レビュー
ゲームの評価ってなんだろう?――クリエイター魂が溢れ出る怪作「ダンガンロンパ」を遊びながら考えてみる
「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」公式サイト
今回取り上げる「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」(以下,ダンガンロンパ)も,そう言った“無性に語りたくなる”作品の一つ。発売から3か月近くが経つ本作だけに,「いまさら?」と思う読者もいるかもしれないが,良いものを熱く語るのに時期なんて関係ねぇ!とばかりに,今回は,このダンガンロンパについてあれこれと語ってみよう。
とは言ってみたものの,本作の魅力を言葉で説明するのは,実はとても難しい。なぜなら本作は,大金が掛かってるという類のゲームではないし,システム的に完璧なゲームというわけでもない。その絵柄を含めた世界観/作風にしても,確実に人を選ぶ内容だからだ。加えるならシナリオや演出も,その独特のグロテスクさに拒否反応を起こす人は確実にいると思う。CERO D(17歳以上)というレーティングが指し示すように,本作は,決して万人向けのゲームではないのである。
……それでも本作は,筆者にとって久しぶりに“心動かされたゲーム”であった。
世界観が奇抜だからだろうか。それともシナリオが感動的だったからだろうか。もちろん,そういった要素も理由の一つには挙げられるだろう。実際,疾走感溢れるストーリー展開は素晴らしかったし,それを彩る大山のぶ代さん,緒方恵美さんら豪華声優陣の演技力も見事の一言に尽きる。
しかし,あれこれ考えてみた結果,それだけが心動かされた理由ではないという結論に至った。それが本稿の執筆理由でもあるのだけれど,なんというか,細かい演出を含め,本作の端々から感じられる“クリエイター魂”とでも言うべきものに,筆者は心打たれたのである。
本稿では,そんなダンガンロンパの魅力について語りながら,「ゲームの評価とは何か」についても,少し考察を加えてみたい。
ハイスピード推理アクション!……ってなに?
ダンガンロンパという作品を知らない方のために,まずは作品の簡単な紹介をしておこう。
本作は,ジャンル的に言えば,いわゆる推理アドベンチャーに分類されるゲームである。複数のキャラクターによって展開される“議論”の中から,ウソや矛盾を暴いていくゲームシステムが大きな特徴。端的に言ってしまえば,カプコンの「逆転裁判」シリーズに近いゲームシステムなのだが,そう書いてしまうとなにか途端に陳腐に聞こえてしまうのが,本作の魅力を伝える難しさでもある。
いや,逆転裁判的なシステムをベースとしながらも,アクション要素を盛り込んでいたり,某アニメ/漫画を彷彿とさせる「クライマックス推理」システムがあったりと,目新しい(?)要素も非常に多いのだが,どんなゲーム?と聞かれると,やはり「逆転裁判っぽいゲーム?」と答えてしまう自分がいるわけで。何か悔しい。
詳しくは,下記のムービーを見てその魅力の鱗片を感じ取ってほしい!……という感じではあるのだが,高田雅史氏(代表作:beatmania IIDX)の紡ぎ出すハイセンスなサウンド,独特の絵柄のイラスト/キャラクターデザインなどを含め,ゲームの端々から溢れ出るユニークさこそが,本作の最大の魅力であることは間違いない。
「脱出したければ,ほかの誰かを殺す必要がある」極限ルール
―――本作の概要(4Gamerレビューより抜粋)―――
本作の設定は,あまりにも奇抜だ。あらゆる分野における“超高校級”の才能を持つ生徒らを集め,世界へ輩出し続ける「希望ヶ峰学園」を舞台に,ストーリーが繰り広げられる。集められた生徒の例を挙げると,超一流のアイドル,高校球児,カリスマモデル,格闘家,ギャンブラー,プログラマー,暴走族,同人作家などの“超高校級”といった具合だ。
主人公の「苗木 誠」は,そんな学園にやってきたごく普通の高校生。膨大な“平均的な学生”の中から選ばれた,「超高校級の幸運」を持った生徒という設定である。
ところが,主人公を含む15名の生徒は,ゲーム開始早々いきなり学園内に閉じ込められてしまう。学園内のあらゆる窓に鉄板がはめられ,出入り口も封鎖され,外の世界から完全に遮断されてしまうのだ。
そんな生徒達の前に突然現れた学園長の“モノクマ”は,にわかに信じがたいルールを押し付けてきた。「もしここから卒業して脱出したければ,ほかの誰かを殺す必要がある」と言うルールがそれだ。しかもただ殺すだけではなく,それを他の生徒に気付かれてはならないというのだ。
生徒達は最初,そんな話はまったく相手にしなかった。だが,閉鎖空間で不安になった心理をモノクマに巧みに煽られ,少しずつ変貌し,超一流の生徒達は一癖も二癖もある殺人鬼へと変わっていく。
主人公は,そんな彼らの悪事を一つずつ“論破”していくことになる……というのが,ダンガンロンパの物語である。
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本作が推理アドベンチャーに属する作品だとは先に述べたが,本作でとくに秀逸なのは,物語の舞台設定と,プレイヤーをゲームに引き込むその演出手腕である。
ちなみにここで言う演出とは,単にシナリオの面白さを指すのではないのだが,それを端的に表すのが,他の14名の生徒達と力を合せ,またあるときは敵対しながら,犯人を追い詰めていくプロセスがゲームの核となっている一方で,いわゆる恋愛ゲームのような「キャラクターの好感度」システムを内包している点かもしれない。
どういうことか。
要するに本作は,自分のお気に入りのキャラクター達が「殺されたり,殺したりする」推理ゲームだということだ。というか,こんなゲームってこれまで他にあっただろうか? この一点だけを見てみても,本作が他の推理モノの作品とは,まるで異質なものであることは分かってもらえるというものだろう。
ちなみに本作に登場するキャラクター達は,それぞれを大物声優が声を当てていることもあって,非常に魅力的に仕上がっている。学校内を自由に歩き回れる「学園生活パート」では,好みのキャラクターに贈り物をあげるなどして,仲を深めることが可能だし,仲が良くなればキャラクターのより詳しいバックボーンを知ることができ,さらにそのキャラクターに愛着がわくという寸法だ。
なのに本作では,そんな魅力的なキャラクター達が恐ろしいほど惜しげもなく“使い捨てられてしまう”のである。これは,本作を遊んだプレイヤーならば共通して感じた気持ちだと思うが,プレイ当初は,そのあまりの超展開っぷりに「あれ,何か選択肢を間違えてBADルートにでもきたか?」と思ってしまったほど。そして,その描写がなんとも心にグサっと突き刺さる。
こういった話は,ややもすると,「魅力的なキャラクター」という一言で済まされてしまいそうな部分ではあるのだが,そういったちょっとしたゲーム的な演出要素が,本作のゲームとしての熱中度―――いわゆる一人称視点的なのめり込み――に一役買っているのだと思う。
とにかく,どこの馬の骨とも知れない他人が殺しただの殺されただのというありがちな推理モノとは,まったく感覚が異なるゲームだということは,上記の説明でも十分お分かり頂けるのではないかと思う。
表現するということ。それを多くの人に届けるということ
上記でも触れたことだが,本作の魅力は,なんとも言えないその「独特さ」にある。そしてそれは,絵が独特ですね,システムが独特ですね,音楽が独特ですね,といった単純な話にはならない。
ゲームシステムや世界観,音楽,絵柄,そしてモノクマ演じる大山のぶ代さんを始めとする声優陣の演技など,あらゆる部分を総合させた結果として,絶妙なバランスでその「独特さ」が表現されているのであり,何よりもそこに感心してしまうわけだ。
要するに,語弊を恐れずに言わせてもらうなら,本作はとにかく「作り手側が良いと思ったもの」を躊躇せずにぶち込んでいる作品なのである。ゲームシステムにしても,随所に盛り込まれたパロディネタにしても,本作には,作り手のあらんかぎりのアイデア(表現したいクリエイティビティ)が,節操なく盛り込まれている。
だけど,新しい要素にしろ,思いつく限りに盛り込まれたネタにしろ,その端々から感じられるのは,プレイヤーに新しいものを届けたい,そしてそれをより多くの人に遊んでもらいたい,という思いである。
もちろん,これは何もダンガンロンパに限らず,ほかのあらゆるゲームでも同じはずだろうが,ダンガンロンパという作品は,コアとなるクリエイティブさを残しながらも,泥臭いほどに“いろいろなフック”を散りばめている雰囲気なのだ。
普通,安直な売れ線狙いやパロディネタというと,良くも悪くもいやらしさを感じてしまうことが少なくないわけだが,本作に限っては,そんな印象は微塵も感じなかった。それはおそらく,ネタのその上のレイヤーに,クリエイターとして作りたいもの/届けたいものがしっかりと形をもって存在しているからなのだと思う。そもそも,そうじゃなきゃこんな奇抜なゲームを作ろうとは思わないはずだろうし。
そしてそうした“心意気を感じるゲーム”を見つけたら,やっぱりゲーマーなら人に語りたくなる(オススメしたくなる)に決まっているのだ。
ゲームはいつから“減点方式”で語られるようになったんだ?
さて。ここまでひたすら絶賛してきておいてなんだが,一方で,一歩退いた冷静な目で分析してみると,本作が決して「完成度の高いゲーム」ではないのも事実であろう。むしろ,崩壊ギリギリのところをなんとか力業で押し切っている,そんな印象を受ける作品であり,簡単にいうと,非常に“荒削りな作品”だと言える。
じゃあ,本作は面白くないゲームなのか? ということになるのだが,答えは,これまで散々説明してきた通り。このゲームは間違いなく「面白い」のである。荒削りだけど,完成度という意味では劣るけど,それでもなお本作は「非常に面白いゲーム」なのである。
ここから話は少し本作自体から離れるが,ここ数年,開発費数十億円,場合によっては100億円超というハリウッド映画クラスの大作ゲームが世界を席巻しているのはご存じの通り。それらのゲームは確かに凄いし面白いのだが,半面,それらを評価するゲームメディア(主に海外)の評価の仕方に,一抹の疑問を覚えることも少なくない。
端的に言うと,
最上級のグラフィックス。隙のないゲームシステム……100点。
とか,そういう書き方のことなんだよね。なんと言うか,「隙がない作りなら,ゲームって面白いのかよ?」という至極まっとうな疑問が,筆者の頭の中で反芻されてしまうというか。ゲームって,エンターテイメントって,クリエイティブさって,そんな単純なものじゃないだろう。既存の表現手法の延長で隙無く完璧に作られたゲーム,それって本当にイコールで「最高のゲーム」になるものなんだろうか?
もし,本作をそうした“公の評価基準”をベースに評価するなら,おそらくは75点くらいに落ち着くんじゃないかなと思う。上記のとおり,面白いと感じさせる強烈なパワーがある一方で,荒削りな部分も目立つタイトルであるからだ。内容も人を選ぶし。
しかし―――,それはやはり疑問に思う。本作を遊びながら感じた面白さは,魅力は,果たして本当に75点のものなのか。断言しても良いが,少なくとも筆者が本作に感じた面白さは,間違いなく及第点などではない。95点……いや,作り手の心意気云々であるとか,個人的な主観を加えれば,これはもう100点満点のゲームである。
歌が上手い歌手が必ずしも成功しないように,絵が上手い漫画家がヒット作を生み出すわけではないように。理屈だけではなく「とにかく大好き!」と言える何かというのは,商業メディアにおける評論みたいなものにおいて,もっと正しく評価されていいんじゃないだろうか。エンターテイメントやクリエイティブって,突き詰めればそういうものではなかろうか。
そもそもゲームとは,減点方式で語られるべきものではない。何かが欠けていたとしても,その作品ならではの魅力で120点を取って,全体として帳尻を合わせればいいのではないか。
まぁ偉そうなことを書いてみたが,要は何が言いたいのかというと,本作は100点のゲームである,ということだけなんです。
人を選ぶけど,より多くの人に遊んでほしいゲーム
総括すると,このダンガンロンパは,荒いながらもまばゆいほどの異彩を放つ,近年稀に見るタイプのゲームである。
高めのレーティング(CERO D)や癖のある絵柄,さらに,お世辞にも“売れ線”とは言えないアドベンチャーというジャンルなどなど。業界人的な目線で本作を商品(企画)としてみると,「よくもまぁこんな企画を通せたものだ」と感心してしまうわけだが,そこを乗り切るための情熱と努力もまた想像には難くなく,だからこそ筆者が“心打たれた”という側面はあるのだと思う。
本作は,そのあまりに尖った作品の特性上,50万本,100万本と売れるようなゲームではないのかもしれない。しかし,それでもなお,本作はこれからのゲーム業界を照らす「光」になり得る,そんな気がしてならない。
なぜなら,漫然とした閉塞感が覆う今の,そしてこれからの日本のゲーム業界に必要なのは,まさにこういった「荒いけど100点!と感じられるゲーム」だと思うからだ。
いつの時代も,市場のブレイクスルーには,何かしらの尖った部分が必要である。それはたとえば,物の見方を変えることだったり,新たな価値観や可能性を提示することだったりするわけだが,そうしたものは「挑戦する姿勢」からしか生まれないものなのだ。
そんなわけで,本稿を読んで「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」の魅力が少しでも多くの人に伝わり,ゲームを遊ぶキッカケになってくれたら幸いである。本作には体験版も用意されているので,どんなゲームか気になる!という人は,まずはそちらをダウンロードしてみるとよいだろう。
ともあれ,続編の発表に期待しつつ,今回は,ここで筆を置くことにしよう。
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