連載
【ミートたけし】JAZZファンと格ゲーファンは似ている?
ミートたけし / 川村 竜 / ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー
ミートたけしの「世界の平和が俺を守る!」ミートたけしYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@meatalk |
第2回:JAZZファンと格ゲーファンは似ている?
その中の一つが,格ゲー勢が排他的であると“思われている”こと。この“思われている”ってのがミソだ。つまり僕自身,これは誤解であり,どこかで齟齬が生じていると思っている。
例えば「ストリートファイターV」を遊びまくっていたある時期から,いわゆる「eスポーツ」という言葉が意味を持ち始め,さまざまな企業やTV番組,タレントがこぞって界隈に集まってきた。もちろん「eスポーツ」というくくりは格ゲーだけではないのだが,僕はストVというフィルターを通してこの流れを見てきたので,ここは風呂敷は広げず,あくまで格ゲー界隈での話が中心になることはご了承いただきたい。
さて,排他的という印象がいったいどんな場面で植え付けられるのか。例えば某タレントが「自分は今,格ゲーにハマっている!」と明言する。それから一年後,変わらずに格ゲーを続けているタレントは残念ながら少ない。皆無,とまでは言わないが,恐らくそれに近い数字になるだろう。
そして,そんなタレント達を見て格ゲー勢はこう言うだろう。「所詮あいつは『にわか』だった」と。この「にわか」に対して強烈な嫌悪感を露わにするのが,格ゲー勢が排他的と思われてしまうゆえんなのかもしれないが,ここに関してはもう少し弁明のチャンスをいただきたい。
「にわか」への嫌悪は格ゲーへの愛情の裏返しなんだと思う。
にわか嫌いの仕組みをMARVEL映画で説明する
少しだけ僕の大好きなMARVEL映画の話を挟ませてほしい。小学校3年生の頃,兄が買ってきてくれた「スパイダーマン」の絵本。英語で書かれていたその絵本は,当時読んでいたどの漫画よりもポップで,カラフルで,どんな話か分からなくても夢中になってしまった。
以来,唯一の趣味と言えるぐらいにMARVELコミックを読み漁っていた僕にとって,「アイアンマン」の映画化はとんでもない大事件だった。その第一作以降,さまざまなタイトルが映画化され今はご存じのとおり,数十本を超える数の映画作品が世に放たれている。
ここまででどこがどう格ゲーの話につながるんだよ,って思うでしょ? 言いたいことはここからなんです。
そんなMARVEL大好き人間の僕によくこういう質問をしてくる人がいる。
「MARVEL映画を観てみたいんだどどれから観ればいい?」
こう質問されて僕が,「まぁたにわかが質問してきたよ……」って考えると思うだろうか? そんなことは決してない! 素直にうれしい! だって自分が好きなものに興味を持ってくれたんだぜ? そんなんめちゃくちゃうれしいに決まってんじゃん!
よーし分かった! まずは「アイアンマン」第一作から観よう。その後は「キャプテン・アメリカ」を観て,「マイティー・ソー」を観て,いろんな理由で俳優は変わっちゃうんだけど一応「ハルク」も観て,あぁ,でも感情移入しにくいから飛ばしてもいいか。で,その後「アベンジャーズ」を観よう! そんでその後は……。
はい,一旦止めます。
これ。これが俺の,俺達のイケないところなの。あのね,仕方ないの。好きなことだからね,早口になっちゃうし,情報量も多くなっちゃうの。好きなことだからね,目の前の質問者が自分と同じ温度感だと思っちゃうの。
そんでね,そんな状態なもんだから,重大な問題に気付けないのよ。それはね。この質問者さんはまだそんなに興味を持っているわけじゃないよ,ってこと。
だってよく考えてみてほしい。本当に興味を持ったものって誰かに何をどうするか聞く前に,もう手を出すでしょ? 観るでしょ? 読むでしょ? 食べるでしょ? やるでしょ? つまり本格的に興味を持つそのもう一歩手前の人達なんだよね。そんな人達に自分と同じ熱量を求めるのって,ちょっと酷じゃない?
でもその温度差を,ついつい“裏切り”と捉えてしまうことが,外から見ると“排他的”だと思われてしまう原因なんだと思う。愛ゆえに生じてしまう温度感の摩擦こそが,この悲劇を生んでしまうのだ。
これが今回のテーマである「JAZZファンと格ゲーファンは似ている?」という話に関わってくるのよ。
厄介なのは愛情の裏返し
JAZZも格ゲーも“知れば知るほど面白くなる”という部分は本当に似ている。例えばプロゲーマーの対戦を観て「今の行動にはこういう意味があった」とか「相手がこうしたから今こういう選択をしている」というのは,JAZZミュージシャンの「今のサックスのフレーズにはこういう意味があった」とか「ピアニストがこう弾いたからベーシストがこう返した」ってのとまったく一緒だ。
つまり知識や経験を積むことで,今まで観ていた試合,聴いていた演奏からは得られなかった感動が増えていく。これは紛れもない事実だ。しかし,今新たにJAZZの世界に足を踏み入れようとしている人,格ゲーの世界に足を踏み入れようとしている人に,この“感動を増やす”ための知識や経験を伝えようとしたとき,我々が最も気をつけないといけないことは,“マウントを取らない”ということだ。
皆さんも一度くらいはこのいわゆる“マウント勢”に遭遇したことがあるかも知れない。JAZZで言えば「え? 君○○の演奏を聴いたことないの?」とか「あの名盤を知らないの?」とか。もっとヒドいと「君の聴いてる○○なんかJAZZじゃないよ」とか「そんなの聴いてたらダメだよ」とまで言い出すマジで○○で○○な○○野郎が実際にいるのよ。マージで。
そんな人と出会ってしまおうものなら,当然JAZZなんか聴かなくなるよね。格ゲーでもまったく同じような光景を目にすることがある。例えば格ゲー配信で「ストリートファイター6始めました!」的な初心者さんの配信コメ欄で,「最初に○○を練習するべき」とか「今のは○○だったからダメ」とか,嬉々として上から目線でコメントしている人を見る。
これが問題なのよ……。好きにやらせてあげなよ。好きなの聴かせてあげなよ。でもね,一つだけ理解してあげてほしい。確かに今は彼らの言葉をマウントに感じてしまうかもしれないけれど,誰しも始めは純粋にJAZZを好きになったし,格ゲーを好きになった。そして誰しも同志が増える喜びを噛み締めたいんだ。そんな同志がもっともっとJAZZを楽しめるように,そんな同志がもっともっと格ゲーを楽しめるように。
根っこの部分には絶対にこの気持ちがあるはずなのに,そこにひとつまみの歪んだ感情がブレンドされるだけで,あっという間に哀しきマウントモンスターが誕生する。これが本当に厄介なんよ。元々は愛なんや。愛情の裏返しなんや。
理解してあげてほしい,とは書いたものの,やはりこれは我々“拡める側”が意識改革すべき比重が高い。どうすればいいのか? それは簡単なこと。素直になればいい。素直だった頃に帰ればいい。
素直になるということ
前回も書いたとおり,ここでは僕はYouTubeと比べて“エンターテイメント性”よりも,より“素直”に自分の考え,思いを発信するように務めている。
素直になるとはどういうことなんだろう。それは自分の中にある,嫉妬と向き合うこと。怒りと向き合うこと。劣等感と向き合うこと。ありとあらゆる負の感情と向き合うこと。
こうしてコラムを書くことで,こんなにもたくさんの問題に向き合うチャンスをいただいてしまっている。本当に幸せを噛み締めている。
皆さんはどうですか? 最近,素直でいられてますか? 皆さんのその言葉は,思考は,想いは心の奥から出てきたものですか? それさえ分かっていれば十分。こうなると,我々の趣味に興味を持ってくれた人々へ返す言葉は自然と決まる。
「格ゲーってめっちゃ楽しいよ!」
「JAZZってめっちゃ楽しいよ!」
「MARVEL映画ってめっちゃ楽しいよ!」
僕の好きを皆さんが好きになって,皆さんの好きを僕が好きになって,好きと好きが世界中で重なって,それがまた僕に降り注ぐ。
つまり……。
「世界の平和が俺を守る」ってわけ。
P.S.
「アイアンマン」を観てハマらなかったらMARVEL映画は諦めよう!
■■ミートたけし / 川村 竜(ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー)■■ ベーシストとして国内外各所でライブやコンサートで演奏活動をしつつ,配信活動も活発に行っているミートたけしこと川村 竜さん。現在は主にYouTubeチャンネル「ミートたけし-MEAT TAKESHI-」とTwitchチャンネル「ミートたけしの『太くてニューゲーム』」で,雑談配信をしたりゲーム配信をしたりと大忙しの様子です。 |
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