連載
マーベラス・高木氏が明かす「閃乱カグラ」の裏側――鉄拳・原田Pの不定期連載「原田が斬る!」。第4回は爆乳プロデューサーがその半生と,これからの10年を語る
ゲーム以外の仕事はやれないし,向いてないと思っていた
原田氏:
閃乱カグラの話はもちろんですけれど,高木さん自身がどんな人なのかってところに僕は興味があって。だからまず,生い立ちから聞いてみたいんですけど,ゲームは昔からお好きだったんですか? というか,子供の頃は家でゲームができる環境でした?
高木氏:
ウチは親に禁止されてて,ゲームできなかったんですよ。ファミコンすら買ってもらえなくて,だからゲーセンに行くっていう。
原田氏:
ああ,そこは僕とまったく一緒ですね。
高木氏:
カツアゲされながら,命がけでゲームをする。それが小学校高学年くらいまで続いてました。
原田氏:
そうなんですよ。禁止されたら外でやるしかないから,塾の帰りとか習い事の帰りの合間を縫って,ゲーセンに行くんですよね。
高木氏:
ゲーセンに行くとか,ファミコン持ってる友達の家をはしごして,今日はアイツの家に行こう,みたいな感じで遊びに行くとか。そういったことをずっとやってましたね。
原田氏:
解放されたのはいつぐらいですか。僕は大阪生まれの奈良育ちで,18になってから東京に来たので,ゲームが自由にできるようになったのは,一人暮らしを始めてからだったんですけど。
高木氏:
少しずつ家の中でもやってもいいよ,という雰囲気にはなっていたんですが,当然時間を決められたり,「うるさい」ってすぐに止めさせられたりしたので,解禁というならやっぱり大学生になってからですね。一人暮らしを始めて最初にやったのが,テレビの前にゲーム機を並べることでしたから。
原田氏:
分かります! ファミコンにスーパーファミコン,PCエンジンにネオジオって全部並べるんですよね。
高木氏:
それまでは,遊び終わったらしまえって言われてたのが,これからは置きっぱでいいんだって。嬉しかったですね。
原田氏:
ここまでまったく一緒だ(笑)。じゃあ,ちょっと話が戻りますが,子供の頃の思い出のゲーム,自分が影響を受けたゲームって何ですか。僕は鈴木 裕さんの体感ゲームシリーズに,小中学校ですごい影響を受けたんですけど。
高木氏:
僕は「ダブルドラゴン」ですね。あとは,「魔界村」とかも好きでした。難しくてあまり進めなかったですけど。
原田氏:
魔界村! そうそう,だいたい2面で死ぬんですよね。「ダブルドラゴン」は大好きです! 後の「ファイナルファイト」や「バーチャファイター」に続く,格闘ゲームの原点ですもんね。おかしいな,ここまで人生がほぼ同じだぞ(笑)。
高木氏:
あとはスーパーファミコンだと,「重装機兵ヴァルケン」とかですね。あれはROMが焼けるまで遊びました。やり過ぎて色がおかしくなったんですよ。
4Gamer:
大学時代はいかがですか?
高木氏:
僕が大学のときって,PlayStationやセガサターンが出始めた時期で,ソフトも安くなったのでそれはもう遊びまくりましたね。セガ好きだったので,PlayStationより先にセガサターンを買ってしまったんですけど。
原田氏:
ゲーム豊作の時代でしたものね。そうか,あの頃僕はもう社会人だったから,世代が少し違うんだ。セガサターンを選んだのは,当時のスタートダッシュとしては正解だと思います(笑)。
高木氏:
あとからPlayStationも買いましたけど,遊んでたのは,やっぱりセガサターンが中心でしたね。その前,中高校生の時分はずっとネオジオだったんだけど。SNKの荒々しさがすごく好きで。
原田氏:
やっぱネオジオですよね。全員通った道ですよ。
高木氏:
あの当時,カプコンのゲームはすごく丁寧に作られていたんだけど,そこが優等生すぎると感じて,血気盛んな自分はあまり好みじゃなかったんですよね。SNKのゲームは,いい意味で適当なところがあって……きっとぎゃははと笑いながら「いいじゃん,これ面白いじゃん」って作ってるんだろうなってのが,中高生だった自分にも伝わってきた。それがすごく刺激的で,響きました。あ,でも鉄拳シリーズも遊んでましたよ。
原田氏:
おお,ありがとうございます。それはゲーセンでですか?
高木氏:
ゲーセンで。1作目から遊んでましたし,「3」から「タッグ」あたりの時代は,対戦も盛んにやってました。最近のは,さすがに時間が取れなくてちゃんとやれてないですが。だから,たまにやるとボコボコにされます(笑)。
原田氏:
僕が若かりし頃のタイトルですね。
高木氏:
僕は酔っぱらうとよく,「仕事と鉄拳は一緒なんだ」って,若いのに言うんですよ。あれ,中途半端に知識がついて,技の連係とかを覚えだすと,とたんに弱くなりますよね。ここはしゃがまないと,とか,この技はガードとか。それよりは,むしろやり始めでガチャプレイしてるときのほうが強いっていう。
原田氏:
ガードを意識し始めた当初は,何も考えず暴れてる人のほうが強かったりしますね。そのまま続けていくとブレイクスルーするタイミングがあるんだけど,中途半端なうちは逆にぜんぜん勝てない。
高木氏:
そこなんですよ。「中途半端な知識でやるんじゃなくて,勢いよくやりなさい」ってことが言いたくて。「だって鉄拳はそうだろ?」って言ってます(笑)。
原田氏:
そんな例えに使っていただけているとは。
4Gamer:
ちょっと脱線しますけど,高木さんのご自宅にはゲーム部屋があるんですよね? もう壁一面,崩れんばかりにゲームが積み上がってるみたいな。
高木氏:
ええ。去年家を新築したので,以前よりパワーアップしています。仕事部屋兼ゲーム部屋という感じで。崩れんばかりなのは一緒ですけど(笑)。
原田氏:
えっ,それはすごい。欧米のクリエイターみたいですね。向こうはそういう人が多くて。ああ……これ地震がきたらやばいやつですね(笑)。当時からずっとコレクションされていたんですか?
こちらが高木氏宅の仕事部屋兼ゲーム部屋。主にファミコンやセガ・マークIIIなどのレトロゲームが並んでいる。高木氏「ナムコはハードケースなのが大好きで。3900円で買えるサンキューシリーズとかも,小学生としてはありがたかったです」 |
高木氏:
いや,かなり買い直してます。当時は遊んだら売らないと,次が買えませんでしたから。売っては買ってを繰り返して,手元には残らなかった。社会人になって余裕が出てきてから,ちょっとずつ取り戻していってるんです。
原田氏:
これは飾ってるだけじゃなく,実際に遊ぶんですか。たまに引っ張り出したりとか。
高木氏:
たまに遊びます。あと箱が目に入ると,記憶が甦えるんですよね。目に見えなくなると忘れちゃうから,箱が大事です。
なるほど,そこかあ。いや,気持ちはすごく分かります。僕も昔パッケージマニアだったので,付属品を含めて箱は全部残してたんですけど,今はもう全部デジタルになっちゃいましたね。2000年になってSteamが出てきたあたりから,頭が切り替わっちゃて。紙の本もゲームのパッケージも捨ててしまって,今は電子書籍と“デジタル積みゲー”ですよ。
高木氏:
僕も本とか雑誌とかはほぼデジタルです。だけどゲームだけは……それができない。中身なくてもいいから,箱だけ欲しい。あと昔のゲーメストなんかも,捨てられずに全部並べてあります。
原田氏:
ああ,そうかゲームはダメなんですね。ちなみに,これ奥さんは怒ったりしないんですか?
高木氏:
怒りはしませんけど,娘が生まれてからは危ないので,ちょっと気を使ってほしいとは言われてますね。だから,もう少し片付けないといけないんですけど……。
原田氏:
そうか,爆乳プロデューサーと知って結婚されてる奥さんだから,理解が深いんだ。でもこれだけあると,場所はかなり取りますよね。
高木氏:
なのでもう,この先はもう地下にプライベートゲーセンを作るしかないなって思ってるんです。そうすれば音も出せますし。先立つものはないんですけど(苦笑)。
4Gamer:
すいません,話を戻しましょう(笑)。高木さんは高校とか大学はどういった方面に進んだんですか?
高木氏:
高校は普通科に行って,大学は工学部の電気系でした。
原田氏:
そのときは,将来は何になろうと考えてたんです?
高木氏:
そのときはもう,ゲームデザイナーになりたいと思ってました。それは小学生ぐらいから,ずっとですね。
原田氏:
それってゲームで遊びながら,僕もこういうの作りたいって思ってたわけですよね。でも実際にはいろんな道があるわけじゃないですか。俺もこんなキャラクターを描きたいと思ったら,絵の練習をするでしょうし,プログラムに興味があったら「マイコンBASICマガジン」とか見ながら自分でもプログラムを書いてみる。高木さんの場合は?
高木氏:
最初はやっぱり,「ドラゴンクエストII」とかを遊んで,俺もモンスターデザイナーになろうって,鳥山先生の絵を模写してましたよ。あと,家ではゲーム禁止だからって,ボードゲームを自作したりとか。自分で紙に描いていろいろね。
原田氏:
僕もゲームブックを自作しましたね。絵も自分で描いて,判定はサイコロで,とか。
高木氏:
今もそうなんですけど,僕は人と“時間を合わせて一緒に遊ぶ”のが苦手だったんです。1人で自由に遊びたいので,ボードゲームも自分で作って,自分で遊ぶという感じでした。仮想のプレイヤーを増やして,「こいつはこういう趣向でプレイする」って決めたうえで,1人で4人分動かすんです。……ここだけ聞くと,すごい寂しい奴みたいですけど(笑)。
原田氏:
そんなもんですよ。僕も「大戦略」とか,ああいうゲームで対戦は絶対にやらなかった。自分vs.自分で一方を追い詰めてから,ここから逆転するにはどうすれば? みたいなのを延々とやってました。じゃあ,その頃は将来の道筋を具体的には考えはしなかったんですか?
高木氏:
具体的なことは,全然考えてなかったですね。岡山の田舎にいて,あまりそういう情報も入らずに。
原田氏:
昔はネットもなかったですからね。僕が大学の頃にようやく出てきましたけど,まだ一般人が使うにはハードルが高い時代だった。それにあの頃の情報交換なんて,今ほど洗練されてもいなかった。
高木氏:
ゲーム開発者なんて,どこにいるんだって思ってましたね。
原田氏:
なんとなく,東京にはいるんだろうな,でも高橋名人は北海道だよな,みたいなイメージで。じゃあ,そんな状態からいきなりマーベラスに入社したわけですか?
高木氏:
いや,まず開発会社に入ったんです。もう普通に就職活動をして,なんとか拾ってもらったという感じで。
原田氏:
そのときは,まだゲーム開発の知識もなにもない状態で飛び込んだわけですよね。まあ,大学で教えてくれるものでもないですし,学歴は関係ないといえば関係ないですけど。
高木氏:
それが,結局新卒だと全然受からなくてですね。血迷って,卒業後にゲーム系の専門学校に行っちゃったんですよ。で,3日くらい通って,「あ,これヤバいぞ」と(笑)。
原田氏:
あー,“あの当時”の専門学校では,優秀な人は,最初から優秀だったという話をよく聞きます。
高木氏:
もう,自分でやらなきゃどうにもならないって。ちょっと期待してた部分はあったんです。専門学校に行けば,道筋を作ってくれるんじゃないかって。そのとき,人を頼っていてはダメだってことを痛感しました。結局2年間のうち,半分くらいしか通わなかった。
原田氏:
通わずに,何をしていたんです?
高木氏:
ゲーセンのバイトしながら企画書とかをひたすら毎日作って,段ボールひと箱分くらいの作品を積んで,それをゲーム会社に送り付けてました。今思えば……すごく迷惑な話ですけど(笑)。
原田氏:
漫画家志望の少年みたいな状態だったわけだ。そういう企画書,今の高木さんのところにも送られてくるでしょう? 僕の考えた「閃乱カグラ」のシナリオとか,キャラクターとか。
高木氏:
すごい来ますね。でも,ほとんど見ない……というか,見きれないんです。
原田氏:
そうですよね。なかには真剣にゲーム業界に入りたいって人もいるだろうし,その熱意は汲んであげたい。だから,僕は基本全部読んではいるんですけど。若き日の高木さんの場合は,送った先からのレスポンスはありました?
高木氏:
なかったです。ただそれは,あの当時作ってたものが,やっぱり単純に面白くなかったからじゃないかな。で,専門学校を卒業する頃になって,そのときは24とかでしたけど,とりあえず東京に行こうって思い立って。
原田氏:
東京に行けば糸口がつかめるんじゃないか。ゲーム開発者がそのへんを歩いてるんじゃないか,みたいな?
高木氏:
それもありますし,背水の陣ってことで,家も仕事も決めずに1回行ってみようと思ったんです。で,跳び込みで家とかも決めて,派遣の仕事とかしながら1年半くらい。ずっと企画書を書いてました。
原田氏:
それで開発会社の応募を見つけて,企画書を持って売り込みに行ったと。
高木氏:
そうです。そのときはテレビのADとかを派遣でやってたんですけど,少しずつ居心地が良くなってきちゃってたんですよね。昇進までしちゃって,これはまずい。このまま上に行っちゃうと,取り返しが付かなくなるって。
原田氏:
本来行きたかったところに行かず,違う業界に住みついてしまいかねない。
高木氏:
そうそう。そこで「違う,俺は東京にゲームを作りに来たんだ!」って辞めて,最後の1〜2か月くらいは無職でした。これがラストチャンスだと思いながら,企画書を書いてた。
原田氏:
じゃあ,ゲームデザイナーになろうという意思が,かなり明確にあったわけだ。
高木氏:
意思はありましたけど,今思うと,ちゃんと考えてなかっただけですよね。勢いだけだった。
原田氏:
でも,普通はできないと思いますよ。テレビ業界でうまく行きかけてたのならなおさら,先立つものもないのに,いきなり辞めたりなんて怖くてできない。ただ,勇気づけられる話ではあるけど,今の学生さんには参考にならないですね。
高木氏:
結構,無茶をしたと思います。汚い話ですけど,東京来てからゲーム会社に受かる日まで,毎日,腹を下しっぱなしでしたから。受かった日に治まりましたけど,そのくらい精神的に追い込まれてたし,追い込んでました。
原田氏:
ストイックですねえ。
高木氏:
ゲーム以外の仕事は,やっぱりやりたくなかったんですよ。やれないし,向いてないんだろうなと。
原田氏:
素晴らしい。……いやこれ,いい話を引き出せましたよね? 高木さんのこんなインタビュー,なかなかないんじゃないかな(笑)。
(一同笑)
「サマーレッスン」に感じた嫉妬と悔しさ
原田氏:
いちおう自分の話もしておこうと思うんですけど,僕は開発者になろうという発想は,中学生の頃に一回捨ててるんですよね。プログラマーになろうと思って,試しに1週間くらいかけてプログラミングしてみたんだけど,それがあまりに面白くなかった。こんな無駄な苦労をするくらいなら,俺はプレイする側でいいやって。
4Gamer:
それなら,どうしてナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)に入社されたんですか?
原田氏:
それはもう,いろんなゲームがタダで遊べると思ったから。だから営業で新卒入社したんだけど,いざ入ってみたらなんとタダゲー禁止だった。それで驚愕して,仕事で大暴れしたあげく,すぐに開発に移ったんです。
4Gamer:
なるほど(笑)。
原田氏:
だから高木さんの今の話を聞いて,そこは随分と違うんだなって思ったんですよ。僕と高木さんは好きなものはほとんど一緒で,今は同じプロデューサーという立場なわけだけど,辿ったルートはかなり違う。やっぱりきっかけとかタイミングで,歩く道は全然違ってくるんだなあって,思いましたね。
高木氏:
そういう意味で言うと,僕はプロデューサーになるとは思ってなかったんですよ。ディレクターになりたいとは思ってましたけど。
原田氏:
ああ,それはちょっと分かりますね。映画産業の影響もあるんだろうけど,やっぱり作品を作るんだったら監督(ディレクター)でありたい。昔のゲーム業界には,ゲーム開発のカの字も分からないようなインチキプロデューサーも多かったので,若い頃はとくに「ああはなりたくないな」という気持ちが強かった。できることなら,僕もバリバリ働けるうちは,現場の企画やディレクターでいたい。まあ僕の場合は部長になっちゃったし,そんなわがままはもう言えませんけど(笑)。
4Gamer:
ディレクターとプロデューサーの違いって,実は皆,よく分かってないんじゃないかという気がするんですよ。ゲーム業界では,けっこう曖昧ですよね?
高木氏:
これ,分かんないですよねえ。
原田氏:
現在だと,一般的にはディレクターは開発現場の責任者で,主にゲームの内容に口を出す人。プロデューサーになると,今度は収益に対する責任が発生するようになるから,もっと大きなマネジメントの視点が入ってくる。だからプロデューサーになると,実際にゲームの中身に手を出したり,スクリプト打ったりとかはしなくなります。
高木氏:
スクリプトは打たないですけど,僕はゲームの中身にも相当手を出してますよ。
原田氏:
ああ,そうなんだ。やっぱり会社によって違いますね。ただ,プロデューサーになっちゃうと,広告とか宣伝とかゲーム制作以外の仕事が増えてしまうから,ゲーム作りに集中はできなくなっちゃう。どっちも究極の雑用係みたいなもんだけど,その雑用の中身が違うというのかな。
4Gamer:
でもなんとなく,プロデューサーのほうがディレクターよりも偉いって印象はあります。キャリアパス的にも,まずディレクターをやって,それからプロデューサー,みたいな?
高木氏:
それって本当はおかしいんですけどね。僕は常に言ってるんだけど,ディレクターとプロデューサーは役割が別なんだから,上下じゃなくて横並びであるべきなんです。でも,実際そうはなってなくて,やっぱりプロデューサーがディレクターに指示を出す。
原田氏:
難しいですね。ゲーム業界ってやっぱりまだ若い産業なので,そのあたりの道筋というのは,まだ確立してない部分がある。僕よりもさらに2世代くらい上の先輩達が,皆そういうルートを辿ったのかというと,まったくそうじゃないわけで。そもそもゲーム屋じゃなかったって人もいるし,逆にクリエイター一本だけで偉くなった人もいる。もうバラバラで,ロールモデルがないんです。
4Gamer:
とくにファミコン時代のクリエイターは,技術オタクから山師みたいな人まで,海千山千の人が多かった印象ですね。
原田氏:
そうそう。さらに今だとパブリッシャとデベロッパっていう枠組もあるから,デベロッパが出してきたレジェンド級のディレクターに対して,現場開発経験の無い若いプロデューサーがメーカーから付けられる,というケースだって,稀にだけどある。だから会社によって扱いもバラバラで,いわゆる係長・課長・部長みたいなヒエラルキーでまとめちゃってるところもあれば,開発チームごとに別の会社みたいになってることもある。そのあたりがちょっと,外から見ると分かりにくいのかもしれないな。
高木氏:
当時の僕は,プロデューサーにそうやって横やりを出されるのが嫌で,大暴れしたクチなんですよ。「俺の作品に口を出すんじゃねぇ」って。だから「じゃあ,プロデューサーも俺がやるわ」ってなったという。
4Gamer:
そういえば,原田さんが高木さんとお会いになるのは,今回が初めてなんですよね?
原田氏:
そう。ただ「サマーレッスン」の体験会で,一度お見かけはしてました。以前も言いましたけど,プレイ後に外に走って行ったと思ったら,また戻って来てプレイしてるので,すごく印象に残ったんです。あのとき,めっちゃニコニコしてませんでした?
高木氏:
それはもう,楽しくて興奮してたんだと思います。なにせ待望のゲームでしたから。SIEの人が周りにいましたけど,「ちょっと下から行っていいっすか」って,こう……。
原田氏:
あの環境でそれができる人,なかなかいないんですけどね(笑)。
高木氏:
いやいや,SIEの人もむしろ,「ぜひやってください」という感じでしたからね。まあ,これが爆乳プロデューサーのメリットなのかな,と(笑)。
原田氏:
ああ,確かに。それでそのとき,どう思いました? 自分でもVRをやろうってなりました?
高木氏:
ずっと作りたいとは思ってたんです。ただ,どういうビジネスにするか悩んでて。純粋に,そこでストップがかかっちゃってる。企画もあるし,いろいろなところと話もしてるんだけど……。
原田氏:
新しいハードは,常にビジネスの難しさがありますよね。ただ,僕は数年後にバンダイナムコがVRの先駆者的な立場にいるための投資だと考えて,無理矢理突破しちゃいました。まあ,悪い癖なんですが。
高木氏:
最初だったら,それこそ「サマーレッスン」みたいに,まだ何か手はあったと思うんですよ。でも,もうやられちゃったから。「閃乱カグラ」の一発目と同じで,最初じゃなきゃ意味がない。
原田氏:
僕も最初しかないと思って,そこを狙っていきました。あれですよね,誰もが一度は思い浮かべるけど,「いやいや」って消してしまうアイデアを本当にやってしまう。しかも一番にやるから意味がある,というような。
高木氏:
飲み会とかでゲラゲラ笑いながらアイデアを語るんだけど,結局やらないみたいな。そういうのを本当に最初にやっちゃうというのが,僕は重要だと思っているので。
原田氏:
そう。そこなんですよね。
高木氏:
僕も含めたプランナーって,基本的には自分が一番面白いって思ってるわけじゃないですか。だから,あんまりほかの作品への嫉妬を感じたことはなかったんですけど,「サマーレッスン」だけはメチャクチャ悔しかった。SIEさんのカンファレンス発表されたとき,「やられた! マジやられた!」って思いましたもの。しかも,最初の段階からすごいレベルで作られてて。
原田氏:
作ってる側としては,それが一番の褒め言葉ですね。僕も,嫉妬を感じるようなことって滅多にないけど,そういうゲームって,めちゃくちゃ売れるかめちゃくちゃファンがつくじゃないですか。嫉妬のあまり,ちょっと一言アンチ的なことでも言ってやろうってものほど,人気が出たりする。でも反対に,アンチもファンもつかない状況ってのが一番マズイです。
高木氏:
そこはもう,マーベラスに入ってからすごく意識したところです。気づかれない,悪いとも言われないものは,もうどうにもならないですから。
原田氏:
「閃乱カグラ」であれ「サマーレッスン」であれ,それ自体は別に奇抜なアイデアってわけでもないじゃないですか。誰しもその発想はあったはずです。その中で,最初に実現してしまったものが,嫉妬を買うんじゃないかな。
高木氏:
僕も当時,よく言われたんですよ。「いやぁ,俺も考えてたんだよ」みたいな。じゃあやればいいじゃん,って思うんですけどね(笑)。
原田氏:
その違いだけなんですよね。だから「俺だってできたのに」って言いたくなる気持ちも,分からないでもない。
高木氏:
言ってくるのは,だいたいやれる立場も力もある人ですから。こんなこと,実際に面と向かっては言えないですけど(苦笑)。
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