プレイレポート
「三國志」ナンバリングタイトル12作を一気にプレイ。最新作の発売を前にシリーズの歴史を振り返る“三國志マラソン”で見えてきたものとは
古代中国の三国時代における戦争と,それを舞台にした時代小説「三国志演義」をモチーフとしたゲームは無数に存在するが,本シリーズはそれらを代表するものと言ってしまってもいいだろう。
そんな三國志シリーズだが,12作品が30年にわたり作られてきただけあって,その歴史をしっかりと把握している人はそう多くないだろう。「僕は三國志VIIが特に好きでねえ」「VIIってどんなゲームだったっけ?」といった会話は三國志プレイヤーの間でも珍しくない。
また,30年という時間は,人間が客観的な判断を保つには長すぎる。幼いころに父親のPCを借り,背伸びして必死でプレイした「三國志」の思い出と,30年後に30代後半のいい年したオッサンがプレイする「三國志」の印象を横並びにしても,あまり意味がない。
ということで,まもなく「三國志13」が発売されるこの時期,初代「三國志」から「三國志12」までを通してプレイし,その歴史を振り返るという,ちょっとタガの外れた企画に挑んでみることと相成った。
本来はプレイ環境を整えるだけでも大変な作業となるのだが,幸いにも,2015年に数量限定で発売(現在は販売終了)された「『三國志』30周年記念歴代タイトル全集」を用意できたので,ナンバリングタイトルすべてを1台のPCでプレイできてしまうのだ。
本稿を執筆するに当たって各タイトルをプレイした時間は,短いものでも約8時間,長いものでは50時間近くにもなった。リリース当時にプレイした分を加えると,もう自分でも分からないくらいやり込んだ作品もある。
前置きが長くなったが,以下,初代から順番に,「三國志」ワールドを振り返っていくとしよう。
三國志(1985年)
まず語るべきは,ユーザーインタフェース(以下,UI)だろう。なにしろ当時は「マウス」などという便利なものは普及していなかった。このため,あらゆるコマンドはキーボードから入力するのである。
具体的には「軍隊を移動させる」「戦争を仕掛ける」「人材を登用する」「外交交渉をする」といった20種類のコマンドに1から20の番号がそれぞれ割り振られ,プレイヤーはその番号を入力してコマンドを実行していくのである。
これはコマンドの選択にとどまらない。
例えば「戦争をする」のであれば,「どの国」(正確には「どのエリア」)に対して攻撃を仕掛けるのか」に対する選択が発生するが,ここにおいてもプレイヤーはマップ上の各エリアに割り振られた番号を入力し,ターゲットを指定することになる。
同様に,ツリー構造になっているコマンド(例えば人材登用なら,どのような手段で人材を引き抜くか,など)の場合も,選択肢に番号が割り振られている。
戦闘は四角形のマスが並んだマップ上で行われるが,プレイヤーはどの部隊を動かすかを指定できず,出陣時の順番に従って1部隊ずつ動かしていく。
マップ上の移動は,テンキーをカーソルキーに見立てて行う。使用するのは1〜6のキーで,4を押せば左上,5で上,3なら右下といった感じだ。これまたマウスというものが無かった故の仕様で,30年という歴史を感じてしまう部分だろう。
ちなみにこのUI,操作しづらそうと感じるかもしれないが,実際にプレイしてみると,へたなマウスUIよりも扱いやすい。特に,数字を入力せずにEnterキーを叩くとコマンドがキャンセルされるという仕様は,「キャンセル」ボタンまでマウスカーソルを移動させてクリックする(場合によってはその後「確認」までクリックすることになる)よりも,圧倒的に快適だ。
このように,パッと見は煩雑ながら,実際にはサクサクとコマンドを入力していけるシステムを採用し,プレイ時のストレスは画面そのものから受ける印象よりも,ずっと小さい。むしろプレイのテンポという点では,現代のゲームに通じる軽快感すら感じる。
とはいえ,もちろん問題もある。
はっきりと「こりゃ今のゲームとしては厳しいな」と感じるのは,情報の一覧性だろう。なにしろ解像度が“お察し”のとおりな時代のゲームなので,1画面に入る情報はとても少ない。武将の人数が多くなり,管理する国の数が増えてくると,ゲーム内だけで管理するのは大変だ。
話がUIに偏ってしまったが,ゲームとしての初代「三國志」には,以降のシリーズ作品に見られる特徴の多くがすでに詰め込まれている。
プレイヤーは三国時代の君主として,配下に無数の英雄豪傑を抱え,彼らと領土の両方をマネジメントしながら,他勢力を軍事的に打ち破っていくことになる。
領地の民衆にどれくらい慕われているかを示す「民忠」の概念は,用語こそ違えど,全シリーズを通してプレイヤーを悩ませることになる。ほかにも武将の登用や引き抜き合い,外交交渉,あるいは戦闘における「火計」の恐怖などなど,多くの人が「三國志」というゲームに対して抱いているイメージは,初代にしておおよそ固まっていると言ってもいいだろう。
三國志II(1989年)
ゲームとして最も大きな変化は,これまで「1国につき1つのコマンド」だったものが,「武将1人に対して1回のコマンド」になったことだろう。
この「コマンドの実行」は,以降の「三國志」シリーズ作品を見ていくにあたって,非常に重要なポイントとなる。ゲームメカニズムとして見たとき,「何回コマンドを実行できるのか」というところで,作品の色が出てくるのだ。
「三國志II」では,これと同時に,「委任」の概念も生まれている。先に述べたように,本作では武将単位でコマンドを実行できるのだが,それゆえに「配下の武将が40人いたら,40コマンド入力するのが最大効率であり,プレイヤーはそうすべき」ということに陥りがちだ。
だが毎ターン40コマンドを叩くのは,作業になりがちで楽しさをそこねる。特にゲームが終盤にさしかかり,後背地の安全が確定してしまうと,そこの管理をすべて人力で行うのは,あまりにも非合理的だ。
かくして「三國志II」では,国単位で,AIが自動的に行動を決定するように「委任」できるようになった。この委任という概念もまた,シリーズを通しての重要なポイントとなっていく。
もうひとつ大きな変化としては,外交や人材引き抜き,計略などの使者がマップ上を実際に走り回るような演出が加えられたことが挙げられる。この使者は,他国領地を通過する際に,その国で捕らえられることがある。このため,君主自ら遠隔地へ人材登用に向かうというのは,かなりのリスクを負う。
このあたりは,“情報”というものをゲームの中でどう扱うか,というウォーゲーム永遠の問題の一つに対して,1989年の段階で既にかなり野心的な試みが行われていたという,良い例となるだろう。
「情報を携えたユニットが,実際にマップ上を移動することで,情報が伝達される」というシステム(あくまで外交の使者に限られるが)は,ストラテジーゲームの歴史から見ても,かなり大胆なものだ。
そして何より,それがちゃんとゲームとして面白い要素に落とし込まれているということは,実に驚くべきことといえる。
そしてもう一つ,本作からは武将にマスクデータ(プレイヤーからは見られないパラメータ)が採用されている。これにより,一部の武将は絶対に引き抜きに応じない,といった史実っぽい雰囲気が再現されるようになったのだ。
ちなみにこのマスクデータによる史実っぽさは,後にParadox Interactiveの歴史ストラテジーゲームでよく見られるようになる。本作の影響かどうかは知る由もないが,そういった可能性を考えることもストラテジー好きの性分,どうかご容赦を。
同じく史実を再現する要素としては,極めて小規模(かつ特殊)だが,初めて「歴史イベント」が実装された。ここで選ばれたのが貂蝉イベントであるというあたり,いろいろと味わい深いものがある。
三國志III(1992年)
また,オープニングアニメーションが流れるあたりも,初代から見ると隔世の感がある。
「三國志III」は,初代の正統進化系である「三國志II」をさらに進化させたバージョンと言えるだろう。
ゲームメカニズムにおける最大の変化は,国単位でのマネジメントが都市単位になったことだ。マップ構造がこれまでのエリア制から,街道が都市を結ぶ形に切り替わったのが本作である。
この「国」ではなく「都市」単位でマネジメントするという概念は,これ以降の「三國志」シリーズに共通する概念となる。漢帝国は都市国家を基盤としていたため,「領土」よりは「都市」をマネジメントする方が,より時代に即しているはず,という判断は妥当だろう。
最も基本となるシステムに前作から大きな変化はなく,入力可能なコマンドは武将の数による。何らかのアクションを行うにあたって,「どの武将に担当させるか」という概念で指示を入力していくというシステムは,これ以降のシリーズにも引き継がれていく。
興味深いのは,「身分」の概念だろう。これは後のシリーズに引き継がれているようで引き継がれなかった,「三國志III」だけの仕様と呼べる存在だ。
本作における身分は,武将の能力によって決定される。武力が高ければ「将軍」「軍師」,低ければ「武官」「文官」といった感じだ。
これが最も大きく影響するのが,その武将を国の太守としたときの振る舞いだ。「武官」や「文官」が太守になると,その国はAIに委任したときと同様,すべて自動的に処理が行われる(行われてしまう)。プレイヤーが介入するためには,太守に「将軍」「軍師」を就任させねばならない。
この仕様により,能力が高い武将を前線に集中させると後方が混乱しやすく(コントロールしにくく)なるので,その判断に悩むという状況が発生する。これは歴史上でも割と生じる悪状況であり,例えばナポレオンは,ワーテルローの戦いにおいて優秀な将軍を後方に置かざるを得なかった。かの戦いにおける大敗には,その影響があったことも拭えない。
敵AIのアグレッシブさが増していることも本作のポイントだ。前2作では手薄な地域を作ってしまっても,そこに敵が攻め込んでくることは少なく,なんとかなる場合が多かったのだが,本作では迷わず突っ込んでくる。
このため,本作においては外交の重要度が大きくなっている。とりあえず同盟を組めていれば,そちらの方面はノーガードにしても(たいていの場合)大丈夫なわけで,まぁ外交の基本というか,当たり前のことなのだが,重要なバランス調整と言えるだろう。
このように充実した内容になっているのだが,本作にはいささか“詰め込み過ぎ”な感もあり,プレイすると「重さ」を感じる。特に戦闘が重い。マップの広さに対して,ユニットの移動距離が短かすぎるのである。
ここには,まだあまり洗練されていないフルマウス・オペレーションという問題もあるのだが,とにかく全体的に手間がかかる要素が多かった。
ただ,筆者の記憶としての話を付け加えると,当時はこれくらい重いほうが,いろいろできて「本格的」だと感じられた。現代のゲームのテンポに慣れてしまうと,本作のテンポはやや持て余し気味に思えるということだ。
逆に言えば,昨今のゲームは淡白すぎる,という人にとって,本作の重さは相当に良いフィーリングになるのではなかろうか。このあたりは個人の嗜好が絡むので,評価は非常に難しい。
三國志IV(1994年)
また,マウスオペレーションはかなりこなれており,この点でも大きな進化が見られる。
ゲームシステムとしては,武将1人ごとに1コマンドというスタイルを踏襲。「身分」によっては自動的に委任状態になるというシステムは廃止され,内政のうち開発や商業振興といったインフラまわりは「コマンドを実行して数値を伸ばす」のではなく「担当の役職に武将を割り振っておくと,自動的に伸びていく」システムとなった(ちなみに2人まで配属でき,作業がうまく行かないと罵倒しあったりするのが面白い)。
この役職システムによって,プレイ時のストレスがかなり低くなった。民忠管理のような,稀に発生する緊急事態といった案件なら喜んで何度でもクリックするが,農地拡大のためにクリックを何百回も繰り返すのは,正直プレイしていてウンザリだったのである。まぁ,それは筆者が“三國志マラソン”をしているからかもしれないが……。
この「どこまでを半自動的に処理し,どこからクリックを要求するか」という部分は,これ以降のシリーズにおいて,毎回毎回ゆらぎが見て取れるところである。作り手が理想とするUIと,その時遊ぶ側が「こういうものがいい」「こういうゲームはこうあるべきだ」と感じるUIは,必ずしも一致しないということなのかもしれない。
ゲームデザイン論はさておき,「三國志IV」は,コマンド入力だけを見ると,かなりサクサクと進むゲームになっている。
また,歴史イベントは大幅に拡張されているとはいえ,AIの方針にまで影響を与えるものではない。
結果として,例えば反董卓連合軍シナリオだと,史実では洛陽を焼き討ちして長安に遷都した董卓が,洛陽をがっちりキープしたまま全力で周囲に殴りかかったりする。しかるに諸国はそんな凶悪な董卓とまず同盟を結んで安全を確保してから。周囲の弱小勢力(史実では反董卓連合軍な人びと)を叩きのめして勢力拡張レースに挑むという展開が堂々と展開される。いや,これはこれで筆者的には全然アリなんですけどね。
戦闘システムとしては,攻城兵器の登場が最も顕著な変化として挙げられる。「三國志III」では,兵科に「歩兵」「軍馬」「弩兵」「強弩兵」が存在したが,ここに「衝車」と「発石車」が追加された。
攻城兵器は,文字通り攻城戦専用の兵器で,野戦には登場しない。発石車は城門だけでなく守備兵士にも攻撃可能で,なかなか効果の大きな兵器だ。このような「兵器」は,以降のシリーズにも引き継がれていく。
また,個人的に大きい変化だと感じたのは,マップの構造である。「三國志III」では部隊の移動力に対してマップが広すぎ,戦闘にとにかく時間がかかる傾向にあったが,本作ではマップが狭くなり,実際の戦闘発生までにかかる時間は一気に減少した。
このような変化の結果として,ゲームボードに集中し,手駒とリソースを最大限に活用して,自分の勢力を拡大していくというゲームとしては,「三國志IV」でいったん完成形を見た,と言ってもいいような仕上がりになっている。いささか淡白さを感じる向きもあるかもしれない(IIIのほうが良かった的なアレ)が,こればかりは前述したように個人の嗜好と時代の要請によるところが大きい。
といった感じでまとめたいところなのだが,本作には新機軸が用意されており,それが結果的にプレイヤーへ強烈な印象を与えることになった。
それは,“武将に「スキル」が付与された”ことに端を発する。本作では,その武将に何ができるかが,スキルによって決まるようになった。例えば「火計」であれば,これまではどんな武将でもとりあえず戦場で火計を試みることはできたが,本作では「火計」スキルを持っている武将でないと仕掛けられなくなっている。
そして,問題となったのは,スキルのひとつ「落雷」だ。これはランダムで敵部隊1つに90%の打撃を与えるというぶっ壊れスキルである。その性能故に初期状態では誰も持っていないが,スキルはある日突然「ひらめく」ことがある。かくしてゲームが終盤にさしかかると,戦場は落雷が頻発するシネマティックな空間に変貌を遂げるのだ。
落雷の印象は強烈だったようで,本作について話をすると,ほぼ間違いなく「落雷ゲーだったね」という感想が出てくる。筆者も同感である。
いやもちろん,落雷がすべてを決めるわけではない。ないのだが……まぁそんな「三國志IV」なのだ。
トピックとして付け加えておくと,「パワーアップキット」が発売されるのは本作からである。
三國志V(1995年)
本作では,コマンド数=武将数という路線をやめ,「名声」によって入力可能なコマンド数が決まるというシステムが採用された。ゲーム開始時は3回しか行動を起こせないが,その分ゲームの進行は実にすみやかだ。ちなみに最大でも9回なので,ゲーム終盤にコマンド入力でダレるということも,まずない。
これに伴い,内政でも思い切った省略がなされている。これまでは各都市ごとに,どの政策を誰に任せるかを選んできたが,本作では「すべての都市の内政を,ワンボタンで実行する」ところまで省略されたのだ。委任も何もあったものではないシンプルさである。
一方で戦闘のシステムには力が入っており,従来のようにユニットに対して兵種(歩兵や騎兵)が設定されているだけでなく,陣形という概念が導入された。
戦闘マップは広めのスクエアマップだが,ユニットの移動力が大きい(ただし移動力は陣形によって変化する)ため,「三國志III」のように会敵するまで一苦労といった展開にはならない。また,なんのかんので正面からゴリ押しという展開にもなりにくい(最後は結局ゴリ押しになったりするが)。
加えて,戦闘には,攻め込む・攻め込まれる都市にいた武将だけではなく,遠隔地にいる武将も援軍として参加してくる。このため攻撃側には「敵の援軍が来る前に叩く」,防御側としては「援軍が来るまで粘ればなんとかなる」という戦略も生まれるのだ。
そして歴史イベントもゲームに組み込まれており,董卓はちゃんと洛陽を焼いて長安に遷都したりする。「中国のマップ上で,三国志の武将の名前がついた駒を使って戦うチェス」とは一線を画した楽しみ方ができるようになったわけだ。
個人的に最も興味深いのは,UIが進化した方向性だ。
前2作ではフルマウス・オペレーションの導入・洗練という進化だったが,本作は十字キーと限られたボタンを持つゲームパッドでのプレイが強く意識されたUIとなっている。実際本作は1996年にセガサターン版,1997年にプレイステーション版が発売されており,ここでも高い人気を博した。
UIからも見て取れるように,本作は「これまで光栄のゲームを遊んでこなかった人」を強く意識していたのではないか。そのために,内政の大胆な簡略化など,思い切って「分かりやすい」方向に舵を切ったのだろう。それが非常に良いバランスで仕上がった結果,シリーズでも屈指の名作になったと筆者も感じる。
三國志VI(1998年)
この「役職に人を割り振って,あとは自動実行」というシステムは,とても優れていると思える。ちゃんとキャラクター性(およびキャラクターの重要さ)は感じられるし,それでいて面倒がない。「ここは重要な兵站拠点になるから,史実でその手の仕事に功績が大きかった武将に任せるか」という判断ができるため,プレイしていてマネジメントも容易だ。
ゲームの根幹にまつわるシステムで見ると,本作で最も特徴的なのは武将の「気力」だろう。
本作では,コマンド数=武将数だが,コマンドにはそれぞれ消費気力が設定されており,使用するとその分武将の気力が減少する。このため,武将の数に比べて実際のコマンド入力数は少なくなるのだ。
また,気力は自動実行される「内政」に配属していても,毎ターン消費されていく。このため武将を内政と外征で分けて管理する必要が生まれる。さもなくば,外征を行う前には内政の手を止め,武将の気力回復を待つ,といったことが必要だ。
行うべき内政に,人を割り振る |
徴兵を行うと,その武将の気力30を消費 |
戦闘システムは「プロット式」と呼ばれるもので,3日ぶんの行動を設定(具体的には移動先を決めたり,行動方針を決めたりする)すると,その期間,当該ユニットが命令されたとおりに行動する。なので,全軍を前線に差し向けた直後に,後背の兵糧を狙う敵の別働隊が見つかったりした場合,だいたい手遅れになる。
ゲームが目指す方向性としては,武将個人のドラマを描く,というものがあるように思える。
本作では,武将に「夢」が設定されている。武将に役職を与える場合は,その武将の適性だけでなく,「夢」に沿った命令かどうかも考慮しなくてはならない。夢というと現実離れした目標のようなものを思い浮かべるかもしれないが,本作の夢は各武将の主義主張のようなものだ。
この夢を同じくする武将が派閥を形成して,相反する夢を持つ者たちと対立し,最悪の場合,片方が独立して新国家を旗揚げしたりもする。このあたり,人材マネジメントの手腕が大いに問われるところだ。
いかにも扱う要素が多くて複雑そうなのだが,実際に遊んでみると実にゲームの見通しは良く,遊びながらルールを把握していっても,ほぼほぼ問題はない。実際良いゲームなのだが,本作には本作なりの問題がある。
ここまで紹介した通り,本作は武将にかかる比重が非常に大きい。武将がいないことには,さまざまなシステムが機能しないのだが,その武将の数が足りていないのだ。
とくに古い時代のシナリオをプレイする場合は,序盤の獲得レースで遅れをとったが最後,武将不足で非常に厳しい戦いを強いられることになる。派閥も生まれにくく,それをマネジメントする楽しみも味わえないのだ。
一方で,群雄割拠の時代を越えて,三国鼎立時代シナリオでスタートしたりすると,最初から武将が揃っており,派閥のような人間ドラマも発生する余地がある。さっくりまとめると,野心的なシステムにシナリオが対応しきれなかった作品といったところだ。
- 関連タイトル:
三國志12
- 関連タイトル:
三國志12 パワーアップキット
- 関連タイトル:
三國志11
- 関連タイトル:
三國志11 パワーアップキット
- 関連タイトル:
三國志X
- 関連タイトル:
三國志X パワーアップキット
- 関連タイトル:
三國志IX
- 関連タイトル:
三國志IX パワーアップキット
- 関連タイトル:
三國志VIII
- 関連タイトル:
三國志VII with パワーアップキット
- 関連タイトル:
三國志VI
- 関連タイトル:
三國志 IX with パワーアップキット
- 関連タイトル:
三國志V
- この記事のURL:
キーワード
(C)2012 コーエーテクモゲームス All rights reserved.
(C)コーエーテクモゲームス All rights reserved.
(C)KOEI Co., Ltd. All rights reserved.
(C)KOEI Co., Ltd. All rights reserved.
(C)2004 KOEI Co., Ltd./KOEI NET Co., Ltd. All rights reserved.
(C)2005 KOEI Co., Ltd.
(C)2003 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.
(C)2003 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.
(C)2004 KOEI Co., Ltd./KOEI NET Co., Ltd. All rights reserved.
(C) 2000-2006 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.
(c) KOEI Co., Ltd.
(C)2003 TECMO KOEI GAMES CO., LTD. All rights reserved.
(C)2003 KOEI Co.,Ltd./KOEI NET Co.,Ltd. All rights reserved.