連載
おぞましいのに心惹かれる,そんなホラーの構造を解明する「ホラーの哲学」(ゲーマーのためのブックガイド:第20回)
「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
ホラーは,ゲームのジャンルとしてもすっかり定着した感がある。「バイオハザード」や「クロックタワー」「サイレントヒル」といったサバイバルホラーはお馴染みだし,「学校であった怖い話」や,そのリメイクを含む「アパシー 鳴神学園七不思議」のように,ノベルゲームにも工夫をこらしたものが多い。「SIREN」や「零」のように,映画におけるJホラーの意匠をまとったタイトルも,実況動画の隆盛と相まって支持を集めているし,最近では伊藤潤二氏のホラーコミックに影響を受けた,ポーランド製のローグライトRPG「恐怖の世界」が話題を呼んだのも記憶に新しい。形式を問わず,やはりホラーには時代を超えて人を引きつける魅力があるのだ。
こうしたホラーの構造を明快に分析する書籍が,ノエル・キャロル氏の「ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス」だ。
「ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス」
著者:ノエル・キャロル
訳者:高田敦史
版元:フィルムアート社
発行:2022年9月24日
定価:3200円(+税)
ISBN:9784845919208
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「ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス」紹介ページ
ゲームへの直接的な言及があるわけではないが,本書にはホラーゲームをいっそう楽しむためのヒントが詰まっている。そもそも,「バイオハザード」からしてジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968年)をはじめとしたゾンビ映画から強く影響を受けているのは明らかだし,「サイレントヒル」はもともとスティーヴン・キング「霧」(1980年)をゲーム化する企画から出発した,という逸話がよく知られている。これらのゲームが後にハリウッドで何度も映画化されている事実からして,ホラーゲームと映画や小説は切っても切り離せない関係にあるのだ。
ホラーの歴史を綴る本はたくさんあるが,本書が注目するのは機能そのものだ。「フィクションとしてのホラー」をアートホラーと定義し,作り物だと分かっているからこそ,それを楽しめるという観点から,さまざまな論点を探っていく。
著者は,アートホラーに登場するモンスターの特徴について,「分裂と融合」「境界の侵犯」が重要だと説明する。
例えば人狼は,本来は別個の存在である人間と狼がふとしたきっかけ――例えば満月を見るなどで融合し,異質な存在へと変化することで,見る者に“それまでの常識が脅かされる”感覚をもたらしている。H・P・ラヴクラフトの描く“名状しがたき”姿をした邪神達もまた,その最たるものだ。なにせもっとも知名度の高いクトゥルーなぞは,そのものずばりタコと蝙蝠と巨人を合体させたような外観なのだし。
ただ,単に不快なだけでは,それがそのままアートホラーになるわけではない。アートホラーは観るものを嫌悪させつつ,惹きつけもしなければならない。ゆえにキャロル氏は,フィクションに対峙するときの心理的な機能を,順を追って分解していく。根幹にあるのは,我々がフィクションを享受するときに,それが架空であるという“不信の念”を,いったん自発的に棚上げし,“停止”させるプロセスだ。
ゲームを例に,氏の考えを整理してみよう。
「バイオハザード」では,プレイヤーは怪しげな洋館に追い詰められ,その中をウヨウヨしているゾンビと対峙するシチュエーションが提示される。ゾンビが恐ろしいのは,退路を絶たれた状態で,死んだはずの人間が動いて襲いかかってくるからだ。しかし倒せないほど強力な存在ではなく,慣れてくるとそれほど怖くなくなる。そうして探検を進めるうちに,どうしてゾンビが存在しているのか,その真相が少しずつ明らかになってくる。つまり本当の恐怖は,むしろその真相にあるという二段構えなのだ。
「クトゥルフ神話TRPG」でプレイヤーが演じる探索者は,好奇心にかられてオカルト的な事件の調査を開始するが,そのうち我々が知る日常の裏に,理性では捉えられない邪神達の,宇宙的スケールの陰謀があることに気付かされる。こうした“真実”に深入りすればするほど探索者は正気を失い,社会から隔絶された存在となっていく。“考える”プロセスの積み重ねによって芋づる式に恐怖が引き出されていく過程が,ゲームシステムによってモデル化されている。
まず何らかのモンスターが“登場”し,次に登場人物がそれを“発見”する。登場人物はモンスターの実在を最初は疑うが,徐々に“確証”を抱くようになり,最後にそれと“対決”する。「バイオハザード」も「クトゥルフ神話TRPG」も,この繰り返しによってプロット(筋書き)が作られている。その過程においてプレイヤーもまた“不信”を棚上げし,モンスターの存在を疑わなくなる……と,同時に恐怖も薄れていく。
つまり,ホラージャンルにおける効果的な“不信の自発的停止”には,このプロットこそが重要なのだ。小説でも映画でも,むろんゲームであっても,ホラーにおいては特定のプロットが頻繁に繰り返される。キャロル氏はそのパターンを14種類に区分し,それらを組み合わせた「複合型発展プロット」を提唱している。
面白いのは,観客と登場人物が同じ感情を共有する必要は,必ずしもないと説明される点だ。提示された状況に登場人物がどう反応するのかを想像できさえすれば,アートホラーは楽しめる。主人公がどんなに恐怖していても,観客まで青ざめることはないはずだ。それはもはや,楽しめているとは言い難いだろう。
このように,キャラクターとプレイヤーの間には心理的な距離が横たわっている。これが大事で,アートホラーはこの距離を利用してさまざまな仕掛けを打つのである。
よく使われるのが“サスペンス”の導入だ。謎を伏線としてプロットに盛り込むことで,シーンに緊張をもたらすのだ。その回収は,必ずしも論理的である必要はない。ガチガチの論理で解決してしまう謎なら,ホラーではなくミステリーになってしまうのだから。
続いて,“ゆらぎ”と“転覆”の意義が解説される。アートホラーはしばしば,置かれた状況が嘘八百ではないのかもしれないという疑念を観客にもたらす。こうした現実と虚構の境界線をゆさぶるのが“ゆらぎ”と“転覆”の効果だ。
千葉県の田舎町が舞台の「恐怖の世界」では,1980年代のアドベンチャーゲームを模した雰囲気が徹底されている。ご丁寧にモノクロのビジュアルを採用し,レトロな感覚を強調しているわけだ。にもかかわらず,昔の都市伝説などから採ったネタは現代的にアレンジやリニューアルが施され,プレイするうち,いつそうした怪異が発生していてもおかしくないと思えてくる。現実が“ゆらぐ”感覚が体感できるわけだ。
「学校であった怖い話」は,怪談の百物語をそのままゲーム化した構造をとっている。伝統的な怪談とは違い,プレイヤーの選択によって展開は変わっていく双方向的なメカニクスが特徴的だが,“百物語を最後まで語ると実際に幽霊が出る”という,怪談の聞き手を安全地帯から引きずり下ろすような構造が,かなり強く意識されている。これが“転覆”だ。
本書において,アートホラーの魅力は“発見”と“確証”が織りなす認知的なドラマにこそあり,その機能は「複合型発展プロット」がもたらす“ゆらぎ”と“転覆”によって補強されていると語られる。ホラーがどこまで時代精神を反映するか,あるいはメッセージや教訓を読み取るのが正しいのか,という問いにも回答が用意されている。哲学書にありがちな抽象的な議論で煙に巻く,逃げ腰の姿勢とは無縁である。
ホラーゲームのデザインや批評をしてみたいという人に限らず,フィクションの仕組みや認知のあり方に関心のある方は,座右に置いて損はない。
「ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス」紹介ページ
■■岡和田 晃(翻訳家,文芸評論家)■■
ホラー&ダークファンタジー専門誌「ナイトランド・クォータリー」(アトリエサード)の編集長として,英語圏を中心とするアートホラーをシャワーのように浴び,A・メリット「窖(あなぐら)に棲まう地底人」(Vol.32)等,一部は自分で翻訳も手掛ける。ゲーム関係の仕事も多く,2023年には「モンセギュール1244」(ニューゲームズオーダー)や「メイキング・オブ・アサシン クリード 15年の軌跡」(グラフィック社)の翻訳に参加した。
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