連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ / 第64回:「おかえりなさいゼルダ」
著者近影
人は何のために生まれ,そして死んでいくのか。人間の一生とは不思議なもので,何のために生きるか分かっていないのに毎日を生き,歳をとっていく。
そもそも,地球という惑星自体が奇跡なのだ。太陽にほんの少し近づき過ぎただけでも,または太陽からほんの少し遠すぎただけでも,今のような生命は誕生しない。そして,そんな奇跡によって生まれた生命が,ヒトという生物に進化したのもまた奇跡である。極めつけは,両親の細胞から何億分の1という確率で,今の自分として生まれてきたという事実。
そう。我々は奇跡に次ぐ奇跡の上に立って,この世を生きている。しかし,ヒトは,生きる意味を知らない。生きる意味を知らずに,奇跡の時間を浪費している。
だが,生きる意味など,生きていくうえでは必要ないのかもしれない。なぜなら今,私は生きている。この事実こそが重要であり,これからも,いや,今を生きていくに十分な理由である。
人が何のために生まれ,そして死んでいくのか,その答えは死んでから考えるとしよう。だって,考えたところで分からないのだから。
そう。生きている私には分からないのだ。さしあたって今,生きる意味よりも,死ぬ意味よりも,私はどのゲイムをプレイすればいいか,それが心の底から分からないのだ。
えー,「ワールドサッカー ウイニングイレブン 2010」(PlayStation 3/Xbox 360/Wii/PSP/PlayStation 2。以下,ウイイレ 2010)に関しては,なんだか達観してきてしまったわ。
結局は,強いチームをいかにうまく扱うかのゲイムなのね。それはそれで,現実のサッカーもそうなのだから仕方がない。そう考えると,メッシのドリブルに追いつけないのも,ルーニー一人にキープされてロングシュートで点入れられるのも,4トップのバルサかレアルかブラジルを使う人が多いのも,全部受け入れることが出来るわ。
上手いとか下手とか関係なくて,強いかどうか。それがウイイレというゲイムのルール。そして,それが世の中のルールなのよ。まあ,それでもナイジェリアでプレイしてるんだけどね。
さて,何をプレイしたらいいか分かんないときは,手に入れたけどプレイしていないゲイムで遊ぶに限る。殿が大奥を使うときってこんな気分だったのかしら? まあいいや。というわけで「ゼルダの伝説 大地の汽笛」。
正直,私にとって任天堂のタイトルで昔からしっくりこなかったのがゼルダシリーズなのね。任天堂のタイトルって言えばアンタ,誰がプレイしても楽しめるってことで定評があるわけよ。
私もまあ,いい年だから何かっていうと昔話になってしまって若い読者には申し訳ないんだけど,NINTENDO64の時代はとくに凄かったわよ。「ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ」は理屈抜きで楽しかったし,「マリオカート64」はみんなでやっても一人でやっても熱くなれたし,「007 ゴールデンアイ」は妙にスリリングだったわ。
ちなみに,プロレスゲイマーの第一人者であり,今やプロレス界一の売れっ子である飯伏幸太いわく,過去一番面白かったプロレスゲイムはNINTENDO64の「バーチャルプロレスリング64」らしい。これについて私も同感ね。任天堂のタイトルじゃないけど。
あ,そういえば飯伏幸太について補足をば。彼のことは昔この連載でも触れたことがあるけど,そのときの紹介の仕方を要約すると,「カプコンゲイム好きで,今のところ『ストリートファイター』シリーズでいうところの“リュウの動きに一番近いプロレスラー(という職業についてるアホの子)”」だったわね確か(※編注:なんか違う)。
でも,今となっては若干雰囲気というか私の中の像が変わってしまったので,ここで更新しておくとするわ。「カプコンゲイム好きで,リングのない街中でプロレスをしたがるという意味では,『ストリートファイター』シリーズよりも『ファイナルファイト』のほうが例えとして適切だから,“今のところハガーに一番近いプロレスラー(という職業についてるアホの子)”」といったとこかしら(※編注:以前もそんな表現だった気がする)。
詳しくは説明しないから,気になる人は「飯伏幸太」で検索してみれば意味が分かると思うわよ。
検索すらめんどくさい場合は,“街中でジャーマンスープレックスとか平気でやる人”で覚えておけばいいわ。間違ってないから。
さて,輪廻が転生してゼルダの話に戻るけれども,NINTENDO64の中でも,ゼルダだけは私の好みではなかった,と。それが言いたかっただけでこれだけ無駄話ができる私は,ある種の天才だと思うと同時に効率の悪い男ね。たぶん後者。
で,もうちょい言うと,みんなが「ゼルダが面白い」って言っているのに,私はあんまり面白いとは思えなかった現実を目の当たりにしたときは,軽くショックだったの。「エンタの神様」で面白いと思えなかったのに観客が笑ってる,そのギャップと同じ種類のショック。
いや,別にゼルダもエンタも否定してるわけじゃないの。ただ私に合わないってだけ。ただ,私に合わないものが世の中では絶賛されてたり高視聴率だったりすると,私と多くの人達との感覚がズレてることが分かって,けっこうショックなのね。
だからあれ以来,ゼルダにはあまり触れなかったのよ。ニンテンドーDSの前作「ゼルダの伝説 夢幻の砂時計」も,ちょっと面白いかもと思ったくらいでやめちゃったし。
で,今回はどうかというと……,面白いなコレ。
まだ序盤だから物語のなんたるかが分かってないんだけど,何で主人公がいきなり機関士なのか,訳が分からないわ。
でも,もともとゲイムってそういうもんだと思うので,ノー問題。RPGでは,いきなり勇者だっていわれて冒険に出されてたじゃん。シューティングゲイムでは,何のために,そもそも誰と戦うのか分からないのに飛行機っぽいのに乗って敵の本拠地に乗り込んでいったじゃん。そう考えたらいきなり機関士でもゲイムっぽくていいと思うよ。
ともかく,タッチペンだけでゲイムをプレイしていくんだけど,これの爽快なことったらないわ。そうだ! NINTENDO64のゼルダになくってDSのゼルダにあるもの,それは「触ってて楽しい」ってことだわ。ウン,凄く任天堂っぽいと思う。ゼルダ好きの人が,これをゼルダとしてどう評価しているのかは知らないけど,私はアリだと思うわ。
前作も確かこんな操作感だった気はするけども,今回,あらためて思い知らされたということでいかがでしょうか。ようやく,私も,“ゼルダは面白いもの”として認識できたわ。おかえりなさいゼルダ。そして,帰ってこい「バーチャルプロレスリング」。
イヤ,冗談はさておき,イヤイヤ冗談とも言い切れないけれども,ともかく生きる意味なんて分かんない。でも,生きてる以上は楽しいゲイムをプレイする。自分には合わないと思っていたシリーズも,後日プレイしたら楽しく感じる。それでいいじゃないか。
だって私達は,現にこうやって生きてるんだもの。今年も,いっぱいゲイムするぞー! では来週。
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- 関連タイトル:
ゼルダの伝説 大地の汽笛
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