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[CEDEC 2011]初日の基調講演は,小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンについて。未踏の技術に挑む,技術者達の物語
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CEDECで,はやぶさ? と思う人もいるはずだ。筆者もそう思った。確かに,約3億キロメートル離れた小惑星まで探査機を飛ばし,サンプルを回収して地球に戻ってくるという世界でも例のない計画を実行し,次々に発生するトラブルを克服して小惑星サンプルリターンを成功させたはやぶさプロジェクトは,世界的に遅れているという印象のあった日本の宇宙開発の底力を認識させると共に,約7年の飛行を終え,オーストラリア上空で燃え尽きた探査機はやぶさの姿は,我々に感動を与えた。でも,やっぱりゲーム開発とは関係なさそうな気も。
小惑星探査機「はやぶさ」公式ページ(宇宙航空研究開発機構)
CEDEC 2011公式サイト
実をいうと,会期2日目となる9月7日の基調講演を行うのは,工業デザイナーの奥山清行氏で,また最終日となる8日は,さまざまなものづくりのスペシャリストから構成されているクリエイター集団,チームラボを率いる猪子寿之氏が基調講演を行う予定になっているなど,CEDEC 2011の基調講演は,ちょっと特徴的だ。今回のCEDECでは,これまでにも何度か取り上げられてきた「ゲームの多様性」を一歩推し進めた「CROSS BORDER」をテーマとして打ち出しており,その一環として,ゲーム開発とは直接関係ない分野の専門家が登壇することになったわけだ。國中 均氏の基調講演では,これまで誰も挑んだことのない分野への挑戦,予期せぬ困難への対処,そして技術の進歩が我々に新たな知見を与えることの例証を,ゲーム開発者達に伝えることが意図されている。
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スライドの中には,開発開始当時の雰囲気を伝えるものもあるが,予算がなかったので,高価なマイクロ波発生装置は仲良くなったジャンク屋で調達した。研究室には懐かしのPC-9801があり,自作のソフトで計測を行ったのだが,素朴なPCであり,今と違って,ハードウェアを直接コントロールするようなコマンドも使えたので面白かったという。
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新技術が多数盛り込まれたμ10だが,最も特徴的なのはこれまで使われていた放電電極の代わりにマイクロ波を使うことで,長寿命化を達成したことだ。
イオンエンジンそのものの特徴としては比推力の高さが挙げられる。つまり,同じ重量の燃料であれば,より長期間使えるという燃費の良さだ。しかし,探査機で使える程度の電力では推力はわずかなもの。はやぶさにはこのイオンエンジンが4基(A~D)搭載されているが,定格推力の8mN(ミリニュートン)は1円玉を地球の重力が引っぱる程度らしい。……というわけで,だいたいお分かりですか,みなさん? 詳しくは資料などを調べていただくということで,プラズマとかイオンは「健康に良いもの」くらいの認識の筆者なのでどうかご容赦を。
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さて,そんなイオンエンジンに転機が訪れたのは,1993年頃に始まったMUSES-C計画だ。小惑星に降りてサンプルを回収し,地球に戻るという計画は,1985年に初めて出てきたが,当時の技術では難しかった。有人飛行を行っていたアメリカとソ連は大きなペイロードを持ったロケットを保有していたが,日本ではまだ非力なロケットしか保有していなかったのだ。
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これまでになかった技術である以上,ミッションで予定されている1万4000時間の使用に耐えうるかは,実際に1万4000時間動かしてみるしか実証手段はないのだ。1万4000時間といえば2年弱。実際には約2万時間の耐久テストを2回行い,都合約5年の時間をかけたことのこと。スライドにもあるように,2回目のテストが終了したのは2002年10月のことであり,はやぶさを乗せたM-V5号機の打ち上げ(2003年5月9日)の直前というタイミングだ。ともあれ,耐久テストで大きな問題は出なかった。
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その後に続く,はやぶさの旅は,読者の皆さんもよくご存じだろう。地球をスイングバイして加速した探査機は,目標である小惑星1998SF36まで2万6000時間をかけて接近。2005年9月12日に小惑星に到達した。ちなみに1998SF36は,発見者であるマサチューセッツ工科大学から命名権をゆずってもらい,2003年8月に「ITOKAWA」(イトカワ)と名付けられている。
技術革新によって,これまで行けなかったところに行け,見えなかったものが明らかになったことに國中氏はワクワクした。もちろん,これでミッションの半分を無事に終えたという安堵感もあり,毎日が楽しくてしょうがなかったそうだが,傍らにいたサンプル回収担当のエンジニアは青ざめていたという。明らかになったITOKAWAは想像以上にゴツゴツしており,着陸すべき場所が見つからなかったのだ。
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原因は不明だが,はやぶさは2回目のサンプル回収直後に燃料漏洩のため制御不能のスピンに陥り,それについては國中氏の機転で何とか事なきを得たものの,満身創痍のはやぶさとの通信はやがて途絶する。普通なら,これでミッション失敗になるはずだが,プロジェクトチームはあきらめることなく,可能性のあるあらゆる周波数で起動コマンドを送り続け,「まさに奇跡」(國中氏)という状況ではやぶさからの応答を得る。
さらに,化学推進系を失ったはやぶさを,中和器からのキセノンガス噴出で姿勢制御し,唯一残ったエンジンDがついに故障したときには,エンジンAとBの同時運転によって乗り切った。2つのエンジンの同時運転は,「こういうこともあろうかと」と仕込んでおいた仕掛けで,エンジンDの故障時には70%不安だったが,30%ほどやってみたいという気持ちだったそうで,危機に際してのその心理は,やはり根っからのエンジニアという雰囲気だ。
最後の大気圏突入時の精密誘導にもイオンエンジンが使用され,ミッション全体を通じて,イオンエンジン大活躍という印象を受ける。
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はやぶさの回収した資料は,40%ほどが研究に使われ,また関係各国に配られたが,残りは保存しておくそうだ。将来,進んだ分析技術が登場したときに備えてのことだが,國中氏はこれを,正倉院の宝物や高松塚古墳の壁画にたとえた。未来への遺産,それも日本が世界に残す遺産というわけだ。「見かけは,全然パッとしませんけどね」と國中氏。
![]() 二大科学誌の表紙を飾ったサンプル |
![]() 技術の進歩と,人の視野の広がり |
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宇宙航空研究開発機構は,すでに「はやぶさ2」の計画をスタートさせており,2014年にはH-IIAロケットで打ち上げられる予定だ。計画の骨子ははやぶさのときと大きく変わらず,はやぶさの成功で世界の目が小惑星に向いている現在,日本のアドバンテージを維持するために素早く実施するものであると國中氏は言う。さらにその先の方向性として,國中氏は「木星」を挙げた。太陽系最大の惑星である木星はまた,スイングバイ飛行でさらに深宇宙へ飛び出すためのインターチェンジでもあるという。
帆のような太陽電池を展開する「電力セイル」が2015年を目処に計画されており,深宇宙探査計画はとぎれることなく続いているらしい。
ゲーム開発とはほとんど関係ない「宇宙開発」が語られた基調講演だったが,話題になったはやぶさ探査機についての話題であるだけに,非常に興味深かった。ミッション失敗かと思われる局面でも,科学者や技術者達が知恵を出し合い,問題を解決していく様子は,ゲーム開発者達の参考になる部分もあったのではないだろうか。
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※2011年9月7日追記
初出時,川口淳一郎氏の氏名を誤って記載していました。お詫びして訂正します。

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