連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第259回「昔,愛したあの人の今……」
私,気付いてしまったのよ。クリスマスを憎む人間って,楽しいクリスマスに届かなかっただけで,基本的にクリスマスを楽しむポテンシャルを持ってる人だってことに。最初から楽しいクリスマスを過ごせる可能性のない人は,クリスマスを憎いとすら思わないものなのよ。
嫉妬というのは,自分がその立場に立てたかもしれない人が抱く感情で,その立場の想像すらできない人は,もう嫉妬心すら起こらないわけ。1か月に1億円稼ぐ人にはいちいち嫉妬しないでしょ? それは,我々が惜しいところまですらたどり着いていないからなのね。
なので,クリスマスを妬む人間は我々澱人(よどんちゅ)からすると,リア充と同族なわけです。どうでもいい。澱人は雨が夜更け過ぎに雪へと変わるかどうかなんてどうでもいいんです。だってどうせ家でゲイムしてるんだもん。そう考えたら,リア充よりもリア充を憎むリア充候補生,仮に下衆人(げすんちゅ)とでも名付けましょうか,その下衆人のほうが我々澱人の敵であると言えるわけです。
なぜなら,リア充は多分気を遣ってだと思うんだけど,我々澱人には何も言ってこない。何かを言ったところで彼らには何のプラスもマイナスもないわけですよ。でも,下衆人は! 澱人を仲間に巻き込もうとするわけですよ。「あいつら,いちゃいちゃしやがって! ホントうっとうしいよな? な?」的な。
澱人としては別にどうでもいいんだけど,下衆人はそれを強要しやがる。別にうっとうしいとも何とも思わないけど,強いて言うならば,そんなお前がうっとうしいわ!
なので,リア充は今のまま充実していただいて結構ですが,下衆人は澱人のエリアまで出張してこないでいただけますでしょうか? 我々は我々でケーキも食うし鶏肉も食いますんで。そんな世の中に牙をむく感じは下衆人同士でお願いします。あ,ちなみにここまで書いてきた「リア充」の読み方は「りあんじゅ」でお願いします。リア充,下衆人,澱人の三国志演義です。
知らない人もいるかもしれんし,いないかもしれんから説明しとくけど,パズドラはパズルで戦闘するRPGなわけです。そのパズルも,スマートフォンのタッチパネル機能を使ったもので,同じ色の玉(ドロップ)を三つそろえていくという,非常にシンプルなルールなのね。私は,リリース直後からまったく有料アイテムを買うことなくプレイしてきたんだけど,それでも十分に楽しめているのね。
スマートフォンらしい軽いゲイム感覚で,それでいてスマートフォンとはいえしっかりとゲイムをプレイした気になれる。そらまあ,売れますわな。11月の段階だけど,国内で2100万超ものダウンロード数を記録しているんですって。
この数字の偉大さって,超人強度に換算すると分かりやすいんじゃないかしら。主人公であるキン肉マンですら95万パワーで,ウォーズマンですら100万パワー。だから,2100万ダウンロードの力たるや。まあ,最後のほうでは1億パワーあるとされるキン肉マンフェニックスにも,キン肉マンは勝つんだけどね。
そうは言っても強さの指標だから,2100万ダウンロードは本当に凄いわよ。日本の人口が約1億2000万人であることを考えると,2100万ダウンロードというのはなおさら驚異的な数字よね。単純に数字の凄さで言うと,モンゴルマン&バッファローマンの2000万パワーズよりも上。凄いよね。
で,私もスマートフォンにしてからしばらくはパズドラをプレイしていたんだけど,いつの間にかプレイするのをやめていたの。無料なのに。その理由は,“リア充っぽい”感じがしたからなのね。ただの偏見なのは分かってるわ。
そもそも“売れる”ということは,総じて“リア充っぽさ”が漂うってことだから。アイドルやバンドや芸人でもそうでしょ? 売れると,リア充っぽく見えるの。そりゃまあそうよね。少なくとも仕事が充実してるんだから。だから,なんだかまぶしく感じちゃって,ついつい気後れしちゃうのね。すごく爽やかで青春を謳歌しているようないけ好かない大学生の集団が,電車でパズドラの話をしていたっていうのもあるけど。
ともかく,何だか勝手に距離を感じて,プレイするのをやめちゃったのよね。で,最近ニンテンドー3DSでパズドラZが発売された,と。ま,一応ね,昔愛したゲイムがベースになっているわけですから。何といっても嫌いになって別れたわけじゃないし,何ならこっちとしては未練があるわけ。こちらとしてもね,彼が頑張っていたのは知っていたし,何なら応援もしていた。
で,それが本人の望み通り,急に売れてしまって,自分だけのものじゃなく,みんなのものになってしまった。それは,やはり寂しいものですよ。あの頃のように,自分だけを見てくれなくなったんだなぁって。そんな寂しさもあって。でも本人がそれを望んだんだから,自分としては離れるしかないじゃないですか。
自分なんかにとどまる器じゃない。自分は自分なりに愛を注いでたつもりだったけど,距離的に届かなくなってしまった。あちらが売れてしまって,たぶん見るべき景色が変わってしまった。簡単に言うと,自分なんか相手にしなくなった。それはそれでいいんです。私が勝手に愛していただけだから。私が置いて行かれるのは,とても寂しくはあるけども,嬉しいことでもあるんです。自分にとっての愛って,そういうものだと思うから。
そうしてしばらくちょっと離れ,ほかのみんなよりも若干距離を置いた位置から見守っていて,思うわけですよ。売れたら売れたでいろいろあるだろうけど,頑張ってねって。
でも,駆け上がるときの上昇感があるうちはともかく,ある程度まで上り詰めると,違うことにチャレンジしたくなるものなんですよ。それが今。昔愛したゲイムの晴れ舞台というか,記念すべきゲイム機デビューというね。
ターンごとにパズルを解いて攻撃するというのが非常にRPGっぽいあたりは,前と同じで変わらない部分なの。Zドロップなんかの新要素はあるんだけど,ああ,基本は変わらないんだなってほっとしたの。ほら,RPGの戦闘って,ターンごとに一つのコマンドを選択するものが多いじゃない。コマンド選択じゃなくてパズルなのに,ちゃんとそういう感じに仕上がってるのよね。しかもパズルだから,戦闘に飽きがこないわけ。ここは既存のRPGとは一線を画しているポイント。
それでいて,昔(パズドラ)より今(パズドラZ)は,明確で分かりやすいストーリーを手に入れているの。このストーリーって,プレイするためのモチベーションを高めてくれるものなのよね。それによって,ゲイムとしてスケールアップしているような印象を受けたの。昔のあいつと同じ部分はあるんだけど,昔のままじゃない。ちゃんと成長して,私の知らない部分もある。そんな複雑な感じ。
とはいえ,難しい点はほぼ無いから,私のようにスマートフォンでパズドラをヤっていた人も,何なら今もヤってる人も,まとめてヤってみるといいわ。別の面白さがちゃんとあるから。あと,スマートフォンでパズドラを遊んだことのない人も,これを機にプレイしてもいいのかもね。何だかんだで,売れてほしいからね。昔からの伝わらない愛。でも,プレイすることが一番の愛。これからも,応援しています。
というわけで,今週は見つめていたモノがどんどん売れていって,自分の手から離れていく切なさについて語ったわけですが。愛っていろんな形があって,もし自分の愛が届かない場合でも,相手を憎まずに応援できるといいわよね。
自分の愛が届かないと急に敵に回る人もいるじゃない。それって,結局は下衆人なんですよ。私は下衆人を否定するわけじゃないの。他人を愛する力が強いばっかりに,幸せな人を憎んでしまうわけだから。愛ゆえに愛を捨てた聖帝サウザーのようなもの。彼には彼の生き方があって言い分もある。そこに私なんぞの澱人が口をはさむ余地なんてないわ。
でも,他人を巻き込むな,という点は強く主張したい。愛を捨てるのは自由だけど,愛を捨てた挙げ句に愛で戦うケンシロウの邪魔はしないであげて,と思うわけです。なので,クリスマスが来てもひとまずはみんなほっといてもらおうか,と。ゲイムはおろか,ヘタすりゃ仕事だけど,ほっといてもらおうか,と。
その日に合わせて休みとか取ってる人に対しては,こうやって書いているうちにだんだん腹が立ってきているわけですが,ほっといてやろうか,と。ただの365分の1日にすぎないのに浮かれているその短絡的な思考にイライラし始めてきてるんだけど,ほっといてやろうか,と。
あれれ……? おそらく広告代理店が作ったクリスマス文化に乗せられてんじゃねーよ! バカじゃねーの? って思えてきました。何でしょうねこのドス黒い感情は。何なんすかね,わざわざ人に自分の幸せを見せつけるあの無神経さ。本当,あいつらうっとうしいと思わない?
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 3:「ワールドサッカー ウイニングイレブン 2014」
PlayStation Vita:「サカつく プロサッカークラブをつくろう!」
PSP:「サモンナイト5」
Wii U:「The Wonderful 101」
Wii:「ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン」
ニンテンドー3DS:「パズドラZ」
Xbox 360:「Minecraft:Xbox 360 Edition」
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