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研究者のゲーム事情:第2回は三木那由他さんと「The Cosmic Wheel Sisterhood」。ADVにおける選択の意味を,言語哲学から考えてみる
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印刷2024/05/29 08:00

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研究者のゲーム事情:第2回は三木那由他さんと「The Cosmic Wheel Sisterhood」。ADVにおける選択の意味を,言語哲学から考えてみる

画像集 No.006のサムネイル画像 / 研究者のゲーム事情:第2回は三木那由他さんと「The Cosmic Wheel Sisterhood」。ADVにおける選択の意味を,言語哲学から考えてみる

 普段は論文や講義で活躍している研究者たちは,プライベートではどんなゲームに,どのように触れているのだろうか? 本連載「研究者のゲーム事情」は,研究者が個人的に遊んでいるゲームについて,専門的な知見も交えて自由に語ってもらう企画である。

 今回は言語哲学研究者・三木那由他さんにご登場いただき,占いの魔女・フォルトゥーナを主人公としたADV「The Cosmic Wheel Sisterhood」について論じてもらった。選択肢がキャラクターの運命を左右するADV内の発話において,いったい何が起きているのか,言語哲学の視座から考えてみよう。

「研究者のゲーム事情」連載特集ページ


 大作ゲームをやる合間に,よくインディーゲームを並行してプレイしている。旅行中に,こぢんまりとした可愛らしいカフェにちょっと立ち寄る感覚に近い。旅行は楽しく刺激的だが,あまりずっと動き回っていると疲れてしまうので,可愛いもののある場所で静かに過ごしたいときもある。もっとも,大人しいインディーゲームばかりでなく,ホラーゲームやアクションゲームなどもプレイするのだけれど。

 The Cosmic Wheel SisterhoodPC/Switch)もそんなふうにしてプレイした一本だ。そのころ私は大作ロールプレイングゲーム「Baldur’s Gate 3」にはまり込んでいたのだけれど,とはいえあんまりずっと怪光線で敵を薙ぎ払ったり敵を油まみれにしたりばかりしていると,殺伐とした気分で疲れてしまう。そんなときに,「そういえば買うだけ買ってまだ遊んでいなかったな」と,The Cosmic Wheel Sisterhoodのことを思い出したのだった。

スタート画面は物憂げなフォルトゥーナ
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(以下,The Cosmic Wheel Sisterhoodについての重大なネタバレを含みます。)

 The Cosmic Wheel Sisterhoodは魔女たちの社会を舞台にしたゲームだ。基本的には選択式アドベンチャーゲームなのだが,タロットカードに似たカードデッキでの占いがその中心にあるのがユニークだ。プレイヤーは,オリジナルのカードを作り,それを使って人々の今後を占う,という流れを繰り返すことになる。

 この作品の魔女たちの社会は,少し独特だ。魔女たちは宇宙に住んでいて,魔女は宇宙を越えて交流したり対立したりしている。未発見の星を探して冒険をする魔女たちもいる。どうやらいくつかの有力なコミュニティ(「コヴン」と呼ばれる)があるらしく,主人公フォルトゥーナはそのうちのひとつの出身だ。

フォルトゥーナは占いを外したことが一度もないというすごい力を持った魔女なのだが,かつて自分の属すコヴンの崩壊を予言してしまい,それが理由で1000年にわたる流刑に処されている。

 それから200年が経過し,たったひとりで辺境の惑星で暮らし続け,精神的に弱っていたフォルトゥーナは,禁忌とされていたベヒモスの召喚を実行してしまう。そして,ベヒモスと契約し,没収されたタロットに代わるオリジナルの強力なカードデッキをつくり,再び占いを始めることになる。

 カードづくりは,用意された絵柄を組み合わせることでおこなわれる。フォルトゥーナは空気,土,水,火の魔力を持っており,各絵柄にはその作成に必要な魔力コストが決まっている。カードが出来上がると,そのカードは使った絵柄に支払った魔力を足し合わせた魔力を持つことになる。

 占いは,占いたい内容ごとに場所が用意され,デッキからランダムで引いたカードをそのうちの好きな場所に配置することでなされる。どのカードが出てくるかはコントロールできないが,どのトピックに使うかはコントロールできるというのが,面白い塩梅だ。

 カードを配置すると,そのカードの持つ魔力に応じた解釈が現れる。フォルトゥーナはカードから読み取れないことは語れない。けれど,カードから何が読み取れるかについてはある程度の多義性があり,複数の解釈が可能な場合には,そのうちのひとつを自ら選ぶことになる。このゲームでは,コントロールできない制約と,コントロールできる事柄とのバランスが非常に重要になっている。

カードづくり画面。センスが問われるところだが,特に攻略に影響はしない
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 さて,The Cosmic Wheel Sisterhoodがもっとも大きく展開するのは,フォルトゥーナの力の正体が発覚する場面だろう。

 フォルトゥーナはこれまで,〈決して外れることのない精度の高い占いをする力〉が自身に備わっていると考えていたし,プレイヤーもまたその前提でフォルトゥーナに占いをさせているはずだ。

 ところが,物語の中盤になると,フォルトゥーナが本当に持っているのは〈自分が告げる占いに合わせて世界を書き換える力〉だということが明かされる。占いとは独立に世界で何かが起きていて,占いを通じてそれを教えている,というのではなかったのだ。むしろ,占いをした結果として,その占い通りに世界が変化するのである。

 自分の力を自覚したあとのフォルトゥーナは,すでに確定したはずの過去を占いで書き換え,存在していなかったはずの場所を占いで生み出す。さらに,魔女たちのコミュニティのあいだでも政治的な変革が起こりつつあり,フォルトゥーナはこのあまりに強大な力を手に,政治的な争いに加わっていくことになる。

 ゲームプレイとして新鮮だったのは,フォルトゥーナの真の力が明かされたあと,どうにも占いをしたくなくなるというところだ。占いのゲームであり,占いで物事を進めるというシステムがその根幹であるにもかかわらず,それが相手の人生を一方的に決定する行為であると知らされてから,私はほとんど占いができなくなってしまった。

 怖かったのだ。力が発覚する前に〈あなたはひとを殺してしまう〉と予言した相手が,のちに本当にひとを(しかも私と仲良くなった魔女を)殺してしまったというショックもあり,いかに占いをしないで物事を潜り抜けるか,というプレイの仕方になってしまった。ただ,その末に辿り着いたエンディングは,フォルトゥーナにとって幸福なものとはならなかった。

 ……というのは,ゲーム好きとしての感想である。その一方で,私は言語哲学というものをやっている哲学者でもある。言語哲学とは,その名の通り言語やコミュニケーションについて哲学的な概念,枠組みを使って思考する分野だ。The Cosmic Wheel Sisterhoodは言語哲学的に見ても面白いことをやっている。プレイヤーとしての私たちがおこなう言語行為の隠れた姿を暴露しているのである。

フォルトゥーナは運命を決定する
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 言語行為は,イギリスの哲学者ジョン・L・オースティンに由来する概念だ。従来の言語哲学では,文の真偽はどのように決まっているのか,文に含まれる語は,その決定にどのように貢献しているのか,私たちがふだん使っている言語の文はどのその論理構造を反映した姿をしているのか,といったことが話題になっていた。

 そのなかでオースティンは,言語を論じるときの哲学者の視点を大きくシフトさせた。オースティンは,言語表現そのものから,言語表現を用いて私たちがおこなっている行為へと哲学者たちの目を向け直したのである。

 発話をおこなうとき,私たちはいくつもの行為を同時におこなっている。例えば私が「この服かなり高かったんだよ」と言うとき,私はランダムな音を発しているわけではなく,日本語の言語体系に属す文を発するという行為をしている。こうした,ある言語体系に属す表現をその体形で備わった意味を備えて発する行為「発語行為」と呼ぶ。

 他方で,私は単に日本語文を発しているだけではない。なんの目的もなくテキストを音読する場合はともかく,たいていの場合,話し手は発話をするなかで何かより特定的な行為をしている。

 例えば私は「この服かなり高かったんだよ」と言うことで,自分の服の価格に関する一定の主張をおこなっているかもしれない。主張は単なる音読とは違う。テキストを音読するときに私はそのテキストの内容の正しさに特にコミットしないが,「この服かなり高かったんだよ」と主張するならば,その内容の真理性に関して一定の責任を負わなければならない。こうした,発話をおこなうときに話し手がおこなっているより特定的な行為のことを「発語内行為」と呼ぶ。

 さらに,私は自分が主張という行為をおこなっているというだけでなく,聞き手に対して何かをしてもいるかもしれない。仮に誰かがワインをこぼして,それが私の服にかかった状況で私が「この服かなり高かったんだよ」と言い,不当に高い金額を払わせようという態度を見せたなら,それは脅迫という行為になる。このように,聞き手に対する影響という観点から話し手がおこなっていること「発語媒介行為」と呼ぶ。

 言語を使って私たちがおこなっているこうした行為を,「言語行為」と呼ぶ。ただし,オースティン自身も,その後の議論においても,特に焦点が当てられているのは発語内行為なので,発語内行為のみを指して「言語行為」と呼ぶことも多い。

発語行為(発語内行為でない)・発語内行為・発語媒介行為
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 The Cosmic Wheel Sisterhoodにおいて,当初フォルトゥーナは「予言」をしているつもりだった。発語内行為はいくつかの種類に分けられるが,これはしばしば「言明型」と呼ばれる発語内行為のひとつだ。

 しかし実際にフォルトゥーナがおこなっていたのは,審判が反則を取ったり裁判官が判決を出したりするたぐいの,いわゆる「宣言型」の発語内行為だった。宣言型の発語内行為は,その発話をすることでそこで述べられている事実を新たに生み出す。

 たとえばスポーツにおいては,審判が反則を取らない限り反則は成立しない(もちろん,その判定が不正に思えたら抗議することはできるが)。言い換えると,審判が反則という事実を作り上げているのである。それと同様に,フォルトゥーナはデッキで占うことによって,過去,現在,未来のあらゆる事実を作り上げている。本人も気づかないうちに。

 このゲームが教えてくれるのは,私たちは自分のおこなう発語内行為について,それほどコントロールできないということだ。フォルトゥーナは予言をおこなうつもりだったし,自分が予言以外のことをおこなえるという自覚もなかった。それでもなお,フォルトゥーナの発語内行為は,予言ではない,あるいは少なくとも予言というだけに尽きない何かだった。発語内行為は,当人の思惑を超えて発動するのである。

 もちろんフォルトゥーナのように,「本人が気づいていないだけで運命を作り上げる力を持っていた」というひとは,世の中に仮にいたとしても多くはないだろう。けれど,私たちが発話をするとき,それが自分自身では思ってもいない発語内行為になっているという可能性は,常にある。

 それがThe Cosmic Wheel Sisterhoodのなかで際立ってビビッドに現れるのは,エンディングの場面だ。フォルトゥーナの真の力が明かされ,プレイヤーはその力と向き合いながらその後の物語をたどっていく。そして,結末では物語冒頭に選んだ「力を得る代償」を支払うことになる。

 私は不死性を捨てることと引き換えに力を得ることを選んだ。ほかの選択肢よりもまだフォルトゥーナを幸せにできると思ったからだ。私が選択肢をクリックすると,フォルトゥーナは「私の不死性」を手放すと述べる。このとき,私はフォルトゥーナと自分が一体となって,「不死性と引き換えに力を得たい」という要求を述べているものと考えていた。

 ところが物語の結末で,フォルトゥーナは不死性を失った自分を嘆き,寿命で死んでいく運命を呪う。まるで,そもそもそんなことを望んだことなどなかったかのように。いや,そうなのだ。フォルトゥーナは別に不死性を捨ててもいいと言ってはいなかった。プレイヤーである私が選んだのだ。

 ここで,私が「私の不死性」という選択をしたとき,実は単にフォルトゥーナの視点に身を置いて「不死性と引き換えに力を得たい」と要求を述べているだけでなく,フォルトゥーナとは違うメタ視点で「フォルトゥーナに不死性を捨てさせる」という宣言型の発語内行為もおこなっていたということが暴露される。それは特にフォルトゥーナの望みではなかった。彼女がそのように要求するという事実が,私の選択によって構成されたのだ。

 フォルトゥーナだけではない,プレイヤーである私もまた自分が意図していたのとは違う発語内行為を気づかないうちにおこなっていた,そのことがフォルトゥーナの絶望を通して暴露される。

 このゲームは,ふだんほとんど意識することもなくおこなっている発語内行為の,コントロール不能で不気味な面をさらけ出し,不安を誘う。日常的な言語活動でも,ひょっとしたら私たちは思いがけない発語内行為をしてしまい,まったく想定していない帰結を引き起こしているのかもしれない。

 実際それは,ヘイトスピーチについての言語行為論的分析などでしばしば指摘されることだ。けれど,ゲームプレイを通してその事実に直面させられるというのは,日常ではあまりない独特な経験だ。

 他方で,The Cosmic Wheel Sisterhoodは,不安を誘うだけのゲームではない。作中ではひとつの行動をするごとにどんどん時間が過ぎていき,終盤の選挙戦では刻一刻と情勢が変わっていく。自分の力の得体が知れなくても,自分の発話がもたらすものに不安を抱いていても,ともかく私たちは現在進行形で進んでいく世界のなかでそのときどきで自分なりに道を見出し,なんとかやっていくしかない。

 フォルトゥーナもそうだ。力を使っていいのかどうかわからないまま,次々と起こる出来事に対峙していく。そしてそのなかで,姉,助けた魔女や親友であり選挙戦のライバルとなる魔女たちとの関係が紡がれていく。

 私たちもそうなのだろう。自分自身の言葉さえ,コントロールすることのできない頼りない存在だ。自分に何が言えるのか,自分に何ができるのか,自分は何をしているのかさえ,必ずしもわかっていない。それでも,頼りないままにこの世界を生きていかなければならない。

 ひょっとしたら変なことをしてしまうかもしれない。ひょっとしたら間違ったことをしてしまうかもしれない。そのわからなさを,ひとりで生きていくのは難しい。だからこそ,私たちには仲間やライバルが必要なのだ。コミュニティが,コヴンが必要なのだ。

 最後に,The Cosmic Wheel Sisterhoodはキャラクターたちがたまらなく魅力的であることも言い添えておきたい。私の一押しはペッパーマンサーという新人魔女だ。帽子にたくさんのスパイスをぶら下げた独特なファッションのペッパーマンサーの可愛さを,ぜひ実際に見てほしい。

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