連載
Access Accepted第799回:「アサシンクリード シャドウズ」から始まった“弥助問題”を考える
ここのところ,「アサシンクリード シャドウズ」が大きな論争を巻き起こしているのは,もはやゲーマーでならずともご存じのことだろう。戦国時代に宣教師によって日本に連れて来られて,織田信長の庇護を受けて小姓になったという歴史上の人物“弥助”が主人公となる本作。Ubisoft Entertainmentは「歴史に基づいたフィクション」であると念を押すものの,次々に発見される体たらくが注目されるばかりでなく,最近ではゲームに収まらない問題へと焦点が変化している。Ubisoft Entertainmentが公式に謝罪を出す事態にまで発展しているものの,まだまだ議論は収まる気配を見せていない。
20年近い歴史を誇る人気ステルスアクションシリーズに起きた論難
“弥助”は,日本の戦国時代にイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノによって長崎県に到着し,激動の時代を生きたとされる人物だ。1581年に織田信長に謁見して気に入られた元黒人奴隷であるとされる彼が,どのような暮らしをしていたのかはほとんど分かっていないものの,織田信長に仕え,道具持ちなどをしていたらしい。1582年6月に“本能寺の変”が起きたあと,明智軍によって南蛮寺に送られたところで彼の消息は歴史から消えている。
そんな弥助が,「日本を舞台にしたアサシンクリード」で主人公になるという話は,かなり早い段階で噂になっていた。アサシンクリードシリーズにとっては,「アサシンクリード シンジケート」のDLCでリリースされたジャック・ザ・リッパーを除けば,初めて主人公となった史実の人物だ。しかも現地の政治や文化をバックグラウンドとしない「非現地人」であり,さらに言えば初めての「ブラザーフッドのアサシンではない,ウォーリアークラス」である。
5月16日に実施されたUbisoft Entertainmentの「アサシンクリード シャドウズ」(PC / PS5 / Xbox Series X|S 以下,シャドウズ)の正式発表イベントで,エクスクルーシブ取材を行ったゲームメディアによるインタビューが行われ,弥助が主人公になることについて「日本人ではなく,我々の視点で戦国時代を見ることができる人物を主人公にした」といった内容(現在は削除されている)を開発メンバーが答えたことが,日本のゲーマーで大きな話題になった。
その真意は今となっては不明だが,「日本人の目からは日本の本当の歴史はわからない」もしくは「日本人は“我々”の一部には含まれていない」というような差別的発言として受け止める人が多かったようだ。
翻訳の難しさやニュアンスの違いは,海外ゲーム開発者とのインタビューが多い筆者も常々頭を悩ませることだが,この時に例えば「アサシンクリードのサーガの視点で日本の戦国時代を解釈する」とでも答えていれば,ここまで炎上の火種が大きくなることはなかったかもしれない。
しかも,“史実の裏で流れる陰謀論”をテーマに,リアルな舞台描写をしてきたシリーズであるにも関わらず,公開されたシネマティックトレイラーは,真四角な畳に信長配下の武将たちが正座していたり,神社に煙る謎のお香や,ススキ(秋),鶴(冬),桜(春),田植え(初夏)が同時に描かれていたり……と,あまりにもお粗末な表現で溢れている。
筆者自身,「アサシンクリード 3」でのニューヨークの原型や,火災消失後にデータ提供までされたという「アサシンクリード ユニティ」における大聖堂の綿密な構築などの描写には,大そう感動したものだ。
それだけに,「これまで歴史を大切にしてきたメーカーでさえ,日本の歴史となるとこの程度の調査能力なのか」と残念に思ったのは確かだ。そもそも「城の建築から茶会,さらに畳の並び方にまで,可能な限り忠実な世界を構築できるよう,徹底的に調査し,歴史専門家や教授,文化コンサルタントのネットワークを駆使した」と言っているのは,Ubisoft自身ではないか。
認識の違いとあまりにも杜撰だった体制
この時点での「シャドウズ」に対する海外の反応は,ようやく日本を舞台にしたシリーズ最新作がリリースされることを支持する一方,ゲームプレイの詳しい紹介もないまま,スタンダード版は69.99ドル(約9790円),アルティメット版になると129.99ドル(約1万8150円)という,かなり強気な値段設定に対する嫌悪も多かったように思える。
そこに,「黒人でプレイしたいヤツはいない」という差別的な冷やかしコメントが散見されただけでなく,イーロン・マスク氏による「DEIはアートを殺す」というようなメッセージが発信されたことによって,日本のゲーマーが訴える本質的な問題が伝わらなくなっていたのではないだろうか。
DEIとは,「Diversity(多様性),Equity(公平性),Inclusion (包括性)」を意味する言葉だ。人種や性別,文化的な背景に関わらず公正な社会を築くための重要な価値観であるものの,今回のような使われ方は“ポリコレ用語”(やスタンス)程度の認識だろう。「第791回:“ゲーマーゲート 2.0”勃発で露わになるゲーマーとゲーム業界の乖離」では,少なからずUbisoft Entertainmentに関係のあるSweet Babyに関連して詳しく紹介しているので,一部の海外ゲームコミュニティの空気感を知るためにも,目を通していただけると幸いだ。
Ubisoft EntertainmentのCEOであるイブ・ギルモ(Yves Guillemot)氏は,「シャドウズ」について6月28日に自社ニュースブログにて,「我々Ubisoftでは,どんな憎悪に対しても容赦しないことを明らかにしておきます」とDEIの守護者的な視点でコメントを出している。この時点でも,日本国内の意見とUbisoft Entertainmentの認識には温度差がかなりあったようだ。
ともかく,6月11日に開催されたUbisoft Forwardではいよいよゲームプレイを紹介するデモ映像が公開され,筆者もこの取材に参加した(関連記事)。この時に筆者が知ったのは,「弥助はアサシンではない」ということで,もう1人のプレイヤーキャラクターである藤林長門守正保の娘「奈緒江」(なおえ)には装着されているヒドゥンブレード“隠し刃”に相当するものは持っていない。これまでの発表からは,弥助がどのような形でブラザーフッドに関わるのかはまだ不明である。
Ubisoft Entertainmentは,弥助が主人公の1人になった理由について「サムライファンタジーを体現するため」と語っている。“ブロウラー”というクラス属性が異質だった「アサシンクリード シンジケート」のジェイコブでさえガントレットを装備していたことを考えると,なぜわざわざ弥助という“異質な戦士”をアサシンクリードの世界観に持ち込む必要があるのかは気になるところで,ゲーム中でしっかり解決してほしいところである。
さらに7月に入ると,公開されたコンセプトアートに,現代の関ケ原地域で活動する火縄銃保存会のロゴが入った旗印を付けている兵士の姿が明らかになり,さらに大きな問題になってしまった。
しかも,「東大寺の金銅八角燈籠」や「二条城の松鷹図」など使用には許可が必要なものや,そもそも商業利用されてはいけない画像,明治時代に撮影された古写真をスキャンしたと思われる部分など,あまりにも杜撰なアートの数々が暴かれている。これが社内で世界観を共有するためのコンセプトアートならともかく,公開してしまったうえに,コレクターズエディションにはアートブックが付属するはずなのだが……。
なお,Ubisoft Entertainment側は,保存会による抗議に対しては謝罪している。
こうした歴史の不正確性や,10年もの構想期間を経て4年にわたって開発を続けてきたというわりに,クリエイティビティに対しての怠慢過ぎる姿勢もあって,6月19日には「Change.Org」でShimizu Toru氏という発信者により発売中止を求める署名活動が始まり,現在まで10万人近いデジタル署名を集めている。この署名がどれだけの効力を持つのかは不明ではあるものの,参議院議員が国会で政府による審査を求めたりするなど,ゲーマーコミュニティの外部にも飛び火し始めている。
外国語でこの問題に対し訴えかけている配信者も多く,こうした日本人の反応が海外のインフルエンサーたちにも伝わり,7月半ばに入った頃からようやく日本以外でも「大事になり始めたぞ」という認識を持つ人が増えたようだ。
“侍か否か”より,弥助が侍だったと言い出したのは誰なのか?
「シャドウズ」が巻き起こした“弥助問題”で議論されていたのが,「弥助は侍なのかどうか」である。弥助は信長から扶持と住む家,そして刀を与えられたと文献に書かれているようだが,それが「侍」という地位を得たという証になるのだろうか。
筆者は専門家ではないが,守るべき土地と領民,そして武門(姓)があるかないかが,「足軽」と「武士」の違いで,侍というそもそも戦国時代であまり使われていなかったらしい言葉は,Shimizu Toru氏が指摘するように,官位を得ているような目上の武士にのみ使われる尊称の類だったという認識だ。
江戸時代になって,日本人ではないウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステン(椰 揚子)には姓が与えられたが,安土桃山時代当時の弥助に姓が与えられたことを示す文献はない。
ところが,「シャドウズ」の弥助は,すでに武士の作法を極めているかのような立ち振る舞いをし,ゲームの長期的な目標は「伝説の侍」になっていくことのようだ。しかも,血で濡れた刀をそのまま鞘に納めたり,相手の首をいきなり刎ね落としたり,こん棒で頭を潰したり,相手を突き刺したまま持ち上げたりと,過去のシリーズでも類を見ないほどの,侍らしからぬ残忍な行動を取る。見方によっては,「体が大きく乱暴なアフリカ人」というステレオタイプとして嫌悪される描写と捉えられる。
いくらフィクションとはいえ,忠実な世界の構築を謳っているゲームである以上,日本の歴史に詳しくない海外のゲーマーなら「体躯に優れたアフリカ人の侍たちは戦国時代に無双していたが,日本人は恥ずかしく思っているので隠している」という,間違った歴史観を助長させてしまうかもしれない。
こうした点では,ここ数週間で論調が大きく変化しており,もはや「シャドウズ」での描写そのものよりも,おそらく開発チームが元ネタにしたであろう資料の著者にスポットライトが当たっている。それが,2017年に「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」を出版し,さらに海外で「African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan」(アフリカの侍: 中世日本に生きた伝説の黒人戦士,弥助の真実のストーリー)という本も上梓したイギリス人著述家のトーマス・ロックリー(Thomas Lockley)氏である。
筆者は,弥助を知ったのは「信長の野望」シリーズで,「あの,信長の野望で見た人が歴史書になっている!」と思い,「African Samurai」の第1版を購入したことがある。ただ,数々の学術的調査をしたうえでの“トゥルーストーリー”と紹介されていたわりには,会話などもあからさまな創作が多く,“歴史小説”のノリに近かったため,読破を諦めた。
「信長と弥助」のほうも,根拠のない誇張表現が多いようで,例えば日本には6000人にもおよぶ黒人がいたとか,各地の領主は競うように黒人を買っていたというような記述があると話題になっている。同時に「イエズス会は清貧主義で奴隷は持たなかった」と,ヴァリニャーノの元にいた弥助は奴隷ではなかったという主張もされているようだ。
つまりは,「アジアでの黒人奴隷はポルトガル人ではなく日本人が行った」という印象にもつながり,まるでヨーロッパ植民地政策の歴史に日本を巻きこむ構図だ。もちろん,こうした主張を「シャドウズ」がそのまま採用しているとは思わないが,ロックリー氏の主張の多くはWikipediaなどに反映されており,それが海外の日本史の愛好家やUbisoftの開発メンバーが持つ弥助に対するイメージに影響を与えていると考えられる。
しかも,Wikipediaでの「弥助」ページの日本語版と英語版で表現が異なるだけでなく,その根拠となる出典元の多くはロックリー氏自身が著したという,現在は非公開になっている論文が元になっている。出典元がわからないのだから正誤を確認できないばかりでなく,ロックリー氏が出版物をリリースする2017年頃には,盛んに“tottoritom”という人物により,「弥助」ページが何度も改変,加筆されたことが明らかになっている。“トム”とは“トーマス”の省略ニックネームであり,ロックリー氏は鳥取県に在住していたこともあるらしいが……。
この問題に着地点はあるのか?
ロックリー氏自身は「シャドウズ」のコンサルタントメンバーではなかったようだが,こうした疑問が多くのファンから直接彼の元に突きつけられたことで,ロックリー氏は自身のすべてのソーシャルメディアをシャットダウンしている。過去にロックリー氏と関わった番組などに問い合わせが行われるようになるなど,もはやこの騒動は「シャドウズ」やゲーム業界を飛び越えていて,その着地点が見えづらくなり始めている。
筆者としては,「弥助という異邦人がアサクリの主人公になった」こと,そして彼が侍だったのかそうでなかったのかについては,この問題の本質ではないように思っている。ゲームはファンタジーである以上,弥助が空想の中で信長に武士として取り立てられ,それに恩義を感じて強大な敵に1人で挑むというのであれば,それはそれで構わない。
しかし,弥助という,シリーズ始まって以来の歴史上の人物であり,非現地人であり,アサシンではないキャラクターを,歴史に絡んで描くアサシンクリードという世界観での主人公にする理由はなんなのだろうか。今,Ubisoft Entertainmentが公開している情報からはそれが見えず,「弥助は“DEIフレンドリー”なキャラクター」ということのみが強調されている。
それが,日本社会に身を置く多くのゲーマーの抱える違和感であり,「何かゲーム以外の別のもの」の土台の上に「シャドウズ」の基礎が組み立てられているように感じてしまう原因ではないだろうか。
「シャドウズ」において,弥助が日本に来るまでのストーリーにどれほど時間をかけているのかは不明であるものの,史実上の重要性から考えると,例えば過去作品に登場したレオナルド・ダ・ヴィンチやソクラテスのような,主人公を助けるべきNPCの歴史上の人物として扱われたほうが適正だったと思う。
せめて甲冑を着けて敵地でお辞儀されるのではなく,フードを被って人混みや影に紛れて歩くようなアサシンであってほしかった。さらに言えば,弥助の人生は興味深いが,それを描くのなら外伝やDLC,もしくはアサシンクリードとは関係のない1つのアドベンチャーとして取り扱ってほしかった。
Ubisoft Entertainmentは,7月23日になってコミュニティに向けた声明をアナウンスし,「アサシンクリード」はシリーズをとおして “歴史フィクション” であることを明確にし,「豊かな歴史と文化の忠実な表現を憂慮される皆様のご意見は深く尊重されるとともに,日本の皆さまにご懸念を生じさせたことについて,心よりお詫び申し上げます」と謝罪している。
一方,具体的にどこにファンの意見が反映されるのかには言及せず,「改善の努力を続けてまいります」と述べるに留まっている。ビジネスの観点から言って,この時点で発売延期などの処理が取られることはまずないだろう。
この謝罪文は「11月15日に『アサシンクリード シャドウズ』が発売された暁には,日本だけでなく世界中のプレイヤーの皆さまに,私たちがこの作品に注いだ情熱と愛が皆さまに伝わり,引き続き弊社のゲームにご愛顧いただくことを願ってやみません」と締めくくられているが,先に述べたように,海外のインフルエンサーの多くが日本から発せられる意見を分析し,問題点を取り上げている。残り4か月もない状況でどれだけゲーマーたちのフィードバックを生かして納得させることができるのかで,Ubisoft Entertainmentと「アサシンクリード」シリーズの評価は大きく変わりそうだ。
著者紹介:奥谷海人
4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
- 関連タイトル:
アサシン クリード シャドウズ
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