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  • Wizards of the Coast
  • 発売日:2014/07/03
  • 価格:スターターセット:2200円(税込)
    プレイヤーズ・ハンドブック:5500円(税込)
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レジェンド達によって紐解かれる「D&D」の50年。黎明期の1970年代からTSR終焉までが語られた“50周年記念セッション”レポート(前編)
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印刷2024/09/10 08:30

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レジェンド達によって紐解かれる「D&D」の50年。黎明期の1970年代からTSR終焉までが語られた“50周年記念セッション”レポート(前編)

 1974年に誕生した「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(以下,D&D)は,今年2024年で50周年を迎えた。D&Dを世に送り出したTSRというゲーム会社は,当時ウィスコンシン州のレイク・ジェニーバという町に拠点を構えていたのだが,そのレイク・ジェニーバで開催されていたゲームイベントが「ジェニーバ(Geneva)のコンベンション(Convention)」の意を冠する「Gen Con」である。

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 そして2024年,8月に開催されたGen Con 2024では「D&D生誕50周年」を記念し,歴代D&Dに携わってきた関係者を招き,当時の証言を語ってもらうセッションが催された。1974年の初代「Dungeons & Dragons」から,現行ルールである「5th Edition(第5版)」まで,それぞれの時代のD&Dに関わった人々が,それぞれの体験を語ったのだ。

 また,同じGen Con会場では50周年を祝う展示イベント「D&D Musium」も催されていた。その会場には,今回の歴史証言に出てくる貴重な製品が実際に展示されていた。ここではそうした展示物と当時の関係者の証言を交えながら,50年に及ぶD&Dの歴史を振り返っていきたい。

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「ダンジョンズ&ドラゴンズ 第5版」公式サイト



1974年:最初のボックスセット「Original Dungeons & Dragons」


 D&D50年の歴史を語るイベントの幕開けを飾ったのは,初代D&Dこと「Original Dungeons & Dragons」(以下,OD&D)について語られたセッションだ。以降の製品と区別するため“Original(元祖)”と冠されているが,当時はもちろん唯一無二のD&Dであり,Tactical Studies Rules(のちのTSR)から1000セットが販売されたそうである。

最初のD&DであるOD&Dは,手作り感あふれる箱に収められていた。この箱の色から,通称「Brown Box」とも呼ばれる。向かって左にあるのは,D&Dの源流となったウォーゲーム「Chaimail」。OD&Dのボックスにも「Rules for Fantasy Medieval Wargames Campaign=中世ファンタジー・ウォーゲーム用のキャンペーン・ルール」とあり,まだRPGという概念が存在しなかった頃の空気を今に伝えている
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世界最初のRPGに同梱されていた3冊のブックレット。キャラクターと呪文について書かれていた「Men & Magic」。モンスターと宝物のデータが掲載された「Monsters & Treasure」。最後の「The Underworld & Wilderness Adventures」では冒険の舞台について説明がなされている。現在のコア・ルールブックと同じ3冊構成ではあるが,それぞれの役割が微妙に異なる
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このOD&Dを語るセッションに登壇したのは,Steven R. Marsh氏(左)とMike Carr氏(右)。中央は「50 years of D&D」の司会を務めたJon Peterson氏だ
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司会のJon Peterson氏は,数々のゲーム歴史書の著者として知られる。同氏の代表作の一つ「Playing at the World」は,H.G.ウェルズの「Little Wars」にまで遡り,現在のゲーム文化の源流をたどった1冊。D&D第5版「Dungeon Master's Guide」(以下,DMG)巻末の「付録D:ダンジョン・マスター用おすすめ書籍」でも推奨図書として挙げられている。写真は第2版の第1巻で,D&Dの成立過程を描く形に再編集された新版にあたる
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D&Dの50周年を記念して刊行された「The Making of Original Dungeons & Dragons」。元祖OD&Dが生まれるまでが書かれた公式歴史書で,この執筆にもJon Peterson氏が参加している
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 さて,OD&Dを生み出したGary Gygax氏Dave Arneson氏は,二人とも残念ながらすでにこの世の人ではない。ゆえに,このセッションは“当時を知る”関係者を招いて,1970年代以前の様子を聞く流れとなった。
 登壇したMike Carr氏は,1963年開催の「Gen Con 1」に参加した貴重な時代の証人の一人だ。当時,RPGなんて名称はもちろん存在しておらず,17歳だったCarr氏はウォーゲームへの関心から,IFWというサークルつながりでGen Conの存在を知り,両親に頼み込んでミネソタ州セント・ポールの自宅から500km以上離れたウィスコンシン州レイク・ジェニーバまで車で連れて行ってもらったという。そこで出会ったのがRPGの生みの親の一人であるGary Gygax氏だった。

※IFW……International Federation of Wargamingの略称で,アメリカ中西部に存在していたゲームサークルの連合体。その中心となった人物の一人が,D&Dの生みの親であるGary Gygax氏である。

1960年代からアメリカ中西部のゲームサークルに参加していたCarr氏。後述する歴史的なモジュール「In Search of the Unknown」を執筆したことで知られる
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 Gen Conに参加したことが縁となって,Carr氏はGary Gygax氏と知り合い,やがてTSRに呼ばれて数々のD&D関連製品の編集に携わることになる。「Advanced Dungeons & Dragons 1st Edition」(以下,1e)のコア・ルールブックや,初期の名作モジュール(シナリオ)の編集を手がけたのがCarr氏で,初期の重要な製品に多く携わったそうだ。
 だが,そのような製品もさることながら,Carr氏の代表作と言えば,やはり記念すべきB1モジュール「In Search of the Unknown」だろう。このモジュールは初代「Basic Set」に同梱されたため初心者を意識した構成になっており,ゲームの遊び方や冒険の作り方が丁寧に解説されていた。

1977年にリリースされた最初の「Dungeons & Dragons Basic Set」。この頃の「Basic Set」は,より高度な「Advanced Dungeons & Dragons」との対比としての「Basic」であり,初心者向けのエントリー製品という位置づけだった
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Carr氏はB1モジュール(リンク先はDriveThruRPG)の開発当時を振り返り,「実は私は,あまり熱心なD&Dプレイヤーではなかった。だからこそ,少し距離を置いた外側の視点でD&Dを見ることができた」と語った。そのことが初心者向けモジュールを執筆するにあたり,良い影響を与えたのだそうだ
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 さて,この「In Search of the Unknown」というモジュールは,“B〜”というコードが与えられた記念すべき作品でもある。“B”は“Basic”で,“1”は1作目の意である。なおB2にあたる「The Keep on the Borderlands(国境の城塞)」から,B12の「Queen's Harvest(クイーンズ・ハーベスト)」までは日本語版が刊行されたが,このB1だけは邦訳されなかった。その背景には「Basic Set」に付属するモジュールが,途中からB2「国境の城塞」に変更され,日本語版がリリースされる頃には初心者DMのための入門的役割がB2へと切り替わってしまったためだろう。

D&D Musiumでの当時のプレイ風景の再現展示。ダイスも当時のままの実物が使われているが,この頃のダイスは強度が弱く,角が摩耗して崩れている。また数字部分は彩色されていなかったため数字が読み取りづらく,自分でクレヨンをすり込んで使用したそうだ
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 もう一人の登壇者であるSteven R. Marsh氏は,学生時代にD&Dを知り,初期のTSRで重要な役割を果たした人物だ。一例を挙げると,氏は初期D&Dが生み出されていく過程で「Psionics(サイオニクス)」の元となるアイデアを創出したりしている。
 サイオニクスとは精神の力を具現化した超常能力で,ファンタジー的な魔法とは根源的に異なるもののこと。歴代のD&Dでは選択ルール的にサポートされることが多く,サイオニクスが初めて紹介されたのも「Eldritch Wizardry」というサプリメントだった。

「D&D Musium」の展示より「Eldritch Wizardry」(左)。このサプリメントでは,新クラスとして「ドルイド」が導入されたほか,強大なデーモンである「オルクス」や「デモゴルゴン」,さらにはアーティファクト「The Orbs of Dragonkind(日本の「ドラゴンランス」ファンには“ドラゴン・オーブ”として知られる)」などが掲載されていた。右は「Gods, Demi-gods & Heroes」で,神話の神々を扱った初期のサプリメントだ
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Marsh氏はセッションにて,初めてRPGというものを知ったときのことを振り返った。「D&Dを初めて知ったのは大学時代で,そのとき同じ机に座っていたのがサンディ・ピーターセン。彼からルールブックを借してもらったよ」とのことで,なんと両氏は同じ大学(ブリガム・ヤング大学)の学友だったのだ。かたやD&Dにおいてサイオニクス能力を創出し,かたや「Call of Cthulhu(クトゥルフ神話TRPG)」の作り手となったわけだ
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OD&Dと共に展示されていた「The Strategic Review」。Tactical Studies Rules(TSR)が発行していたニュースレターで,これはその第1号だ。1975年春刊行で,価格は50セントとある。このニュースレターにはD&Dのクリーチャーなどが紹介されていて,この第1号で初めて「Mind Flayer(マインド・フレイヤー)」が掲載された
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大躍進と同時に,かつてない試練にも直面した「AD&D 1st Edition」


 さて,D&Dの歴史を振り返る次のセッションは1e,つまり「Advanced Dungeons & Dragons 1st Edition」の時代である。このステージでは,Allen Hammack氏Luke Gygax氏が登壇した。この時代にD&Dは大きな飛躍を遂げるが,同時にさまざまな困難にも直面することとなったという。

1eの「Player's Handbook」(以下,PHB)とDMG。このエディションから,現在まで続く「PHB」「DMG」「Monster Manual」(以下,MM)の3冊によるコア・ルールブック構成が確立された
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 このセッションに招かれたLuke Gygax氏は,D&Dの拡大を“公私”の両面で体験した人物といえる。父親であるGary Gygax氏が経営する会社が急速に成長し,それに伴ってガイギャックス家の生活も変化していったのだ。
 「父は税金を50%も持っていかれて,アイルランドへの移住を真剣に考えた」「ママがキャデラック・セヴィルを買った」「何度もイギリス旅行した」「小学3年生のときにクリントン(ウィスコンシン州)に家を買った」などなど,D&Dの拡大と共に変化していった,幼少期の実体験が語られていった。

 また氏は,Gary Gygax氏のクリエイティブな側面にダイレクトに触れてきた人物でもある。「学校から帰って,父のオフィスにあるMMを読んだりしたし,父が家にいて執筆作業をしているときは,その生原稿を見ることもあった。場合によっては,それをテストプレイすることさえありました」とのことで,Luke Gygax氏は単にGary Gygax氏の息子であるだけでなく,Gary Gygax氏が創作に取り組む姿を間近に見て育ち,その作品に深く関わってきたそうだ。

3冊目のコア・ルールブックであるMMと,サプリメントの「Deities & Demigods」。「Deities & Demigods」は世界中の神話を集めたサプリメントで,その中の1つとしてバビロニア神話も掲載されている。日本のビデオゲーム「ドルアーガの塔」がD&Dの影響を受けて生み出されたことは有名だが,ここに「DRUAGA(ドルアーガ)」「GILGAMESH(ギルガメス)」「ISHTAR(イシター)」などが掲載されている
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 その後Gary Gygax氏は,TSR Entertainmentの仕事でカリフォルニアへ移り住んだ。「ビバリーヒルズにあった10エーカーもの邸宅を会社名義で借りていた。そこには父のためのオフィスがあって,父と僕自身と,僕の姉弟たちのための素晴らしい生活用品も備えられていた」と,カリフォルニアでの生活を振り返った。

 だが,Gary Gygax氏はこのようにクリエイターとしての頂点を極めたのち,やがて会社を去ることになってしまう。簡単に背景を説明しておくと,この頃のTSRは経営の多角化で収益率が急速に悪化。さらには主要株主であるGary Gygax氏と,Brian Bloom&Kvin Bloomの兄弟とで主導権争いが行われていたのだ。
 セッションではそうした背景について触れたうえで,司会のJon Peterson氏が困難な時期のGary Gygax氏について尋ねる一幕もあった。
 これに対してLuke Gygax氏は,「父はビジネスのことは教えてくれなかったが,子供だった私にも何かが起きていて,会社に火がついていることは察することはできた。地上に向かって落ちていく飛行機の中で,なんとかエンジンを再点火しようともがいていた状態だった」と話していた。

D&Dの生みの親,Gary Gygaxの息子であるLuke Gygax氏。メルフズ・アシッド・アローなどの呪文名に名前を残す魔法使い「Melf(メルフ)」は,Luke Gygax氏がGary Gygax氏のキャンペーンで使用していたキャラクターに由来している。現在はゲーム会社「Gaxx Worx」を経営しており,当日も同社のTシャツを着用して参加していた
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元々レイク・ジェニーバで開催されていたGen Conはインディアナポリスへと場所を移したが,RPG発祥の地であり,Gary Gygax氏の居住地であったレイク・ジェニーバでは,同氏の名を冠した「Gary Con」が,息子であるLuke Gygax氏の呼びかけによって開催されている
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 経営難や社内闘争に晒されていたこの時期,D&Dはそういったビジネス的な問題とは異なる困難にも直面することになる。その代表例が「James Dallas Egbert失踪事件」だ。1979年8月,ミシガン州立大学の学生が行方不明となり,彼が遊んでいたD&Dとの関連が疑われて全米を騒がせた。RPGという遊びが若者たちの間で急速に広まったことで,人々の関心を引き寄せるセンセーショナルな事件として報道されたのだ。

 その当時の様子を,Hammack氏は次のように回想した。

「会社の幹部から内線がかかってきたんです。FBIがやってきて,話が聞きたいと言っていると。行方不明の少年がD&Dをプレイしていた可能性があること,ミシガン大学の蒸気管トンネルのこと(少年はそこで薬物を飲み,自殺を試みたが未遂に終わった)。そういったことについて,社内すべてのデザイナーに話を聞きたいと言うんです。捜査官のいる部屋に行ってみると,そこにはマップが広げられていました。少年の部屋から見つかったもので,そのマップと既刊のモジュール(シナリオ)との間に共通するパターンが見いだせるかどうか尋ねられました。我々は進んで捜査に協力しましたが,D&Dとの関連性はまったく見出せず,実際にD&Dとはなんの関係もないことが明らかになったわけです」

 最終的に嫌疑は晴さられたものの,RPGという未知の遊びに対して向けられた好奇と猜疑の眼差しが即座に拭われたわけではなかった。この事件を筆頭に,世の大勢にとって未知の遊びであるRPGに対するさまざまな“事件”が,この頃から取り沙汰されるようになり,メディアを賑わせていくのである。D&Dにとってこの時期は,経営的にも社会的にも困難に試練に晒された時代だったのだ。

Hammack氏は,1970年代から多数の作品に関わったデザイナー兼編集者だ。代表作に「The Ghost Tower of Inverness」があり,これには“C1”というコードが銘打たれていた。“C〜”は“Competition(競争)”を意味し,その名のとおり,コンベンションなどで「競い合いながら」プレイする設計だった
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D&D Musiumに展示されていたHammack氏による「Assault on the Aerie of the Slave Lords」。これもGen Conで用いられたイベント用モジュールで,全4作からなる“A”シリーズの3作目にあたる。数あるD&Dモジュールの中でも名作と位置付けられ,2013年にはAシリーズをまとめた記念版「Against the Slave Lords」も刊行された
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すべての要素を洗い出して再構築された「AD&D 2nd Edition」


 D&Dの生みの親であるGary Gygax氏が去って,新たな経営者にLorraine Williams氏を迎えて,TSRは存続していくこととなった。Gary Gygax氏とBloom兄弟の支配権争いは,結局どちらが勝利するでもなく,第三者であるWilliams氏が株式の過半数を握る形で,その後のTSRを支配していくのである。

 そうして新たな時代を迎えたD&Dは,ルールを一新した「Advanced Dungeons & Dragons 2nd Edition」(以下,2e)を世に送り出す。この時代の証言者としてステージに登壇したのが,David "Zeb" Cook氏Steve Winter氏だ。
 両氏がこれまでの登壇者と違うのは「実際にコア・ルールを作った張本人」であるということ。Cook氏はリード・デザイナーとして,Winter氏も中心人物の一人として,2eのコア・ルールブック開発に携わっている。

2eのPHB。日本でも新和から発売されたので「AD&Dと言えばコレ!」という年季の入ったファンも多いだろう
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Winter氏はTSR時代から「4th Edition(第4版)」の時代に至るまで,長年にわたってD&D関連製品の開発に携わり続けた大ベテランだ。2eではコア・ルールブックの構成を全面的に見直し「よりまとまった,より明快な」ルールにするべく膨大な検証作業を行ったという。「すべての要素をドット・マトリクス方式のプリンタで出力し,壁に貼りつけながら再構築した」とか
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 2eの開発は,コンセプトの全面的な見直しから始まったという。そもそも1eのルールには大量の追加ルールが加えられ,それらが複数のサプリメントや「Dragon」誌に分散している状態になっていた。またルールの運用上も不便な面があり,それらを改善することが大きな目標だった。
 「1eではプレイヤーに必要だと思われる情報がDMGのほうに掲載されていて,プレイヤーはそうした情報にアクセスできませんでした」とWinter氏が語ったように,1eのPHBは非常に薄く,ごく基本的なデータしか掲載されていなかった。現在のPHBには,戦闘での攻撃をどう判定するかといったルールが載っているが,1eの頃はそれはDMのみが知るべきとして,DMGにしか掲載されていなかったのだ。
 もちろん,こうした基本的なメカニクスはプレイヤーも理解できていたほうがゲームがスムーズに進行する。2eの開発は,こうした根本を見直すところから始まった。

2eのコア・ルールでリード・デザイナーを務めたCook氏。同氏はTSRを離れたのち,Interplay Entertainmentで「Fallout 2」のデザイナーを務め,その後は「The Elder Scrolls Online」の開発に携わっている。D&Dにおいては,東洋世界を描いたサプリメント「Oriental Adventures」で“Weapon Proficiency(武器の習熟)”を導入したクリエイターとして知られる。“Weapon Proficiency”は2eのPHBにも収録され,現在もゲーム用語として最新ルールブックに引き継がれている
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 それと並行して,1eに存在していた要素のうち,どの部分をコア・ルールに収録し,どの部分を将来的なサプリメントに見送るのかといった取捨選択もなされることになった。これには果てしない議論が繰り返されたという。最終的な判断には開発チーム内での議論だけでなく,プレイヤーの声も取り入れられ,当時TSRが主催していたGen Conで意見が募られることもあったそうだ。
 こうしたプレイヤーへのリサーチの中で,とりわけインパクトが大きかったのが専門誌「Dragon」上に掲載されたCook氏の記事だったという。その名も「Who dies?(死ぬのは誰だ?)」である。

「どのクラスを収録するべきか,私には確固たる信念がありました。だからDragon誌上で“Who dies?”という炎上覚悟の記事を掲載し,議論を巻き起こしたんです」(Cook氏)

 “Who dies?”とは,つまり「どのクラスをPHBから除外するか」という意味である。結果として,バーバリアンやモンクなどのクラスは収録されることなく,サプリメントへと見送られることになった。
 なお,アサシンは外されることがほぼ確定だったようで,その理由は「邪悪だから」とのこと。パーティの調和を乱しかねないということと,世間的な(とりわけママたちへの)悪印象を避ける狙いがあったそうだ。なお,2eでは「マジックユーザー」が「ウィザード」になるなど,クラスの名称が変更されているが,これについても長い議論を要したという。

2eで大きな広がりを見せた世界設定「Forgotten Realms(フォーゴトン・レルム)」。小説やデジタルゲームなど幅広いジャンルで展開されたが,実は「当初はGreyhawkに触れることが許されていなかった」(Cook氏)とのこと。そんな事情もあって,フォーゴトン・レルム世界が大きく拡張されていった
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中央は「Introduction to the Forgotten Realms」と呼ばれる内部資料。小説やゲームなどといった関連製品を執筆するときに参照された聖典(Bible)だという
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 1990年の終わりになって,TSRの時代は終焉を迎える。TSRが破産した直接の原因としては,新作ダイスゲーム「Dragon Dice」の失敗や,大手出版社ランダムハウスからの大量返品などが挙げらるが,それと同時にD&Dをとりまく環境にも変化が訪れていた。
 司会のPeterson氏から,TSR末期の様子を問う質問が投げかけられ,これに両氏は次のように当時を述懐している。

「新たに『Magic: the Gathering』が出てきたりもしたが,それだけではなく『Vampire: The Masquerade』のような作品によってRPG市場も変わっていっていた」(Winter氏)
「だからプレイヤーが市場に入ってくるあり方が変わったし,プレイヤーが求めているものも変わっていったのです」(Cook氏)


 新たな遊びが登場したことで,アナログゲームの世界全体に大きな変化が起こっていたのである。
 最終的にTSRは,「Magic: the Gathering」のウィザーズ・オブ・ザ・コーストに買収されるわけだが,もう一つの可能性として出版大手のランダムハウスの手に渡る可能性もあったようだ。だが,これについてWinter氏は断言した。「社内の誰一人として,ランダムハウスに会社が売られることは望んでいなかった。そのことだけは確かだ」と。
 そもそもTSRに決定的な打撃を与えたのはランダムハウスからの大量返品であり,当時のスタッフたちの心境が察せられるところだろう。
 かくしてTSRの時代は終わりを告げ,D&Dはウィザーズ・オブ・ザ・コーストが引き継いでいくことになる。

 D&Dの50年史を語ったセッションの前半パートでは,1970年代の黎明期からTSRの時代が終わりを告げる1990年代までの証言をお伝えした。後半パートでは新たな時代の幕開けとなる「Dungeons & Dragons 3rd Edition(第3版)」以降の関係者の証言をお届けする予定だ。第3版は日本でもなじみの深いルールであり,これまで以上に興味深く読んでもらえるはず。どうか楽しみにしていてほしい。

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