コーエーテクモゲームスは,2020年12月10日に歴史シミュレーション
「三國志14 パワーアップキット」(
PC/
PS4)および
「三國志14 with パワーアップキット」(
PC/
PS4/
Swicth)を発売する。
パワーアップキットでは,さまざまな新要素が追加される予定だが,既存武将のデータにも手が入り,新たに
固有の戦法が使えるようになる武将も存在する。そうした武将の情報が届いたので,いくつか紹介しよう。
固有の戦法は,名称は固有であるものの,効果は武将によって被ることがあるようだ。ただ,その名称と効果はもちろん武将のイメージに沿ったものとなっているとのことで,該当する武将の愛着や出番が増すかもしれない。
郝昭
固有戦法:堅城鉄壁(ケンジョウテッペキ)
味方「防御」アップ,敵「攻軍」ダウン(武力依存)
魏の武将。
【演】司馬懿の推挙で陳倉の守りにつく。諸葛亮の第2次北伐に抗戦し、諸葛亮が開発した兵器を焼き払って城を守り抜いた。王双が来援し、蜀軍が一度撤退した後、重病にかかる。再度来襲した蜀軍の攻撃で陳倉城に火の手が上がったと聞くと、病状が悪化し死亡した。
【史】曹叡の代に、西平で起きた麹英の反乱を鎮圧。諸葛亮から陳倉を防衛した功で列侯に叙せられ、間もなく病死した。諸葛亮が陳倉を再度襲撃したという記述も、それが原因で死んだという記述もない。
黄祖
固有戦法:乱射乱撃(ランシャランゲキ)
敵「攻城」ダウン,敵「破城」ダウン(武力依存)
劉表の武将。江夏太守。黄射の父。
【演】孫堅軍との戦いで黄蓋に捕らえられるが、孫堅も戦死したため、その遺体との身柄交換で助かる。孫堅の復讐を企図した孫権が攻め寄せると、甘寧に戦わせて一度は撃退に成功。しかし、甘寧をもと江賊と侮ったことから寝返られ、討ち取られた。これより前、曹操から派遣された禰衡の毒舌に怒り、禰衡を殺害している。
【史】黄射と親しかった禰衡を評価し、よく同席させていたが、傲慢な態度に腹を立て殺害。孫権に復讐戦を挑まれ、城を捨てて逃走中、馮則[フウソク]に討ち取られた。
徐栄
固有戦法:震天動地(シンテンドウチ)
ダメージ,敵「機動」ダウン(武力依存)
後漢の榮陽[ケイヨウ]太守。董卓の配下。
【演】長安に遷都する途中の董卓を出迎え、董卓を追撃してきた曹操を迎撃。李儒の作戦に従い伏兵で曹操を大破し、曹操の肩に矢を射当てるまで追いつめた。しかし、追撃中に曹操の救援に来た夏侯惇と遭遇し、数合で討ち取られた。
【史】董卓に同郡出身の公孫度を推薦し、公孫度は遼東太守になった。榮陽で曹操に大勝するが、曹操軍が少数にもかかわらず奮戦するのを見て容易には勝てないと判断し、追撃せずに帰還した。
諸葛誕
固有戦法:功狗逆撃(コウクギャクゲキ)
ダメージ,味方「士気」アップ(武力依存)
前漢の名臣・諸葛豊の子孫。呉の諸葛瑾、蜀の諸葛亮の従弟だが魏に仕える。諸葛靚の父。
【演】反乱を起こした毌丘倹を司馬師が討伐した際、従軍して活躍した。司馬昭が実権を握ると対立し、呉の孫綝の助力を受けて挙兵。緒戦で楽綝を討ち取る。しかし、司馬昭に寿春城を包囲され、迎撃策に異を唱えた文欽を斬ったことで孤立。寿春への突入を許し、胡奮に斬られた。直属の兵士数百人は全員、降伏せずに殉死した。
【史】】夏侯玄、鄧?らと親交があり、「四聡八達」と自称。才人気取りを曹叡に嫌われ、重用されなかった。
張宝
固有戦法:中黄太乙(チュウコウタイイツ)
敵「全能力」ダウン,敵「士気」ダウン(知力依存)
黄巾の首領・張角の次弟。張梁の兄。地公将軍。
【演】張梁と共に潁川の黄巾軍を率い、皇甫嵩と朱儁が率いる官軍を迎撃。長社で火攻めに遭い、さらに曹操の急襲を受けて敗北。烈風や雷を起こす妖術を使ってなおも官軍を苦しめるが、朱儁に術を破られ、劉備の矢を受けて陽城に敗走した。朱儁に包囲されて落城が迫ると部下の厳政に刺し殺され、首を献じられた。
【史】皇甫嵩と郭典に下曲陽で敗れ、斬られた。
張魯
固有戦法:万法帰一(マンポウキイツ)
味方「状態異常解消」,味方「負傷兵回復」(知力依存)
後漢の漢寧太守。五斗米道の祖・張陵の孫。張衛の兄。
【演】曹操が馬超を討伐して西進の気配を見せたため、劉璋の蜀を奪って対抗しようと画策。劉備が劉璋を攻めると、馬超を派遣して劉備軍と戦わせる。215年、曹操が漢中に来襲すると、張衛や?徳に迎撃させるが敗北。倉は国家の預かりものとして焼かずに封じ、巴西に逃亡した後、降伏。倉を焼かなかったことを高く評価された。
【史】劉焉の命で漢中攻撃を指揮し、その軍勢を奪って漢中で独立。劉璋の代になっても服従しなかったため、母や家族を劉璋に殺された。
陳登
固有戦法:混水摸魚(コンスイモギョ)
敵「混乱」付与,敵「足止」付与(知力依存)
徐州の名士。陳珪の子。
【演】陶謙と、その後を継いだ劉備に仕える。劉備が袁術討伐に出陣した際、張飛と共に下邳を守るが、張飛が泥酔した隙を突かれ、呂布に城を奪われた。その後は陳珪と共に呂布に仕えながら、呂布を陥れて劉備を復権させるための策謀を巡らせる。後に、徐州に入った劉備に協力して曹操の徐州刺史・車胄を討つが、劉備が曹操に敗れて袁紹を頼ると、徐州を曹操に献じた。
【史】呂布討伐の功績で曹操から伏波将軍に任ぜられ、広陵に侵攻した孫策軍をたびたび撃退した。39歳で急逝。
田豫
固有戦法:規略明練(キリャクメイレン)
味方「状態異常解消」,味方「士気」アップ(知力依存)
魏の武将。
【演】234年、諸葛亮の第5次北伐に呼応して呉が魏に攻め寄せた際、襄陽の守りに加勢した。
【史】劉備に仕え、高く評価されるが、母親が老齢だったため帰郷。その後、公孫瓚に仕官する。公孫瓚滅亡後は曹操に仕え、県令太守を歴任した。218年には曹彰の烏桓討伐に参加し、南陽太守に昇進。曹丕即位後も北方異民族の防衛に当たり、烏桓王・骨進を斬って威名を轟かせた。234年に呉軍が攻め寄せた際は汝南太守として防衛に当たる。曹芳の代には并州刺史、衛尉を歴任した。
盧植
固有戦法:以逸待労(イイツタイロウ)
味方「全能力」アップ,敵「士気」ダウン(知力依存)
後漢の中郎将。劉備、公孫瓚の学問の師。盧毓の父。
【演】黄巾の乱が起こると、何進の命を受け、皇甫嵩、朱儁らと共に鎮圧に当たる。途中、劉備と再会するが、宦官の左豊に賄賂を贈らなかったため、罷免された。宦官討伐のため、何進が董卓を招こうとすると、反対。上洛した董卓が少帝廃立を提言した時も反対を貫いた。
【史】鄭玄[ジョウゲン]と同門の儒学者。「尚書章句」「礼記解詁[ライキカイコ]」などを著し、蔡邕と共に「後漢記」を増補した。黄巾の乱前は九江、廬江に赴任し、蛮族討伐で活躍。董卓と対立して免官された後、隠棲。