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印刷2020/02/20 18:00

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「デイメア: 1998」誕生の地は,イタリアのとある小さな村。開発会社やゲームのイメージ元となった土地を巡ったオレヴァノ・ロマーノ紀行をお届け

 本日(2020年2月20日)DMM GAMESからリリースされた日本語版「デイメア: 1998」PC / PS4)は,「バイオハザード」シリーズや1990年代カルチャーへのリスペクト溢れるサバイバルホラーゲームだ。
 開発経緯やゲームの魅力は,掲載済みのレビューとインタビュー(関連記事12)でお伝えしたとおり。そんな本作の日本語版発売を記念したメディアツアーが,パブリッシャであるDMM GAMESにより行われ,4Gamerもそれに参加してきた。

 ツアーの行き先は,本作の開発会社であるInvader Studiosの所在地である,イタリアのオレヴァノ・ロマーノ(Olevano Romano)。目的は,スタジオとゲームの主な舞台となる町「キーンサイト」のモデルとなった場所の見学である。本稿でその模様をお届けしよう。

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日本語版「デイメア:1998」公式サイト

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 2019年9月に海外でリリースされ高い評価を受けたサバイバルホラーアクション「デイメア: 1998」日本語版が,DMM GAMESから発売される。「バイオハザード」シリーズなど1990年代の文化やホラーゲームのリスペクトに溢れた本作の世界観や物語,ゲーム性などを中心にその魅力をお伝えしよう。

[2020/02/19 18:00]
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 「バイオハザード」シリーズへのリスペクト溢れるサバイバルホラー「デイメア: 1998」を制作したイタリアのInvader Studiosを訪問し,コアメンバーにインタビューを行った。スタジオ設立やDMM GAMESから日本語版が発売された本作の開発経緯には,彼らの“バイオ愛”とカプコンとの邂逅があったようだ。

[2020/02/20 18:00]


「デイメア: 1998」誕生の地は

長い歴史を持つイタリアの小さな村


本文と直接は関係ないが,こちらはメディアツアーの際に立ち寄った,首都ローマの中心部にあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。ローマの街はこの10年ほどの間に,おいしいイタリア料理の“おこぼれ”を狙うカモメたち占領されているらしい
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 目的地のオレヴァノ・ロマーノは,ラツィオ州ローマ郡の東端の,イタリア半島を縦断するアペニン山脈の山沿いにある村だ。地図で調べると分かるが,“ローマ”とはいっても首都からは直線距離で東に45kmほど離れている。
 オレヴァノ・ロマーノの歴史は古い。山岳民族のオスキ・ウンブリア語系アエクイ族により紀元前5世紀には開拓されていた地域で,早くからローマに帰属し,1世紀前後には石壁を使った要塞化が進んでいたそうだ。
 “オレヴァノ”の語源は謎が多く,さまざまな説があるそうで,ローマ貴族の1つ「オリブリウス」(Olibrias / Olybrius)の名が変化したものというそれらしいものや,教会の儀式で焚く樹脂やそれを購入するための積立金を指す「オリバヌム」(Olibanum)という何とも二ッチな説などがあるとのことだった。
 旧市街地の中心である烽火台のある城は,1000年以上も前にベネディクト会の修道士たちによって建てられたと考えられ,西側の谷間の肥沃でフラットな農地を一望しつつ,近隣地域にある山上の村々が連ねる連絡網の1点を担っていた。古代から,オリーブやブドウなどの農業が盛んだったらしく,今でもワイナリーが幾つもある。
 また,美しい景観に囲まれているためか,ローマから芸術家たちが訪れては長期滞在したり,住み着いたりしているというが,盆地の端に位置するためか夏場は気温が上がり,山沿いながらも避暑地というわけではないらしい。

Invader Studiosのベランダから見えるオレヴァノ・ロマーノの絶景。この地域は山の頂上を囲む山砦の中に烽火台があり,その回りに町が作られた“超ディフェンシブ”な集落設計になっているそうだ
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 ローマから遠く離れ,そして人口は6600人ほどという小さな村であるオレヴァノ・ロマーノ。「そんな場所になぜゲームスタジオがあるのか?」と思う人も少なくないはず。詳しくはインタビューで伝えているが(関連記事),小さな村とその周囲にたまたまプログラミングやシナリオ,楽曲制作といったゲーム制作に必要なスキルを持った人がいた。
 偶然というよりは奇跡に近い形でつながった彼らは,「バイオハザード 2」の非公式リメイクのデモを発表して注目を集め,地元にゲームスタジオを設立したというわけだ。

 ゲームの主な舞台となるキーンサイトという町を作り上げる際には,このオレヴァノ・ロマーノでロケーションハンティングが行われた。さて,そう聞くと,先行して発売された海外版(2019年9月発売)をプレイした人は疑問に思うかもしれない。というのも,ゲームの舞台はアメリカで,キーンサイトもアイダホ州にある田舎町という設定だからだ。かくいうアメリカ在住で本作をプレイ済みの筆者も,「寂れた田舎町らしさは出ているが,たしかにアイダホっぽくはないな」と感じていた。
 かといってイタリアの町を想起できるものでもない。独特の雰囲気あるキーンサイトがどこをイメージして作られたのか分かるかもしれない。内心ちょっとワクワクしながらツアーに参加した。

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Invader Studios公式サイト(英語)


 Invader Studiosは,オレヴァノ・ロマーノの旧市街地から見て南東の方角,4階建てのアパートの最上階を改装した場所にある。キッチンなどは取り除かれているが,広い屋根裏の2LDKといった感じだろうか。このアパートの内外も「デイメア: 1998」のアセットとして使用されており,マップのあちこちでそれが確認できる。ここでは実際のスタジオの写真とゲーム画像を並べて紹介しよう。

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おそらくリビングルームだったであろうスタジオ内で一番大きな部屋。6人分ほどのデスクが並べられており,ゲームにもほぼそのままで登場する
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2階へと続く屋外階段をもとにして作られた場所(写真左)と,アパートの3〜4階部分の階段をゲームに取り込んだもの(写真右)。アウトブレイク時の混乱を描こうとしていたのか,現地で見せてもらった初期コンセプトアートではガラクタだらけだった
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実際の風景をもとに描かれたコンセプトアート(写真左)と,それがゲーム内の街並みに取り込まれたもの(写真右)。ピザ屋から日本食料理店と,店のジャンルが変化しているのも面白い。写真でお見せできないが,途中の試作版ではシーフードレストランだった時期もあった
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スタジオのトイレをゲーム化したもの。筆者としては衝撃的な事実なのだが,イタリアの多くの場所,少なくともローマ近辺ではほとんどのトイレに便座がない。女性は前屈みで立って用を足すらしい。なおゲーム内では,アメリカという舞台に合わせてちゃんと蓋が用意されている
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 ここからはロケ地巡りを兼ねた観光の模様をお届けしよう。町の中心に位置するタウンホールを下ると見えてくるのが,ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の息子でイタリア王国の第2代国王であるウンベルトI世の名を冠した広場。その中央には噴水があり,これをイメージした大きな噴水がゲーム内に登場する。
 さらに進むと,かつてはファーマーズマーケットで賑わいだという小さなエリアに到着。現在は小さな雑貨屋があるばかりでなんとも寂しい旧市場といった場所で,そこからさらに登っていくと聖マルガリタ教会がある。

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タウンホールの集会所には日本語版「デイメア: 1998」の試遊版が用意され,筆者もチャプター2の途中までプレイした。村議会などが開催される場所で,開発メンバーはこの日の朝の3時まで試遊版の設定をしていたそうだ。ゲームの感想は[こちら]で確認してほしい
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タウンホールを下ったところにあるウンベルトI世広場。写真に写っているのはインタビューに登場してくれた(関連記事),ティツィアーノ・ブッチ氏,アレッサンドロ・デ・ビアンチ氏,ミケル・ジアノーニ氏(左から)

聖マルガリタ教会の内部。アーチをサポートする石柱は,改修時に大理石が高価で入手できなかったため,大理石風のペイントが施されている
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 “アンティオキアのマルガリタ”という名でも知られる聖マルガリタは,3世紀末から紀元304年まで,ローマ帝国東端の大都市だったシリアのアンテオケ(現在はトルコのアンタルヤ)に存在したと言われる伝説上の人物だ。
 実在したかどうかは定かでないものの,信仰の放棄を拒否したために,ローマ帝国高官オリブリウスとの結婚が破断になったばかりか,捕らえられて殉教したとされる。その信仰は根強く,十字軍遠征の時代にさらに強い支持を得て,12世紀にはカトリックにおいても聖人となった。
 村の語源の一説として登場したオリブリウスに関わる聖マルガリタが,この地で信仰対象になっているのは興味深い。なお,聖マルガリタ教会は何度か建て替えられているとのことで,現在の教会は1876年の火災で一部が消失したのち,すべて作り直されたものだという。

「噴水の反対から上を見上げると,村の歴史が見えてきます」と,設立メンバーの友人である美術史専攻のツアーガイドが話していた。一番古いのが石が積み上げられた壁で,その次が目下にある漆喰で塗られたアパート群。そして近年にセメントで要塞を補強するかのように,上部の建物が改修されている
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オレヴァノ・ロマーノ旧市街の街角。お年寄りがゆっくり坂や階段を登っていたりして心配だが,こんな細い道でゴミ収集がどうなるのかと質問したら,なんと公務員ならぬ“公務ロバ”が役場で飼われており,昔ながらの方法で台車を惹きながら集めているという
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タウンホールの近くの交番にあったパトカーはフィアット・パンダ4x4モデル。なかなか年季が入っている様子
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 オレヴァノ・ロマーノは,中世期にはルネサンス期をけん引したイタリアの有力貴族の1つ,コロンナ家に管理されていた。旧市街地に残るもっとも古い石畳は14世紀ごろのものだという。
 聖マルガリタ教会の脇を歩いていくと,やがて「コロンナ城」(Castello Colonna)という旧市街地の最も高い部分にある砦に行き着く。「中世の塔」(Torre Medievale)と呼ばれている烽火台も,ここにある。
 コロンナ城は,中世後期に台頭したボルゲーゼ家に譲渡されたものの,ほとんど管理されておらず荒れ放題だったらしい。そこで1970年に立ち上がったのが,地元の名士だったルイジ・マルクッチ(Luigi Marcucci)さんという人物で,城を購入して整備にあたり,無料で一般公開されたという。この城の住居部分は,アートギャラリーやイベントスペースとして利用されている。

コロンナ城のゲート前(写真左)とコロンナ城の塔(写真右)。塔とはいえど中に入ることはできず,はしごをかけて薪やほし草を運び,狼煙を上げて周囲の村と連絡を取り合うための建築物らしい。この塔のある広場まではさらに急な崖を登っていく
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ゲートに入ると180度折り返して,中庭のほうに続く。なんとなく,日本の城の縄張りを思わせる作りだ
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塔の広場から西側の盆地に広がる農地を眺めた景色。手前の家屋も城内で借家と思われるが,しばらく前まで夫がアーティストだという日本人の女性が住んでいたらしい
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広場から南東のInvader Studiosがある方向を見た景色。このさらに左手,つまり東から北東方向は学校やスーパーマーケットがある比較的開けた場所になっており,近くまで車でアクセスすることも可能になっていた

 アートギャラリーには,日本とイタリアで活動した彫刻家である豊福知徳氏の作品が展示されていた。この地に滞在していたこともあり,ルイジ・マルクッチ氏とも親しかったそうだ。壁には,同じくイタリアで40年近く過ごした画家の高橋 秀氏の作品もあり,意外と日本と深いつながりがあったことを知ることができた。

アートギャラリーでは,改修に資産を投げうった故ルイジ・マルクッチ氏の二人のご子息(現オーナー)がお出迎え。いかにもイタリア人風なナイスミドルだ
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中央と右の写真は豊福知徳氏の作品。ギャラリーのロビーでは地元の名産の試食会も開かれ(写真左),写真手前にあるオリーブなどのぺイストはどれもおいしかった
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 ワインの愛好家なら,オレヴァノ・ロマーノ観光で必ず入手したいのがチェザネーゼワイン。この土地特有の黒ブドウから作るスパークリングワインの1種で,中世の技術では不可能だったはずの,瓶内で発酵させる独特の製法で作られたもののようだ。その品質は中世の法王や王族だけでなく,あのゲーテにも愛されたという。
 第2次世界大戦後はチェザネーゼ畑を放棄する農民が増えて絶滅しかけたらしく,筆者手持ちのワイン辞書にも掲載されていない。今世紀に入ってから地元農家によって復刻され,ワイン業界での注目度が高まっているそうだ

 さて,実際に村を周ってみたところ,スタジオと噴水以外はそのままの風景を切り取ったというものはなく,いわゆる“聖地巡礼”の地という感じではない。直通で行ける交通手段はなく,タクシーだとおよそ1時間という道のりで,料金は2万円ほどかかってしまうということで,このあたりもなかなか難度が高く感じるかもしれない。
 それでも本作にハマった人や,貴重なワインと地元の名産を楽しみたい人。イタリアの田舎ののどかな雰囲気に浸りたいという人なら,旅行の際にそのルートに組み込んでみてもいいところだ。
 ローマから行く場合は,中央駅(Rome Termini)から出ているバスでサンチェザーレオ(San Cesareo)という町に行き(約40分),そこからオレーヴァノ・ロマーノ行きのローカルバスを使うというルートになる。また,サンチェザーレオ発のオレーヴァノ・ロマーノ行きが1日2本ということなので,出発時間はもちろん1泊することを込みでプランを立てよう。

こちらは昼食会が行われたRistrante Sora Maria e Arcangelo(公式サイト)。三つ星ではないが,イタリアの評価ガイドGambero Rosso Guideにて2017年度の“三つエビ”を獲得した名店で,ローマから足を運ぶ人も多いそうだ
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日本語版「デイメア:1998」公式サイト


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