企画記事
「マインスイーパ」がアメリカを滅ぼしそうになった30年前から,Windowsゲームの歴史は始まっている
パソコン教室に通う小学生も,毎日遅くまでPCと向き合ってる“社畜”も,これらのゲームの誘惑に打ち勝つことは難しい。Windowsに「マインスイーパ」が添付されなくなったいまでも,新記録を打ち立てて限界に挑戦することに夢中になっているプレイヤーが,一定数いるのだ。
マインスイーパは,世界を席巻する前に,まずは生まれ故郷のアメリカを席巻した。1990年代,マインスイーパは瞬く間にヒットし,何百万人ものアメリカ人を虜にした。
実際のところマインスイーパは,アメリカで最初に「時間の無駄」「ゲーム中毒」というレッテルを貼られたゲームの一つで,社会にパニックを起こすほど一世を風靡した。これは,その前にブームになっていた「テトリス」でさえも達成できなかった偉業だ。
当時のアメリカの世論は,このマインスイーパフィーバーに対して,今のゲーマーにもお馴染みの悲観的なトーンで批判し,ゲームの中毒性に対して強い対抗姿勢を取ることとなった。
当時のメディアは,その中毒性に対する数多くの「生きた証拠」を列挙していたが,その中で最も有名なものは,マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツに関するものだった。“悪魔”を解き放った男でさえその誘惑に抗えないのであれば,一体ほかの誰ができるというのだろう?
我々は,自分達の生産性のかなりの部分を,自社製品によって台無しにしてしまった
1990年5月22日,Windows 3.0が登場した。GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を利用して,画像アイコンでファイルやソフトを表示し直感的に操作できるようにしたものだ。メモ帳やWritingパッド,ペイント,電卓などを搭載し,より豊かなディスプレイの色をサポートするなど,業界をリードする数々の革新的な技術により,それ以前のDOSやWindows 2.11に比べたら,画期的なオペレーティング環境となった。
しかし30年前には,これらの概念と用語はまるで異国の言語のように難解だった。多くの人はまだ,コンピュータというものを大企業だけが利用する生産道具としか見ておらず,この新しいシステムの素晴らしさを理解する術がなかったのだ。
マイクロソフトは,一般の人にもパソコンとWindowsの魅力をアピールしたいと,ゲームを導入することを思いついた。しかしWindowsのことをゲームプラットフォームとして認識するゲームパブリッシャーはまだなかったので,社員に呼びかけ,趣味で書いたゲームプログラムを提出させるなどして自力でやるしかなかった。
発売当初のWindows 3.0は既に「ソリティア」や「リバーシ」などの定番ゲームを搭載していたが,同年10月8日にWindows Entertainment Pack(WEP)を発表し,「Now you can use the incredible power Windows 3.0 to goof off(さあ,Windows 3.0の驚異的なパワーでサボれるぞ)」という宣伝文句を掲げていた。
マイクロソフトは,WEPにあまり予算を割かなかった。WEPプロダクトマネージャーのブルース・ライアン(Bruce Ryan)は,WEPのユーザーマニュアルを書き,その2ページ半のWord文書を自ら地元の印刷屋に持ち込んで2万部のコピーを作ったという逸話が残っている。
品質テストをするほどの予算はなかったが,実際,予算を出すほどやる必要もなかった。なぜなら最初の作品は「テトリス」「チックタックトー」,そして「マインスイーパ」を含む7作で,どれもプレイしやすく,仕事の合間に適している。マイクロソフト内部のスタッフで,十分に社内テストができていたのだ。
ブルース・ライアン曰く,「We kill a lot of our own productivity with our own products.」(我々は,自分達の生産性のかなりの部分を,自社製品によって台無しにしてしまった)
マインスイーパは,その中でも際立っていた。マイクロソフト社内の鉄板ネタは,「マインスイーパは,マイクロソフトの歴史の中で最も試行錯誤を重ねた製品だ」というやつだ。ライアンの上司で,ゲームのリードマネージャーであったリビー・デュザン(Libby Duzan)も,マインスイーパは「WEPに関わったすべての人の,一番のお気に入りだった」と言っていた。
「オフィスから出ると……みんなのコンピュータの画面にマインスイーパがあるのが見える。当時のマイクロソフトは,みんなよく深夜まで仕事をしていたが,夜9時ごろに少し休憩を挟むと,マインスイーパを開いて遊んでいる風景が目に入った」
このような“テスター”は必要不可欠である……とは言い難い。社内からバグ報告が上がると,マインスイーパを書いたプログラマーはスクリーンショットを送るよう求め,画面写真を指差してそこでロジック上の間違いを犯していることを指摘する羽目になる。
ライアンは,確かにマインスイーパのプロだった。彼は初級モードを6秒でクリアした記録を打ち立て,それをメールで全社員に送って挑戦状を叩きつけた。
そのメールに返事をしたのは,たった一人。
彼の初級モードの記録は5秒だった。
機械が人間より速く物事を行えるようになったとき,人間の尊厳はどうやって保てばいいのだろう
きっかけとなったのは,ゲイツからライアンへ送った1通のメールだった。「いま,初級のマインスイーパを10秒で解いたんだ。それってすごいこと?」それに対してライアンは「はい,10秒は本当に素晴らしいです。現在の記録は8秒だと思います。」と返事した。
この返答が,ゲイツの競争心に火をつけた。ゲイツは,マインスイーパの新記録を打ち立てることを自らの使命であるかのように繰り返した。ゲイツはあまりにもマインスイーパに没頭するあまり,彼自身もその危険性に気づいて自分のパソコンからアンインストールしたのだが……他人のパソコンを使ってでもプレイせずにはいられなかった。
当時すべての記録は,改ざんされやすいテキストファイルで保存されていたので,記録として認めるには誰かがリアルタイムで隣にいて新記録を目撃しなければならないというルールがあった。そしてある日曜日の午後,ビルから「いまオレ,新しい記録を出したと思うよ。マイク・ホールマン(当時のマイクロソフトの社長)のコンピュータに記録を残した。」というメールが届いた。「なにぃ?」としか思えなかった。
これは,プロダクトマネージャのチャールズ・フィッツジェラルド(Charles Fitzgerald)の,その日の記憶だ。ゲイツはホールマンのPCで,初級のマインスイーパを5秒でクリアしたという社内新記録を作った。その日の19時頃,好奇心旺盛な社員の集まりは,ボスの新記録を見るためにホールマンのオフィスに向かった。中にはライアンの姿もあった。
ゲイツのマインスイーパ中毒は,仕事だけでなく日常生活にも影響を及ぼした。この状況を変えたいと最初に動き出したのは,部下ではなく,妻のメリンダ・フレンチ※だった。
※2021年5月にゲイツとの離婚を発表した
メリンダはある日ライアンをオフィスに呼び,「会社のために、ゲイツのマインスイーパの記録の進捗を共有しないでほしい」と頼んだ。「ビルがゲームに集中するのはよくない。重要な決断がたくさんあるのだから,マインスイーパに時間を取られるべきではない」と。
ライアンはそのアドバイスを聞き入れたが,彼女が言ったような方法では実行しなかった。ただ単に記録を隠しても何も変わらないだろう。ゲイツはきっと,彼自身の記録を破るためにゲームを繰り返す。
そこでライアンは,絶対に勝てない記録を禁じられた手で作り出し,自分がマインスイーパ界のボスであることをゲイツに証明すると決めた。
その一度の幸運を実現するには,もしかしたら数万回のトライをしなければならなかったが,1990年代の技術は既にこのようなトライの繰り返しを可能にしていた。Windows 3.0は以前のシステムから受け継いだ「マクロ レコーダー」が内蔵され,キー操作やマウス操作を記録して,対応するアクションにマッピングすることができ,操作をショートカットキーにアサインすることで,複雑な動きを素早く実行できる。
ライアンは,マクロレコーダーを使って簡単なスクリプトを書いた。そのスクリプトは二つの作業を繰り返す。
(1)端っこのマスを開け,ゲームをスタートさせる
(2)やり直すボタンをクリックして,ゲームを再開させる。
もしステップ(1)で全マスをあけられて,10個の地雷をすべて探知できれば,ゲームは時間を記録するウインドウをポップアップして「やり直す」ボタンを隠す。するとステップ(2)の進行は中断される。そのスクリプトを作ったら,プログラムを走らせっぱなしにして一日の会議を始めた。そしてわずか4時間後,プログラムは勝った。
ライアンはゲイツにチート記録のスクリーンショットを送り,さらに追い打ちでメールにこう書いた「申し訳ありません。あなたの5秒という記録はもう抜かれてしまいました。1秒は突破できないと思うので,それ以上の記録は無理ですよね。」
メールの後半から,ゲイツは冗談を言っているのだと確信できるような内容だった。ゲイツは自分の記録がスクリプトに破られたことを認めてはいるが,負けは認めていなかった。
「中級に挑戦しなければ! 機械が僕に勝てない種目がどこかにないか確かめてみよう」
赤い王様と黒い女王が容赦なく私に手招きしている
ビル・ゲイツとマイクロソフトの社員によるマインスイーパへの熱狂は,その後アメリカが直面する「マインスイーパ中毒」の縮図だった。WEPのターゲットは「自由なビジネスマン」だったが,実際にはターゲットをはるかに超えて受け入れられた。
1991年,アメリカのコンピュータ雑誌「Compute!」は,マイクロソフトの功績をこう語った。「WEPといえば,退屈なテトリス以外にマインスイーパという,最近見た中で最も中毒性の高いゲームが入っている。もしあなたがWindowsを持っていて,かつマインスイーパをプレイする前にやるべき仕事を終わらせる鋼のような自制心があるなら,この作品だけでWEPのフルプライス(39.95ドル)※に値する」
※当時の貨幣価値から換算すると,現在の92ドル(約12400円)ほどに相当する
1992年,アップグレードされたWindows 3.1が登場し,マインスイーパがプレインストールソフトとして組み込まれた。そしてより多くのWindowsユーザーがマインスイーパをプレイし,圧倒的な熱狂を呼び起こした。
マインスイーパの生産性に対する悪影響に気付き,一部の企業や政府機関は対抗措置を取った。ボーイング社やフォード社などは,「ソリティア」と「マインスイーパ」をWindowsから削除するか,マインスイーパを含まないWindowsを出荷するようにマイクロソフトに要求した。アメリカのペンシルベニア州,イリノイ州,バージニア州は相次いで,職員が政府部門のコンピュータでゲームすることを禁止した。
この一連の動きで,メディアからの批判も受けることとなった。1994年3月,「ワシントンポスト」紙は「オフィスの地雷原」と題する記事を掲載し,冒頭で結論付けた。
企業や政府機関は古い大型マシンを捨て,インターネットに繋げるパーソナルコンピュータを導入したが,それに伴ってアメリカは,ビル・ゲイツのマイクロソフト帝国の隠された極悪非道さを知ることになった。世界の新型パソコンの80%を支配しているマイクロソフト社は,耽溺を誘う「ソリティア」「マインスイーパ」2作をプリインストールしたのだ。生産性向上のために世界に普及しているソフトは,かえって怠惰や目移りを誘発し,アメリカ資本主義の崩壊を招く種となるだろうか。
ワシントンポスト:OFFICE MINEFIELD By Joel Garreau(1994/3/9)
記事では,ビル・ゲイツをはじめ「ソリティア」や「マインスイーパ」の中毒事例がいくつも紹介された。
浄水場のシステム導入を支援した会社の社長は,ある顧客に2回目に会ったとき,最初に言われた言葉が「ソリティアで2000点取ったぜ」だった。また「マインスイーパのせいでトイレに行きづらくなった」とし,タイルを見ると脳がそのタイル上でマインスイーパを始めてしまうという症状を訴えた女性もいた。
同年12月,ワシントン・ポスト紙政治コラムの評論家リチャード・コーエン(Richard Cohen)は,彼の寄稿記事に自身のソリティア中毒を告白し,それが結婚生活と人間関係にまで影響を及ぼしたと語った。
ゲームを始めることはもちろん,黒のクイーンを赤のキングの上に動かすたった1クリックもしないよう警告する。そうでないと,きっとあなたが気付く前に結婚生活を危うくし,家族を顧みなくなってしまうだろう。私が出せる唯一の推察は,これらのゲーム,特にソリティアは,アメリカの生産性……全体国民のIQ,そのまま続くと出生率にさえも影響を与えるだろう。
仕事も家庭生活もうまくいかず,マウスに手を伸ばしすぎて腕が痛くなることもある。(中略)本来ならピューリッツァ賞を狙うような記事や本を書くべきなのに,赤い王様と黒い女王が容赦なく私に手招きしている。
ワシントンポスト:CONFESSIONS OF A SOLITAIRE ADDICT By Richard Cohen(1994/12/29)
ソリティアについてコーエンは,1999年にもう1本記事を書いていて,「ソリティア」はビル・ゲイツによる世界中の一般人に対する悪ふざけだと刺した。「子供の頃からキチンとベッドを整えて宿題をやっていた,私が勤勉の見本だと思っていた人たちも,ゲームをやめられないことを認めている」
ワシントンポスト:A Solitaire Addict By Richard Cohen(1999/3/16)
一方,ピューリッツァー賞を受賞したコラムニスト,チャールズ・クラウトハマー(Charles Krauthammer)も,不幸にもマインスイーパにハマってしまった。1995年に「タイム」誌に掲載された記事に,彼は「フラッディング療法」(恐怖にさらされることで、患者の恐怖心を早期に回復させる治療法)を推奨した。
そのためクラウトハマーは,昼夜を問わず寝食を忘れるほど何度も何度も新しいゲームを始めるボタンをクリックし,マインスイーパのプレイを繰り返した。遊びたくなくても,パソコンの前に無理やりに戻って「心も頭も麻痺し,目がクルクルするまで遊ぶ」と。
コラム記事は真面目なジャーナリズムとはやや違って,比較的誇張された意見も発表されるため,二人の容赦のない批判がどこまで本気なのかは分からない。
コーエンも,1999年の記事でパソコンを新しく買い替えたことに触れ,すぐにメニューの「アクセサリー」を見つけ,その中にソリティアがあることを発見した。ちなみに,その記事の最後はこう書かれている。
Solitaire! It was back. I paused . . .I'll finish this column later.(ソリティア! そいつが戻ってきてしまった。ちょっと待って……続きはあとで書くことにしよう。)
21世紀に入ってブロードバンドの普及が進み,より多様なゲームと豊富なエンターテイメントが生まれ,Windowsのプレインストールゲームに対する世間の中毒は自然治癒され,より客観的な目線であの時の熱狂を見られるようになった。アメリカのIT系メディアArs Technicaの編集者Kyle Orland氏は,社会におけるマインスイーパパニックについて次のようなコメントを残している。
アメリカビジネス界およびリーダー層の一部には,マインスイーパ,ソリティア,その他のプリインストールゲームが,何十億ドルもの賃金損失と税収の浪費の原因になっていて,立法を通じて対応する必要がある,という通説がある。しかしそれよりも重要なのは,ゲームのヒットは,IT革命によってアメリカ人の仕事や生活方式に急速な変化が起こったことの表れであり,一つの象徴となった。それに対して不安を感じる人がいたのだろう。
マインスイーパとソリティアに一礼を
マインスイーパ中毒は,マインスイーパ自身が治している可能性もある。その大成功で,マイクロソフトや他のゲームメーカーは「Windows」という無限の可能性を持ったPCプラットフォームに期待を込め,数多くの優れたゲームをリリースし,マインスイーパに対する世間の注目と不安を希釈してくれた。
ライアンによれば,「ゲームはGUIの機能を人々に見せ,人々を興奮させるツールになり得ることに気づいた」のだ。
マインスイーパもソリティアも,WindowsユーザーにGUIとマウスの使い方を教えるチュートリアルのようなもの。ソリティアはドラッグ&ドロップに特化していて,マインスイーパは右クリックの魅力を感じさせるためのものだった。
旗が正しく設置されていれば,マウスの左ボタンと右ボタンを同時に押すことで,地雷のない複数のマスが瞬時に開けられる。ワンクリックでほとんどのエリアを探索できたときの達成感は,ソリティア終盤に流れるあの壮大なアニメーションを見るときに匹敵するだろう。
マインスイーパとソリティアは,コンピュータ,オペレーティングシステム,そしてマウスに対する人々の認識を変えた。その後30年のPCゲーム業界を徹底的に変えたとも言える。
マウスの利用は,その後Windowsプラットフォームに登場していた無数のゲームに影響を与えた。カジュアルなパズルゲームから,マウスへの依存度が高いシューティングゲームまで,すべてのタイトルは,その偉大な2作品の功績に一礼してもバチは当たらないだろう。
「Minesweeper」Kyle Orland
How Bill Gates’ Minesweeper addiction helped lead to the Xbox(Ars Technica)
Windows 3.0(Wikipedia)
「Windows Entertainment Pack」by Damien Moore
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