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[CEDEC 2010]成すべきことがあるなら覚悟と作戦を持って挑め──。サイバーコネクトツー流のゲーム開発作法
勢いの感じられるセッションタイトルだが,実際の内容は,2010年にバイダイナムコゲームスから発売される予定のニンテンドーDS(以下,NDS)用ゲーム,「Solatorobo それからCODAへ」(以下Solatorobo)の制作秘話に始まり,サイバーコネクトツーという会社のゲーム制作に対する姿勢,そして販売元との交渉といったあたりを,同社の代表取締役社長兼ディレクターの松山洋氏らが熱く,ときにユーモアを交えながら語ってくれるものだった。
語られた方法論とアイデアは独自性の強いものではあるかもしれないが,「自分達が作りたいものを,勝算を持って実現する」といった部分には,現在厳しい状況にさらされているデベロッパの持つべき心構えのようなものを感じた。
「Solatorobo それからCODAへ」の制作秘話
「構想10年,制作3年。常識で考えるとNDS向けソフトとしては考えられないほどの期間を費やしていますが,残念ながら事実です」と松山氏は続ける。その13年間に何が起き,どのように制作が始まって続いてきたかが,今回のセッションで語られるわけだ。同社の前身であるサイバーコネクト時代に開発した「テイルコンチェルト」の失敗を分析し,さまざまなことが分かったという。
と,その前にという感じで,新作タイトルの技術的側面に話題が移った。挨拶を行った松山氏に続いて登壇したのは,サイバーコネクトツーでゲームデザインマネージャーを務める磯部 孝幸氏だ。
3年間という長い時間をかけて開発しただけに,同作にはアクションゲームの要素のほか,「機体性能のカスタマイズ」や「DSiカメラへの対応」など,いろいろなフィーチャーを盛り込むことができたと磯部氏は語る。
とりわけ,ゲームの世界観や雰囲気を伝えるのにふさわしい「絵的な表現」を模索したとのことだ。
この絵的な表現とは,2Dグラフィックスの暖かさに加えて,3Dグラフィックスの迫力の2つを併せ持つ「立体的なイラスト表現」と言えるもの。そこで使われる,モーションイラストデモとパースマップという表現方法についての解説が続いて行われた。
●モーションイラストデモ
NDSではあまり多くのポリゴンが使えないため,見えない部分はまったく作らず,ポリゴンを削減している。実機では,上の画面と下の画面の隙間部分は描かれないが,違和感が出ないような計算が行われているという。
●パースマップ
背景を表現する手法で,カメラ手前のキャラクター2人はきっちり作り込まれているが,背景やオブジェクトはテクスチャの描かれた一枚のポリゴンだ。ステージ全体を俯瞰すると,それらの背景ポリゴンを,奥行きがうまく表現できるように配置しているのが分かる。実機画面では,キャラクターと背景が調和して迫力のある構図に仕上がっている。
それでも我々はあきらめきれない
Solatoroboの開発で行われたこと
1996年,わずか10名のスタッフで設立されたサイバーコネクトは,およそ1年半の期間をかけて,処女作であるPlayStation向けの,テイルコンチェルトの制作を開始した。開発中にスタッフが2名増え,計12名でマスターアップを迎えたテイルコンチェルトだが,当時はNINTENDO64向けの「スーパーマリオ64」やセガサターン向けの「ナイツ」といった,フルポリゴンのアクションゲームが話題になっており,同じくフルポリゴンだったテイルコンチェルトを,バンダイ(当時)に持ち込んだところ大絶賛されたという。
1998年4月,大きな期待を背負っての発売されたテイルコンチェルトだったが,当初予定していた30万本という目標は達成できず,9.7万本にとどまった。利益を得るには十分な数字ではあったのだが,「思いのほか売れなかった」という印象が関係者の間に残り,それがいつまでもついてまわったと松山氏は語る。
それでも我々はあきらめきれない,と松山氏。サイバーコネクトツー社内で毎年行われているアイデアコンペで「作りたいゲームランキング1位」になり,さらにテイルコンチェルトの続編を望むファンからの声にも後押しされて,テイルコンチェルトプロジェクトは継続されることになる。ここからSolatoroboの構想が始まったのだ。
プロジェクトを継続するためにまず行ったのが,売れなかった理由を徹底的に分析することだ。また,ゲームの構想と並行して,同作の公式サイトの定期的な更新や,ゲームに登場したキャラクターをほかのデザインに使うなどといったことも行われている。
ターニングポイントとなったのは2007年で,テイルコンチェルト2ではなく,完全オリジナルの新企画として再出発することでゴーサインが灯ったのである。
正式な契約が行われ構想から開発へ
そこで使われた作戦とは
しかも,.hackとNARUTO -ナルト- ナルティメットヒーローの開発を進めながらの並行作業である。
対応機種として選んだNDSはその頃,脳トレブームなどによって急激に売り上げを伸ばしており,世界累計7000万台を突破する勢い。しかしラインナップには,いわゆるゲームらしいゲームが少なく,サイバーコネクトツーとしては,そこに市場性があると考えた。
新企画をなんとしても成功させるため,いくつかの作戦を実行した。
最初にとった作戦は,同じ時期に複数のパブリッシャに企画を売り込むことだ。結果的にバンダイナムコゲームスからのリリースとなったが,売り込みは複数のパブリッシャに対して行ったという。これは,各社間の競争意識を煽るのが目的だったとのこと。
続いて行ったのは,企画書とは別に,2種類の「設定資料」を作成して提出することだ。企画書そのものは,分かりやすいように10ページ程度に収め,それとは別にキャラクター設定と世界観設定を書いた資料を同時に提出したという。
2冊の設定資料は企画書よりも大きいサイズにし,さらにちゃんと製本もした。これは,提出した設定資料が担当者の机に埋もれないようにし,さらに提出したプロデューサー以外の,第三者の目にもとまることを狙った作戦だ。
こうした作戦を行った結果,バンダイナムコゲームスの鵜之澤副社長から直接連絡が入り,2008年,両社は正式な契約を結ぶことになったのである。
そのようにして本格的な開発がスタートするのだが,サイバーコネクトツーは自分達の作りたいモノを作るため,さらに作戦を練る。それが以下のスライドにある,「少人数での長期間開発」「著名なクリエイター陣を起用し,商品力を高める」,そして「定期的にモニター会を実施し,ゲーム内容を調整」というものだった。
「(会社としては)儲からないと意味がない」と言い切る松山氏。長期間にわたる開発は,ゲームに深みを持たせることが多い。だが,期間が長引けば開発費も増える。少人数での開発は開発期間と費用,どちらも満たすための処方箋というわけだ。
ちなみに,開発中にDSiが発売されたため,まったく予定外だったDSiカメラへの対応もゲームに盛り込んだと松山氏は語る。これも,長期間の開発ゆえに対処できたことだ。
最後のまとめとして,松山氏は「おそらく聴講者が感じているだろう」4つの疑問を提示し,そのいずれも答えはNoであるとした。その疑問とは
・バンダイナムコゲームズとすごく仲が良いからうまくいったのではないのか
・「ナルティ」シリーズや,「.hack」シリーズで儲かっているから,Solatoroboが制作できたのではないのか
・時間をかけすぎたから,大作にならざるを得なかったのではないか
・サイバーコネクトツーだから作戦がうまくいったのではないか
というものだ。
すべてNoと書いたが,実は最後の疑問については「Yesでもある」と但し書きがついている。
松山氏は「『何を作ればいいのか分からない』とか『企画が通らない』とか,そういう声をよく耳にします。しかし,覚悟と作戦があればやりたいことができ,作りたいモノが作れます。やりたいことがあって,作りたいモノがあるなら,覚悟と作戦が必要です!」とし,ここでこうした作戦のすべてを公開した以上,これからはサイバーコネクトツー以外でも覚悟さえあればうまくいくはずと締めくくっていた。
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