連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第216回「『DQVII』は基本的にすべてが面白い」
この連載でも幾度となく触れてきたように,私,DQシリーズが大好きなの。スピンオフ作品も含めてね。であるが故に,今週は真面目に向き合い過ぎる点を,あらかじめご了承いただきたいのよ。だって私がDQシリーズをどれくらい好きかっていうと,自分で言うのもなんだけど,信奉者と言ってもいいレベルだもの。
なぜそんなに好きなのか? と聞かれたら「それがDQだから」としか言いようがないわ。登山家の「そこに山があるから」的なテンションでね。
……これすらもね,普段の私なら気付くのよ。「それがDQだから」ってセリフが,決して的を射たもんではないってことに。でも,信奉者たる私は半ば本気で,「DQだから」がその理由だと思ってる。だってDQなんだもん。確かにね,シリーズの作品によって好き度合いは違うわよ。でも,どの作品も嫌いにはなれないの。なぜなら,DQだから。
私もこう見えて表現者の端くれだから,「この人が表現することはすべて好き」という好かれ方が,決して健全なものではないのはよく分かっているわ。自分が作ったものに対して,良いならば好きになってもらいたいし,悪ければそれなりの評価をしてもらいたい。作り手って,だいたいはそのように思っているんじゃないかしら。もちろんこれって,ビジネスを抜きにした心意気の部分よ?
ちょっと話をそらしましょうか。ビジネスの場合は,基本的に売る商品の欠点を隠して長所をPRするべきなのよ。ほかとは違いますよ,ウチのは凄いですよ。そう言わなきゃいけない。ただ,それが誇張されてたりした場合はちょっと悲惨でね。売れたはいいけど,商品の質が追いついていないと,あとから叩かれてしまう羽目になるの。それが信用ってやつにつながるのね。
売り文句だけが独り歩きして,内容が追いついていないと,結局は企業の信用を落とす。逆に,内容はいいのに広告宣伝がおろそかだと伝わるものも伝わらない。商品の質ありきではあるけど,広告宣伝ってホント,繊細で大切なものだと思うわ。
話を戻します。なので,私のような「DQだったら何でも好き」っていうゲイレスラーは,ビジネス的に見ればいいカモではあるんだけど,クリエイターからしてみれば何の参考にもならないヒゲのおっさんなわけ。そんなぽっちゃり色白ヒゲの35歳が,ゲイムの連載で何を語ればいいのだろうか。
読者はきっと,短所を隠して長所しか拾わないビジネス的な批評よりも,どの部分が良くてどの部分が悪いのか,表現者の視点からの意見が知りたいんでしょう。なのに,言うに事欠いて「DQ様のなさることはすべて面白い」だなんて,ちょっとどうかとも思う。
なので,先に言っておくわ。今回の連載は,偏っています。その上で読み進めてくださいまし。
とくに,ショートストーリーでつないでいくスタイルをシリーズで初めて導入した部分が。具体的には,このDQVIIは石版を集めたら新しい世界が増えて,その増えた世界での出来事を一つ一つ解決していくっていうゲイムの進め方なのね。
VIまでのDQは,広い世界の中に大きな目標があって,その目標に向けて冒険していく過程で仲間が増え,鍵を手に入れ,乗り物を手に入れ,だんだん行けるところやできることが増えていく,そういうケースが多かったの。
でも,VIIは違う。大きな目指すべき場所が見当たらない。で,目の前の問題をクリアしたら,新しい世界が現れてまた別の問題が起こる。その繰り返し。こう書くと,淡々とした展開のように感じるかもしれない。でも,これってRPGの要素を一番シンプルにした形じゃない。
これって,ある意味において開き直ったとも言えると思うのよね。RPGって,結局のところお使いじゃない。あの場所に行って敵を倒して鍵を取って……っていう。それを石版集めという設定で,可視化したわけよね。そう。だからハッキリ言って,VIIはお使いゲイムよ。お使いゲイムという言葉に,良い印象を持たない人もいるでしょう。でも私は,DQVIIのお使いを悪いとは思わないの。
というのも,ショートストーリーを集めた作りということは,止め時が意識的に用意されているということでもあるわけ。一気に長時間プレイするっていうよりも,ある程度,定期的にちょこちょこプレイできる感じ。これって,オリジナル版はPlayStation用だったけど,むしろニンテンドー3DSという携帯機で遊ぶうえで,とても親和性が高い気がするのよね。
そうそう。PS用のDQVIIは石版の取り損ねがあると先に進めなくなっちゃったんだけど,3DS版では救済措置というか,ヒントを得やすくなってるんで,詰まるってこともなくなったわ。だから,「ストーリーを忘れてもうて,やる気があらへん」っていう,RPGあるあるに陥ってしまう人は,きっと少ないと思うわ。ま,大きな物語とショートストーリーの,どっちが好きかは好みの問題なんだろうけど。
前作にあたる「ドラゴンクエストVI 幻の大地」から,基本職,上級職っていう概念はあったけど,ついにはモンスターまで。いわゆるヤリ込みってやつね。ヤり込みの奥がさらに深くなった,と。落とし穴の中にさらに落とし穴ができた感じ? この表現は何か違うな。
ともかく,DQシリーズってレベルを99まで上げたり職業をコンプリートすると嬉しいのよ。嬉しいんだけど,不毛な感じで空しくもなるの。実際,不毛だしな。でも,それがまた不思議な充実感を生むのよね。
そう考えるとDQVIIって,本当にゲイムの楽しさを凝縮した作品なんだと思う。ゲイムなんて,頑張ったところで実生活には何の影響も無いわ。レベル上げも職業のマスターも,極めたところで何にも実世界でいいことなんてない。せいぜいゲイム好き同士での会話が弾むくらい。
でも,だからこそ趣味として成立してるんじゃないかしら。人生において,一生懸命ヤれることって,基本的に楽しいのよ。その対象が仕事の人もいれば,趣味の人もいる。もしくは,両方の人もいるわね。一見無駄なことのようでも,一生懸命になれる何かがあるってことは,幸せなことなのよきっと。
一番もったいないのは,何に対しても一生懸命になれないこと。だから,私はゲイムに対して一生懸命なのはいいことだと思っているし,レベル99にすることも職業をマスターすることも人生においてとても素敵なことなんだと思う。誰も褒めてくれないだけで。
それを,他人に強要したり無理やり認めさせようとするとややこしくなるのよね。人に迷惑をかけることなく,自分が満足できればそれでいいんじゃないかしら。そして,ゲイムおよびDQシリーズなら,それができる。人生において,一生懸命楽しく不毛なことができるツールとしてのゲイム。その代表選手がDQシリーズなのではないかと思うわけであります。
と,こんなことを語ってしまうぐらいに,私はDQシリーズが大好き。もちろん気になることもあるよ。今回のDQVIIに至っては最初の戦闘が始まるまで1時間くらいはプレイしなきゃいけない。シリーズを通しても,現実にはあり得ないストーリー展開,努力がほぼ報われるご都合主義,プレイヤーの成長に合わせて敵も強くなるという不自然さ,主人公空き巣じゃねーかっていう誰もが気付いてるツッコミどころ……おかしな点はいっぱいあるの。
でも,つまるところ,それらのすべてが大好きなの。プレイヤーを適度に甘やかしてくれるその世界が,私を「今ゲイムをヤってる」って感覚にしてくれるの。だからDQシリーズが大好き。もちろん,DQVIIもね。まだならみんなもヤってみて。そんな感じでまた来週!
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 3:「神様と運命革命のパラドクス」
PlayStation Vita:「デモンゲイズ」
PSP:「グラス ハート プリンセス」
Wii U:「ZombiU(ゾンビ U)」
Wii:「ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン」
ニンテンドー3DS:「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」
Xbox 360:「トロピコ4 日本語版」
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ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち
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