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「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
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印刷2009/12/28 17:02

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「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー

O-GAMESの最新作「UNDERCOVER LIVE Episode 0」
画像集#024のサムネイル/「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
 年末の恒例行事といえば,大掃除と冬コミ。冬コミとは冬のコミックマーケットのことで,毎年夏と冬の年二回が開催されていることから,こう呼ばれる。ちなみに次回のコミックマーケット77は,12月29日から12月31日までの3日間,東京ビッグサイトにて開催されるが,個人的に楽しみにしているのが,多くの同人ゲームサークルが参加する2日目だ。

 筆者も毎回,たくさんの新しいオリジナルゲームに出会えることを楽しみにして足を運んでいるが,今回の参加サークル/グループの中でも筆者が注目しているものの一つが,ナムコで長年にわたって多数のゲーム開発に携わってきた神江 豊氏が代表を務めるインディーズゲームデベロッパO-GAMESだ。

UNDERCOVER LIVE Episode 0
画像集#016のサムネイル/「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
 神江氏は,1991年から2006年までナムコ(現バンダイナムコゲームス)に在職し,ディレクター,プロデューサーとして20タイトル以上の開発に参加。代表作には,アーケード版「ガンバレット」「鉄拳」シリーズなどがあり,「鉄拳3」ではディレクターを務めたという本物のプロだ。神江氏は現在,同社を離れ,ソル エンタテインメント代表取締役社長として,長年のキャリアとスキルを活かした幅広い企画・プロデュースを行いつつ,O-GAMESの運営も行っている。

 4Gamerではコミケ直前の年末特別企画として,そんな神江氏にナムコ時代の思い出から,ゲーム開発における方法論,さらには“インディーズゲームデベロッパ”としてのO-GAMESが目指すものなどについて,たっぷりと話を聞かせてもらった。ゲーム開発者を志す人や,ゲーム制作サークルを運営している,もしくは参加している人にとって示唆に富んだ内容となっているので,ぜひ最後まで目を通していただきたい。

 なお,O-GAMESでは最新作「UNDERCOVER LIVE Episode 0」を今回のコミケで発表予定だが,そちらについても以下の本文中にてチェックしてもらえればと思う。

「UNDERCOVER LIVE Episode 0」公式サイト

O-GAMES公式サイト

ソル エンタテインメント公式サイト



少年時代から“ナムコ大好きっ子”だった


4Gamer:
 本日はよろしくお願いいたします。
 さっそく神江氏の経歴からお聞きしたいと思うのですが,まず少年時代はどんな子どもだったんですか?

神江氏:
画像集#001のサムネイル/「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
 こちらこそ,よろしくお願いいたします。
 少年時代……というか,幼稚園のころからゲームセンターに通うような子どもで,小学校の卒業アルバムには「ナムコに入社する」って書いたりしていたんですよ。それで,学生時代はずっとスコアラーをやっていて,雑誌のハイスコアコーナーで毎月全国トップを取るほどゲームセンターに通いつめてました。さらに趣味が高じて,「GMC」というゲームサークルを作って,気がついてみれば,一時期は全国に会員が130人くらいに増えていたという。

4Gamer:
 130人ってかなりの大規模サークルですね。そのゲームサークルは神江さんが主催されていたんですか?

神江氏:
 私が中心となって活動していて,会報を作ったり,みんなでゲームを楽しむという趣旨で活動していました。だから,内容的にもゲームの攻略ではなく,自転車に乗って県をまたいで友達に会いに行って,みんなで集まってゲームを楽しんだこととかを書いたりして。

4Gamer:
 子どものころから,相当なゲーム好きだったんですね。

神江氏:
 ええ。それで,いざ就職というときになってとりあえずナムコだけ就職試験を受けて,運よくそのまま採用され,新卒として企画部署に配属になりました。1991年のことですね。それ以降ずっと,ゲームの企画,ディレクション,プロデューサーなど,開発プロジェクトの統括に携わってきました。

4Gamer:
 ナムコしか受けなかったというのは,やはりそこに何かこだわりがあったんですか?

神江氏:
 いやあ,ナムコ大好きっ子だったんですよ。

4Gamer:
 ちなみに,ナムコのどんなゲームが?

神江氏:
 当時よくプレイしていたのは,「ボスコニアン」とか「ギャラガ」とか……。

4Gamer:
 うわあ,懐かしいですね!

神江氏:
画像集#002のサムネイル/「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
 1970年代後半から1980年代前半のナムコのゲームが好きだったんです。子どものころ,まだ英語も読めなかったときに最初に覚えた単語というかロゴが「NAMCO」だったという。そのときにもう,刷り込まれていたんでしょうね(笑)。
 学生時代に毎月のように全国ランキングに名を連ねていたゲームも,ほとんどナムコタイトルで,たまにほかのゲームだったりという感じでした。

4Gamer:
 あのころのゲームセンターにあったナムコタイトルは私も大好きで,「ドラゴンスピリット」なんかはさんざんプレイしました。あとは「源平討魔伝」もかなり遊びましたが,あれは難しかったなあ……。

神江氏:
 そのへんのタイトルもプレイしましたよ。あとは,「妖怪道中記」を1コインクリア! とか。

4Gamer:
 さすがにやり込み具合が違いますね……。

神江氏:
 これはゲームセンターの店員が知り合いだったからできたことなんですが,あのころのアーケード筐体にはビデオ出力がなかったので,夜中に三脚代わりに椅子を積み上げて,その上にビデオカメラをガムテープで取り付けた棒を渡して,ゲーム動画の撮影をしたりなんてことも……。

4Gamer:
 それは,あとで会報で使ったりするためですか?

神江氏:
 いや,ただの趣味です(笑)。忘れっぽいので,攻略パターンとかを撮っておきたかったんですよ。あのときのビデオはどこにしまっちゃったのかなあ……。


「ガンバレット」は朝の3時に出社して作られていた!?


4Gamer:
 それにしても,ナムコ1社だけ試験を受けて入社できたのは,かなりの強運ですね。

神江氏:
 当時からすでに,それなりに競争率の高い中で採用してもらえてラッキーでした。当時はバブル崩壊の直前だったので,ダメだったら地元でフリーターになろうかなんてことも考えましたけどね(笑)。

4Gamer:
 ゲーム会社の入社試験では,企画書の提出が求められることが多いですが,どんな企画書を用意して面接に臨んだんですか?

神江氏:
画像集#018のサムネイル/「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
 そのときの企画書は,実は「ゴキブリ叩きゲーム」だったんですが,自分の場合,一緒に提出したポインティングデバイスのアイデアのほうが評価されました。X軸とY軸をCADのように指定できるもので,当時はタッチパネルがなかったので,自分としては狙ったところを気持ちよくバシバシ叩きたいということで考案したものだったんです。
 あとは,自分が取ったハイスコアランキングの雑誌コピーをドサッと。ほとんどがナムコタイトルだったので,それも何か伝わるものがあったのかもしれませんね(笑)。

4Gamer:
 ナムコに入社して最初に関わった仕事は何ですか?

神江氏:
 新卒として入ったのが大型アーケードの部署で,最初に作ったのは「タンクフォース」という,「タンクバタリアン」の続編的なゲームですね。そのあとは,当たり外れ含めて20タイトル以上を作ってきたんですが,主に新しいゲームの立ち上げをやらせてもらっていました。まあ,荒くれて勝手にやっていたという話もあるんですが,本当によくやらせてくれたなあと思います。

4Gamer:
 そんな中でも,神江氏の代表作といえばやはり……。

神江氏:
 代表作でいうと「ガンバレット」と「鉄拳」ということになりますね。ほかにも,有名なものやそうでないものもたくさんありますが。

4Gamer:
 一番印象が深いのも,やはりこの2タイトルということになりますか?

神江氏:
 そうですね。どちらも印象が深いですが,自分の中では「ガンバレット」のほうがいいゲームだったと思います。売り上げ的には「鉄拳」のほうが上でしたが,「ガンバレット」は開発中のときから社員がよく遊びに来ていました。

4Gamer:
 「ガンバレット」開発時のエピソードで思い出に残っていることはありますか?

神江氏:
 朝の3時に出社して仕事をしていたりとか……。

4Gamer:
 朝の3時!?

神江氏:
画像集#019のサムネイル/「来年は200名規模のスケールに!」インディーズゲームデベロッパO-GAMESを率いる元「鉄拳」シリーズ開発者,神江 豊氏インタビュー
 当時はPCが非力だったので,社内サーバーでデータ管理をしていたんです。その社内サーバーにデータを入力しながら,絶妙のゲームバランスを目指して調整を行っていたんですが,人がたくさんいる時間だと処理サイクルが遅くなってしまう。それで,夜中に残って作業していたら「早く帰れ」と怒られて。「じゃあ,朝早く来るよ!」と。

4Gamer:
 そんな風に作られていたなんて,想像もしていませんでした。

神江氏:
 割と泥臭いですよね(笑)。

4Gamer:
 「鉄拳」シリーズの開発には,1作めから携わっていたんですか?

神江氏:
 ええ。ちょうど「ガンバレット」の開発が終わったときに,当時すでに開発終盤だった「鉄拳」チームに誘われて,大型筐体から小型ビデオゲーム部門に移ったんです。そのときすでに発売まで残り1か月半くらいという時期で,かなりの修羅場でしたね。すべてアーケード版ですが,その後は「鉄拳2」「鉄拳3」と開発に携わりました。

4Gamer:
 「鉄拳」開発時のエピソードを教えてください。

神江氏:
 ゲームのバランス調整は,最適解と思うパラメータを入力しながら行っていくんですが,自分がずっとスコアラーとしてプレイしてきたので,どれくらいのバランスがちょうどいいかというのが感覚的に分かるんです。
 でも,「鉄拳」は対戦ゲームだから一人ではバランスが取れないし,ハメ技を見つけるのも難しい。CPUロジックでそういうものを作って確認するのも一つの方法ですが,本編のプログラム作りで手一杯だし。
 そこで,かつての130人のゲーム仲間のうち,これだと思う人を選んでバイトとして来てもらい,バランス調整のための専属チームを組織しました。そのチームは当初,「鉄拳」の調整のために立ち上げたんですが,それが最終的にナムコのほとんどのゲームバランスを見るようになりました。

4Gamer:
 当時,ナムコ内にはそういった専属チームはなかったんですか?

神江氏:
 なかったですね。もちろんデバッグチームはありましたが,ゲームバランスのチューニングはまったく別物になりますから。今では,その中からディレクターやプロデューサーになっている人もいますよ。やっぱり,ゲーム好きはゲームのことをよく知っている人が多いですからね。

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