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「川中島の合戦」が復刻されるので,川中島古戦場を訪問してみた
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印刷2016/12/28 00:10

プレイレポート

「川中島の合戦」が復刻されるので,川中島古戦場を訪問してみた

 コーエーテクモゲームスがまだ光栄とテクモという別会社だった(正確に言えば当時の後者はテーカン)時代,光栄がその歴史の第一歩として世に問うたのが「シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦」(以下,川中島の合戦)だった。ときは1981年10月。

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 この「川中島の合戦」は,当時は染料と工業薬品の販売会社だった光栄社内部に社長の襟川陽一氏自らが設立した(そして事実上襟川夫妻だけの)部門である,「光栄マイコンシステム」で制作され,そして当時の光栄の本業を圧倒的に凌駕する売上をもたらす(参考記事)。

 その後も光栄マイコンシステムの快進撃は続き,やがて日本のゲーム史において大きなマイルストーンとなった「信長の野望」を送りだす(1983年)。そしてこれ以降,光栄は“コンピュータゲーム制作会社”として大きく成長していくことになる。

 と,そんなサクセスストーリーの第一歩となった川中島の合戦だが,プレイ環境が得やすい「信長の野望」(「シブサワ・コウ アーカイブス」としてSteamで配信されている)に対し,前者はスクリーンショットを拝むのがほぼ限界という状況だった。

たぶんこういうスクリーンショットを見るというのが一般的な接触方法だったはず
画像集 No.017のサムネイル画像 / 「川中島の合戦」が復刻されるので,川中島古戦場を訪問してみた

 だが,希望はあった。2017年2月16日にリリース予定の「三國志13 with パワーアップキット」PC / PS4 / PS3。以下,三國志13WPK)のPC版予約特典として,「川中島の合戦」がダウンロードできるというニュースが,東京ゲームショウ2016で発表されたのだ。

 となれば,あとはその発売を待つばかりであり,つまりは某氏のように,元黄巾賊のチンピラになって呂布を目指したりしながら遊んで待っていれば良いという話である……のだが,それはそれとして筆者はこの「川中島の合戦」が非常に気になっている。大事なことだから念押しすると,とても気になっているのだ。

 というのも,光栄(およびコーエー)のストラテジーゲームは,概して戦略要素が強い作品が多めだ。国家経営をゲーム要素として取り込んだ「信長の野望」が大ヒットしてからはこの傾向が顕著で,少数の例外(「ヨーロッパ戦線」や「決戦」シリーズなど)を除くと,なにかしら戦略要素がゲームに組み込まれている。

 その一方で,「川中島の合戦」(および,それ以降「信長の野望」までの数作)は,純粋に合戦だけがフィーチャーされている,作戦級のゲームだ。今となってみると「川中島の合戦」はコーエーのストラテジーゲーム群において比較的異色な作品なのである。

なんだか合戦っぽい画面!
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 ……とはいえ,「川中島の合戦」は35年も前のゲームである。さすがに現代的なゲームと比較すると,いろいろなところがツライなんてものじゃあない。しかもこの作品,Steamで買えるとかいうものではなく,手に入れられるルートは割と限られている。
 こうなると単体でのゲームレビューは難しいかなー,難しいですよねー,的な話になっていたのだが,そんななか,4Gamerの編集部から素っ頓狂な提案が舞い込んだのだ。

「コーエーテクモゲームスから『川中島の合戦』の先行ROMを入手しましたよ。せっかくなので,実際に川中島に行って,川中島の合戦をプレイしてみましょう」

 おい,編集担当,それ本気で言ってます? 三國志13WPKはどこにいった? ていうかそんなバカな企画,常識的に考えて編集長が通すわけないでしょ?

 しかして数日後,「通りました」というメールが着弾。マジですか。ていうか季節的には,長野の山の中でノートPC広げて野外でゲームとか,場合によってはめっちゃキツイ可能性があるんですけど。冬ですよ冬。信玄だって謙信だってこんな時期に川中島で戦ってはいないんですよ?

マジですか?
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 とはいえ,これまた個人的に「ゲームの舞台となった場所に行ってみる」という楽しみ方については,いろいろと思うこともある。というわけでこれはきっと僥倖あるいは何かの縁に違いない。ゆえに天佑を確信して突撃せよ……というわけで,取材班(2名+1名?)は冬の長野に向かうことになったのであった。

 いやほんと,なんなんですかね,この流れ。


そもそも「川中島の合戦」ってどんなゲーム?


 さて,実際に川中島に行く前に,「川中島の合戦」がどんなゲームなのか,ざっくりとおさらいしておこう。ほぼ疑いなく,読者のなかでは「遊んだことがない」人のほうが「遊んだことがある」人を,圧倒的に上回っているはずだし。

 「川中島の合戦」は,その名のとおり川中島の戦いを扱った作品だ。プレイヤーは武田信玄となり,上杉謙信を打ち倒すのが目標となる。とても分かりやすい。

 だがこのゲームは,初手からプレイヤーに困難を強いる。この手のゲームでありがちな「武田軍と上杉軍のユニットが画面上に並んでいて,プレイヤーは武田軍ユニットを操作して上杉軍ユニットを撃破する」という構造にはなっていないのだ。初期段階で画面上に表示されているのは武田軍のみであり,上杉軍がどこにいるのか,プレイヤーには明かされていない。

敵ユニットのうち,見えるのは自軍ユニットの視界範囲内にあるユニットのみ。まさに手探り
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 専門用語で言うとブラインドサーチと呼ばれるこのシステム(現代においてもRTSは基本的にこの方式だし,MOBAでもこれが基本となっている)は,索敵の重要性を強調したシステムである。

 これは第4次川中島の戦いにおいて,武田軍が上杉軍の動向を把握できていなかったこと,またそれゆえに軍勢を二手に分けるという壮大な作戦が事実上の不発に終わり,むしろ上杉軍の優位を作ってしまったことを踏まえると,適切なシミュレーションと言えるだろう。

 ただし,上杉軍・武田軍とも,本陣がどこにあるのかはプログラム的に固定されているし,両軍とも本陣は移動できない。このあたりはいろいろ難しく考えることもできるが,何より「そうでないとゲームとして辛い」という部分はあるのかな,と思う。
 実際にプレイすると分かるが,マップが結構広いため,勝利条件(=上杉謙信の討伐)を満たすためにマップ全域を索敵するとなると,端的に言って面倒だし,そもそも川中島の戦いそのものはそういう太平洋における空母戦めいた戦いではなかったはずだ。

 なお,非常に専門的な話になるので詳細は避けるが,「敵の位置がわからない」という,いわゆる「戦場の霧」の再現にあたって,互いに互いのユニットの配置を隠してゲームを進めるというのは,絶対の正解ではなかったりする。マップ上に両軍すべてのユニットを配置したままでも,戦場の霧がもたらすジレンマをプレイヤーに体験させることは可能なのだ。

 しかしながら,こと「川中島の戦い」の,武田信玄という立場をプレイすると考えれば,「敵の位置がマップ上に表示されない」くらいに情報を隠蔽してしまったほうが,より「それらしい」(もっとも上杉本陣の位置は最初から分かっているが)のは確かだ。

謙信の騎兵を槍兵で受け止めつつ,主力は北上
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 とはいえユニットを実際に動かすUIは,現代でもはや見なくなったものが採用されている。各ユニットに対し,東を0度とした反時計回りの360度で方向を指定,移動距離を数値入力という,今なら「そんなのマウスで指定させろや!」と,大炎上しそうな方式なのだ。いやさ,「川中島の合戦」がリリースされたころ,普通のマイコンにはマウスなんてついてなかったんや……。

角度と方向を入力してユニットを移動させる
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 実のところ,当時の視点で見るとこの「角度入力」というのは,そこまで珍しいUIでもなかった。もう分かる人だけ分かってくれと思いながら書くが,光子魚雷の射撃方向を角度入力(に近いUI)を使って撃っていた人だって,決して少なくないはずだ。ですよね?

 「川中島の合戦」でもその手のゲームと同様,「この角度にこれくらい移動すれば敵が攻撃範囲に入るはず」というプレイ経験が結構要求されたりするあたり,実にその時代のゲームの香りを感じる。

 なお,コンピュータ上での処理のやりやすさという点で考えても,この「角度と量を入力」というのは合理的だ。現代的なゲームのように正方形(ないし六角形)のマス目を敷き詰めてユニットを移動させるとなると,どうしてもある程度までパスファインディング(移動先までのルート計算処理)の問題が発生する。一方で角度と量だけならば仮想平面上でユニットの移動先を算術的に計算できるし,いざ射撃戦だ視認距離だとなったときのユニット間の距離測定は座標を元にした,三平方の定理でカタがつく。このあたり,当時のシブサワ・コウ氏が何を考えながらプログラムを書いたかが薄ぼんやりと想像できて,とても楽しい。

 しかるに,いざ接敵して戦闘が始まれば,基本的には集中攻撃による各個撃破でゲームは進むことになる。ユニットによって移動力に差があったりはするものの,この段階まで来れば現代と変わらず「ランチェスター,ランチェスター」と魔法の呪文を唱えながら集中攻撃である。

 ユニットには戦意(いわゆるモラル)も設定されており,指揮崩壊を起こしたりすることもあるが,低難度でプレイする範囲で言えば「とりあえず物理で殴って殺せ」でだいたいなんとかなる。

敵の騎兵にこちらの槍兵を当てて集中攻撃
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 とまあ,ここまでがオリジナル版の「川中島の合戦」である。

 ちなみに三國志13WPKについてくる「川中島の合戦」には,これ以外にリメイクモードというものが付いてくる。こちらはUIから何からすべてが刷新されたモードで,ゲームシステムは同じだが,UIはフルマウスに刷新されている。移動で角度や距離を入力する必要はないし,攻撃範囲も明確だ。実に現代のゲームである。

 ともあれ,PCが「マイコン」と呼ばれていた時代からPCでゲームを作ったり遊んだりしていたという方でないなら,「川中島の合戦」をプレイするときはリメイクモードで遊ぶことを推奨したい。

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画面を見ただけで「どんな感じで操作するか」「どんなルールなのか」が漠然と理解できる。もうそれだけですごい
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江戸時代から変わらない,歴史での「遊び」


 さて,それはそうとして川中島(現実)である

 非常にありがたいことに,取材日の川中島は比較的天気が良く,雪も降っていなかった。このため「川中島で川中島を遊ぶ」という絵も,とくに無理することなく撮影することができた。
 なお念のため書いておくと,川中島で川中島のゲームを遊んだからといって,格段に面白さが増したかと言われると「そんなことがあるとでも思ったのか?」に尽きる。そこはもう,やる前から分かりきっていた話である。

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やっぱこの企画,無理があったんじゃないですかね? という写真。これは……なんというか……
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こういう企画の友達「GPD WIN」。当然ですが「川中島の合戦」くらいは軽々とプレイできる

 そりゃあ理論上は「ここがいまゲームで遊んでいる○○という場所ですね」みたいな遊び方はあり得るだろう。けれど「川中島の合戦」はマップの抽象度も非常に高く(具体的に言えば川や山といった地形効果が存在しない),「信玄の本陣がここにあったということは,ゲームのスタート位置がこのあたりですね」以外に思うこともない。

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川中島現地にあるでっかい戦況図
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川中島。いやー,広い
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川中島古戦場には佐久間象山像もあったりする
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ちょっとした高台にある,「こっちの方角にあの有名なアレがあります」の石碑。って,この写真の人はいったい……?(伏線)

 では川中島に行った意味はなかったんですか? ということになると,それはまた自ずから異なる議論である。

 まず何より,現実の持つスケール感というのは,実際にその場に行ってみないと把握しづらいことがままある。「川中島の戦いはだいたい○○平方キロくらいの範囲で戦われました」みたいなことを地図から読み取ったとしても,その「範囲」を実際に目で見てみると,だいぶ印象が違うというのはよくあることなのだ。
 実際,今回の川中島訪問でも,第4次川中島の合戦で採用された迂回作戦は,「いやこれは無理でしょう,ムリムリ」と思えるくらいに無理を押し通した作戦であることが実感できた。

千曲川の川幅はこんな感じ
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 夜間に迂回行軍した山並みを見て,また渡河すべき千曲川の実際の様子を見ると,「こんな場所を1万人が夜間行軍するとか正気の発想ではないですね」という感想しか出てこないのだ。実際問題,史実では迂回行軍の最中にどれくらい落伍が出たのか,ちょっと想像もできない。

遠くに見える山並みをわたる形で,真夜中に1万人が迂回していったわけでして……
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 その上で,やはり個人的にイチオシしたいのは,こういった場所には必ずといっていいほど存在する「博物館」の類である。川中島の場合は長野市立博物館が置かれており,川中島にまつわる特別展も頻繁に開催されている。

この手の観光地型博物館(水族館などでもよく見る)につきもののアレ
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 取材時には,「ものがたり『川中島の戦い』」という特別展が実施されていた。これがとても興味深い展示で,江戸時代以降,エンターテイメントとして人々に愛された「川中島」にスポットライトをあてる,という企画である。

 まず,そもそも川中島の戦いを伝える史料は決して多くない。いくつかの史料から「こうではないか」という推測がなされてはいるものの,たとえば第4次川中島における信玄と謙信の一騎打ちの図となると,これを確実に裏付ける史料は見つかっていないのだ。

有名なコレですが,史実かどうかは極めて怪しい。少なくとも謙信はこういう格好ではなかった可能性が高い
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 一方,今を離れても,江戸時代以降から川中島の戦いが庶民にとって人気コンテンツであったことを多くの史料が裏付けている。

 実際,今回の特別展には「川中島合戦ファンのための聖地巡礼グッズ(要するにお土産)」や各種書籍,研究史料などにとどまらず,「川中島に参戦した武将を相撲の番付に模した番付表」のような当時のグッズまでもが展示されていた。
 最後の番付表は実にその,衝撃的というか,「人間っていつの時代も変わらないな……」というべきものだ。考えてみれば我々は今に至ってなお「柿崎景家と高坂昌信ならどっちが強い?」という問答を繰り広げていたり,あるいは「やっぱり山本勘助はSSRでしょう!」といった激論を交わしていたりするのだから。

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聖地巡礼グッズがこちら
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江戸時代からもうこの構図
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「川中島の参戦武将で番付を作ってみた」

 そしてまた,こういった形で武将に番付をつけてみたり,あるいは架空武将が混じった「川中島の戦い」が語り継がれていたりすることを鑑みると(江戸期に作られた「川中島」関係書籍には,しばしば架空の武将が登場する),歴史エンターテイメントとは往々にしてこういうものなのだな,という感慨も深まる。諸葛孔明が目からビームを放ったり,織田信長が女の子だったりする時代の萌芽(というか,わりとそれそのもの)は,江戸時代すでに成立していたのである。

この中に架空武将がいる!
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 そういう視点に立つと,今回35年ぶりにリメイクされた「川中島の合戦」もまた,連綿と続く「川中島歴史エンターテイメント」の一翼を担う作品であるとも考えたくなる。こういった形で思いがけない歴史の連続性を発見できる(こともある)のも,現地に赴く楽しみのひとつだ。


ゲーマーはもっと博物館を目指すべき


 もちろん,現地に行ったからといって,必ずこういった出会いや発見があるというわけではない。期待して現地に行ってみたら,「いやこれって歴史の名残りも何もありませんよね?」みたいな場所だった,なんてことだって多い。

 また日本に限らず,丘陵地や河川は人の手が入っていることが多いため,「ここが有名な○○川か!」と思ってみたら実は河川改良工事によって当時の流路と全然違うところを川が流れてました,なんてことも頻繁にある。ましてや「これが有名な○○屋か!」みたいな建造物だと,移築した後だったり,全力で無関係だったりすることの方が珍しくない。

昔の川と今の川で,流路が違うなんてのは極めて普通にあること
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 また,一部の「聖地巡礼」には,ちょっとした危険が伴うことも意識しておきたい。
 筆者の知人には城跡をめぐるのが好きな歴史ファンがいるが,彼曰く「戦争を前提とした城というのは,当たり前だけど守るにあたって有利になる場所にある」という。
 つまり,さほど観光地化されていないその手の城跡の場合,現地にたどり着くまでが結構危険だったり,想像よりずっと時間がかかったりする。辺鄙な山の中の城跡に到達したはいいが,「これって事実上の遭難じゃないですかね?」的な事態になり得る可能性には,十分留意してほしい。

取材が終わろうとする頃には天候が悪化し始めていた。山の天気は変わりやすい
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 その上で,よりゲーマー事情的なところを言うのであれば,「現地に行った」というのがひとつのバイアスになり得ることには,とくに注意したい。

 前述のとおり,現地に赴くことで人は強烈な体験を得ることがある。戦場となった地域の広大さや険しさを知ったり,気候や環境の厳しさを肌で感じたり,地元の博物館で様々な歴史的遺物を見たりするといった体験は,とりわけ強い印象を記憶に植え付けることになる。

 けれどもそうやって「自分の目で見たもの」は,決して歴史の全貌ではあり得ない。今と昔で環境に差があることはもちろんだが,個人が一人称視点で見て感じたことを「その場の歴史全体(あるいは歴史の真実)」と思い込んでしまうのは錯誤なのだ。

 一方で,歴史エンターテイメントとは,「作者がどのように歴史を解釈したか」の結果と言える。作者からの一人称視点で語られる物語が,歴史エンターテイメントの中心部分に存在するわけだ。

 なので「それはそれ,これはこれ」の精神を正しく働かせ,「歴史エンターテイメントが語る物語」と,「自分が現地に行ったことで自分の中に生まれた物語」を別々に楽しむほうが,より健全な結果が得られやすい。言い換えれば,「僕はね,川中島まで行ってきたんだけどね,だから言うけど,この川中島ゲームはここがおかしいよね」的なスタンスは,誰のためにもならない。

 ともあれ,ある程度まで整備された史跡に出かけること,あるいはそういった場所に置かれた博物館に行くことは,それ単体で楽しいことだ。身も蓋もない言い方をすれば,観光地に観光に行ったら楽しいというのは,当たり前のことなのだ。

 だが忙しすぎる現代人はときに,そういった観光の楽しさを忘れてしまうことがある。それはそれで,もったいないことだと思う。

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長野市立博物館に入ると,ロビーには甲冑のサンプルが
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この甲冑武者はいったい……?
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正解はコーエーテクモゲームス シブサワ・コウブランド長の藤重和博氏。なんでいるんすか……
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古い川中島合戦の図を前に,藤重氏の解説を聞く筆者
※編注:別件の取材時に「こんなバカなこと考えてるんですよねー」と話したところ,その後に「個人的に有休を使ってでも行きたい」と言われて,編集者ちょっと困惑。「ちょうど長野オフィスもありますし!」とは藤重氏の弁だったが……ちょうど? ということで,長野で合流して古戦場を一緒に回ることになった。ともあれ,藤重氏も楽しめたようで何よりです


 別段,歴女だの聖地巡礼だの,はやりの言葉を使う必要はない。休日に軽く足をのばして,地域の博物館に入り,帰る。ゲームがこの小旅行の楽しさを呼び覚ますきっかけとなるなら,それはそれでとても良いことだろう。

 また逆に,近所の博物館に足を運んでみると,「これゲームで見たことがある」的な遭遇をすることも珍しくない。「遠出するのはちょっと」という方であれば,まずは自宅から一番近い博物館に向かってみてはいかがだろうか。そこでの出会いは,あなたのゲーム体験をちょっと面白くしてくれる――かもしれない。
 ……というか,博物館の入館料なんてせいぜいガチャ1〜2回相当。ガチャをちまっと回すよりは,博物館に行ったほうが高確率で楽しい(特にゲーマーと博物館はものすごく相性が良い)ことに出会えるはずだ。


 とはいえ,そのなんだ……今回の長野取材は素晴らしい幸運に恵まれたというのは動かしようのない事実である。「明日からめっちゃ寒くなる予定です」「今日も午後からは冷たい雨の予報です」という悪条件のなか,奇跡的に取材中は好天(かつ気温も暖かめ)。取材班が東京に帰る電車に乗ったあたりで天気が本格的に崩れ始めるという,きわどい展開だった。
 これが雪の川中島取材になっていたら,とてもではないが「ゲーマーはもっと外に出ようぜ」的な結論を持ってこれなかったかもしれない。合戦も取材も些細な運に左右されることを銘じて,皆様もひとつ,小さなお出かけのプランを練ってみてはいかがだろうか。

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