連載
現実を変容させる第2世代のサイバーパンク「スノウ・クラッシュ」(ゲーマーのためのブックガイド:第9回)
「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載だ。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,さまざまなテーマでお届けする。
「サイバーパンク2077」で改めて注目を集めるサイバーパンク。それらの作品は,ときに現実の側にも影響を与えてきた。本連載の第9回で紹介するのは,そんな作品の代表作ともいえる1992年の小説で,2022年1月に新版が刊行されたニール・スティーヴンスン氏の小説「スノウ・クラッシュ」だ。
スノウ・クラッシュ〔新版〕上/下(ニール スティーヴンスン/早川書房)
こうしたサイバーパンク作品に登場する進歩したコンピュータ・テクノロジーの描写は,サイエンス・フィクションとしての説得力を物語に与えるとと共に,ときとして現実の科学技術の発展にも大きく影響を与えてきた。そうした側面からも注目を集めているのが,このたび新版が刊行されたニール・スティーヴンスン氏の小説「スノウ・クラッシュ」(1992年)だ。
本書で描かれるのは,アメリカという国がバラバラに寸断され,フランチャイズ化された都市国家のひしめく近未来。視点人物はヒロ・プロタゴニストという名前だが,プロタゴニスト(Protagonist)は主人公という意味なので,いかにも人を食っている。彼はピザの〈配達人〉にすぎないが,実は凄腕の剣士。おまけに,仮想空間メタヴァース(Metaverse)に参画するアヴァターの技術を開発した腕利きのハッカーでもあるのだ……。
スノウ・クラッシュ〔新版〕上/下
著者:ニール スティーヴンスン
翻訳:日暮雅通
版元:早川書房
発行:2022年1月25日
価格:1080円(+税)※電子書籍版は1069円(税込)
ISBN:9784150123543/9784150123550
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ハヤカワオンライン「スノウ・クラッシュ〔新版〕(上)」ページ
こう書くと,いかにもな既視感を感じる人が多いかもしれない。ハッカー剣士のキッチュな雰囲気は,「ニンジャスレイヤー」を想起させる。サイバーパンク作品における基本的な技術やガジェット――それこそ「サイバーパンク2077」にも登場するICE(侵入対抗電子機器)やサイバーウェア,サイバースペースなども呼称は違えど登場するので,そうした意味でも新しさは感じられないかもしれない。
では,本書のいったい何がそんなにすごかったのか。それを知るにはサイバーパンクというジャンルの成り立ちに,少しばかり想いをはせる必要がある。
サイバーパンクという語は,ブルース・ペスキ氏が1980年に執筆した短編小説「サイバーパンク」をその由来とする。そしてほぼ同時期の1981年,コロラド州デンバーで開催された第39回世界SF大会(ワールドコン)で,サイバーパンクの代表的な作家であるウィリアム・ギブスン氏とブルース・スターリング氏が出逢い,ここから“運動”としてのサイバーパンクが幕が開ける。
1982年,ギブスン氏は冒険的なハッカーを描く短編「クローム襲撃」を発表。先に挙げたサイバーパンク作品における基本的なガジェットは,この時点でほぼ出揃っている。その後,ギブスン氏は近未来の都市を舞台にした「ニューロマンサー」(1984年)を上梓し,ハイ・テクノロジーとオリエンタリズムが同居した,サイバーパンク的世界観の基礎を確立する。
一方スターリング氏は,1983年から「チープ・トゥルース」というフリーペーパーを周囲の作家達と共にゲリラ的に刊行し,旧弊なSFやファンタジーを撫で斬りにしていく。そして1985年,遺伝子工学とサイバネティックスの対立を太陽系全体の規模で描く「スキズマトリックス」(1985年)を発表。翌1986年には,「チープ・トゥルース」の作家陣によるアンソロジー「ミラーシェード」が,スターリング氏の編著によって出版。この「ミラーシェード」で提示された多様な世界観が,現在に至るまでのサンバーパンク的イメージの源泉となった。……逆説的に言えば,1980年初頭に始まったサイバーパンク運動は,ここで一つの完成を見たのである。
「スノウ・クラッシュ」に話を戻そう。つまり本書は,こうしたサイバーパンク第1世代の作品を精緻化して更新すべく登場した,第2世代の「ポスト・サイバーパンク」小説なのだ。サイバーパンク黄金期のビジョンが浸透した1990年代に登場した本書が画期的だったのは,アクションと同じくらい技術的な“奥行き”を丁寧に描くことで,新世代のテクノ・キッズ達がデートの口実に使うほどには,「これこそ自分達のための小説だ」と思わせた点にある。
翻訳家の大野典宏氏が「SFマガジン」の連載で指摘しているが,「ニューロマンサー」に登場するサイバースペースは,インターネットそのものではなかった。本来なら「プラグイン」と書くべきケーブル端子の接続を,あえて「ジャックイン」と書いていることからも,それは明らかだ。描いているのは実際のインターネットではなく,意識ごと没入する別世界なのだから。
つまりギブスン氏は技術的な正しさよりも,フィクションとしてのビジュアルイメージを優先させた。万華鏡のようなめくるめくビジョンが押し寄せてくるが,電脳空間が具体的にどう構成されているのかはよく分からない,概念的な世界。それでいて,突然ゾンビが襲ってきたりするから油断できないのだが。
「ニューロマンサー」が,ネット空間の描写をあえて削ぎ落としたのだとしたら,「スノウ・クラッシュ」はそのまったく逆で,描写の厚みと生々しさが特徴的だった。そして,そこに生まれた想像力には,現実の側に後追いをさせるほどの熱量があった。
それこそ作中に登場する仮想通貨やクラウドファンディング,そしてメタヴァースといったアイデアは先駆的であり,現在進行形で現実を変容しつつある。少なくとも,2021年にFacebookが社名をMetaと改めるくらいには,だ。
また「スノウ・クラッシュ」に散りばめられた謎の言語や暗号解読といったモチーフはスティーヴンスン氏の「クリプトノミコン」4部作にそのまま通じる。こちらは第二次世界大戦で暗号破り(コードブレイカー)として活躍したローレンス・ウォーターハウスとその孫を描いた小説で,ロシアのウクライナ侵攻によっていっそう重要となった,クリプトアナーキズム(国家による技術の管理を拒否する姿勢)を正面から扱ったタイトルとなっている。このたび日本語版が電子書籍で復刊したので,「スノウ・クラッシュ」を読み終えたら,こちらもぜひダウンロードしていただきたい。
【主要参考文献】(日本語で読めるもののみ)
- 巽 孝之「サイバーパンク・アメリカ 増補新版」(勁草書房)2021年10月出版
- 大野典宏「サイバーカルチャートレンド[第79回]」(早川書房)SFマガジン 2018年10月号
- 日暮雅通「スティーヴンスンのスタイル」(青土社)ユリイカ 2002年10月号
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■■岡和田 晃(SF評論家・翻訳家)■■
翻訳家,文芸評論家。スターリング氏のクールなサイバーパンク・フリーペーパー「チープ・トゥルース」をリスペクトしている。ちなみに「スノウ・クラッシュ」は,筆者が翻訳や創作に参加したTRPG「エクリプス・フェイズ」(新紀元社)に出てくる“エクスサージェント・ウイルス”の元ネタ。「ソースブック サンワード」や小説集「再着装(リスリーヴ)の記憶」も発売中なので,ぜひよろしく。
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