルリアリティを信じている人なんてほとんどいませんでした」と話すのは,このセッションの最後に登壇したOculus VRのラッキー氏。「まだVRを信じていない人も多いかも知れないけど,VRについて考えていない人はいないでしょう」と,来場者に向けて話す。
 「Rift」は3月28日にいよいよローンチされるが,「成功の前に,多くの失敗もあるはずだ」と兜の緒を締め直している様子で,現在のゲーム業界で最大のホットトピックと言えるVR時代の到来に備えていた。
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