連載
勝負の行方を決めるのは量が質か。連載「そうだったのか! シヴィライゼーションV」の第3回は,答えがないと思われがちな戦争の勝ち方に迫る
どうやったら戦争に勝てるのだろう?
戦争をするからには,勝ちたいものだ。とくにCiv5のプレイヤーのように戦争の指揮を執る立場にいるのであれば,負けた戦争なんてものには(文字通り)1点のメリットもない。「負けたけど良い勝負」なんてものはポジティブシンキングではなく,現実逃避に過ぎない。
さて,そうなると問題は「どうしたら戦争に勝てるのか」ということになる。言うまでもなくこの問いは,古今東西戦争関係者にとって最重要課題であり続けているが,あり続けているということは,即ち「正解なんてない」ということだ。というか,そんなものがあったら今頃戦争なんてなくなっているんじゃないだろうか。
しかしながら,この「戦争必勝法」は,まったくの白紙というわけでもない。古今東西の例をCiv5的に見ていこう。
戦争は数だよ数
騎兵ラッシュは全文明共通の鉄板戦術。ローマのように騎兵に対してこれといったメリットを持っていない文明でもこのとおり |
歴史上には無数の軍事的天才がいて,彼らの中には「少数で多数を撃破する」ことをやってのけた人物も多い。だがその手のギャンブルは,大抵の場合,彼らの中心的な業績ではない。
この筆頭に挙がるのは織田信長で,桶狭間は寡兵をもって大軍を破る戦いではあったが,浅井朝倉連合軍を破った姉川の戦いにせよ,武田を破った長篠の戦いにせよ,織田徳川連合軍は数的優位を確保していた。
敵を圧倒する数を揃え,それを的確に運用する,これは軍事における一つの定石だ。際立った軍事の才を有する人物は,生きた時代がいつであれ,「戦略的不利を戦術的優位の積み重ねで克服することはできない」という大原則を,きちんと理解していたように思う。「理解することと実践できることは別ですよね」,というケースがあるのはさておき。
Civ5においても,「数を揃える」ことはだいたいにおいて正義だし,そうやって揃えた数を維持できる経済力を保持しているというのは,それだけその文明が豊かだという証拠だ。地形効果やスキルの差によって多少のデコボコは発生するとしても,一般的に言って戦車1ユニットよりは戦車2ユニットのほうが強い。単純だが,これが残酷な現実である。
だが,前述のように信長が桶狭間で勝ち,あるいはナポレオンがマレンゴやアウステルリッツで勝ち,ドイツ第三帝国がソビエト赤軍を緒戦で大突破したように,数的に劣っている側が勝利した事例も歴史には少なからず確認できる。どうやら,「量」が絶対とは限らない場合はあるのだ。
兵器の性能差が戦力の決定的な差となる場合
兵器,あるいは兵器を生み出すに至った背景にある思想の差が,戦争の結果に決定差をもたらす場合がある。ナポレオンがより少ない数で他国との戦争に勝ち続けた背景には,大砲の用法を大きく変化させ,軍の招集方法までを含めた大幅な軍制改革を行ったことの影響がある。あるいは「ヨーロッパ列強」が,アフリカやアジアにおいて本国の何倍もの面積と人口を支配し得た背景には,銃器や用兵の差が明白に存在する。一般論を言えば,機関銃を前にして,槍と盾では戦えない。
このこともまた,Civ5では普通に発生する事案だ。軍事ユニットの技術差が1段階程度であればともかく,2段階離れると,まともな戦争にならなくなり始める。3段階離れれば,文字通りのワンサイドゲームだ。
また,都市を攻略するとなると,この「質の差」は露骨に響く傾向にある。都市に篭った弩兵は戦士の群れを粉砕するし,大砲は剣や鎧に頼った軍隊をあっというまに地上から根絶する。こういった長距離兵器は防御が脆いという問題があるが,都市に篭り防御力を獲得することで,攻撃側の数的優位を無効化していく。
けれど,これまた「想像を絶するくらい」技術差があるにも関わらず,勝てなかった戦争というものもある。例えばアメリカは太平洋の島々に影響力を広げていくにあたって,何度か「槍と木の盾で武装した戦士達」に痛い目にあっている。あるいは,これまたアメリカは,月に人類を送り込むほどの技術力を誇りながら,ベトナムで決定的な敗北を喫した。「質」もまた,絶対的な解答とは限らないのだ。
量と質の戦いと言われてきたもの
今のところ,Civ5のバランス的に言えば「量を利して序盤にラッシュをかける」ほうが,「質を活かして守り切る」よりもずっと簡単。騎兵ラッシュは高難度でも有効 |
ところが,実際の戦争では,この「何かが」それなりに起こってしまう。
例えばアフガニスタン紛争(1978-1989)では,アフガニスタンの兵士10万に対し,ソビエト軍(当時)は10万を投入しており,数では負けていない。となれば,戦争の結果に大きな影響を与えるのは兵装となるが,戦車に戦闘ヘリに化学兵器にと,ソビエト軍はわりとやりたい放題。アフガニスタン側の兵装とは雲泥の差だ。
Civ5において,ユニットの上限は文明が保有する総人口にも依存している |
近年,こういった疑問に対し,興味深い説が唱えられている。曰く,「軍事的な力を決定するのは,その国家(あるいは集団)の人口増加率である」という説だ(「自爆する若者たち――人口学が警告する驚愕の未来」/グナル・ハインゾーン,新潮選書,2008)。
この説は,非常に簡単に要約すれば,「このままでは食い詰めてしまう次男坊以下の若者が社会に占める比率が高ければ高いほど,その国は爆発的な軍事力を持ちうる」という考え方で,驚くべきことに歴史上の大きな戦争の勃発とその推移は,ほぼこの説で説明できる。
例えば大航海時代におけるイベリア半島や,ナチス勃興期のドイツの人口増加率・若年者比率は,急上昇傾向を見せていた(ちなみにドイツの場合,大戦勃発前には再び低下した)。現代でいえば,パレスチナの水準はこれらと同じ水準かそれ以上の領域にある。あらゆる説と同様に鵜呑みにするのは危険だが,重要な示唆を含んでいることは否定しきれないだろう。
巨大殺人ロボット。いやまあ,なんというか,クールですね |
巨大殺人ロボットは都市攻撃がちょっと苦手。あくまでも「ちょっと」だけど |
戦略核が投下されたあとの荒野を進む巨大殺人ロボット。実に終末的な光景だ |
となると,無人兵器が「戦死者の発生に対して世論が敏感な先進国の兵器」である部分は大いに認められ,これはそのまま「人口の自然増加に依存せず,無鉄砲な命令に従う兵士を安定確保できる手段」と読み替えることが可能になる。
Civ5においては,あらゆる兵器の頂点に「巨大殺人ロボット」が登場する。これが果たしてパイロット付きなのか,それとも完全な無人兵器なのかは知るよしもないが,個人的にはあれは無人兵器だと思っている――フォルムからいうと有人っぽいが。
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