インタビュー
[インタビュー]ゲーム,アニメ,映画,少女歌劇団など,広井王子氏はなぜ長年創作を続けられるのか。その秘訣を聞いた
広井氏は,一体何を原動力に創作を続けているのだろうか。そして創作を続けられる秘訣はどこにあるのだろうか。そのあたりを今回,少年時代に「ネクロスの要塞」から広井氏の作品に触れてきたミュージシャンのRAM RIDERが聞いた。
映画「PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜」公式サイト
「少女歌劇団ミモザーヌ」公式サイト
仕事としてやりたいことはとくにない
すべては趣味の延長
RAM RIDER:
初めまして。今日はよろしくお願いします。
僕は今40代なのですが「ネクロスの要塞」,「天外魔境」シリーズ,「サクラ大戦」シリーズと,振り返ってみると小学生の頃から大人になるまで長い期間,広井さんの作品に触れ続けて育ってきたんです。今はプロデューサーとしての仕事も多いのですが,もしかしたら広井さんの作品から受けた影響が知らず知らずのうちにどこかにあるのかもしれないとも思っていて,今日はお目にかかれるのを楽しみにしてきました。
ありがとうございます(笑)。
音楽……でいうと,元々,タケカワユキヒデはバイト仲間だし,大学の1年上にはYMOの高橋幸宏がいたし,そういう環境で育ったので,初めて行ったライブはレッドツェッペリンで,ユーライア・ヒープもシカゴも行って……みたいなロック漬けの青春を送ったんですよ。
RAM RIDER:
そうだったんですね。今でもロックは聴かれるんですか?
広井氏:
ええ。ジャニス・ジョプリンなんかは今もよく聴いています。
大学時代はジャズ喫茶のマスターに気に入られて,バップあたりからモダンまで系統立てて聴かされたんですね。だからジャズもずっとそばにある音楽で,ずっと聴き続けてきました。
それと,あまり知られてないんですけど,僕が初めて原稿を書いてお金をもらったのって,シンコーミュージックの仕事なんですよ。
RAM RIDER:
それはレコードのレビューなどで?
広井氏:
いや,当時コンポーネントステレオがはやり始めていて,ロック向け,ジャズ向け,クラシック向けにケーブルを変えるとどう音が変化するかとか,試聴するにはどのレコードが適しているのかとか,ボーカルをストレートに出すにはどうすればいいのかとか,定位を安定させるにはどういう角度でスピーカーを置くべきかとか……そういう原稿を書いてました。秋葉原でいろんなものを見つけて,試して……っていうのを繰り返して,3年ぐらいは書いてましたね。
RAM RIDER:
ものを書くことのスタートがそこだったんですね。
広井氏:
そうですね。それと並行して,ロッテの食玩(おまけ)である「ネクロスの要塞」の仕事をやっていました。
RAM RIDER:
まったく違う種類のお仕事を同時並行で進めていた広井さんが,後にさまざまなメディアで作品を手がけることになるというのも興味深いです。仕事を一つに絞りたくない,というような意識があるんでしょうか?
広井氏:
いや,仕事としてやりたいことはとくにないんですよ。全部趣味の延長で。
ステレオをいじるのも趣味だし,中学時代から8mmカメラを回して編集して自主映画を作っていましたし,書も書いていましたし,粘土もいじっていましたし。そういうところにプロデューサーなりスポンサーなりが,仕事を与えてくれたときに,たまたまやれちゃったんです。
RAM RIDER:
「ネクロスの要塞」もそうだったんですか?
ええ。やることが何もなかったんで,石に絵を描いて原宿で売っていたら,ロッテの方が興味を持ってくれて「面白いね」って名刺をくれて。ご飯ぐらい食わせてくれるのかなと思って事務所に行ったら,おまけ付きのお菓子の話になって,「やってみない?」って誘われたんですね。それでその場でいくつか描いてみたら,「うん,こういうのを10点ぐらい描いてこい」と言われて(笑)。
いつも遊んでいたし,いろんなものを見ているからアイデアはどんどん沸いてくるんです。ただそれも,自分から仕事にしようと思うと何も出てこない。何かのきっかけがあると,どんどん出てくるという感じで。
RAM RIDER:
広井さんの中に意識せずに蓄積してきたものが,外部からの刺激をきっかけにアウトプットされていくイメージですね。
広井氏:
ゲームもそうですし,アニメもそうです。
ロッテの仕事を辞めるとき,たまたま広告代理店の方から「アニメをやってみない?」と,サンライズの社長を紹介してもらったんです。そうしたら「タカラがアニメをやりたいって言ってるから,日本的なロボットを作れ」と言われて。
RAM RIDER:
それが「魔神英雄伝ワタル」ですか?
広井氏:
そうです。今にして思えば,いわゆる“異世界モノ”の走りでしたね。
RAM RIDER:
「魔神英雄伝ワタル」も「魔動王グランゾート」もめっちゃくちゃ好きでした。
広井氏:
「魔神英雄伝ワタル」は,「伊賀の影丸」の「七つの影法師」が元ネタで,敵味方が分かった状態で戦うというのを7階層で描いたんです。「魔動王グランゾート」では,プロデューサーから「魔法」というキーワードをもらったので,「ピーター・パン」のネバーランドを作ってみようと,ロボットと魔法をくっつけられないかなと考えて,魔法陣からロボットを出すっていうアイデアになりました。
基本,既存の要素をくっつけながら作っている感じが自分の中にはありますね。「サクラ大戦」のときもそうでしたし。
RAM RIDER:
引き出しのチョイスが絶妙ですよね。
「ネクロスの要塞」の話に戻っちゃいますが,当時大流行していた「ビックリマン」に比べて「ネクロス」は,少し背伸びしたダークでかっこいい世界観だなっていうイメージが小学生の自分にはありました。
広井氏:
ありがとうございます。あれは当時,「Dungeons & Dragons」をアメリカから買ってきて訳しながら遊んでいて,コマが欲しくてキデイランドに行ったら高くて買えなかったんです。それで自分達で作っていたものがベースになっているんで,そういう意味ではちょっと大人っぽいところもあったかもしれないですね。
RAM RIDER:
パッケージには入りきらない情報量の世界観やバックボーンが用意されているのにもドキドキしました。「クトゥルフ神話」的な世界に触れたのもあれが初めての経験だったかもしれませんね。
広井氏:
元々TRPGみたいなものを構想して,いろんな要素を入れましたからね。その中の一つに「クトゥルフ神話」はありました。
映画を作ると,映画に入り込めなくなることを知った
「PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜」
RAM RIDER:
広井さんはかなり多くの作品に携わられていますが,どの程度まで覚えていらっしゃいます?
広井氏:
あんまり覚えていない(笑)。というか,基本的に仕事が終わったら忘れるようにしてるんですよ。「ネクロスの要塞」も「天外魔境」も,頭の中には何もないですね。質問されたり,資料を見れば思い出すんですけど。
RAM RIDER:
それは今取り組んでいるものに集中したいということなんですかね?
広井氏:
はい。ゲームだとまず2年はかかりますし,先日の映画「PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜」も4年ぐらいかかってますからね。その間はそれらに集中したいんです。となると,同時に抱えられるのは2本か3本が限界で。
直近だとこの映画と,「少女歌劇団ミモザーヌ」の総合演出,ゲームの「東京大戦 花と桜(仮)」のことで頭がパンパンで,ほかのことを考えられないんです。
RAM RIDER:
確かにここまで異なる分野のものに集中していると,過去のことを思い出して浸っている余裕はないですよね。
ちょうど映画の話になったので,「PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜」について聞かせてください。
この映画は,「サクラ大戦」の製作総指揮・プロデューサー代表だった入交(昭一郎)さんから「映画のプロデュースをやってみないか?」と声をかけていただいたのがきっかけです。でもプロデュース業は「サクラ大戦」シリーズを離れたときに,もうやらないと決めていたので,一度は断ったんです。
というのも,「サクラ大戦」シリーズには40代の全部を捧げたと思っていますし,本当に記憶がないぐらいの忙しい10年間だったんですよ。毎日2〜3時間ぐらいしか寝られない状態で,自分が今何をやっているのかも分からないぐらい忙しくて,これを続けていたら体がもたないと思ったんですね。それでセガに「辞めさせてくれ」と伝えたんです。
RAM RIDER:
「サクラ大戦」シリーズに関しては,かなり細かいところまで担当していたそうですね。
広井氏:
広告までチェックしていましたし,ドラマCDやアニメもあって,さらに歌謡ショウもありましたから,歌も作らなきゃいけなくて,10年間で450曲作りました。もちろんゲームも作らなきゃいけないし,40人規模の自分の会社の経営もしていました。
何から何までやり過ぎていたので,プロデュースはやめて,会社からも離れて,個人で原作やプランニングという形でプロデューサーの手助けをする仕事にシフトしたんです。プロデュース経験があるから,プロデューサーが何に困っているのかも分かりますから。
RAM RIDER:
プロデューサーをプロデュースするイメージですか?
広井氏:
いやいや,そんな大げさなことではないんです。プロデューサーがモヤモヤ考えていることを具体的な文章にしたり,絵にしたりして見せていく。で,プロデューサー的に違うとなったら,また違う案を出す。そうやって落としどころを探す手伝いです。
RAM RIDER:
いわばブレーンみたいな感じですね。
広井氏:
そうですね。プロデューサーのアシストです。
RAM RIDER:
広井さんがアシストしてくれるのなら,プロデューサーとしては心強いですね。
広井氏:
だから,「サクラ大戦」シリーズを離れてからもけっこう忙しかったんですよ。出来上がっているものを直したりとか,主人公の導線が合っていないところやセリフに違和感があるところをチェックしたりとか。でもゲームに関して,システムはいじらないようにしていました。そこにまで口を出すと,納期が1年延びるみたいなことになりかねないですからね。
RAM RIDER:
映画のプロデュースを引き受けることにした決め手はどこにあったんでしょう。
自分で会社をやっていた頃と違って,今は資料を集めてくれたり,ミーティングをやって報告だけ上げてくれたりするようなスタッフもいないので,プロデュースなんて無理だと思っていたんですよ。でも入交さんは「なんとかやってくれないか」と言うし……。
そこで,吉本興業の大崎 洋会長に相談したら,「うちでブレーンは全部用意するし,いいチャンスだからやりな」と背中を押してくれたんです。確かに自分としても一度は商業映画にタッチしてみたい思いはあったので,「皆さんがそこまでおっしゃるなら,やりましょう」という流れでした。
RAM RIDER:
これがゲームのプロデュースだったら引き受けませんでしたか?
広井氏:
もちろんです。絶対にやりませんでした(笑)。
RAM RIDER:
eスポーツが今回の映画の題材ですが,劇中で主人公達がプレイするゲームに「ロケットリーグ」(PC / PlayStation 4 / Xbox One / Nintendo Switch)を選んだのはどういう経緯なんでしょう。
広井氏:
まず,映画でもモチーフとなった「第1回全国高校eスポーツ選手権」で,実際に競技種目だったこと。そしてもう一つは,使用許諾がうまく得られたからです。映画の画面映えがするような架空のゲームを作る時間もないし。
RAM RIDER:
結果的な話かもしれませんが,eスポーツに興味のない人でもパッと見ただけでルールが理解できるゲームが選ばれたような気がしていました。
広井氏:
そこも大事でした。誰でも分かるラジコンサッカーですからね。プロットを構想しているとき,「ロケットリーグ」の許諾が得られなかったら,映画自体が無理だと思っていましたから。それでも無事に許諾が得られて,そこから関係各所に取材をしてプロットを固めていったんです。
ただ,そうこうしているうちにコロナ禍に突入してしまって本撮影に入ることができず,そこからは……大変でしたね。
RAM RIDER:
撮影スケジュールがずれると,キャスティングにも影響が及びそうです。
広井氏:
そうなんです。最初のプロットでは3人のチームのうちの1人は女の子だったんですが,それも難しくなって。
ただ,コロナ禍も落ち着いてきた頃に監督の古厩智之さんと,あらためて相談しながらシナリオを練り直した結果,男3人のほうが面白いんじゃないかということで,最終的な形に落ち着きました。
このあたりはチーフプロデューサーの古賀俊輔さんがかなり仕切ってくれて,元セガで今はサードウェーブの前田雅尚さんが資金的なことをきちんと握ってくれました。この2人がいなかったら,形にできなかったでしょうね。
RAM RIDER:
作品を実際に見るまで,キービジュアルやポスターから“ドタバタeスポーツコメディ”のような印象を持っていたんですが,例えば家庭環境やハンディキャップ,国籍など,ともすれば重くなりそうな要素が要所要所に組み込まれていたことが意外でした。このあたりは初期から構想していたものなんでしょうか。
広井氏:
ハンディキャップなんかに関しては構想していましたが,3人の家庭環境については古厩監督のアイデアでした。家庭環境がつらい子達は現実にたくさんいるし,そういう子達でも夢中になれる世界があるということを描きたいということで,古厩監督がお書きになった部分です。当初のプロットではもう少し軽い内容だったんですが,そこに重さが加わったことで僕はバランスが良くなったと思いました。
RAM RIDER:
登場人物の年代や題材から想像していたほど,ふわふわした映画ではないんですよね。
広井氏:
青春ドラマってふわふわしそうなんですけど,実際には誰もが何かしらの悩みや問題を抱えながら生きているわけで,そのあたりのリアリティみたいなものが映画にとって必要だったんです。
それにモデルになった子達も,うまいこと東京での決勝大会までは進めちゃったんですけど,優勝できたわけじゃないんですよ。だけどそこで受けたインタビューの姿に,爽やかさのようなものもあって。それを録画で見た古厩監督が,「勝つとか負けるとかじゃないんじゃないか」という言葉が出たんです。もちろん勝つつもりで参加しているんだけど,結果的にそれだけが価値ではなくなるんですよね。
RAM RIDER:
それがサブタイトルにつながったんですね。
構想段階では大会運営側の苦労も取り上げたかったそうですが,本編ではさほど描かれていません。そこには何か理由があるのでしょうか?
広井氏:
最初は会社の命令で運営の仕事をしている人が,3人の主人公達の青春に巻き込まれていくうち,一生懸命やらなきゃって変化していくような姿も描きたかったんです。実際の「全国高校eスポーツ選手権」も,当初は参加校が集まらないという苦労があったそうなので。
ただコロナ禍を経て,撮影のスケジュールも1月〜3月の3か月しかなくなってしまったんです。当初は春夏秋冬とおしてあちこちの学校を回って参加を呼びかけるようなシーンを冒頭に起きたかったんですが,それができなくなってしまった。そこでスケジュール的に無理のない形にシナリオを直していったんですが,ここは古厩監督の手腕がお見事でしたね。
RAM RIDER:
広井さんとしては,企画・プロデュースとして立ち上げたあとは,現場を信用してお任せするといったスタイルだったんでしょうか。
広井氏:
まあ,いつも意見は言いつつも現場に任せているんです。
だから僕は「ロケットリーグ」の画面を長時間見せるのは厳しいんじゃないかと言ったんですが,古厩監督は「そんなことはない」という判断をして,あのシーンが増えたんです。結果,すごくエキサイティングな映画になったので,本当に古厩監督は見事だなぁって唸らされましたね。ゲームのことを知らない人が見ても理解できるような絵作りができたのは,完全に古厩監督の手腕でしたね。
RAM RIDER:
公開後,映画館で作品は見ましたか?
広井氏:
公開2日目ぐらいに映画館に行きました。お客さんが笑ったり,ちょっと涙ぐんだりしていて,その中に巻き込まれていると映画に集中できなかったんですよね(笑)。映画を作ると,映画に入り込めなくなるんだなぁって。週末には必ず映画館に行っているのに,こんな気持ちになったのは初めてのことで,ちょっと特別な感情でした。
映画「PLAY! 〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜」公式サイト
規模や金額の大小で切り捨ててしまったら
そこから文化は生まれなくなる
RAM RIDER:
ちなみに,eスポーツ全般に対しては広井さんはどのようにお考えですか?
eスポーツって,僕はたまにチェックするぐらいで,のめり込んでいるわけじゃないから,ちゃんとしたコメントになるか分からないんですけど……。
そもそもスポーツというものは,基本的にプロのものではなく,アマチュアのものだと思っているんです。プロはアマチュアのすそ野を広げるために存在している,と。プロを見て,ああいう風になりたいと思った人が,アマチュアとしてスポーツを始めるわけで。
同時にスポーツはビジネスという側面もあって,例えばスポーツ用品メーカーは,ゴルフだったらクラブを売らなきゃいけない,ウェアを売らなきゃいけない。アマチュアはプロが使っているクラブやウェアが欲しくなる。そのためにもプロの存在が不可欠なんです。
どっちの側面から見ても,アマチュアのすそ野が広くて,プロがプロとしてしっかりしていることで,よりアマチュアのすそ野が広くなるという循環が生まれます。そこにこそ意味があると思うんです。
RAM RIDER:
確かにそうですよね。
広井氏:
eスポーツの話題となると,賞金がいくらだとかそういう話になりがちですけど,僕はそんなことに興味はないんです。アマチュアがすごく楽しめて,青春を懸けられるものとしてのeスポーツ……それこそ性別も人種もハンディキャップの有無も関係なく,同じ土台で競い合えるというのは,ほかのスポーツ以上にまさしくスポーツだと思います。
今回の映画でメッセージとして打ち出したかったのは,そういった部分なんですよね。「ゲームをスポーツと呼ぶなんて」という人達にも,「見てください,これはスポーツですよ」と。
RAM RIDER:
僕もずっとDJをやっているんですけど,同じようなことを思っています。プロのDJがフェスでいくら稼ぐかなんかよりも,みんながDJをやってみたいと思ってDJ機材が売れて,DJブースのある小さい会場が増えて,20人,30人の前でサラリーマンが毎週末にイベントをやるような環境になればいいなって。
広井氏:
どうも最近,行きすぎた資本主義なんですよね。すぐに効率とか,いくら儲かるかとかの話ばかりで。それがエンタメの世界まで来ちゃうと……。
例えばマイルス・デイヴィスだって,せいぜい100人〜150人の前でずっと演奏していたし,どう考えたってジャズはドームでやらないですよね。でも名演奏をやって,その場にいられた人が幸せで。いろんなところにそういう小箱があって,毎日どこかでそういうライブがあって……。僕らが70年代に過ごした青春時代ってそういうものだったんです。
規模とか金額が小さくても,そこを切り捨てたら文化は生まれないって話なんですよ。映画だってミニシアターでしか上映されない素晴らしい作品がたくさんあって,それにも規模が小さくてもお客さんがいて。それを否定することなんてできないはずなんですけど,どうも最近は金額で否定しちゃうじゃないですか。それはないよなって思っています。
RAM RIDER:
マーケティング的なものがクリエイティブより重視されがちな風潮で,確かにそれも一概に間違いだとは言い切れないんですけど,どうしても違和感を覚えてしまいますね。
広井さんは,こういう人達をターゲットにこういうものを作ろうみたいな発想は,あまりしてこなかったような印象を持ちました。
広井氏:
プロデューサーから頼まれたものを正確に作っていくのが僕の役目なので,そういうことは考えないようにしています。そこを気にしてプロデューサーに意見を言ったりすると,プロデューサーが揺れちゃいますから。
そのあたりの話で言うと,実は僕自身少し悩んでいることがあるんです。僕もプロデューサーとして作詞や作曲,編曲をしているんですが,日本での流行や海外での流行などをチェックしているうちに,どこをターゲットにするべきなのか分からなくなることがあるんです。
広井氏:
なるほど……。僕のやり方だと,まず日ごろから網を広げておくんです。最新の音楽も聴くし,新しく出てきた小説も読みます。その蓄積のうえで,僕の好きなものをどんな風にアレンジすれば,新しく見えるかな? と考えるんです。自分が好きじゃないものはやりたくないですから。大事なのは,それを面白いと言ってくれる若い人もいるんじゃないかな? と信じることですよね。
最初はそれが刺さるのは100万人もいないかもしれない。でも1万人だったとして,少ないですか? 多いですよね? その1万人が100万人,1000万人に広がっていくかもしれないじゃないですか。だったらまず,その1万人に集中してより良いものを作って,一緒に楽しもうと思うんです。最初から1000万人なんて狙っちゃったら,一人一人の顔も見えないですよ。でも1万人はね,顔が見えるんです。
RAM RIDER:
そういうとき,あの人が面白がってくれるだろうみたいな想像はするんですか?
広井氏:
ああ,それは僕自身です。僕が面白いかどうか。中学生の僕とか,高校生の僕とか,大学生の僕とかがいるんですよ。ワタルのときは中学生の僕に向けていたし,サクラは割と大学生ぐらいの僕に向けていました。
RAM RIDER:
それができるのは東京に生まれてさまざまなカルチャーに触れながら育ってきたからこそ,かもしれないですね。
広井氏:
そうですね。まさしくそれが財産だと思っています。
子供の頃から落語も芝居も歌舞伎も映画も,「寝ていていいから」って連れて行かれましたから(笑)。学校に行かなくても芝居や映画に行くことが推奨される特殊な家庭だったんですよ。
RAM RIDER:
そうした経験のうえで,過去の自分に向けてものを作っている,と。
広井氏:
でもね,何かを作ろうというスイッチが入るのは,お金をもらえるときだけなんです。お金がもらえるとなったら,プロデューサーはどんなことを思っているのかを真剣に考えて,いろいろな資料を引っ張り出してきて,この人が求めているのはこのあたりだなっていうのを検討していく。
そのために最初の1〜2か月は毎週2〜3回はミーティングをさせてもらって,プロデューサーの頭の中から考えていることを引っ張り出すんですよ。そこでいろいろアイデアを出して,固まってきたところで一気に書く。だから第一稿までに準備期間として最低でも6か月は必要なんですよね。
RAM RIDER:
お金がもらえることで,初めてスイッチが入るということですかね(笑)。でも確かに,明確にオンとオフを切り替えるというのも,長くものを作っていくうえで大事なことなのかもしれませんね。
広井氏:
理想は,何もしていないのに誰かが「はいよ」ってお金をくれること(笑)。
RAM RIDER:
それは理想です(笑)。
上の世代のミュージシャンが音楽にメッセージを込めながら作品を発表する姿を見て育ったので,自分ももう少し人として,アーティストとして,「音楽とは何か」を常に考えながら生きていかなければいけないんじゃないか? そんなことはできるのだろうか? と思っていたんです。でも,広井さんのお話を聞くと,もっと肩の力を抜いてもいいのかなって思えてきました。
広井氏:
坂本龍一さんとは「天外魔境 ZIRIA」でご一緒しましたけど,音楽で遊んでましたよ。
先日も横尾忠則さんに会いましたけど,彼は絵で遊んでます。本人が面白いと思ったとおりに塗ってるだけ。なのに見る側がショックを受ける。それがアートなんですよ。
僕も作るときは,そういう気持ちを忘れないようにしていますね。そうしていると,なぜこうなったのかが自分でも分からないものが生まれたりするんです。そこがこの仕事の面白いところですね。あとは,それをプロデューサーが面白いと言ってくれるかどうかで。
自分のスタイルを確立し
自分の主軸をちゃんと自覚することが大事
RAM RIDER:
今では広井さんに任せれば面白いものになるだろうという信頼も前提にあると思うんですが,そうした信頼を勝ち取るコツみたいなものはありましたか?
スタイルを確立すること。そのために,ある程度メディアに出ることも必要でした。「ネクロスの要塞」の頃はただの裏方でしたが,「魔神英雄伝ワタル」のとき,僕は意識して“広井王子”になったんです。サングラスをかけて,スカジャンにアロハシャツ,スニーカーみたいなやんちゃなイメージを作って。そのうえで,割と切り込んだ発言をするという広井王子像を自分で作ったんです。
もちろんそれらは自分の中にないものではないので,無理やり演じた訳ではありません。そうすると,それを面白がってくれる人がいて,ラジオ番組を持つこともできたんです。
RAM RIDER:
自分のスタイルを作って認知させていくというわけですね。
広井氏:
そうそう,僕は2010年から5年間,台湾に行ってCGの仕事をしていたんです。いろいろな技術を教えてもらったりもしたんですが,主に社長や幹部達のやりたいことを具現化するために,どんなチーム編成をするべきかとか,そういことをやっていたんです。550人をまとめつつ,香港にいるオーナーのところまで話をしに行ったり。
その時期に,もう飾らなくてもいいかなって思って,広井王子のスタイルを変えようと思ったんですよ。自分で過激な発言をするよりも,その場その場で「君,どう思う?」みたいに,ほかの人の発言を引き出す役割にシフトして。で,服装もスーツにしようと決めて,オーダースーツを着るようになりました。
RAM RIDER:
意識的に自分のスタイルを変えることも,そのための準備をするのもけっこう面倒ですよね。それを認知させていくことも含めて。
広井氏:
面倒です(笑)。スーツにしようと思ったのも台湾に行ってからですから,準備に5年かかったことになりますね。でもオーダースーツって,見る人が見れば分かるんです。投資家がいるパーティーに出席するようなときは,有名ブランドのつるしのスーツじゃなくて,オーダースーツじゃないと賄えないものがあるんですよ。だから,ここぞというときのためのオーダースーツも用意してあります。
RAM RIDER:
なるほど……。とても参考になります。
広井氏:
自分のスタイルを作ることとか,物語のキャラクターを作ることとかって,自分でコントロールできるんですよね。これが恋愛になると自分がコントロールできなくなって,訳が分からなくなるんですよ。そういうとき,ものすごく落ち込むんです(笑)。
でも,自分のことならコントロールできるから,それが楽しいんですよ。
RAM RIDER:
そういう風に考えるとポジティブにいろいろ行動できそうですね。
広井氏:
ただそういうのも結局,好きだからできることなんですよ。好きなことをずっとやってきました。そうやって好きなことを続けていたら……お金が来るんですよ。
で,お金が来るともっと本気でやらなきゃいけない。趣味でやっているときよりも,さらに磨かないとお金なんてもらえるクオリティにはならないんです。そしてそれは,好きじゃないとやってられない。だって,資料の本を買ってきても使えるのは1ページや2ページだったりするんです。もちろん,そのまま盗用するわけにはいかない。書かれているものを,どうやって自分のものとして磨き上げるか。その作業は,本当に好きじゃなきゃできないんですよ。
今ね,好きでもないのにお金をもらうのが得意な人もいます。でもね,とことん好きになってみろよって僕は思うんです。
RAM RIDER:
楽曲制作の過程においては常に完成させることだけを意識していたので、自分がどの作業が好きでどの作業が苦手かとか,何をやってるときが一番楽しいか,というのはあまり考えたことがありませんでした。少し向き合ってみようかな。
広井氏:
自分の主軸をちゃんと自覚することが大事なんですよ。僕の場合はキャラクターメイキングがそれで。ストーリーに関しては割りと緩いから,今はプロットしか書かないんです。そこを補うために,僕よりうまく書ける脚本家を入れるようになりました。ただ,キャラクターに関しては誰にも負けないと思っています。
だから僕は,プロデューサーとは2年契約を結ぶんですよ。それでちょっと前は「広井さん,24人分のキャラクターをお願いします」って言われて。でも途中で「50人に増やしてください」なんて(笑)。それ2年じゃ無理だから3年にしてくれってお願いしたら3年契約になったんですよ。キャラクター同士の関係性も作らなきゃいけないから,50人となるとなかなかたいへんで。でも何回もやり直しながら綺麗に作り上げました。結局,こういうのが好きなんです。
RAM RIDER:
確かに好きじゃなきゃやれない領域ですよね。
「東京大戦 花と桜(仮)」と「少女歌劇団ミモザーヌ」
現在も“好きなこと”を続けている
RAM RIDER:
現在,ゲームでいうと「東京大戦 花と桜(仮)」に関わられているそうですが,これはどんな作品になるんでしょう。
広井氏:
これは「サクラ大戦」を作るときに,もう一本,「サクラ大戦」の原型というか,ちょっと違うアイデアがありました。舞台は戦後の荒廃した闇市で,イメージとしては新橋あたりですね。向こう側には復興していく銀座のキラキラしたネオンが見えて,その対比の中でドラマを作りたかったんです。
敗戦後の日本って,街中の看板なんかは英語ばっかりで,「日本人立ち入るべからず」なんて書かれていたんですよ。そういうところから立ち上がっていく日本人の姿を描きたいと思っていました。
RAM RIDER:
そのあたりは,広井さんの原体験のようなものからの影響もあるのでしょうか。
広井氏:
母親とか叔母とか,そういう人達の青春時代がまさにその時期だったんです。終戦は母親が17歳のときだったので,そういった時代の話を聞かされながら育ちました。「サクラ大戦」も,元々は終戦後の物語を作りたくて資料を集めたんですけど,これはこのままでは出せないなとなって……。それで祖母の青春時代だった大正時代の話にしたんです。
RAM RIDER:
「サクラ大戦」はスチームパンクありきではなく,あの時代の日本を描くところが根っこだったんですね。
広井氏:
そうですね。当時,若い奴らがロボットシミュレーションをやりたがっていて,そこに「サクラ」と書いてあったんです。そしてセガさんから依頼があったときに,女の子が主人公のキャラクターものにしたい,華やかにしたいということだったんで,それなら「はいからさんが通る」だねって。ロボットのところは「サンダーバード」だねって。それらをくっつけた形です。
RAM RIDER:
そして戦後モチーフのものは一旦のお蔵入りになっていた,と。
広井氏:
ええ。それで数年前,かつて一緒に会社をやっていたプロデューサーが,「あの闇市の話,やりません?」と声をかけてきたんですよ。こっちはもうすっかり忘れていたんですけど,集めた資料なんかはプロデューサーもまだ持っていて(笑)。
それを見たら「今ならいけるかも」ということになって,お金も積まれたんで(笑)。そこからスイッチが入ってもう一度資料を集め直したり,保管してあった資料を見直したり,得意のスチームパンクっぽいものを入れてみたり,架空の敵を考えたりして,物語の骨格はできあがりました。
今はキャラクター作りをしているところなんですが,キャラクターデザインが藤島康介さんなので,こちらが考えたことをそれ以上の形にしてくれるんですよ。
RAM RIDER:
お互いに手の内を知り尽くしている同士で作っているわけですもんね。
広井氏:
そうなんですよ。本当にやりやすくて。キャラクターの設定と短いセリフを書いたら,藤島さんが「こういうことでしょう?」ってふくらませてくれるんです。
そんな感じで一回プロットを書いたんですが,プロデューサーからの要望もいろいろあったので,それを直しているところです。
RAM RIDER:
そうした作業と並行して,「少女歌劇団ミモザーヌ」の総合演出も担当されているんですよね。どこにそんな時間があるんだろう? と不思議に思います。
広井氏:
うまく分業ができているんですよ。彼女らにはちゃんと先生達がいるので,こちらは総合演出として「こういう方針で育ててね」と方針を伝えるんです。それで育ってきた子達を見て,「次の公演では誰をセンターにしよう」「この子のためにはどういう歌を作ろう」というのをスタッフ達と話し合って,台本は少女達を観察しながら書いていきます。
RAM RIDER:
とはいえ,20歳で卒団が決まっている10代の子達の育成って,難しくないですか? 一人一人の個性を磨こうにも,みんなあっという間に大人になってしまいそうで。
広井氏:
難しいですよ。入団オーディションに受かっても,最初は声も出ない,譜面も読めない子が多いですから。基礎を作るのに3年はかかるので,中学1年ぐらいで入ってきて高校生になってやっと応用編。でも20歳になると卒団しちゃいますから(笑)。
RAM RIDER:
ただ10代の女の子を集めて歌やダンスをさせますということではなく,きちんと育成しようという狙いがあるんですね。
そうです。そうやってちゃんと育成すれば,卒団後もきっとどこかで歌い続けるんですよ。30歳になっても歌っているでしょう。アイドルだったらほかの方にはかなわないけれど,僕のやり方もあっていいかなと思ってます。基礎をずっと続けることで成果が出るのも知っていますから。
RAM RIDER:
広井さんが担当している“総合演出”って,舞台の演出ということではなくて,団員の人生をも演出しているんですね。
広井氏:
そうかもしれないですね。彼女達一人一人の個性を見極めながら,こんなことをできるようになってほしい,あんなことをできるようになってほしいって思いながら,「この音楽を聴いてごらん」とか「この映画を観てごらん」とか,そういうような活動をしています(笑)。
RAM RIDER:
英才教育ですね。
広井氏:
とにかく,いろいろな文化を詰め込んでほしい。学校で教わるどの教科もまんべんなく得意な子よりも,古典だけ100点みたいな子のほうがエンターテイメントには向いているんです。そしてそこを伸ばしていった先に,花開くものが必ずあるんですよ。
RAM RIDER:
広井さんが育てた子達が近い将来,どんな活躍を見せてくれるのかが楽しみになってきました。
今日はいろいろなお話をうかがいましたが,好きなことを突き詰めることの大事さに気付かされた気がします。
広井氏:
少なくとも僕は,好きなことじゃなきゃ続けられないですからね。好きだから,しんどいことだって乗り越えられるというだけですから。
RAM RIDER:
今日は本当にありがとうございました。
「少女歌劇団ミモザーヌ」公式サイト
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東京大戦 花と桜(仮)
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