連載
『ラグナロク』の安井健太郎,7年ぶりの新刊! 「放課後ライトノベル」第129回は謎と陰謀渦巻く『アークIX』で命がけの戦いを
先日,年下の友人に「『gdgd妖精s(ぐだぐだフェアリーーズ)』第4話冒頭の元ネタが何か,分からなかった」と言われてショックを隠せない。「ダッダーン!! ボヨヨンボヨヨン!」って言えば,何のことかみんな分かるよね? ね……?
ジェネレーションギャップというのは,かようにどこにでもあるもの。たとえば角川スニーカー文庫は,今ではもっぱら「『涼宮ハルヒ』を出してるところ」というイメージだろうが,それはここ数年の話。2000年前後のスニーカー文庫といえば,なんと言っても『ラグナロク』のレーベルだった。ライトノベル読者にとっては,ラグナロクという名がオンラインゲームの名前でも,某RPGの武器の名前でもなかった時期があったのである。
その『ラグナロク』を手掛けた安井健太郎が,この2月に新作を刊行した。『ラグナロク』の刊行が途絶えてから,なんと実に7年ぶりの新刊である。今回の「放課後ライトノベル」では,まさに「渇望の新作」であるその『アークIX(ナイン)』を,青春時代に『ラグナロク』を読んでガツンとやられた筆者が紹介する。
『アークIX(ナイン) 1 死の天使』 著者:安井健太郎 イラストレーター:緒方剛志 出版社/レーベル:講談社/講談社ラノベ文庫 価格:693円(税込) ISBN:978-4-06-375239-7 →この書籍をAmazon.co.jpで購入する |
●世界の半分を捨て,人々は“箱船”に乗り込んだ
150年前の“失われた日”を境に,人類は惑星の半分を捨てた。高さ3000メートルの“壁”によって地球をほぼ半分に分断し,国も土地も,ありとあらゆるものを捨てて,壁のこちら側でのみ生きる道を選んだのだ。
かつて壁の向こう側にあった国で生活していた人々は,“箱船(アーク)”と呼ばれる水上都市に新たな住処を得た。だが,電波を撹乱・遮断する現象“ノイズ”や,人間が異形の姿に変貌し,周囲の人々を襲い始める“変異”など,失われた日の影響はいまだ濃く,世界はその爪痕から立ち直れずにいた。
壁の向こうに失われた国,日本をルーツに持つ青年・紫堂縁(しどうえにし)は,箱船の1つ,箱船(アーク)IXで生活している。幼馴染みのレベッカ・ロスと共に探偵事務所を経営する彼のもとに,ある日,一人の男を捜してほしいという依頼が舞い込んでくる。
捜査を開始して早々に襲撃を受けるなど,事態は初っ端からきな臭さを漂わせるが,いざ見つけ出したその男は,製薬会社からリヴィガルド症候群の特効薬を盗み出したことで追われる身となっていた。リヴィガルド症候群――発症すればいずれ死に至り,さらに“変異”を起こす可能性すらある恐るべき病。その特効薬となれば,確かに誰もが喉から手が出るほど欲しがる代物だ。
この謎の新薬をめぐって,マフィアやキリスト教過激派,さらには箱舟の安全管理を司る管理局統合情報部までもがうごめきだす。縁とレベッカは,いつの間にかそうした争乱の渦のど真ん中に足を踏み入れていたのだった――。
●探偵にしてニンジャマスター,その名は紫堂縁!
マフィアの送り出した鉄砲玉に,過激派の暗殺者,そして“変異”。縁を襲う連中は,そのことごとくが人知を超えた力を持ち,相手を殺すことも,自身が死ぬことも厭わない。常人なら確実に「出会い=死」となる相手と,一介の探偵に過ぎない縁がなぜ互角以上に戦えるのか。
その答えが“忍術”である。本連載の第119回で「とにもかくにも時代はニンジャ」と書いたが,マジでニンジャの時代が来ているのかもしれん……。
本作における忍術の描かれ方は,どちらかというと魔法に近く,土の陣,風の陣などの属性に応じて,物理法則を超えた数々の現象を引き起こす。対象を高熱の炎で包み込む“火渦(かえん)”から,木を操り自由自在に成長させる“樹界(じゅかい)”まで,そのバリエーションはもはやなんでもアリな雰囲気。一定範囲の空間の時間を止める“時軛(ときくびき)”によって銃弾を受け止めるくだりなどは,読んでいてシビれずにいられない。
一方で「紫堂家の遺伝子を受け継ぐ者にしか使えない」「実際に使用するにあたっては,過酷な修行や食事によって極限まで肉体を鍛え上げる必要がある」など,術者に求められる条件はシビアでストイック。本作において,忍術とは術者の肉体を触媒とするものであり,どんなに非現実的に見える現象にも,使い手の生命エネルギーが必要不可欠なのだ。
強力な忍術を連発すれば肉体に大きな負担がかかり,吐血することも珍しくない。強さの中にもどこか悲壮感が漂う,文字どおり生死をかけた縁の戦いぶりは,本作全体に流れるハードボイルドな空気感の象徴でもある。
●痛みと傷が癒えない世界で,それでも人は生きる
巨大な壁を築くことによって滅びの運命から逃れた,『アークIX』世界の人類。だが,それで人々が救われたかというと,決してそうではない。壁,そして箱船の建造に莫大な資材を費やしたことで,人類全体が大きく疲弊し,100年以上経った今も完全に立ち直りきってはいない。捨て去ったはずの壁の向こうの世界は,リヴィガルド症候群やノイズ,“変異”といった形で,なおも人々の暮らしを脅かし続けている。
滅亡を回避したからといって,そこに希望が生まれるわけではない。たとえ滅びの運命から生き延びても,今度はその代償を背負いながら生き続けるという,過酷な試練が待っている。『アークIX』の舞台は「救われた世界」ではない。いつまた滅びが訪れてもおかしくない「これから救われるかもしれない世界」なのだ。
だからなのか,本作の雰囲気は,全体的にどこか殺伐としていて退廃的だ。街中で平然とロケットランチャーをぶっ放したり,戦車でビルを襲撃したりといった荒事も頻繁に起こる。大洪水から生命を救った“箱船”の名が冠されているのが皮肉にも思えるその場所で,縁は駆け,戦い,そして生きる。煙草の煙をくゆらせ,喪失の苦さを噛みしめながら。
“失われた日”はなぜ起こったのか。“変異”とは何なのか。壁の向こうには今,どんな世界が広がっているのか。謎は数多く,物語が向かう先は,今はまだようとして知れない。人類にとって,罪の象徴である巨大な“壁”は,いずれ希望の象徴へと変わるのか,それとも――。物語の行く末に思いを馳せつつ,夏に刊行予定の2巻を心待ちにしたい。
■ニンジャマスターじゃなくても分かる,安井健太郎作品
『アークIX』著者の安井健太郎は1998年7月にデビュー。デビュー作は,のちに自身が選考委員を務めることになるスニーカー大賞の,第3回大賞を受賞した『ラグナロク 黒き獣』(ちなみにその5年後,5回ぶりの大賞を受賞したのが『涼宮ハルヒの憂鬱』である)。同作はシリーズ化されると共に人気を博し,やがてはスニーカー文庫を代表する作品へと成長する。
『ラグナロク 黒き獣』(著者:安井健太郎,イラスト:TASA/角川スニーカー文庫)
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『ラグナロク』は,「疾風迅雷のリロイ(リロイ・ザ・ライトニングスピード)」「黒き雷光(ブラック・ライトニング)」の異名を持つ凄腕の傭兵,リロイ・シュヴァルツァーを主人公とするバトルファンタジー。物語が,彼の相棒たる意志持つ剣・ラグナロクの視点で語られるのが大きな特徴だ。リロイの前に現れるのは,彼と同じ傭兵から,闇の種族(ダーク・ワン)と呼ばれる人ならざる存在まで,超人的な能力を持つ強敵ばかり。そうした連中に,リロイが傷つきつつも不屈の闘志で立ち向かう,文字どおりの死闘が作品最大の魅力だった。シリーズが進むにつれ,物語は5000年にわたる人類と闇の種族との闘争や,国家をも巻き込む壮大なスケールに発展。多数の個性的すぎる登場人物たちによる,群像劇としての面白さも見せ始めていた。
しかし,2003年ごろから刊行ペースが落ち,2006年11月を最後に刊行が中断。本編11巻,番外編9巻を数えつつも未完となっていた。その後,自身の遅筆などによって著者とスニーカー文庫とが絶縁となったため,同レーベルでの続刊刊行は絶望的に。だが,一時期のスニーカー文庫を支えた名作だけに,待望の新作がリリースされた今,何らかの形での復刊,再始動も期待したいところだ。
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