インタビュー
数々のヒロインを生み出すに至った,ちょっと意外な来歴とは。美少女絵師・Tony氏に聞く,これまでとこれから(後編)
コアゲーマーにはちょっと懐かしい,そして驚きの話題なども交えつつ,希代の美少女絵師として知られるTony氏の意外(?)な素顔に迫っていこう。
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セガ「シャイニング」シリーズ公式サイト
Tony氏個人サイト「T2 ART WORKS」
月刊HobbyJAPAN 公式サイト
広告デザイナーからゲームクリエイターへ
4Gamer:
前編に引き続き,よろしくお願いいたします。まずTonyさんは,イラストをいつ頃から
描き始めたのでしょうか。
絵を描くのは,小さい頃から好きでしたね。社会人になっても絵を描いていたいと思っていたら,いつの間にかイラストレーターになっていた,みたいな。
4Gamer:
小さい頃は,どんな絵を描かれていたのですか?
Tony氏:
絵画教室に通っていたので,色々描いてましたね。藤子不二雄先生の作品が大好きで,漫画を描いたりもしました。中学生になってからは「超時空要塞マクロス」にハマって,バルキリーとかよく描いてました。あと子供の頃ではないですが,影響を受けたということなら,村田蓮爾さんの絵も大きいです。
4Gamer:
絵の勉強は,その絵画教室でされたのですか。
Tony氏:
基礎の部分はそうなりますね。小中学生の頃は,水彩画なども描いていましたし。部活も美術部とテニス部のかけもちで,文化祭の前になったら絵を描いてましたね。
4Gamer:
その当時のイラストって,今でも残っているんでしょうか。
Tony氏:
僕自身はもう覚えてないんですが,実家には落書き帳が残ってますね。うちの実家の母が居酒屋をやっているんですけど,店内に当時の僕の絵が飾ってあるんですよ。「それ描いたのうちの息子なんです」なんて言って,お店のお客さんに見せちゃってるらしくて……ちょっと恥ずかしい(笑)。
4Gamer:
ええっ。それはすごいお宝ですね。それだけ本格的に絵に取り組まれていたということは,高校卒業後は美大に進まれたのですか。
Tony氏:
卒業間際まで悩みましたが,結局選んだのは専門学校だったんです。体験入学で感化されちゃいまして。どちらかといえばデザイン関係の学校なので,美大とはまた違う方向性ですけど。
4Gamer:
どういうところに惹かれたのでしょうか。
Tony氏:
絵の理論的な勉強ではなくて,仕事に直結するような,より実践的なことを学びたかったのかな。実際,そのままデザイン事務所に就職できたので,学んだことは多かったと思っています。
4Gamer:
なるほど。デザイン事務所ではどういったお仕事をされていたのでしょう。
Tony氏:
広告デザインとかCMのコンテ制作とかですね。エディトリアルデザイン系の作業が中心でした。なので,仕事で絵を描くようなことはあまりなかったですね。でも,そこは結局辞めてしまって……次に務めたのがデータイーストでした。
4Gamer:
えっ,あのデータイーストですか? いつ頃の話なんでしょう。
チェルノブ 1988年にデータイーストから発売されたアーケード用横スクロールアクションゲーム。原子力発電所の事故により特殊能力を得た主人公・チェルノブが,地球征服を企む侵略者との戦いに挑む……という過激な設定で話題を呼んだ問題作だ |
入社したのが,ちょうど「チェルノブ」という作品が話題になった頃でした。上司がテレビに出るほどの騒ぎになっていたのが衝撃的だったのを覚えています(笑)。
4Gamer:
あー……データイーストがまだまだ元気だった時代ですね(笑)。
Tony氏:
あの頃はピンボール筐体なんかも作っていて,勢いがありましたね。当時,データイーストがちょうどグラフィッカーの募集をしてまして,応募したんです。入社後は,仙台の部署と荻窪の本社を行き来してました。
4Gamer:
データイーストでは,どんなお仕事を?
Tony氏:
一番最初の仕事は「ダンクドリーム」という,ストリートバスケを題材にしたNEOGEO用タイトルでした。もちろんキャラクターデザインは僕ではなかったのですが,ゲーメスト※の読者プレゼント用に,イラストを描いたこともありますよ。
※ゲーメスト……当時新声社から発刊されていたアーケードゲーム専門誌。1999年の新声社倒産と共に廃刊。
4Gamer:
……それ,もらった人はTonyさんの絵だって気づいてますかね?
Tony氏:
データイースト時代の話をしたのは今回が初めてですし,絶対気づかないと思います。マッチョな黒人の絵でしたし(笑)。
幻のデビュー作「フライングパワーディスク2」
4Gamer:
となると,Tonyさんのキャラクターデザインデビューは,データイースト作品なんですか?
Tony氏:
それがですね。当時僕がキャラクターデザインを担当したゲームがあるにはあるんですが……結局発売されなかったんですよ。作ってる最中にデータイーストが倒産してしまったので。「フライングパワーディスク」の続編だったんですけど。
4Gamer:
えー!? 傑作じゃないですかフライングパワーディスク! そのイラストは,今どこに?
Tony氏:
膨大な資料と一緒に,後輩のプログラマーにあげちゃいました。
4Gamer:
なんと。残っていたら,ぜひ掲載させてほしかったのですが……。
Tony氏:
ないですねえ。初代フライングパワーディスクのキャラクターは,個性の薄い感じだったじゃないですか。でも続編のほうは,キャラクターにかなり個性を与えてまして。男女合わせて10人前後だったかな。性能もかなり違う感じでした。
4Gamer:
おお,面白そうな。幻のデビュー作だったわけですね。
Tony氏:
あと,もう一つ。「ゴーストロップ」という対戦パズルゲームがあって,これも僕がキャラクターデザインをしたんですけど,やっぱり発売されなかったという。
4Gamer:
それはどんなタイトルだったんですか?
Tony氏:
「マジカルドロップ」とか「パズルボブル」みたいなゲームでしたね。でもなんだか,最近海外で発売されたみたいなんですよ※。
※2012年11月にIgnition Entertainmentから発売されたPC用ソフト「Magical Drop V」のこと。マジカルドロップの13年ぶりの新作というだけでも驚きだが,同作にはその1モードとして,件の「ゴーストロップ」が収録されている。このPC版はSteamで購入可能(日本語対応!)なほか,Xbox LIVEアーケード,PlayStation Network,ニンテンドーeショップでの発売も予定されている(日本国内未定)。
4Gamer:
ええっ。(海外サイトを検索しつつ)あっ,本当ですね。めぐりめぐって,今になって日の目をみたわけですか。……このキャラクターがTonyさんのデザインだと。確かに今とはまるで違う印象です。画風は意識して変えていたのでしょうか。
Tony氏:
そうですね。……懐かしいなあ。でもその傾向は,データイーストが倒産後,金子製作所(現,カネコ)に移ってからのほうが強かったと思います。
4Gamer:
金子製作所でもグラフィッカーの仕事を?
Tony氏:
それが金子製作所では,主に企画をやっていたんです。「サイヴァーン」っていうアーケード用シューティングゲームがあったんですが,あれのスタッフロールには「PLANNER:TONY」って出るはずです。
4Gamer:
Tonyというペンネームは,その頃から変わっていないんですね。お話いただけるようなら,由来を聞いてみたいのですが。
Tony氏:
大した話じゃないんです。データイーストに入社した年の花見の席で,酔っ払いの同僚に付けられたあだ名がトニーだったっていう。僕は本名が「田中」なんですが,その頃テレビに,カリスマ美容師で「トニータナカ」って人がよく出てまして。
4Gamer:
これはひどい。
Tony氏:
ただ,普段からそう呼ばれていたので,あんまり抵抗もなかったんですよ。
澤田氏:
昔は,開発者ってあまり本名を出さなかったんです。皆,ほんと適当に名乗ってましたから(笑)。
4Gamer:
ああ,確かにそうでしたね。そうか,ペンネームというより,スタッフロールのクレジット名だったのか。「サイヴァーン」のほかにも,企画として関わったタイトルがあるのでしょうか。
Tony氏:
ほかにもありましたが,外注用の資料にキャラクターを描いたり,作家さん向けにラフを描いたりということが多かったと思います。ラフのデザインがそのまま使われてしまうこともあって,作家さんの個性を潰してるんじゃないかって悩んだこともありました。
4Gamer:
絵を描くこと自体は,続けていたわけですね。
Tony氏:
絵を描くのが好きという気持ちは,ずっとありましたから。でも仕事は絵を描くことがメインではなかったので,プライベートで描くことが多かったですね。自分のサイトを開設して,イラストを載せるようになったのもその頃です。
4Gamer:
現在の「T2 ART WORKS」につながる個人サイトですね。いつ頃のお話ですか?
Tony氏:
ちょうど「新世紀エヴァンゲリオン」が放映されていた時期だったので,1995〜96年だったと思います。その後,家庭の事情で金子製作所を退社することになり,在宅でやれる仕事をということで,フリーのイラストレーターになりました。
4Gamer:
めぐりめぐって,ついにイラストレーターに。でもフリーになると決めたからといって,すぐに仕事が来るわけではないですよね。
Tony氏:
自分から営業するようなことはほとんどしませんでしたが,初期の頃はネットでイラストコンテストを見かけたら,片っ端から応募してましたね。ありがたいことに,そのほとんどで優勝させていただいいて。
4Gamer:
コンテスト荒らし(笑)。では最初に手がけた商業作品というと,何になるのでしょう。
Tony氏:
最初はSOFTMAXという韓国のゲーム会社から1998年に発売された「TEMPEST」ですね。成人向けゲームの原画出身だと思われてたりしますが,実は違うんですよ。
4Gamer:
SOFTMAXは,4Gamer読者には「テイルズウィーバー」の開発元としてお馴染みですね。TEMPESTは,日本では日本ファルコムから発売された「西風の狂詩曲」の続編と聞いています。
Tony氏:
韓国では,とても人気があるシリーズみたいです。僕は線画だけで,彩色はSOFTMAXさんでしたが,「マグナカルタ」のキム・ヒョンテさんなんかも,開発に参加されていたのを覚えています。
4Gamer:
SOFTMAXは,Tonyさんのサイトを見てコンタクトされてきたのでしょうか。
Tony氏:
そうだったと思います。というか,それ以降はほとんどそのパターンですね。
4Gamer:
日本のファンの多くは,成人向けゲーム関連で名前を知ったという人が多そうです。
Tony氏:
当時はあまり意識していませんでしたが,初めて原画をやったタイトルでは,1万8000本くらい売れたらしいです。成人向けゲームとしては売れたほうなので,名前が知れたという意味では,そのあたりが最初かもしれませんね。
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