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[CEDEC 2020]「ポストコロナ社会とVRとゲーム」聴講レポート。VRのこれまでとコロナ禍で10年がショートカットされた社会におけるVRとは
この講演では,東京大学先端科学技術研究センター 東京大学名誉教授 サービスVRプロジェクトリーダーの廣瀬通孝氏が,VRの歴史を振り返るとともに,昨今の新型コロナウイルス感染拡大がVR研究に与えるであろう影響に関して言及。そのうえで,東京大学のバーチャルリアリティ教育研究センターで進行中のサービスVRとオンラインVR研究の事例をベースに,今後のVR技術の方向性とゲームやエンターテインメント産業への展望を語った。
VRのこれまで
「バーチャルリアリティ」(VR)という名称が社会に登場したのは,1989年6月7日,VPL ResearchのVRプロジェクト「Reality Built for Two」(RB2)のデモが行われたときとのこと。当時,同社の社長だったジャロン・ラニアー氏は,「VR技術の発見は,新大陸の発見に等しい」とコメントしたという。
VR技術の革新的な部分は,それまでロジックや演算を中心に研究が進められてきたコンピュータサイエンスに,空間的・感覚的なものを持ち込んだことにあったと廣瀬氏は説明する。また,1989年は平成元年であることから,「平成の30年をかけてVRは成長してきた」とも表現していた。
VRの世界はディスプレイシステムと入力システム,シミュレーションシステムで構成されており,ほぼゲームと同じである。そんなVRの技術における重要なキーワードは,「臨場感」「インタラクション」「多感覚操作」の3つ。このうち臨場感はヘッドマウントディスプレイ(HMD)などを介してVR空間へ没入させることを指し,インタラクションはデバイスを介して人間とVR空間との双方向的なコミュニケーションを実現することを指す。
そして多感覚操作は,例えば人間は現実で何かに触れるとき,触覚だけでなくそのほかの感覚も使っているので,その一連の流れを再現するために必要となる。
VRは,1997年の東京大学のプロジェクト「CABIN」や総務省のプロジェクト「MVL:Multimedia Virtual Laboratory」あたりから,ゲームと離れ,シリアス方面に向かっていく。VRがエンターテイメントに回帰し,ゲームに近寄ってくるのは2010年代を待つことになる。
MRとウェアラブル
そうしたVRの流れと並行して,1990年代にはMRが登場した。廣瀬氏はMRを「完全なリアルと完全なVRの中間全体を表す」と表現。HMDやスマートフォンなどのデバイスを介してリアルの世界を見ると,バーチャルの視覚情報が重ねて表示されるARを含め,バーチャルとリアルをミックスした世界がMRであるとし,「屋外対応したVRがMR」と説明した。
廣瀬氏によると,日本はMRの先駆的な役割を果たしており,1990年代の後半に政府とキヤノンが共同で設立したエム・アール・システム研究所では,「Google ストリート ビュー」のような研究も進められていたという。
2000年前後には,コンピュータのモバイル化が進み,衣服を端末化したウェアラブルコンピュータも登場する。2005年の愛知万博には当初,屋外をそのままの状態で展示空間として活用する「領域型展示」の構想があり,ARとウェアラブルコンピュータを使って来場者に展示物などの情報を提供することも考えていたそうだ。
廣瀬氏はそれまで情報技術と建築技術はまったく別物だと考えていたが,この愛知万博のプロジェクトに携わったことにより,実は等価であることに気づいたという。残念ながら,領域型展示はあまりにも斬新なアイデアだったため愛知万博では実現しなかったのだが,廣瀬氏らはその後も技術的な研究を重ねてきた。
その代表例が,東京・秋葉原にある万世橋の過去の風景を追体験できるARアプリ「万世橋・交通博物館 思いでのぞき窓」だ。また最近では,広島が原爆投下からどのように復興してきたかを追体験できるプロジェクトも進行中とのことだ。
そしてVRが再び盛り上がってきた2016年には,ARを使った位置情報ゲーム「ポケモンGO」が登場。廣瀬氏は「ポケモンGO」を「非常にシンプルで,MRの入り口と言っていい」と表現し,「愛知万博の領域型展示もこういう形でやればよかったのか」と思ったことを明かした。また,こんなにもシンプルなMRが多くの人々を動かしたのは,そこにゲームとしての面白さやキャラクターの魅力があるからだとも話していた。
デジタルパブリックアート
話は戻って2000年代前半,廣瀬氏はVRとアートが急接近したとする。それまでVRは産業や経済によって推進されていたが,政府の提唱する文化立国の観点からアートに応用できないかという議論がなされ始めたのである。
そこで廣瀬氏らはメディアアーティストの岩井俊雄氏とともに,デジタルパブリックアートを手がけることとなった。通常,アートは美術館などに展示され,それを鑑賞する意思のある人の眼にしか触れないが,パブリックアートは六本木ヒルズの広場に設置されたオブジェ「巨大クモ・ママン」に代表されるように,屋外に置かれ不特定多数の人々に見られるなどの特徴を持つ。そのパブリックアートにデジタルの要素を盛り込もうというのが,このときの試みである。
この試みの最後には,羽田空港を舞台にしたプロジェクト「空気の港」が行われた。このプロジェクトでは,いくつかのデジタルパブリックアートが展示されたが,その中でもっとも評価が高かったのは「自針と分針 Please Watch Your Time」だったという。これは空港内に設置してある針のないアナログ時計の前に立つと,その人の姿がキャプチャされ,その姿が長針と短針として表示され時間を示すという作品。
評価の理由は,空港にきた誰もが確認する時計を題材にしたこと。パブリックアートは一般的に5%程度の人しか気づかないとのことで,その中でかなり高い認知度を誇った作品だったという。またプロジェクト全体も「アートであり,建築でもある」と高評価を得たそうだ。
五感情報技術
同じく2000年代前半,VR技術では「五感」の概念が重視され始めた。時を遡って1989年頃には,そうした感覚をきちんと研究するには心理学者が必要であると,すでに言われていたとのことだが,廣瀬氏ら技術者も心理学者も,VRにおける感覚と心理学がどのように結びつくのか理解し切れておらず,当時はうまくいかなかったそうだ。
2000年頃には,フランスの研究者であるアナトール・レクイヤー氏が「疑似触覚」を提唱する。疑似触覚とは例えば,PCのマウスを操作したときに画面上のカーソルがきちんと追随せず,止まってしまったりすると,マウスを動かす手に思わず力が入ってしまうような現象を指す。これを応用すると,マウスの動きに対応するカーソルの動きを緻密に調整することで,突起を乗り越えたり,あるいはツルツルやザラザラといったテクスチャを再現したりもできるのである。
疑似触覚の発見により,人間は視覚によって触覚を生成するなど,必ずしも感覚と感覚ディスプレイが1対1の関係ではないことに直面し,技術者たちは心理学の重要性を改めて認識することとなる。このように感覚間の相互作用を利用した「クロスモーダル」は,今に至るVR研究の大きな要素になっていると廣瀬氏は語った。
関連してVRでは,「リダイレクション技術」も重要な存在である。例えば六本木ヒルズを真面目にVRで再現すると,同じ広さの空間を用意しなければならない。そこで狭いスタジオ内で広い空間を再現するために,VR空間を歪めて錯覚させるのがリダイレクション技術である。
また,錯覚つながりでデジタルコンテンツ「扇情的な鏡」も紹介された。これはリアルでどんな顔をしていても,自分の笑顔が鏡に映るというもの。心理学的にも笑顔を見るとポジティブな感情が喚起され,ネガティブな感情は抑えられるという実験結果が出たという。
それはリモートミーティングも同じで,画面に映る相手が笑顔だと会話が盛り上がり,ブレインストーミングで出てくるアイデアが増えるという結果が出たそうだ。廣瀬氏は「気のせいと言われてきたことでも,実はリアルと密接な関係にある」と語った。
平成から令和へ
以上のようにVRは30年を経て進化し,その技術は第2世代に突入しつつあると廣瀬氏は話す。とくに2010年代前半に登場したOculus Riftは,それまでとは比較にならないくらいのコストパフォーマンスの高さに驚かされたとのこと。2016年頃にはVRブームが再燃し,ゲーム系の企業から廣瀬氏に対する問い合わせもあったという。
また第2世代のVRデバイスは,単に価格が安くなったわけではない。例えば視線検出機能により,実際に見ている方向だけグラフィックスを高詳細に描いてリソースを調整することも可能になった。
ほかにも,まばたきで目を閉じている瞬間に処理を行ったり,頭の動きを計測したりと,さまざまなセンサーが必要となっていくが,それらを1つにまとめられるHMDは「VRの今後にとって,非常に有望」とのこと。
そうした第2世代VR研究の波は東京大学にも訪れ,2018年にはバーチャルリアリティ教育研究センター(VRセンター)が設置される。同センターでのVR研究は心理学や医学などさまざまな学問を横断して行われているそうだ。
サービスVR
それでは第1世代(平成)と第2世代(令和)でVRはどう違うのか。廣瀬氏は第1世代を「製造業のVR」,第2世代を「サービス業のVR」と表現する。「昭和から平成にかけて製造業は日本においてもっとも強い産業で,VRを支援してくれた」としつつも,「今の世の中はサービスやプラットフォームといったビジネスモデルが新しい推進力になっている。そこに製造業に劣らない力を持たせようと,観光立国などと謳っていたところにコロナ禍が来てしまった」と説明した。
サービス業で使われるVRは人が対象となるため,対人スキルが重視される。また,VRはさまざまな体験型の教育訓練に使うことが可能で,例えば航空会社のフライトシミュレータはVRを導入することにより,コストの大幅軽減が期待できるという。従来の訓練対象はパイロットのみだったが,VRであれば客室乗務員や窓口スタッフなども対象にすることを検討しているそうだ。
体験のための身体
VRの世界では,1つの身体を複数の人間が動かすこともできる。例えば新米パイロットと教官が同じ操縦桿を握って,飛行機を操縦することも可能だ。こうした「融合身体」は身体スキルの学習に有効とのことで,とくに実際には指導者が誘導しているのに,学習者が「自分でやった」と思えることに効果があるという結果が出ているそうだ。ただ,なぜそうなるのかはまだ解明されておらず,心理学者とともに研究が進められているとのことだ。
ポスト・コロナ社会とVR
コロナ禍により,社会のさまざまな物事がロードマップの変更を余儀なくされているが,それはVRも例外ではない。廣瀬氏は,今回のコロナ禍を「令和最初の大イベント」と表現し,「この状況は1970年代のオイルショックに似ている」と説明を加えた。オイルショック後,日本は経済の中心をそれまでの重厚長大産業から,情報技術を駆使した知識集約型の軽薄短小産業に移行することで難局を乗り切った。
一方今回は,人と人とのコミュニケーションを分断する状況となったので,とくにこれから伸びるはずだった観光業や,あるいは飲食などの接客業はこれまでと同じ形で進めていくのは難しい。廣瀬氏は,「今回も産業構造の変化のような答えが出るといいのだが……」と希望を語った。
また廣瀬氏は,今の状況の中で急激かつ大きく普及した在宅勤務やオンライン利用に言及し,VRもまた時間と空間を超えることのできる技術として今後活用が期待できると語った。その一方で,現在のVRには「いまだ決定版がない」などの課題もある。そうした中で「使えるVR」「使えないVR」というある種の淘汰圧が生じるのではないかというのが廣瀬氏の見解で,それはゲームも同じとのことだ。
従来のVRシステムにネットワークシステムを加えた,オンラインVRシステムがここ数年で台頭してくるという予測もなされた。このシステムはゲームとも非常に相性がいいという。その意味では,オンラインのサービスVRトレーナーも近い将来登場する見込みだ。
おわりに
廣瀬氏は最後に,これまで描かれてきたVR技術のロードマップを示し,「2030年かもう少し先で,VRは脳科学やサイバー世界とつながると考えられてきた」と説明する。しかし今回のコロナ禍でこの先10年前後がなくなってしまったとし,「2030年には在宅勤務が普及するとも言われていたが,それが2020年に起きた今,もしかしたらVRが脳科学などとつながる日も近いのかもしれない。それだけ乱世になっている」と予測を述べた。
さらに廣瀬氏は,サイバー世界のインタフェースには神経を直接刺激するようなものも出てくるだろう,脳と身体の関係性についての活発な議論がなされていくだろうといった見解を示し,「一度見えてしまったものを,もう一度見えなくすることはできない」として「在宅勤務を知ってしまった人たちが出てきた中,技術者としては社会が新しい方向に向かうんじゃないかと期待している」と語り,講演をまとめた。
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