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【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない
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印刷2016/11/05 12:00

連載

【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

Jerry Chu /  香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー

画像集 No.009のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」

Twitter:@akemi_cyan


タブーがなければ刺激がない


 ゲームとロックは,よく似合う。

 テンポが早く,重低音を強調したロックのサウンドは,高速戦闘を主体にしたアクションゲームにうってつけだ(とくにハードロック)。「真・三國無双」「デビル メイ クライ」メタルギア ライジング リベンジェンス」など,ロック調のBGMを採用しているアクションゲームは枚挙にいとまがない。アクションゲームが好きなゲーマーなら,皆,ロックに馴染みがあるだろう。

 それに加えて,ゲームとロックはどちらも若者に悪影響をもたらす「害悪」とされてきた過去を持つ。
 ロックの歌詞には反権威,反社会的なものが多く,少年非行を誘発しかねないと危惧された。ゲームは若者から熱心な支持を集めているが,年配者の中には「ゲームをすると頭が悪くなり,攻撃的な性格になる」という懸念を持つ者がいた。ゲームとロックは蔑まれながらも,したたかに成長し,文化として花開いたのだ。

「DOOM」(2016年)
画像集 No.002のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 今年5月に発売されたFPS「DOOM」は,1993年に誕生したシリーズ第1作のリメイクである。血が滾るような銃撃戦,悪魔をかたどった敵キャラクター,旧来のシリーズファンをニヤリとさせる演出。初代「DOOM」の魅力を十二分に再現した傑作だ。
 だが,1つだけ初代にあって,新作にはない要素がある。それは,タブーとしての存在感だ。

 1993年12月,アメリカ合衆国上院の公聴会が開かれた。コンシューマゲーム機の性能向上に伴い,ゲームにおける暴力描写はより露骨になった。1992年にリリースされた格闘ゲーム「Mortal Kombat」には,相手の内臓を抜き取るようなグロテスクな演出があり,世間を騒がせた。それを受けて,上院議員はセガと任天堂の代表者,学者,メディア関係者などを招き,ビデオゲームにおける暴力表現を取り調べるための公聴会を開いたのだ。
 のちにアメリカのゲーム業界による自主的なレーティング制度の確立にもつながった重要な会議だった。

 そんな風潮の中,初代「DOOM」は世に出た。血みどろの地獄絵図,至るところに転がる死体,血を流しながら崩れていく敵。ゲームの暴力表現を危惧する世論を横目に,初代「DOOM」には暴力表現が憚りもなく取り込まれていた。
 そのうえ,初代「DOOM」はハードロックのBGMと悪魔をモチーフにしたデザインを採用し,オカルトや反キリスト的な雰囲気を醸し出した(ゲームの内容は悪魔崇拝ではなく,悪魔を倒すものだったが)。当時に社会的害悪とされたものを,初代「DOOM」は一身に集めていたのだ。

「DOOM」(1993年)
画像集 No.004のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 初代「DOOM」はゲーマーから絶大な人気を獲得したが,当然のようにメディアの批判の的にもなった。1999年,コロンバイン高校で高校生2人が銃を乱射し,学生12名と教師1名を射殺するという大惨事が起きた。事件後,犯人は「DOOM」のファンだったことが報じられると,FPSは銃乱射事件と関連付けられた。
 その結果,初代「DOOM」は若者に悪影響をもたらすものとなり,「殺人シミュレータ(murder simulator)」という汚名を着せられた。

 「ゲームを暴力犯罪に結びつけるのは早計だ!」「犯行の原因はほかにあるのではないか?」
 大人になった現在であれば,ゲームへの批判に対していくらでも反論できよう。だが,筆者はまだ子供だったため,その当時,メディアで交わされた議論をよく理解できなかった。「あのゲーム,なんかヤバそう」となんとなく感じたくらいだ。人間を狂気へと誘った「悪魔のゲーム」として,初代「DOOM」は畏怖された。ゲームディスクをゲーム機にセットするだけで,恐怖を覚えた人もいるという。

「DOOM」(1993年)
画像集 No.003のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 しかし,新作「DOOM」にはそういった危険な雰囲気がまったくなかった。悪魔の姿をした敵と暴力描写は,以前にも増してグロテスクになったが,一般のマスコミは取り上げていない。
 リリースから間もなくして,BGMの周波数をスペクトログラムで分析すると,「逆さの五芒星」と「666」という数字が隠されていたことが発見された。どちらも「悪魔」を連想させるものだ。もし20年前にこんなネタが発見されたら,「やはり暴力ゲームは悪魔崇拝だ」と大騒ぎになっただろう。それが今では「いい小ネタだね」「細部にも趣向を凝らしている」と称賛される。初代「DOOM」と新作「DOOM」の反応を比べてみると,ここ20年におけるゲーム文化の変化が鮮明になる。

「reddit」のエントリ「Easter egg in "Cyberdemon" soundtrack」より引用
画像集 No.005のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 日本でもゲームは叩かれてきた。ゲームが脳に与える悪影響を懸念した「ゲーム脳」説が2002年に現れ,メディアによって吹聴された。「グランド・セフト・オートIII」の暴力描写が批判を呼び,2005年5月には神奈川県の有害図書に指定された。その翌年,CERO(コンピュータエンターテインメントレーティング機構)はレーティング制度をあらため,「Z」(18才以上のみ対象)を設けた(関連インタビュー)。

「グランド・セフト・オートIII」
画像集 No.006のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 その頃の香港でも,「グランド・セフト・オートIII」は「危険なゲーム」というイメージがあった。青少年の暴力行為を誘発すると言われた「グランド・セフト・オートIII」に,当時,中学生だった筆者は怖くて手が出せなかった。友人達のプレイ実況を電話越しに聞くだけでも,十分にスリルがあった。
 そもそも2000年代中期までの香港において,ゲームはまだニッチなものであり,学校ではスポーツゲームの人気が高かったものの,アクションゲームやRPGといったジャンルに理解を示し,語り合える友人は少なかった。

 だが,「グランド・セフト・オート」シリーズも徐々に社会的にも受け入れられた。最新作の「グランド・セフト・オートV」が発売された2013年には,宣伝用ポスターが地下鉄の駅に掲出され,新聞でも紹介された。香港のプレイヤーがFacebookを通じて,オンラインマッチを誘い合うのもよく見られる光景だ。
 「グランド・セフト・オートV」はポピュラーカルチャーとして認められ,プレイヤーは負い目を感じることなくゲームを楽しめている。
 2000年代から2010年代をかけて,ゲームにまつわる世論の変化はアメリカもアジアも共通しているようだ。

「グランド・セフト・オートV」
画像集 No.008のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 たったの10年間で,なぜ世論はこれほどに変わったのか。ゲームとともに育った世代が大人になったことが一因だろうが,2011年にアメリカ合衆国最高裁判所が下した判決によるところも大きい。

 暴力や性的描写を含むゲームの青少年への販売を法律で規制すべきかを巡り,アメリカ合衆国最高裁判所に裁判が開かれた。そして,ゲームの販売を規制する法律はすべて違憲であるという判決が下されたのだ。ゲームは書籍や演劇,映画などと同様,思想を伝えるためのメディアであり,表現の自由によって守られるべきものであると,アントニン・スカリア裁判官は判決文で記している。
 さらに,「暴力的なゲームを遊んだ子供は攻撃的になる」という仮説について,心理学の研究によって証明されたものではないとも(「TIME」による当時のニュース)。

 ゲームの歴史において,極めて重要な判決だった。これを境に「暴力的なゲームを規制すべき」という主張は力を失い,ゲームにおける暴力表現を巡る論争は一段落したように思える。
 ゲームが誤解されなくなったのは,ゲーマーなら手を挙げて喜ぶべきことのはずだが,ちょっと自失した感情もある。2000年代を青少年として過ごした筆者の目には,ゲームはロックと同じく「叩かれてこそ輝くもの」と映っているからだ。

「グランド・セフト・オートIII」
画像集 No.007のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない

 魅力的な文化が「人心を惑わすもの」として否定されるのは,世の常である。1940年代のアメリカンコミックスは「子供を犯罪者にする」と批判された挙句,焚書活動がアメリカ全土に広がった。
 それがどうだろう。近年,アメリカンコミックスは続々と映画化され,世界を席巻している。かつて若者に悪影響を及ぼしかねないと危惧されたロックも,今やポッブカルチャーを担う重要な文化だ。

 ゲームはマスコミに否定されていた。コミックスやロックに比肩するほどの魅力を持っている証拠だ。10代の若者は冒険心と反逆精神がとりわけ強い。大人に「触れてはいけない」と言われると,なおさら触れたくなる。携帯ゲーム機を布団に持ち込み,親に隠れてゲームを遊んだときには,禁断の果実を味わうような刺激と興奮があった。

 筆者が本格的なゲーマーになったのは,2000年代前半である。ゲームがまだ叩かれていた時代だ。ゲーマーは「少数派」であったが,それでもゲームを選んだのは,誰かに勧められたからでも見栄えがいいからでもなく,ゲームに格別な魅力を感じたからだ。周りに流されるのではなく,自らの意思でゲームに歩み寄った。
 ゲームという未知なるメディアの可能性を信じ,世俗的な娯楽を頑なに拒んだのは,自分なりの覚悟と意地があってのことだ。今になってみれば中二病的で恐縮だが,当時の筆者にとって,ゲームはロックと同じく反骨精神に満ちていた。

 そもそも「ゲーマー」というアイデンティティが確立されたのも,ゲームが社会に叩かれてきたからではないか。「他者」という存在があって,初めて「自分」という存在を知ることができる。
 ゲームは社会に容認されていない。それを好む我々もまた,一般からかけ離れた特殊な存在である。自分は特殊であるという自覚があるからこそ,「ゲーマー」というアイデンティティを掲げたのではないか。

「新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動」
著者:原田曜平
出版社/レーベル:朝日新聞出版/朝日新書
価格:842円(税込)
画像集 No.011のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない
 「オタク」という呼称にも,それに近い経緯がある。若者研究者である原田曜平氏は,1970年代から1980年代前半のオタクを「教養主義で選民意識が高い」と語った。
 1970年代には「宇宙戦艦ヤマト」を筆頭に名作アニメが放映されているが,「アニメ」という概念はまだ社会に浸透していなかった。それゆえ,あの頃のオタクは愛する作品を世に認めてもらうために,たくさんの理論武装をした。アニメ作品を批評的に読み解き,教養を得ることでアニメの存在意義を証明しようとした。
 SFや映画,文学などの教養を貪欲に吸収する土壌があったからこそ,庵野秀明氏をはじめとする数多の鬼才を生み出したのではないか。原田氏は著書「新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動」(朝日新書)にて,このように論じている。

 アニメが社会に認められなかったからこそ,アニメファンは向上心に燃え,「オタク」というアイデンティティを確立した。まわりに軽視されたがゆえに確固たるアイデンティティを築いたのは,「オタク」と「ゲーマー」の共通点ではないだろうか。

 時代が変わり,ゲームは叩かれなくなった。誰もが負い目を感じることなく,ゲームを楽しめるようになった。だが,それは「ゲーマー」というアイデンティティの消滅をも意味する。スマホゲームが普及し,誰もが「ゲーマー」となった時代に,その言葉の重みは次第に失われていく。

 ゲームは神秘でなくなり,危険でなくなり,人々が身近に感じるものになった。ゲームが文化として社会に浸透してきたなら,ゲーマーにとって嬉しいことに違いない。だが,2000年代に青春期を過ごしたゲーマーとして,少し自分を見失った気持ちもあるのだ。
 「DOOM」と「グランド・セフト・オート」はタブーだったからこそ,それに触れること自体が刺激だった(ゲームの面白さとは別の話だ)。いま青春期を過ごしているゲーマーは,そのような刺激を味わえないかもしれない。

■■Jerry Chu■■
香港出身,現在は“とあるゲーム会社”の新人プログラマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。
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