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[GDC 2018]日本の小さなゲームメーカーは世界で戦えるのか。Onion Gamesの木村祥朗氏が「Million Onion Hotel」の制作について語った
講演のサマリーには「日本の小さなゲームメーカーは世界で戦えるのか?」と書かれており,それに答えを出そうというのが趣旨の1つでもある。なお,ゲームの内容は「こちら」の記事を参照してもらえれば幸いだ。
「Million Onion Hotel」公式サイト
「Million Onion Hotel」ダウンロードページ
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木村氏はまず,自分はゲーム開発者であると同時に旅人であると語った。「moon」というユニークな作品で知られる開発者だが,会社にいると「ゲーム作り」とはあまり関係のないマネジメントやお金の計算といったことが起きる。木村氏はそのたびにイヤになって旅に出るのだという。
こうした「エスケープ」のたびにスイスやフランスの友達を訪ね,絵を描いて道端で売ったり,自分のための小さなゲームを作ったりして,気分を回復するのだそうだ。
2012年,日本ではソーシャルゲームが流行し始めていた。木村氏がゲームの企画を各社に売り込みに行くと,「木村さんも『FarmVille』みたいなゲームを作ってください」と勧められ,これはいよいよ日本のゲーム業界そのものからエスケープするしかないかな,と感じたという。
ゲーム作りにも,あまり情熱を注ぐことができなくなっていた木村氏にとって,転機となったのが,2012年のIndependent Games Festival(以下,IGF)である。ご存じのようにIGFとは優れたインディーズゲームに賞を贈るイベントで,その華やかさや活気にかなりの衝撃を受けたのだ。木村氏は「このイベントに出たい」「自分の作品を選んでほしい」と強く望み,やがて涙が溢れてきた。
旅人でもある木村氏は,氷点下数十度という場所でオーロラを見たり,アフリカのジャングルでゴリラの巣を探したりするが,そうした大自然を目の当たりにするたびに涙が流れるという。IGFの非常にカラフルで多様性に富んだゲームを見たときに,同じ感情が湧き上がってきたそうで,それほどの衝撃を受けたのだと自己分析した。
僕は何をやっているのか? 資金がないからといって,なぜゲーム作りをあきらめていたのか? 木村氏は決意を新たにして,IGFに選ばれるためにゲームを作ろうと日本に帰ったという。
ゲーム作りを再開したところ,3人の仲間が集まった。当時借りたのは3m×3mほどの部屋で,全員揃って仕事をすると,次第に空気が足りなくなるような窮屈な空間だったとのこと。木村氏はこれまでのように真面目に作るのはやめ,楽しく作ろうと考えを改めたという。そして仕事を再開すると,不思議なことになんとなくゲームが作れそうな雰囲気になってきたそうだ。ここから「Million Onion Hotel」はスタートした。
ここで木村氏は,12歳のときのノートと,新たに作り始めたゲームの仕様書を見せた。木村氏はこれまでも仕様書を書く前には,必ずこうしたスケッチを描き,これを使ってゲームを作っている。任天堂やナムコのゲームが好きで,絵の雰囲気はそれらに影響を受けているとのことだ。
真面目な書類も手描きだそうだが,ゲームの画面遷移の様子などもイラストで表現されている。これは何度も描きなおしたそうで,最初のアイデアではショップがあったが,最終的にはなくなっているとのこと。また,レベルは当初100種類作る予定だったが,製品では70種類だ。
最後に紹介されたのは,ボス戦を描いたもの。これには2011年に発生した東日本大震災の影響があったという。しかし,木村氏の中でうまく消化できなかったため,ゲームでは使われていない。
ともあれ,4人で楽しく作った甲斐があって,2014年に開催されたインディーズゲームのイベント,BitSummitとIndieCadeに出展することができた。当時,「木村氏が新作を発表した」というニュースを見た読者も少なくないと思うが,ここから「Million Onion Hotel」が公になったと言っていいだろう。
木村氏曰く,その頃が最もハッピーな時期だったという。このまま翌年(2015年)にリリースできるのではないかと考えていたが,ここで思いもよらない大事件が起き,奈落のどん底に突き落とされた。
それは,ソースコードや画像など,ゲームのすべての要素をしまい込んだMacが壊れてしまったのだ!
……それの,どのあたりが大事件なのかと思った来場者(つまりゲーム開発者)は少なくなかっただろう。しかし,木村氏は「貧乏だったのでバックアップはとっていなかった」という。また,ソフトウェア開発支援のためのWebサービス,GitHubの存在は知っていたが,信用していなかった。そのため,Macが壊れたらそれっきりだったのだ。「本当にバカでした」(木村氏)。
そんなわけで木村氏はすごく落ち込んだが,落ち込んでばかりもいられない事情があった。その頃,スマホ向けRPG「勇者ヤマダくん」(iOS/Android)の開発も同時に進めていたのた。ここで「Million Onion Hotel」のことは一旦すっぱり忘れて,「勇者ヤマダくん」に集中することを決断したという。我々は2014年の発表以来,ローンチまで随分時間がかかったことを知っているが,実はこのような事情があったのだ。
「勇者ヤマダくん」は2016年1月に日本で,翌2017年1月に北米でリリースされた。北米でのタイトルは「Dandy Dungeon」だが,Action Button EntertainmentのTim Rogers氏が見事な翻訳をしてくれたという。
とはいえ,「Million Onion Hotel」のことを考えると,木村氏の胸中は複雑だった。そのとき,開発メンバーの1人が「僕に全部任せてくれるなら,すばらしいものを作ります」と宣言したそうだ。できるものならやってみろ,といった感じで任せたところ,実際に完成して,2017年のBitSummitに出展されたのだから,世の中分からない。見た目は以前のバージョンと変わらないが,ゲームエンジンを使わないで最初からC++でスクラッチしたため,グラフィックスもなめらかでサウンドの遅延もなく,初期化も早いという。まったく新しいものになっているのだ。
日本の小さなメーカーが作ったこのゲームが世界で戦えるのか? それが次の挑戦になるのだが,2017年12月から始めたプロモーションははかばかしいものではなかった。さまざまなメディアにリリースを送ったものの,取り扱ってくれるところが非常に少なかったという。
これについて木村氏は知り合いのメディアや関係者に話を聞いたそうだ。上記のように「Million Onion Hotel」はコンシューマゲームのようなスマホゲームだが,スマホゲームを専門にしているメディアは,こうしたフリーミアムのないタイプの作品を扱わず,コアなゲーマーを対象にしているメディアはスマホゲームを扱わないと言われたという。つまり,多くのメディアが取り扱ってくれないゲームを作ってしまったわけで,このままでは世界が気づいてくれないという大ピンチである。
そんな状況下,木村氏はゲーム作りを再開したきっかけを思い出す。それはIGFだ。IGFにノミネートされれば,世界が注目するはず。2018年の正月はIGFからメールが届くのを,一日千秋の思いで待っていたという。
結果として,IGFにノミネートはされなかった。しかし,“Honorable Mentions”(選外佳作)として,Excellence in AudioとNuovo Awardに「Million Onion Hotel」の名前が掲載された。あまりにも残念だった木村氏は「“Honorable Mentions”とはなんだろう?」とTwitterに書き込んだが,悔しくて消したという。IGFが好きで好きでたまらないのに,「友達ならいいけど,恋人は……」と言われたような気分になったそうだ。
旅人でもある木村氏は傷心旅行として京都に出かけたが,そこで「3m四方の部屋でゲームを作っていたときと比べて,今は仲間が8人もいる。状況は好転している」と考え直したという。
ここで,「日本の小さなゲームメーカーは世界で戦えるのか?」という疑問に戻るが,木村氏の答えは結局,「よく分からない」というものだった。そして,「自分は今,仲間と共に宝島を探す航海の途中にあるようなもの。旅の途中なので答えは出ないが,考えてみると,これはとても幸福なこと」と述べた。
最後に来場者の質問に答える形で,木村氏は新作の存在を明かした。それによると,スマートフォン向けではないシューティングゲームの制作を進めているという。発表がいつになるかは分からないが,楽しみに待ちたい。
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(C)DMM.com POWERCHORD STUDIO / Onion Games
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