連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ / 第20回:「痛みの伝わるゲイム」
著者近影
「龍が如く3」しかあるまいて今週は。
まだ第四章なんだけども,次から次へとやれることが増えて,何から手つけていいのか分からなくなってきたわ。まあ,面白いっていうのはきっとみんな知ってるだろうから,そんな当たり前のことは書かないとして,龍が如く3にまつわるサブストーリーを一つ。
私,この間の土曜日に,草加でプロレスしてきたのね。リングのないところで。
「週刊プロレス」の25周年を記念して,各プロレス団体から読者プレゼントを出すことになっていたんだけど,私の所属するDDTっていう中堅インディー団体からは,出張プロレスを提供していたの。当選した方のお宅にお邪魔してその場でプロレスをやってしまおう,と。で,その当選した方が草加に住んでいたので,行ってレッスルしてきた,と。で,それが前の土曜日だった,と。
……それがどうしたのかって? バカねよく計算してみなさい。先週の土曜日にリングのないところで試合をした。で,龍が如く3の発売日は先週の木曜日。当然,発売日に購入。で,私はゲイム脳。
……もう分かったでしょ? ヒートアクションが出まくる出まくる。いくら私達(あ,タッグマッチだったのよ)4人が破壊と創造,どちらかというと破壊(破戒?)を司るプロレスラーだからといって,お宅訪問プロレスで室内を戦場にし続けるわけないじゃない? いろいろ壊れちゃうから。実際,当選者は草加せんべい屋さんだったんだけど,せんべい壊れちゃった。エヘ。
で,壊れたあとに大事なことに気づくのは,恋愛もプロレスラーも一緒なわけで,商品のせんべい壊して後悔した我々は逆ギレ気味に外へと繰り出したってわけ。外に出て駅前に向かったらそりゃ,ヒートアクションの一つや二つ出ようってモンじゃない。
追い討ちの極みや柱撃の極み,壁クラッシュは朝飯前。路上プロレス王・飯伏幸太による金網上からのムーンサルトアタックの極み,走っている車に敵をぶつけようとする極み,駅前に置いてあったチャリンコに乗って相手を轢こうとしたらチャリンコに鍵がかかってて結局諦めた極みなど,ヒートゲージが上がりまくり。
ホント,良い子は真似しちゃダメ。プロレスはリングでやるもんよ。この様子は今週か来週か分かんないけど水曜日発売の週刊プロレスにて。載ってなかったら,張り切った分だけ無駄にダメージ受けた私は笑うしかないけど……。
まあ,龍が如く3のグラフィックスとモーションは,プロレスラーが「なんかこれ,やろうと思えばできるかも」って思ってしまうほどリアルって話。
ここからちょいと真面目な話なんだけど,テレビCMでも名越プロデューサーが「信念のある男を描きたかった。それを支えてくれたPS3の表現力」って語っているとおり,ゲイムでもの凄く現実に近い表現ができるようになった時代なのね今って。昔は,グラフィックスからしてゲイムと現実の区別はついたわ。
でも,もはや今のゲイムは現実の世界と変わらないほどの擬似現実を作り出すことができる。だからこそ,ゲイムの世界から我々プレイヤーが善悪を見極められるようにしなきゃいけない時代でもあるんだなぁって思ったわ。
例えば,ある人が龍が如くのようなヒートアクションを現実の街中で通りすがりの人にやってみたとしようじゃない。この場合って,龍が如くが悪いの? 違うでしょう? 悪いのはどう考えてもやった本人よ。でも,そんなことが起きたときに叩かれるのは,きっと龍が如く,もしくはゲイム全体。完全に責任転嫁だわ。
龍が如くでは,敵を殴るとちゃんと血が流れ,痛みが伝わるように戦闘を描いている。これってすごい大事なことなのよ。人を殴れば,痛みを与えるし血も流れる。ゲイムではその部分を隠さず責任もって伝えているのに,やってみたくなったからといって現実の世界で他人に痛みを与えたりするのは,やっぱり本人の未熟さのせいだと思う。
ゲイムではこうやって,爽快さと同時に痛みまでもが表現されているのに,我々プレイヤーはどうなのか? 自分にとって都合のいい部分だけでなく,その裏にある責任もプレイヤーが積極的に受け取らねばならないのではないか? そんなことをつくづく感じた週末でしたとさ。
まあほら,実際に野外プロレスでヒートアクションやってるヤツが何言ってんだ? って意見は至極ごもっとも。なんだけども,プロレスラーは相手を信頼して技を出し,相手を信頼して技を受けているので,基本的には自由と責任を背負ってやってます。それがプロレスのいいところです。以上。
龍が如く3,いいゲイムよ。PS3をお持ちなら是非一度。
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