連載
【ヒャダイン】スマホゲームのサービス終了ってこの世の果てだよね
ヒャダイン / 音楽クリエイター
ヒャダインの「あの時俺は若かった」 |
第71回「スマホゲームのサービス終了ってこの世の果てだよね」
ども。スマホがスタンダードになってから,ゲーム業界も大幅に勢力図が変わってきましたよね。2010年代はまさにスマホゲーム時代。スマホで基本プレイ無料のゲームをダウンロードして楽しんで,そこから任意でお金を払ってさらにゲームを深く楽しんでいくというスタイル。
もちろん無料の範囲でも楽しめるけど,お金を使えば良いコンテンツを手に入れられることが多いわけで。何より,ガチャでランダムに当たる★5コンテンツへの渇望ってのはドーパミンどばどばですよね。
スマホゲームの流行により,パチンコ業界の売り上げが下がっている……なんてニュースも見たことがあります。パチンコみたいに実際にフィーバーがきたらリアルな報酬をもらえるわけじゃなく,デジタルデータだけの世界なのに完全にライバルとして存在感を増している。そのくらい人間の本能を揺さぶる装置にもなっているんですね。
要は,外来魚のごとく生態系をぶっ壊していったわけですよね。ただ,僕は正直,それは良かったと思っているんですよ。新しいものが入ってきて旧来のものが壊されていくのは,ある意味,新陳代謝のようなものだと思えたので。
しかし“不自然なもの”は淘汰されていくのも世の常,ということなんでしょうか。スマホゲームの「サービス終了」をよく見かけるようになり,その都度,プレイヤーにショックを与え続けていますよね。サービス開始から数か月でサービス終了が告げられるのも,今や不思議なことではなくなってしまいました。
サービス開始前から事前登録者数で今後の運営が厳しいことを突きつけられて,挽回のチャンスさえ与えられずに終了を決められるなんて,つらいですよね。遊んでいこうと思って未来を描いていたプレイヤーの気持ちも相まって,ホントにいたたまれません。
そのゲームに期待をして,そのキャラデザに恋をして,「育てるぞ!」という気持ち満々で大量のコストとリソースを費やしたのに,あっさりサービス終了を告げられる。これ,単刀直入に言ってプレイヤーへの「死」の宣告ですよ。人間が人間にそんなポップに死を告げていいのかよ。そんな権利がどこにあるんだよ。ひでえなあ。この世の果てだよ。
と,責め立ててはみたものの,開発側だって地獄なんですよね。長い時間をかけてていねいに作って,キャラデザだってこだわって愛着もあるでしょう。時間とコストをかけて声優さんに声を吹き込んでもらって,いろんなストーリーを用意してさ。決して「ビジネスだから」とカラッと割り切れる関係性ではないと思うんです。
私ごとではありますが,どんな案件だとしても僕が作った楽曲は自分の子供です。正直なところ愛着の差はあるにはあるのですが,それでも自分の子供。可愛くないわけがないんです。その子供が短くて半年くらいで死を迎える。その道筋を自分達がつけなければならないなんて,こんな酷なことがありますか?
今回,こんなことを書こうと思ったきっかけはですね。僕がけっこうやり込んでいるスマホゲームがあるんですけど,最近そのゲームがボーナス石をプレゼントするかわりに「30秒間CMを再生しろ」というのを始めたんですよ。そのCMの内容が,コラボをしているわけでもなく,まったく関係のない他社のスマホゲーム! ゲームの中でほかのゲームを紹介するという。TVでいうと他局の番組CMを流して宣伝費をもらうような状態ですよね。う〜ん,なんともいびつな状況……。理由はいろいろあるんでしょうけど,そこまでしなきゃいけないの!? と,その先に死の宣告が見え隠れする状態だと思うんですよね。
それとは別に,スマホゲームと長期間プレイとの相性の悪さは常々感じています。スマホ系のゲームって,基本的にガチャで何かを引き当てて,さらに同じものが出たら強化できるというスタイルのものが多いと思うのですが,運営期間が長くなるほど,プレイヤーを飽きさせないためにキャラが次々に追加されますよね。ちょっと遊ばず,久しぶりにログインしたらもうそこは知らない世界。強キャラだと思っていた自キャラが使い物にならなくなっていたり,それを強化しようにもほかのキャラが多すぎて全然資金が追いつかなかったり。
もちろん「このキャラ達が出ますよ」という限定ガチャが開催されたり,ガチャの確率が明記されたりと,そこらへんのケアはできているんでしょうけど。それでもモチベーションは萎えちゃいますよね。「もうどうすりゃいいんだ」って話ですよ。
そう思わせないための施策も考え続けなきゃいけないんだから,現行で運営されているロングセラータイトルって,とてつもないサービスなんだなぁと痛感します。努力の塊じゃねえか。ずっと更新を続ける覚悟たるや。
まあ,実世界でも誰かと出会うときに死を意識していたらかなりやばい奴です。「どうせこの人と会ってもいずれ死ぬんだし」なんて思ったら生きてらんないですよ。一期一会,刹那を重ねながら歩む。それが人生です。
とはいえ,エンターテイメントであるべきゲームの世界で,そんな残酷なストレスをプレイヤーに与える権利ってやっぱりあっちゃいけないと思うんだよなあ。
もちろんサービスを“満了”してプレイヤーに感謝されながら別れの時を迎えるゲームがあることも知っています。
人気の老舗なんかでもそうだと思うんですけど,オーナー店長の高齢化だったり,繁盛していても事情があって閉店することってありますよね。そういうとき,昔通っていた人が集まってきて閉店を惜しんだり懐かしんだりする光景があるじゃないですか。ああいうのって,そのお店がやっているイベントじゃない。そのお店が人々に愛されたから起こることなんですよね。お店もお客を愛し,お客もお店を愛し,まさに愛し愛されて生きてきたお互いの終わりなんです。
どんな商売だって,分不相応なやり方では愛され続けることができず,幕を引く。それが時代だと思うんですよ。何をもって分相応になるかも分からないですが,スマホゲームだったら,前述のとおりプレイヤーも不幸,開発者も不幸,みんな不幸になる結果が待っているわけで。終わりを迎えるとき,プレイヤーも開発者も,そのスマホゲームに関わったみんなが笑って,別れを惜しんだり懐かしんだりできればいいのになあと願うばかりです。
死は必ずやってくるもの。だけど,お葬式に誰が来てくれるかは変えられるはずだと僕は信じています。希望を見せてくれよ,スマホゲーム!
■■ヒャダイン(音楽クリエイター)■■ ヒャダイン氏は現在,YouTubeの森永乳業公式チャンネルで公開されている,マウントレーニアのWeb CMに出演中。曲作りについて真面目に語っています。 |
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