インタビュー
Wizardryは今も日本で進化し続ける―――シリーズ最新作「ウィザードリィ外伝 五つの試練」Steam対応版の開発者にインタビュー
その後ファミリーコンピュータ版(1987年)で,当時のウィザードリィの常識を打ち破る斬新なカルチャライズが施され,日本における知名度が一気に広がることになる。さらに,日本独自展開となる「ウィザードリィ・外伝」(1991年)もシリーズ化され,そのブランドは盤石のものとなった。
「エンパイア」や「エクス」,「サマナー」,「BUSIN」などウィザードリィの名を使っている日本独自の作品群はもちろん,「世界樹の迷宮」「エルミナージュ」「デモンゲイズ」「剣と魔法と学園モノ。」「迷宮クロスブラッド」「剣の街の異邦人」などの進化系Wizと呼べるものまで含めると,さまざまなダンジョンRPGが各社から登場しており,日本では一定の人気を集めるジャンルとなっている。その源流がウィザードリィであることに異を唱える人はいないだろう。
そんなダンジョンRPGのシリーズ最新作が,このたび新たに登場する。それが「ウィザードリィ外伝 五つの試練」Steam対応版である。
実はこれ,完全新作というわけではなく,2006年に発売された同名タイトルのリニューアル版だ。しかしプログラムは完全に作り直されているほか,ユーザーインタフェースを刷新し,末弥 純氏によるモンスターグラフィックスも1枚1枚描き直されて高解像度に対応するなど,2021年に登場するPCゲームにふさわしい仕様となっている。
また,一口にウィザードリィといってもその内容は千差万別なのだが,本作はオリジナルの時点で“原点回帰“を標榜していた作品であって,昔ながらのファンにとっても要注目の一作であることは間違いない。
そして,この「五つの試練」がファンにとって見逃せない大きな理由はもう一つある。
前述のように,日本で独自進化を遂げたウィザードリィの中でも名作の誉れ高い作品といえば,恐らく誰に聞いても名前が挙がるのが,ゲームボーイ版の“外伝”シリーズだろう。そして「五つの試練」は,その外伝シリーズにおける中心人物でもあった徳永 剛氏と金田 剛氏が開発作業を行っているのだ。
そこで今回4Gamerは両氏に取材を行い,過去のシリーズ作も含めたっぷりと話を聞いてきた。時世を鑑みチャットのインタビューとなったが,以下の本文はそれを読みやすく再構成したものとなっている。
ウィザードリィの日本独自展開における第一人者である両氏が,ここまで多くを語ったのは今回が初かもしれない。長らくウィザードリィから離れている歴戦の冒険者も,ぜひ最後まで目を通してほしい。
59Studio 代表
ウィザードリィの代表作:「外伝1〜3」「戦闘の監獄」
・徳永 剛氏:
「五つの試練」メイン開発者
ウィザードリィの代表作:「外伝2〜4」「DIMGUIL」「戦闘の監獄」
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。
今回は「ウィザードリィ外伝 五つの試練」だけでなく,お二人がこれまでウィザードリィにどのように関わられてきたのかも含め,時間の許す限り詳しく聞かせてください。
金田 剛氏(以下,金田氏):
分かりました。どのあたりから話しましょうかね。
4Gamer:
せっかくなので,お二人がゲームに興味を持たれたきっかけから,順にお願いしてもいいですか?
金田氏:
私は幼少期の頃から根っからのゲーマーで,お小遣いは全部ゲームセンターに消えてしまうような日々を過ごしていました。そして小学6年生のとき,お年玉で雑誌の「I/O」(アイオー)※1を買ったのがきっかけで,パソコン※2にも興味を持つようになったんです。
地元のパソコンショップに入り浸り,高校生になる頃には,そこでゲーム開発のアルバイトもしていました。
※1
日本初のマイコン専門誌。1976年10月創刊。名前の由来は「Input/Output」で,いまIT業界にいる年齢高めの人達は,みな子供のころお世話になっているのでは……。
※2
今で言う「パソコン」が登場したばかりのこの時代,まだPCは「マイコン」(マイクロコンピュータの略)と呼ばれていた。NECのPC-8001,松下電器のJR-100,富士通のFM-7,シャープのMZ-80K……などが電器屋さんの店頭を賑わせていた1970年〜1980年代には一般的だった呼称だ。ちなみにこのころの社会人の初任給は大卒で10万円くらいで,マイコンは1台が20万円弱。
4Gamer:
当時はパソコンショップが自前でゲームを開発して,そこから会社として大きくなっていったケースがありましたね。有名なところだと,日本ファルコムとか。
金田氏:
そうなんですよ。本業でパソコン本体を売りつつ,ソフト開発で副収入を得るというのは,ショップにとっても美味しいビジネスモデルだったと思います。しかもショップに来る客が,プログラムまで作ってくれるわけですから(笑)。
私もそういった客の1人で,どんどんゲーム開発にのめり込んでいきました。その当時,Apple II版のウィザードリィにも触れていたのですが,英語版だったので面白さがさっぱり分からなかったですね。
4Gamer:
Apple II版が発売された1981年の時点では,ほとんどのゲーマーにとって“コンピュータRPG”は未知のジャンルでした。英語版であることを差し引いても,とっつきにくさを感じてもおかしくなさそうです。
でも,その後に新卒でアスキーに入社して,ファミコン版の1※3に触れたときも,あまりピンと来なかったんですよ。キャラクターを作ってパーティを組んで,地下に潜るという一連の流れも,正直いって面倒くさいなって(笑)。
※3
日本におけるウィザードリィの人気を決定付けた一作。BGMに羽田健太郎氏,モンスターイラストに末弥 純氏を起用し,ゲームの内容とバランスはそのままに,ディスクアクセスのない家庭用ゲーム機で,素晴らしいダンジョンRPGが楽しめた。ほぼ同じタイミングで「ファイナルファンタジー」が発売されてしまい,やや影に隠れてしまったのが悔やまれる。
4Gamer:
では,そんな金田さんが,どういった経緯で開発者としてウィザードリィに関わるように?
金田氏:
アスキーの開発部でいくつかのタイトルを担当したあと,ゲームボーイ向けのウィザードリィの開発プロジェクトが立ち上がったんです。そこにプログラマとして配属されました。
つまり,最初からウィザードリィが好きで好きで仕方ないという程ではなかったんです。せっかくのインタビューなので,劇的な出会いのエピソードなどを話せれば良かったんですが,なんだかすみません(笑)。
4Gamer:
いえ,そういった状況で開発者として参加して,あの外伝1でメインプログラマの重責を果たしたのはすごいなと思いました。
外伝1に関しては後で詳しく聞きますので,いったん徳永さんのお話もお願いします!
徳永 剛氏(以下,徳永氏):
私は子供の頃から,もっぱらパソコンゲーム専門でした。
当時はダンジョンRPGのジャンルが盛り上がっていて,PC-8801版のウィザードリィをはじめ,「ザ・ブラックオニキス」※4「ザ・ファイアクリスタル」など,どっぷりとハマっていましたね。
※4
日本におけるコンピュータRPGの最初期の名作で,最初はPC-8801用として発売された。ゲームデザイナーは,ザ・テトリス・カンパニーのヘンク・ロジャース氏(※関連記事)だ。「ザ・ファイアクリスタル」はその続編。イロイッカイズツ。
4Gamer:
当時のダンジョンRPGは謎解きが難しいうえ,攻略情報を探すのも苦労しました。徳永さんにとって,どういった部分がハマる要因だったんでしょうか。
徳永氏:
確かに難しかったですが,それだけに,クリアしたときの快感がたまらなかったですね。ハードルが高ければ高いほど燃えるタイプといいますか,試行錯誤そのものを楽しんでいました。
今でこそ,ネットで調べれば攻略情報は一発で分かりますが,攻略のプロセスを楽しむという意味では,ちょっと寂しい部分も感じます。当時を振り返ると,私は幸せな時代に生まれたんだなと思いますね。
4Gamer:
その流れで,自然とゲーム業界にも興味を持たれたのでしょうか。
徳永氏:
はい。パソコンゲーム,とくにダンジョンRPGものに関わる仕事に就きたいとは考えていました。となると,やっぱりウィザードリィを展開するアスキーしかないなと。そして金田さんの2年後くらいに,新卒で入社しました。
アスキーでは最初は宣伝部に配属され,古くからのウィザードリィファンならご存じであろう須田PINさんと一緒に仕事をしていました。
4Gamer:
須田PINさんはウィザードリィの伝道師として,雑誌などにも多く登場されていましたね。
徳永氏:
当時の宣伝部のメンバーは,みんなウィザードリィが大好きで。
外伝1に「歴戦の鎧」※5というレアアイテムが登場するのですが,これがどうしても入手できなかったんです。それを見かねた須田PINさんが,外伝1のキャラクタ転送機能を使って,アイテムを譲ってくれたのを今でもよく覚えています。
※5
呪われたアイテムなのでコレクションにしかならないが,とにかくレア。
4Gamer:
宣伝部にいた徳永さんが,どういった経緯で開発者になったんでしょうか。
徳永氏:
当時のアスキーは,リリースされるタイトル本数にばらつきがあって,宣伝部のスタッフが手持ち無沙汰になることがありました。また,社内には開発や販売だけでなく,出版などを含めた多数の部署があり,横のつながりも結構あるんですよ。
そういったなか,何か自分に手伝えないかと積極的に動いていたら,開発部でユーザーサポートの人手が足りないことが分かり,異動希望を申請しました。最初は,たとえばパソコン版の「Bane of the Cosmic Forge」(BCF,通称6)※6が起動できないというお客様に対し,Config.sysの書き換え方法を教える業務などを行っていました。
※6
#5までの,古き良き3DダンジョンRPGから大きく趣を変えた,新時代のWizardry。タイトルには「#6」と入っていないため,一般的にはBCFと呼ばれる。壁面にもグラフィックが描き込まれ,モンスターはアニメーションし,種族も魔法体系も大きく変わった。今でもGOG.comやSteamなどで遊ぶことができる。
そうこうしているうちに開発部の人達に顔を覚えられて,外伝2のプロジェクトが立ち上がるタイミングで,「そんなにウィザードリィが好きなら,開発もやってみない?」とお声掛けしていただきました。
4Gamer:
やっぱり遊ぶだけでなく,直接開発したいという想いもあったのでしょうか。
徳永氏:
そうですね。当時は憧れの仕事に就くことができて,とても嬉しかったです。
「ウィザードリィ・外伝1 女王の受難」
(ゲームボーイ,1991年)
それでは,ここからは各タイトルのエピソードを順番に聞かせてください。
まずは外伝1ですが,これは携帯機であるゲームボーイ向けに初めて発売されたウィザードリィです。従来のような移植作ではないオリジナルの作品で,しかも当時のアスキーは,スーパーファミコン版「5」の開発作業も並行していました。
外伝1の開発環境は見るからに大変そうですが,金田さんから見て,当時はいかがでしたか?
金田氏:
ゲームボーイは対象年齢層が比較的低く,外伝1の最初のコンセプトは,彼らに向けた「入門用のウィザードリィ」というものでした。ファミコン版ウィザードリィの販売成績は好調でしたが,長期的に考えると,新たなプレイヤー層を開拓する必要性もありましたので。
ところが,ゲームボーイ向けの仕様を突き詰めていくうち,携帯ゲーム機とウィザードリィの親和性が思いのほか高いことが分かったんです。プロジェクトを立ち上げた三田さん(編注:元アスキーの三田 浩ディレクター)や,開発協力をしていただいたゲームスタジオ※7の皆さんも根っからのウィザードリィ好きなので,次第に従来のファンも取り込む方向へとシフトしていったのを覚えています。
※7
かつて存在したゲーム開発会社。あの遠藤雅伸氏が代表をつとめており,ファミコン版ウィザードリィだけでなく,「イシターの復活」や「カイの冒険」など名作に多く携わっていた。現在ある同名の開発会社「ゲームスタジオ」は,紆余曲折あって流れを引いた別会社……となるのだが,遠藤氏ら主要スタッフは現在も在籍している。
4Gamer:
外伝1は,最初のボスモンスターを倒す地下6階までは比較的易しめでしたが,その先に同規模のダンジョンがあって,そちらは一転して歯ごたえのあるものとなっていました。確かに,未経験者と経験者の両方が楽しめるバランスだったと思います。
ちなみに,改めてエンドクレジットを確認してみたんですが,外伝1のプログラマは金田さん1名だったんですか……?
金田氏:
音楽やデータの打ち込みは別の人が担当していますが,ゲームプログラミングという意味では私一人でしたね。アスキーに就職するまではパソコンでしか開発をしたことがなかったので,最初は大変でした。
というのも,外伝1の基本システムはパソコン版の「5」がベースになっているのですが,このプログラムが書かれている言語のPascalに私は精通していなかったんです。※8
そこで,三田さんがウィザードリィのロジックを日本語でドキュメント化してくれて,それを参考にプログラムをゼロから作りました。そのため外伝1はロジック以外,すべてオリジナル設計となっています。
※8
オリジナルであるApple II版のWizardryも,Pascalで書かれている。
4Gamer:
あのプログラムを,ゼロからですか……。
ゲームボーイ版ではメッセージが4行しか表示できてなかったですし,解像度や色数などの制約も大きかったんですよね,きっと。
金田氏:
ええ,そうですね。
外伝1の戦闘画面ではモンスターが2体表示されますが,実はこれはまともなプログラム手法では実現不可能なんです。スプライトだけでなく,本来なら背景に用いるBG(バックグラウンド)も用いてモンスターを随時入れ替えるなど,無理矢理に動かしていました。
徳永氏:
私が開発部に来たとき,ゲームボーイ版ではダンジョンの内部を線ではなく画像として描画していたのに驚かされました。ただでさえ少ないゲームボーイのROM容量で,よく実現できたなと。
金田氏:
一方で,戦闘中に魔法エフェクトを盛り込むなど,演出面にもこだわりたかったのですが,それらはすべて三田さんに却下されました。三田さんは,ウィザードリィとしての手触り感を大事にしていて,それが少しでも損なわれる要素はいらないというスタンスだったんです。
私は当時,「せっかくカッコいいエフェクトを作ったのに……」とガッカリしていたのですが,いま振り返ると確かにウィザードリィには不要でした。
「ウィザードリィ・外伝2 古代皇帝の呪い」
(ゲームボーイ,1992年)
続いて,翌年の1992年には「外伝2」が発売されます。
このタイミングで,ユーザーサポート業務を行っていた徳永さんが,ディレクターとして参加されていますね。
金田氏:
外伝1が各方面で高い評価をいただいたので,社内ではさっそく続編を作ろうということになりました。
私はプログラマに加えて,プロジェクトを管理する立場でもあったので,最初にスケジュールや予算,売上予測などを立てるわけです。で,今回は外伝1という手本があるので,それほど大きな手間を掛けずに進められるだろうなと。
また,“ウィザードリィ好き”という触れ込みで徳永さんがやってきたので,彼にシナリオなどを任せようと考えていました。
4Gamer:
実際に開発スタッフとして参加された徳永さんにとっては,どんな印象だったんですか?
徳永氏:
最初はシナリオの執筆やマネージメント全般など,開発業務のかなりの部分を担当しろと指示されて驚きました。確かに,今回は外伝1という手本があったものの,プログラムひとつを取ってもそのまま使うわけにはいきません。せめてシナリオは,外部の専門家にお願いしたいと申し出ました。
金田氏:
当時は,そのことで揉めましたね。私としては,徳永さんが来て作業工数を抑えられると期待していたのに,シナリオライターさんを起用したいと言い出すわけですから。
4Gamer:
取材に向けて下調べを行っている最中,外伝2の際に「徳永さんがシナリオを作りたいと希望していたけど却下された」という逸話も目にしたのですが,ちょっと食い違ってますね。
金田氏:
むしろ,逆ですよ。
4Gamer:
なるほど。最終的に,外伝2のシナリオはベニー松山さんが担当されていますが。
当時のベニー松山さんはゲームの攻略方面で有名で,またご存じのとおり,ウィザードリィの小説「隣り合わせの灰と青春」も執筆されています。まだ学生でしたが,「WIZ91」(※ウィザードリィ10周年記念で開催されたオフラインイベント)でお会いしたところゲーム業界にもお詳しいことが分かり,開発前にあらためて打診しました。
ただ,社内ではシナリオライターさんを起用する許可が下りたものの,プロジェクトとしてのスケジュールや予算などは決まっており,そこまでは変えられなかったんです。
そういったなか,ベニー松山さんの負担を少しでも減らせないかと思い,マップデザインや宝箱のデータ作成を担当したものの,結果的にご迷惑をお掛けしてしまいました。
4Gamer:
予算などの問題を外部に話すわけにもいかないですしね。心中お察しします。
でも,結果としてリリースされた外伝2は,ゲームバランスを含めて非常によくまとまっていたと思います。個人的には,ゲームボーイの外伝シリーズで最も好きな作品です。
金田氏:
そうですね。当時の私は管理職として反対しましたが,発売後の評価などを見ると,ベニー松山さんを起用するという徳永さんの判断は正しかったです。
「ウィザードリィ・外伝3 闇の聖典」
(ゲームボーイ,1993年)
4Gamer:
その次の「外伝3」では,徳永さんがディレクターだけでなく,ペンネームのAgan-Ukot名義でシナリオ制作までも兼務しました。※9
徳永氏:
外伝2よりも更に納期と予算を削られて,いよいよ内製でやるしかないという状況でしたね。私も腹をくくりましたが,それだけに,思いっきりやれたという手応えがあります。
ゲームバランス等で詰めが甘い部分があるものの,今も一番好きなウィザードリィですね。
4Gamer:
外伝3はゲームシステムやストーリーなどで,チャレンジングな試みの数々が印象に残っています。まさか,あのリルガミン※10が崩壊するとは。
※10
ウィザードリィ#1から存在する街の名前
徳永氏:
当時は,ゲームとしての新たな“売り”をどうやって作ろうか四苦八苦していました。普通にシリーズ作を続けるとマンネリ化してしまい,一方でファンの要求も次第に高まりますから。
そういったなか,「廃墟になったリルガミンを,実際に歩き回れたら新鮮だろうな」と思いついたんです。皆さんの思い入れがある場所なのでおこがましさを感じつつも,インパクトを出したくて,あのようなシナリオになりました。
また,私はBCFや「Crusaders of the Dark Savant」(CDS,通称7)※11も好きなので,あれに登場する種族や職業,屋外マップなどの要素も取り入れたいな,と。軽い気持ちで企画した結果,データ量が膨れあがり大変な目に遭ってしまうわけですが……。
※11
BCF同様ナンバリングが振られていないが,実質7作目。通称「CDS」。BCF同様の,旧来作から大きく趣を変えた作品であるだけでなく,ゲーム序盤から宇宙船やら別な星やらが登場し,SF色が非常に強くなっているのが大きな特徴。今でもGOG.comやSteamなどで遊ぶことができる。
4Gamer:
BCFのパソコン版がリリースされたとき,従来のファンから大きな反発があったことを覚えています。シナリオも含め,外伝3で意欲的な要素を取り入れることに対し,プレッシャーなどはありましたか?
個人的には,あくまで外伝シリーズなんだから,そのときの開発者が自由に作ればいいと思っていますが。
徳永氏:
長年人気のあるシリーズは,ファンにとって愛着があるものです。やっぱり,意欲的な新要素を入れると決めた時点で,抵抗を感じる人が出てくるのは覚悟しなければならないでしょうね。
4Gamer:
なるほど……。
あとは外伝3といえば,対戦機能も印象に残っています。
徳永氏:
ありましたねぇ。予算も時間もROM容量もないなか,作るのに苦労したのをよく覚えています。
金田氏:
当時の外伝シリーズは,続編を作るたびにデータ量がどんどん増えていきました。一方で,ゲームボーイ用のROMの製造原価は,ちょっと容量が上がるだけで数百円も高くなってしまうんです。
徳永氏:
しかも,ROMの製造原価が上がっても,パッケージの販売価格はそう簡単には変えられません。じゃあどうするかというと,開発費を削減するしか手は残されていないんですね。外伝シリーズの後期は,どうやってコストカットするかで悩みっぱなしでした。
4Gamer:
外伝シリーズは毎回ボリュームがたっぷりで,いちプレイヤーとしては単純に楽しんでいましたが,開発する側は色々と苦労をされていたのですね。
金田氏:
あとは,外伝3が発売される頃は,ゲームボーイの市場もかなり縮小していて,販売本数の面でも苦戦を強いられました。
でも,外伝3のプロジェクト終了後に発売された「ポケットモンスター 赤・緑」(1996年)が大ヒットして,ゲームボーイの市場が復活するんです。この時私はもうウィザードリィの開発現場から離れていましたが,もし当時のノウハウを引き継ぐ人が社内にいたら,「外伝4」以降もゲームボーイ向けに展開していたかもしれません。
4Gamer:
この頃の金田さんは,どういったお仕事をしてたんですか?
金田氏:
ウィザードリィでは,どちらかというと管理職寄りの仕事でしたね。また開発者としては,「ダービースタリオン」につきっきりの状態でした。
4Gamer:
そういえば,当時はダビスタのシリーズ作が毎年のように※12リリースされていましたね。
※12
1991年 FC,1992年 FC,1994年 SFC,1995年 SFC,1996年 SFC,1997年 PS1,1998年 SFC,1999年 PS1,1999年 SS……などなかなかの制作ペースだ。改めて見たら,こんなにあったとは。
金田氏:
それだけ,アスキーの経営状態が厳しかったんです。私だけでなく,開発部のスタッフが総出でダビスタに取り組んでいましたから。
開発作業がピークを迎えていたある日,いきなり社長に呼び出されたんです。「おい,もしコレ(ダビスタの新作)の発売が遅れたら,うちは潰れるからな」って(笑)。
徳永氏:
社内の空気も「ウィザードリィ? よそで作ってくれよ」といった感じで,私としては肩身が狭かったですね。仮に新たなプログラマが名乗り出ても,きっと周りから白い目で見られていたでしょうし。実際,その後の外伝シリーズの開発作業は,社外に委託するようになりました。
「ウィザードリィ外伝4・胎魔の鼓動」
(スーパーファミコン,1996年)
そして外伝4では,プラットフォームがゲームボーイからスーパーファミコンに変わりました。
ゲームボーイと比べると,スペック的にはだいぶ楽になっていそうですね。
徳永氏:
ROMの容量不足に悩まされなくなったという意味では,本当に助かりました。ただ,同じ年にNINTENDO64が登場するなど,スーパーファミコンの市場も急速に縮小していたんです。先ほど,ポケットモンスターでゲームボーイが盛り返した話がありましたが,外伝4は色々とタイミングが不運でしたね。
4Gamer:
確かにそうかもしれませんね……。外伝4といえば,なんといっても和風+ホラーの世界観が強く印象に残っています。
徳永氏:
これまでの外伝シリーズとは,舞台を思いきり変えたいと思ったんです。そこで個人的に好きなホラー映画に着目しました。
そして日本人のプレイヤーに対しては,ファンタジーよりも和風テイストにしたほうが,ホラーの怖さが響くだろうなと。その結果,ああいったユニークな形になりました。
4Gamer:
最初は「これがウィザードリィなの?」と思ったのですが,考えてみたらWizって,#1の頃から和洋折衷なんでもアリでしたよね。ファミコン版のカルチャライズが見事だったので,超正統派の西洋ファンタジーのようなイメージを抱いてしまいがちですけど。
徳永さんにとっては,外伝4のような作品を手掛けたことで,シナリオ制作などにおいて吹っ切れたような部分もあったんでしょうか?
徳永氏:
確かに吹っ切れましたね(笑)。
シナリオ面でも,外伝3の頃から温めていたどんでん返しを仕込めたので満足です。
4Gamer:
最後の最後で,実は外伝3につながっていることが明らかになるんですよね。
徳永氏:
ええ。「リルガミンを滅ぼした大本の原因は,お前たち“冒険者”にあるんだ!」というアイデアは,外伝3の開発時から考えていました。自分ではかなり手の込んだ仕掛けだと思っていたのですが,発売後にそのことを褒めてくれる人が全然いなくてショックでした(笑)。
「ウィザードリィ 〜 DIMGUIL」
(プレイステーション,2000年)
外伝4の次は,プレイステーション向けに「ウィザードリィ 〜DIMGUIL〜」(ディンギル)を手がけられています。これまでとは違って,“外伝”の看板が外れていますが。
徳永氏:
ダビスタのくだりでも話しましたが,アスキー社内でウィザードリィの開発を続けるのは,もう無理だったんです。また私個人も,ほかのタイトルに関わるようになって,ウィザードリィに専念できない状態になっていました。恐らくですが,開発スタッフも様変わりしていたので,外伝の看板を外したのかなと。※13
※13
とはいえ,パスワード方式で外伝4のキャラクターを“転生”できたりして,実質「外伝」の流れを引く作品ではあった。そしてアスキー最後のウィザードリィでもある名作。
4Gamer:
徳永さんは,DIMGUILにはどういう形で関わったんですか?
徳永氏:
DIMGUILのプロジェクトが最初に立ち上がったとき,私はシナリオ制作のみで関わり,ディレクターなどの業務はほかの人が担当するという条件でした。ところが,あれよあれよと状況が大変になり……。最後は私がディレクターまで引き継ぐ形になってしまいました。今でも大っぴらに言えないようなトラブルが続出して,本当に難産といえる作品でしたね……。
4Gamer:
DIMGUILはBCF以降の要素を積極的に取り入れたうえで,各種システムが順当に進化しています。またファンの評価も高く,今遊ぼうと思っても,中古市場でプレミアが付いてるんですよね。
徳永氏:
確かに順当進化と呼べると思います。
私は開発当時を思い出したくもありませんが,そういった内部事情を抜きにして見れば,完成度が高い作品といえるでしょう。
4Gamer:
それではひとまず,ここまでの流れをまとめさせてください。
外伝1からDIMGUILまでを振り返ると,ウィザードリィの日本独自展開といえる内容です。これらが人気を博し,また影響を受けたほかのタイトルも続出したことが,ダンジョンRPGが日本で定着した大きな要因の一つではないかと私は考えています。
実際に開発者として関わってきたお二人にとって,この部分で何か思うところはありますか?
金田氏:
私としては,外伝シリーズが人気を博したのは,ひとえにファンのお陰だと考えています。そもそも期待するファンがいて,販売本数を出すことができたからこそ,その続編を制作できるわけですから。
徳永氏:
ウィザードリィ・外伝は,ダンジョンRPGのいちシリーズに過ぎません。ウィザードリィ以外にもたくさんのダンジョンRPGがありますし,それらを開発される皆さんも,それぞれ苦労があったかと思います。自分たちだけの力で成し遂げたとは微塵も思っていませんよ。
その一方で外伝シリーズの開発時には,プレイヤーは自由に遊んでもらいたいし,作る側も自由でいたいと考えていて,自分なりに実行もしてきました。現在のダンジョンRPGは,ジャンルとしての幅が大きく広がっていますが,その広がりに一人の開発者として貢献できたのであれば本望ですね。
4Gamer:
次に,日本でウィザードリィが爆発的に広がった転機を振り返ると,オリジナルの#1は別格として,カルチャライズの方向性を決定付けたファミコン版の1と,日本独自展開の皮切りとなった外伝1が大きいのではと考えています。そしてこの両タイトルにおいて,三田さんがメインで開発作業を行われています。
人によって違うことを承知のうえで申し上げると,いまも熱心なファンが「ウィザードリィらしさ」と聞いて思い浮かべるイメージの大部分は,三田さんの舵取りによって築き上げられたものだと思えるんです。この点については,いかがでしょうか?
それはまったく同感ですね。
私も開発者として「ウィザードリィらしさ」を意識していますが,それは三田さんからの影響を多大に受けています。今も尊敬している人です。
金田氏:
ファミコン版の開発現場をリアルタイムで見ていたわけではないですが,やはり三田さんと,ゲームスタジオの方々の影響力が非常に大きかったと思いますよ。外伝1に関しては言うまでもないでしょう。
4Gamer:
ちなみにお二人は,現在は三田さんとコンタクトを取られているのですか?
徳永氏:
それが……実は長らく連絡がつかないのです。
4Gamerさんがおっしゃる内容はまったくその通りですし,関係者みんなが探しているんですが。
金田氏:
私のところにも,三田さんの行方を尋ねるメールが何回も送られてきています。
そこでお願いなんですが,もしこのインタビュー記事を三田さんがご覧になったら,金田宛に連絡してください。よろしくお願いします!
(次ページに続く)
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