インタビュー
津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回
俺と彼女とゲームとネットな大学生時代
4Gamer:
しかし,本当にゲームばっかりやってますよね。大学時代もやっぱり……?
津田氏:
ゲーム三昧ですね。というか,たぶん,大学時代が一番酷いです(笑)。
川上氏:
え,これまでの話でも,相当な駄目人間ぶりだったけど。
そもそも,僕は大学に入って初めて彼女が出来るんですけど,その彼女がゲーマーだったんですね。まだ付き合っていないときに彼女のうちに初めて遊びに行ったら,部屋にファンシーなものが一切なくて,真っ黒なメガドライブがドーンと置いてあるんですよ。「ファミコンですらねーんだ!」みたいな驚きが(笑)。
川上氏:
あー,分かる分かる。“そういうもの”なんだよねぇ。
4Gamer:
“そういうもの”ってどういう意味ですか?
川上氏:
いや,僕もね。過去に付き合った女の子は全員がゲーマーだったんですよ。付き合う前は,そういうの全然知らないんだけど,付き合ってからゲーマーだと分かるんですね。どちらかというと,僕はチャラい女の子と付き合いたいと思っていて,実際そういう感じの人を選ぶんですけど,付き合ってみると,なぜか全員がゲーマーで。
4Gamer&津田氏:
あー,なるほど。
川上氏:
要するにね。僕が付き合いたい女の子は,僕のことなんか相手にしないんだと。僕の事を相手にしてくれる女の子っていうのは,こういう趣味なんだよなっていうことを,僕はある時期に思い知ったというね。
津田氏:
そういうのが我々に課された拭いきれない業(カルマ)なんでしょうね……。
4Gamer:
もはやなんの取材なのか……。
津田氏:
結局,その時の彼女が今の奥さんになりました。メガドライブで「ぷよぷよ」の対戦をしたり,「トージャム&アール」っていうクソゲーに一歩手前の海外ゲームをよく一緒に遊んだりしていました。
川上氏:
あ,それはなんかいい話っぽいですよね。じゃあ,メガドライブがつないだ縁ってことですか?
津田氏:
ある意味でそうとも言えますね。しかし,僕が駄目だったのはむしろ彼女ができてからでして……。
4Gamer:
そうなんですか?
津田氏:
というのも,僕は大学2年生のときに,初めてインターネットというものに触れて。「インターネットすげえ!これはパソコンを買わなきゃダメだ」と思って。で,当時「パソコンといったらPC-98だろ」って感じで,知り合いからPC-98のお古をもらったんですね。
4Gamer:
まさか……。
津田氏:
そう。僕,大学2年で今度はパソコンゲーム……というかエロゲーにハマるんですね。僕に遅いゲームの春がやってきたんです。
川上氏:
彼女持ちなのに。
津田氏:
小中学生のときもパソコン持ってる友だちの家にいって「三国志」とか「信長の野望」とかやらせてもらってて,「いつかは俺もパソコンゲームとかできる身分になりたい……!」とか思ってたんですけど,それがここにきて一気に叶うことになった。それで最初は「信長の野望」みたいなゲームを遊んでいたんですけど,途中からそれが「同級生」とかに切り替わって。その後は,もうずっとエロゲーばかり。本当に山ほどやりましたね。
4Gamer:
ゲーセンやゲーム機のゲームも遊びながら,ですか?
津田氏:
もちろん。あの頃ゲーセンでは,「バーチャファイター」がはやっていて,僕はパイでずっと対戦してました。その後,少し経ったあたりで,ゲーム機ではPlayStationやセガサターンが出てくるじゃないですか。当時,彼女は僕より2個上だったら,一足先に卒業して就職をしていたんですけど,僕はまだ大学3年生で暇だったんです。だから,彼女の家に入り浸っていて,もうずっとゲームばかりしているわけですよ。
川上氏:
それは,いわゆる“ひも”みたいな状態ですか?
津田氏:
いや,貢いではもらってないですし,お金の管理には厳しい人だったので,ヒモとはちょっと違いますけど,まあそれの一歩手前というか……。彼女の会社は出版社で,昼ぐらいから出社していたんですけど,一方で僕は,夕方まで寝ていて,起きたらご飯を食べて,パソコン通信,エロゲー。そしてプレステで「ファイナルファンタジー7」をやるみたいな。そうすると,終電で彼女が帰ってくるから,朝まで一緒にゲームをしたり話をしたりして。彼女は朝方4時くらいに寝るんですけど,僕は眠くないから,また「ファイナルファンタジー7」の続きをやる――そんな生活を半年くらいずっと続けていました。断言しますが,あの半年間が僕の人生でもっとも楽しかった半年間です!
いやぁ,まさに人間のクズって感じですよねぇ(笑)。
一同:
(爆笑)。
津田氏:
そんな生活をしていたものですから,当然,単位とかもヤバイわけですよ。大学2年生が終わった時点で「もう一コマも落とせない」みたいなところまで追い込まれた。しかも,ゲームとネットしかやってなくて僕は大学であんまり友達もいなかった――授業も出ないから当然なんだけど――から,ノートもなかなか借りられないわけです。
4Gamer:
それはどうしたんですか?
津田氏:
大学3年になった当時はまだ1995年とかだからノートを「スキャンしてPDFにしてメールで送るわ」なんてこともできないし,検索エンジンで調べるなんてこともできないわけです。このままではさすがにマズイと思ってゼミに入りました。そうすると数人は友人ができてノートの交換ができるようになった。
当時は,コピーしたノートの受け渡しをゼミのロッカーでやってたんですね。自分のノートをゼミのロッカーに入れておくから,自由に持っていってよ!みたいな。で,数少ない友達と,そこでノートの受け渡しをしていたんですけど,ある日,ロッカー室で「待てよ,俺らがここでノートを交換しているということは,ゼミのロッカーをノートのコピーの交換目的で使っているのは俺らだけではないはずだ!」と思いつきまして。
川上氏:
なるほどぉ。
津田氏:
で,鍵の掛かってない他のロッカーを空けてみたら,やっぱりノートのコピーがいたるところに置いてあったんですね。もうなんか,ゼミのロッカーが検索エンジンみたいな感じになっててなんでも見つかるんですよ。もうその瞬間から,ゼミのロッカーが自分にとっての図書室になりましたね。
川上氏:
やっぱりプラットフォームを押さえるのが重要だよねぇ。
津田氏:
そう。あの時僕は大学のゼミのロッカー室で,プラットフォームビジネスの重要性を学んだんです。まあさすがに留年はしたくなかったので,ある程度勉強もして,大学3年のときは奇跡的に全部の単位を取れたんですね。
4Gamer:
情報を制する者が戦場を制する的な。
川上氏:
大切大切。ビジネスでも情報の中心を押さえないと駄目だしね。
俺のような人間を二度と作らないために
4Gamer:
津田さんって,大学を出た後は就職とかされたんですか?
津田氏:
いや,ちゃんとはしてないですね。大学4年生の頃には「ちゃんと就職活動はしないと」とか思って,出版社をいくつか受けてみたんです。だけど,筆記試験は受かるんですけど,全部面接で落ちるんです。なんかね,それが「能力は認めるけど,人格を否定された」ような気がして(苦笑)。
川上氏:
ゲーム会社への就職は考えなかったんですか。
津田氏:
うーん,ゲームは大好きだったんですけど,やっぱり最終的には,自分には物を書くのが才能あるんじゃないかと思って,メディアに関わりたいと考えたんです。政治経済や社会に対する興味もあったし。だから,ゲーム業界に進むというのは,その時点では1ミリも考えてなかったですね。というか,「ゲームは自分をダメにする存在である」ということに薄々気づいていたんじゃないかな……。
川上氏:
“ゲームは自分をダメにする”って。じゃあ,社会人になってからはゲームもしなくなったんですか?
津田氏:
いやー,さらに酷くなりましたね(笑)。
川上氏:
やっぱりやってるんだ。
津田氏:
大学を卒業した後は,僕はパソコン系の編プロのアルバイトとしてライター活動を始めるんですけど,その会社のオフィスには,128Kbpsの常時接続回線が引いてあるわけですよ。で,それに合わせて,今度は「Age of Empires」と「Diablo」って2つのゲームに出会ってしまうんですね。
川上氏:
その二つに出会っちゃいましたか(笑)。
津田氏:
最初は「Diablo」とか全然興味がなかったんですけど,ネット雑誌のライター仕事で「ネットゲームを紹介する」記事を書かなきゃいけなかったんです。で,実際に遊んでみたら「なんだこの面白いゲームは!」と衝撃的だったんですね。その後はもう,会社の回線を使って「Diablo」と「Age of Empires」を遊びまくる日々ですよ。あの頃,僕は家に帰らないで会社に寝泊まりしていましたから,空いてる時間は,ほとんどどちらかのゲームを遊んでましたね。
4Gamer:
もうなんか,その辺のゲームライター顔負けのゲーム遍歴ですねぇ。
津田氏:
それだけじゃなくて,社会人2年目くらいから僕はアナログゲームにもハマってしまいまして。
川上氏:
そこでやっとアナログゲームになるんですか。その頃って「Magic:the Gathering」が流行してたあたりですか?
まさにそれです。元々テーブルトークRPGとかやってた人間ですから,すぐにハマりましたね。僕がよく遊んでたのは,第4版が出ていた頃ですね。僕が勤めていた会社のすぐ近くに「フューチャービー水道橋」ってお店があって。そこは多くのMTGプレイヤー達が集まる聖地みたいな場所だったんです。たぶん買ったカードの総額は70〜80万円くらいになる気がします……。「テンペスト」という拡張セットが出てた時期が一番やってて,大会とかにも出てましたね。僕のお気に入りのデッキは5色のスリヴァーデッキでした。まだそのデッキ,デッキ状態のまま残ってますよ(笑)。
川上氏:
えっと,津田さんって真面目に仕事するようになったのはいつなんですか?(笑)
津田氏:
仕事はそれなりにちゃんとやってましたよ! 仕事をやりながら,ゲームも遊んでいたんです。ネットゲーム,ギャザ,ネットゲーム,ギャザ,ネットゲーム,仕事,ネットゲーム,ギャザみたいな。あぁ,あの頃も楽しかったなぁ……。
4Gamer:
仕事の割合が少なくないですか(笑)。
津田氏:
そうですね(笑)。初めてゲームから少し距離を置いたのは,1999年に独立して自分の小さな会社を作ったあたりですね。そこからは,真面目に働かないと本当にヤバイ状態になったので,ゲームをやる暇がなくなってしまいました。
川上氏:
あー,会社を作るとそうなるよねぇ。僕も,ゲームをやってると本当に人生が終わるっていうのをひしひしと感じるようになって,楽しめなくなりましたもん。
津田氏:
そうですよねぇ。で,アーケードやコンソールゲームは徐々にやらなくなるんですが,最後に大きな波が来ました。それは2004年ごろでこれもアナログゲーム――ドイツのボードゲームにハマったんですね。ちょうどカプコンが「カタン」を発売したころで,一度プレーしたら「ドイツのボードゲームおもしれー!」とすぐに虜になって,いろいろなドイツのボードゲームを買って毎週会社で社員と遊んでました。
――という感じで,まぁ僕のゲーム遍歴はそんな感じです。まだまだ語ってないハードとか思い出のゲームとかたくさんありますけど,それ全部話してると,あと5時間くらい必要なんで……。
4Gamer:
いやぁ,ここまででも,相当ですよね……。
津田氏:
僕,最近ひしひしと思うんですけど,学生の頃にブロードバンド環境とオンラインゲームがなくて良かったなと。あったら,僕の人生は本当に終わってたと思います。だって,家の中でずっと遊び続けられるわけでしょう? 歯止め効かないですよね。
川上氏:
その意味でいうなら,やっぱりね。津田さんはダウンロードの刑罰化には賛成すべきなんじゃないですか。
津田氏:
え,なんで。俺のような人間を二度と作らないために?(笑)
川上氏:
そう(笑)。
ジャーナリスト津田大介の真実
川上氏:
しかし,今日の津田さんの話を聞いているとさ。「ゲーム以外の部分」が現在の津田さんにつながっているってことだよね。
4Gamer:
そうですねぇ。
津田氏:
人生の節目節目には常に「ゲーム」があったんですけれど,仕事という観点から振り返ってみると,とくにゲームが役立ってはいなかった……のかな。
川上氏:
まったく役に立ってないですよね。
津田氏:
単なるゲーム好きだったという。
川上氏:
だってね。今回の話をまとめると,津田さんは人生のなかで常にゲームをやってたんだけども,その中で“ゲームをやってない時期”がたまにあって,それが今の仕事に活きてるって。そういう話でしょ?
津田氏:
そうですそうです(笑)。運がいいですよね。
川上氏:
津田さんは,かろうじてゲームで人生をダメにされずに,首の皮一枚つながったっていうのが,今日の結論ですよね。
一同:
(笑)。
身も蓋もない結論ですね! ……でもなんか,最近「俺の人生ってゲームみたいだな」って思うんですよ。ずっと部屋の中で,ゲームやインターネットばかりしていたのに,あれよあれよという間にいろいろなことに巻き込まれて,なんか最前線に立たされてるじゃないですか。こういう展開って,ラノベとかエロゲーとかでよくあるじゃないですか(笑)。
川上氏:
それ,セカイ系ってこと?(苦笑)
津田氏:
ああ,それです。セカイ系(笑)。僕だけが抱えていた社会への問題意識が,ある日ネットによって突然外の世界とつながってしまった――そんな感じなんですよ。そういう意味では自分が今やってることに納得しつつも,ずっとちょっとした違和感があるんですよね(笑)。
川上氏:
中二病ですよねぇ。みんなが薄々感じている,ジャーナリスト津田大介の問題点はそこにあったんだ的な。そういう意味でも,今日のインタビューは有意義だったと思います!
4Gamer:
しかし,これは記事としてはどうなんだろう……。
川上氏:
いやぁ,僕は大満足ですよ。今日は,ジャーナリスト津田大介の真実に迫った取材になったと思う。虚構で塗り固められた津田さんの本質に迫れたよね(笑)。
津田氏:
いやいやいや,僕個人に虚構は何もないし,塗り固めてもいないですよ! 僕のところに取材とかインタビューで来る人で誰もゲームの話を聞いてくれる人がいなかっただけです! だから結果として,世の中に出ている僕に関する情報は,僕という人間の2割程度だという話です。
川上氏:
つまり,今日のインタビューでは,残りの8割をさらけ出したってことですよね。8割がゲームだったと。
津田氏:
まあ,そう……なりますね(苦笑)。
川上氏:
いやー,これは津田さんという人間を知る第一級の史料になりますよ。
4Gamer:
というか,本当にWikipediaの項目が書き換わっちゃうというか,記事が掲載されると,これが“正史”扱いになっちゃいますけど,津田さんは大丈夫なんですか?
津田氏:
大丈夫です。ちゃんと原稿チェックしてヤバそうなところは全部赤入れます!
川上氏:
津田さんにチェックなんかさせるわけないじゃん(笑)。すべてを白日の下に晒しますから。
津田氏:
えええええ……。まぁでも,いいですよ。今日の話で,やっと川上さんに分かってもらえたと思うので。
川上氏:
え,なにが?(笑)
津田氏:
僕という人間の本質を。
川上氏:
はいはい。やっぱり津田さんには,世の中にもの申す資格はないんだってことがね,とてもよく分かりました。
一同:
(爆笑)。
(つづく)
川上量生(かわかみのぶお):
ドワンゴ代表取締役会長。1968年,愛媛県生まれ。京都大学工学部卒業後,ソフトウエア専門の商社勤務を経て,1997年に株式会社ドワンゴを設立。携帯電話向けサービス「いろメロミックス」などをヒットさせ,同社を東証一部上場企業へと成長させた。近年では,ニコニコ動画を成功に導くなど,独特の考え方をする実業家として知られる。2011年1月に突如としてスタジオジブリに入社し,プロデューサー見習いとして,鈴木敏夫氏に師事している。
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