インタビュー
「アストロシティミニ」発売目前! Hiro師匠&光吉猛修氏に聞く,FM音源に彩られた1980〜1990年代セガ・サウンドの裏側
本製品は,セガなどから1984〜1994年に発売されたアーケードゲーム36タイトルと,アストロシティのテスト用基板「ドットリクン」を収録したゲーム機だ。本体価格は1万2800円(税別),関連製品の「アストロシティミニ アーケードスティック」が1万2800円,「アストロシティミニ コントロールパッド」が2780円,「アストロシティミニ ゲームセンタースタイルキット」が3980円(各税別)。そのほかセガトイズ.com限定の「ピンクボタン限定バージョン」なども存在するので,詳しい製品形態および関連製品については公式サイトを参照してほしい。
「アストロシティミニ」公式サイト
これを記念して,多数のアーケードゲームでサウンドを手がけたHiro氏と光吉猛修氏へのインタビューの機会が,セガによって設けられた。
4Gamer:
とは言っても,お2人が関わっているタイトルは,実のところアストロシティミニにあまり入っていないんですよね。
Hiro師匠:
そうですね。自分が関わったタイトルは3作だけです。
4Gamer:
そのあたりの詳細は後ほどお聞きするとして,コンポーザーごとに関与タイトル数で並べると,トップとなるのが4作収録で1位タイの中林 亨氏と川上泰広氏です。両名の楽曲について紹介をお願いします。
Hiro師匠:
中林さんはリズムが特徴的ですね。FM音源で作るドラムの音って各自の個性が出やすいのですが,とくに「獣王記」は“中林ドラム”を聞くことができます。
川上先生の方もドラムに特徴があって,「スクランブルスピリッツ」では彼ならではの乾いたドラムが鳴り響きます。
1980年代前半を彩った矩形波×3+ホワイトノイズ
4Gamer:
続いてお2人の思い出話などをうかがっていきたいと思います。Hiro師匠がセガに入社したのが1984年ですね。
Hiro師匠:
はい。もともとサウンドをやりたくてセガに応募したのですが,自分でプログラミングをしてオリジナルゲームを作ったりしていたので,それを面接で言ったら最初はプログラマーとして配属されました。
1984年はSG-1000II(※1)の発売年でもありますが,家庭用ゲームを展開していくにあたって開発力を増強しようとしていたのでしょうか。
※1 セガ製家庭用ゲーム機の第2号で,SG-1000のマイナーチェンジ版。元祖のSG-1000およびSC-3000や,アイコニックな存在であるセガ・マークIII,完全体と言えるマスターシステムなどと比べると地味な存在。地味すぎて正確な発売日が分かっていない。
Hiro師匠:
開発人員はかなり増えた時期だと思います。我々が入ったときから何年かはかなり多かったんです。そこで初めて中さん(※2)と組んで,「ガールズガーデン」を作ったんです。
※2 言わずと知れた「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」「NiGHTS into Dreams...」などの生みの親である中 裕司氏。現在はスクウェア・エニックスで「バランワンダーワールド」を制作中。
4Gamer:
Hiro師匠は中学生のときVIC-1001(※3)でゲームを作られていて,その時点で音楽を付けられていたそうですが,「ゲームに音楽を付ける」というのは当時としては先進的なデザインであるように感じられます。「ゲームには音楽があるべき」という考えを最初から持っていたのでしょうか。
※3 コモドールジャパンから1981年に発売された8bitマイコン。アメリカの本家Commodoreにおける製品名はVIC-20。10月23日に,これのミニ版と言える「THEVIC20」が海外で発売された(関連記事)。
Hiro師匠:
そうですね。ナムコ(当時)の「NewラリーX」に触れてから「ゲームには音楽があるべき」だと思うようになりました。
4Gamer:
大野木宣幸(※4)氏ですね。
※4 ビデオゲーム史における最初期のコンポーザーで,「ギャラガ」「マッピー」などのサウンドを手がけた人物。アルファレコードのG.M.O.レーベルや,ポニーキャニオンのサイトロンレーベルでゲームミュージックのアルバムを多数プロデュースした。2019年没。
Hiro師匠:
あれを聴いて「ゲーム音楽ってすごい」と思って,自分が作るゲームにも音楽を入れてました。
4Gamer:
Hiro師匠は鈴木 裕氏(※5)からのオーダーを受けて「ハングオン」から音楽に携わるようになるわけですが,そのサウンドの特徴としてよく言われるのが,PCM(※6)をBGMに使用したことです。PCMをSEでなくBGMに使おうとしたのは,Hiro師匠からなのでしょうか。それとも基板の開発サイドから「こういうこともできる」という提案があったのでしょうか。
※5 YS NET代表取締役社長。こちらも言わずと知れた「バーチャファイター」「シェンムー」などの生みの親。セガ在籍時は大量のスプライトを使うものや3D描画を使うものなど,ハイエンドハードを活用したタイトルを多数手掛けた。
※6 pulse code modulationの略。本来の意味は「パルス符号変調」。本稿では,その技術を用いたサンプリング音源用のチップ,ならびにサンプリング音源そのものを指す。
Hiro師匠:
そのころ,すでにサンプラーという楽器自体はあったのですが,高価で手が出ませんでした(※7)。でも,「ハングオン」などのボード(基板)にはサンプラーに相当するチップが積まれているわけです。そういう設計にした意図はともかく,積まれているということは“楽器”なんですよ。それで「じゃあドラムを出したいです」と言って,PCMでドラムを鳴らしていました。
※7 一例として,1980年に発売されたFairlightの「Fairlight CMI」は約1200万円。1981年に発売されたE-muの「Emulator」は,機能を絞ることで大幅な値下げに成功したものの,300〜500万円だった。
Hiro師匠:
でも「ハングオン」に関しては,エンジン音がずっとPCMで鳴っているから,曲のPCMは鳴らないんじゃなかったかな。
光吉猛修氏(以下,光吉氏):
同じチャンネル(出力ポート)で取り合ってるんですか?
Hiro師匠:
そう。当時は「このチップは何音まで出せる」って気にしてなかったからね。とにかく「サンプラーが載ってる」としか考えずに作曲しちゃったから。
4Gamer:
その後,SG-1000用ソフトの「ロードランナー」「ドラゴンワン」でもサウンドを担当されたそうですね。プログラマーをやりながらのコンポーザーという“二足のわらじ”的なスタイルだったのでしょうか。
Hiro師匠:
プログラマーをメインでやりつつ,片手間というわけではないですが,空いている時間でサウンドをやったりしていました。
4Gamer:
今のゲーム開発からすると,なかなか奇妙に感じられます。
Hiro師匠:
でも当時は「何がスタンダードか」というのを知らなかったし,プログラムも作曲も好きだったので,両方できる環境は自分的にはウェルカムでした(笑)。
4Gamer:
そのころにリリースされたアストロシティミニ収録タイトルは「フリッキー」「忍者プリンセス」などですが,これらのゲームに使われた基板がSystem 1,搭載されている音源がSN76496です。この音源についての思い出などはありますでしょうか。
Hiro師匠:
「フリッキー」は先輩が作っていたのですが,その人の作り出すSEがすごく特徴的です。先ほど言ったようにVIC-1001でゲームを作っていて,そこで効果音も鳴らしていたのですが,似たようなチップを使っているのにアーケードゲームの効果音は全然別物で衝撃的でした。
ちなみに「ファンタジーゾーン」のSEを作ったのも,「フリッキー」のSEを作った人です。
4Gamer:
こういうミニマムなPSG系音源を使った作曲って,光吉さんはご経験あるのでしょうか。関わられた「タントアール」などにSN76496が載っていたりしますが。
光吉氏:
僕が入社したときは,基本的にFM音源とPCMの環境でした。いちおう扱ったことはありますが,使いこなすとか,そこまでは全然行けていません。
4Gamer:
セガではTexas Instrumentsの音源チップを使っていましたが,例えばタイトーはGeneral InstrumentsのAY-3-8910(※8)だったり,他社では違うチップが使われていて,それぞれの個性にもなっていました。この時代の他社タイトルで印象に残っているものはありますか。
※8 「矩形波×3チャンネル+ホワイトノイズ」の発音が可能な音源。AY-3-8910および派生チップは,PSG(Programmable Sound Generator)と総称される。ひいてはSN76496やVIC chip(VIC-1001のコアCPU)なども,ほぼ同等の発音を持つため広義的にPSGと呼ばれており,本稿ではそれに倣う。
Hiro師匠:
入社以降は,普通の曲こそ聴いていたものの,他社の曲はほとんど聴いていないんですよ。当時はゲームの曲を聴くとなるとレコードを買わなければならなかったし,ゲームセンターもロケテストくらいでした。
でも入社する前なら,大野木さんのサウンドはよく聴いていました。先ほどの「NewラリーX」だけでなく,「マッピー」とか「リブルラブル」とか。明確に意識したわけではありませんが,「ファンタジーゾーン」の曲は大野木さんの影響をかなり受けていると思います。
光吉氏:
他社さんですと,やっぱり「スーパーマリオブラザーズ」だと思うんですよね。単にゲームを遊ぶ立場だったとき,たくさんの音色(おんしょく)が出ている印象があったのですが,後々それがPSGというものだと知って(※9),思った以上に音のバリエーションを出せるということに改めて驚きました。
※9 正確には,ファミリーコンピュータのコアCPUであるRP2A03の発音は「矩形波×2チャンネル+三角波(疑似)×1チャンネル+ホワイトノイズ×1チャンネル+DPCM×1チャンネル」。
DX7が鬨の声を響かせた。1980年代後半,FM音源時代の幕開け
4Gamer:
先ほどお話いただいた「ハングオン」に続いて担当されたのが,アストロシティミニ収録タイトルでもある「スペースハリアー」ですね。曲調的にはガラッと変わりましたが,どのようなオーダーだったのでしょうか。
裕さんからよく言われたのは「ネバーエンディングストーリー」のイメージだということです。なので曲もリマールの主題歌をオマージュして,長い一曲を作りました。でも,ゲームではボスでBGMが変わるじゃないですか。なので,次の面に行くとBGMがイントロからまた始まるんですよ。つまりプレイ中に聴けるメインテーマは,イントロとAメロだけ。
そこで,曲を分割して,面ごとに途中から始まるようにしたんです。今思うと,メインの曲が1つしかないのは斬新ですよね(笑)。
光吉氏:
ボス戦で曲が変わって,それを倒すとメインBGMの次の構成部分が始まるわけか。あまりそういうデザインの曲は無いですよね。
Hiro師匠:
まあ,作ってから「どう聴かせよう?」って考えた結果だけど(笑)。
光吉氏:
じゃあ,最初はボスが現れる時間を見越して曲の展開を考えていたんですか?
Hiro師匠:
無い無い。ゲーム的な音楽の作り方っていうものを,そもそも知らなかった。「ハングオン」もゲーム中の展開は無かったしね。
4Gamer:
BGMはフル尺だと何分くらいになるのでしょう
Hiro師匠:
4分くらいかな。でも,当時のゲームはループするのが前提だったので,最終的にイントロに戻るんですよ。アウトロが,そのままイントロになる構成なんです。「スペースハリアー」を作っていたころも,まだ半分くらいプログラマーでした。そのときは大森寮(※10)に住んでいて,自分の部屋で作曲していました。林くん(※11)のDX7を借りて,裕さんを呼んで作った曲を聴かせたりしていましたね。
※10 当時存在した,セガ・エンタープライゼスの社員寮の1つ。6畳一間に2人が配されていたらしい。この大森寮のみ朝晩の食事が出るようになっていて,金曜日は決まってカレーだったとか。
※11 林 克洋氏。アストロシティミニ収録タイトルでは「カルテット2」「ソニックブーム」「ゲイングランド」に携わったコンポーザー。
4Gamer:
「スペースハリアー」の翌年,これもアストロシティミニ収録タイトルとなっている「アレックスキッド with ステラ ザ・ロストスターズ」(以下,with ステラ)がリリースされますね。あまり名前が挙がることのないタイトルなので,簡単にゲームの紹介をお願いします。
Hiro師匠:
曲は素晴らしいです! ゲームは鬼だと思います。
4Gamer:
私も最近プレイする機会があったのでやってみたのですが,とんでもない難しさでした。
Hiro師匠:
遊んでいて,つらくなりますよね。開発時,曲を入れた時点では良い感じのバランスだったんですよ。でもロケテストの時点でクリアする人がいたので,誰だったか上が「簡単過ぎる」と言い出して……。よくあることですが,あれは失敗だったと思います(笑)。
4Gamer:
アーケードゲームでよく言われる「100円3分」どころか,下手すると100円入れて30秒で全滅できますからね。
Hiro師匠:
しかも初見殺しがいっぱいある。あれをゲーセンでやってた人はスゴいと思います。
光吉氏:
PVのナレーションで何度もタイトル名を言ったんですが,実はこのアレックスを知らなかったんです。「アレックスキッド」ってゲームが1つしかないと思っていたんですよ(※12)。
※12 詳細は割愛するが,都合6タイトル(海外のみ発売のタイトル含む)がリリースされている。
Hiro師匠:
1つって,上保さん(※13)の“おにぎりの曲”が入っている家庭用(アレックスキッドのミラクルワールド)?
※13 上保徳彦氏:主に1980年代のセガ製家庭用ゲームでサウンドを担当した人物。セガ・マークIII版「アフターバーナーII」「スペースハリアー」の編曲や,「ファンタシースター」「赤い光弾ジリオン」の作曲に携わった。
光吉氏:
「with ステラ」は,そのアーケード版ってことですか。
Hiro師匠:
いろいろ展開してたんだよ。「アレックスをセガのメインキャラにしよう」って動きもあったしね……。地味すぎて無理だとは思ってたけど(笑)。
光吉氏:
そういうこと言わないで(笑)。
で,それが激ムズだったと。でも回転率は良さそうじゃないですか。「バーチャファイター」も秒殺で決まるという意味では,そういうビジネスモデルですよね?
4Gamer:
「バーチャファイター」はリプレイ性が高いですが,「with ステラ」は心が折れるので……。
Hiro師匠:
「何で俺,これに100円を入れてしまったんだろう……」って思うよね(笑)。
光吉氏:
じゃあ,いくらでも遊べるアストロシティミニでこそやってほしいタイトルと言えますね(笑)。
4Gamer:
「with ステラ」は鈴木 裕氏の企画では無いですし,また独特なテイストのゲームですが,楽曲にはどのようなオーダーがあったのでしょうか。
Hiro師匠:
とくに指定は無かったですね。画面を見たり,コンシューマ版の曲を聴いたりはしていたはずですが。「ファンタジーゾーン」のときも,静止画を見せられて「この画面に合う曲を作って」と言われただけなんですよ。もともとの曲があまりゲームに合わないと判断されて,俺に依頼が回ってきて。
4Gamer:
たしかショップのBGMなどは,師匠が参加する前からあった楽曲がそのまま入っているとか。
Hiro師匠:
ショップとゲームオーバーの2つですね。それと先ほども話した効果音が,先輩の作です。
4Gamer:
「ファンタジーゾーン」と言えば,このころから楽曲などのデータ入力も手がけられるようになったそうですね。作曲のみからデータ制作も含めた形態へシフトすることに,ハードルなどはありましたか。
Hiro師匠:
別段ありませんでした。データを作るのも,プログラムとそうそう変わらないですし。FM音源についても,もともと高校2年か3年のころにヤマハのDX7を買っていたんですよ。漢(おとこ)の60回ローンで! それでFM音源がどういうものかを知っていたので,あまりハードルもなく作ることができました。
4Gamer:
それに伴って開発からサウンド部署に異動されたかと思うのですが,そもそもセガにサウンド部署が立ち上がったのっていつごろなのでしょうか。
Hiro師匠:
サウンド部署……光吉が入ったときはもうあったよね。何年入社だっけ?
光吉氏:
1990年で,当時は八研(※14)でした。
※14 「第八研究開発部」の略称。詳しくは後述。
Hiro師匠:
俺が1984年入社だから,その間に出来たってことだよね。
1984年にもサウンドをやってる人達はいたのですが,当時は抵抗をつなげて音を出していたので,ハードウェア部署の中だったんですよ。それから「ファンタジーゾーン」をやったときあたり? とにかく,その6年の間のどこかでサウンド部署が確立したんだと思います。
光吉氏:
僕が入る前って,そういう状況だったんですか。師匠と高木(※15)さんの2人だったとき,もうそんな感じだったと。じゃあ僕が入る1年前にはもうあったみたいですね(笑)。
※15 高木保浩氏:Hiro師匠の一番弟子にあたる人物で,「ターボアウトラン」や「F355 チャレンジ」などに携わった。「バーニングライバル」では,光吉氏や名越稔洋氏(現・「龍が如く」総合監督)と共に,CVを担当したことも。現在はセガのサウンドセクション セクションマネージャー。
Hiro師匠:
あったと思うよ。うちらが隔離されてただけで。
4Gamer:
すみません,組織構造がよく見えないのですが……。
Hiro師匠:
俺と光吉と高木の3人は,体感ゲームのサウンド部隊だったんです。裕さんに囲われていた者達(笑)。
4Gamer:
確認させていただきたいのですが,まず八研がAM2研(※16)の前身という理解でよろしいでしょうか。
※16 1990年ごろに存在した「第2AM研究開発部」の通称。
Hiro師匠:
というか八研がくっついたんだっけ? もともと「スタジオ128(いちにっぱ)」があって,それが八研になって……でも128の前にも何かあったよね。
光吉氏:
あったんでしょうね。僕は入社前なので知らないですけど(笑)。
Hiro師匠:
「スペースハリアー」を作っているころは,開発部署の中にあるチームだったんですけど,いろいろあってセガのビルの外にスタジオ128が作られたんです。それがセガに戻ってきたときに八研になって,その後AM2研に……くっついたんだよね? セガの組織って2年に1回くらいのペースで変わるから,よく覚えてないんだよ(笑)。
光吉氏:
元の部署とくっついたんだと思います。八研だけでAM2研ほどの人数はいなかったですからね。
Hiro師匠:
八研は20人くらいだったかな。
光吉氏:
そんなもんですね。割と少なかった。
4Gamer:
そんな八研の中に,部署専門のサウンド担当として,お2人が在籍していらしたということですね。
Hiro師匠:
そうですね。八研は「鈴木 裕さんの部隊」みたいなものだったので,プログラマーとデザイナーとコンポーザーと……全部が集まった部署となっていました。我々はセガの異端者(笑)。
光吉氏:
異端者って(笑)。まあ実際,僕が入社したときは「体感ゲームを作っている開発部署と,それ以外」みたいな感じでしたね。八研以外のところも大型筐体は作っていたと思うんですけど,専門だったのは八研でした。そのサウンドを,僕とHiro師匠と高木さんの,3人で回していた印象です。
4Gamer:
八研でのゲームの作り方の特徴というのはありましたか。他部署との違いなどは。
Hiro師匠:
うーん,強いて言うなら,八研では企画書が無いんですよ。とくに裕さんのプロジェクトに関しては。メガドライブの「レンタヒーロー」にはあったんですけど。
光吉氏:
たぶんレンタが,八研で初めての企画書でしたね。
Hiro師匠:
だから,ゲームにも企画色みたいなものがなかった。それは八研の特徴と言えるかもしれないですね。
4Gamer:
言ってみれば「ターゲッティングするあざとさ」みたいなものが無かったわけですね。それで開発を始めるときは,最初の会議でイメージを伝えられて……みたいな形でしょうか。
Hiro師匠:
いえ,会議もないです。プロデューサーとか,ディレクターとか,そういうのも無かった。ただ裕さんが居た。
だから,どういうステージが来るのかとか,どういう敵が出てくるのかとか,実際に作られるまで分からないんだよね。でも「こういうのが出てくるなら,こんな音もいるじゃん?」みたいな形で,こちらのアイデアを足すこともできた。まあ,自由だった気はする。
光吉氏:
それぞれの仕事は自由でしたね。細胞に例えると裕さんが核で,我々はミトコンドリア的な細胞質としてそれぞれの動きをするという。人数が少なかったから可能だったのだと思います。近くに行けば開発中の画面も見られましたし。
Hiro師匠:
デジタイザを後ろから覗いて,「こうやって爆発するのか」と確認したりね。今は今で楽しいですが,当時はゲーム開発の全部を見られる楽しさがありました。
4Gamer:
スタジオ128と言えば,開発タイトルに「アフターバーナー」がありますが,そのイベントである「アフターバーナーパニック」が1987年に行われて,そこでセガ初のライブが行われました。あれはどのようにして実現に至ったのでしょうか。
Hiro師匠:
一番最初は,単に「アフターバーナーのイベントをやる」というところから始まったんですよ。
光吉氏:
ゲームのプロモーションということですか。
Hiro師匠:
そうそう。で,池袋サンシャインの噴水広場で,確か筐体を持っていってゲーム大会もやりましたよね。誰が言い出したかは忘れましたけど,「だったらそこで演奏もしよう」という話になって。
ライブは,開発機材のMC-500 (シーケンサ)でバックの音を出していたんですけど,フロッピーディスクがなかなか読み込まれなくて,スタートできても途中で止まったり。それを3回くらい繰り返したかな。なかなか大変でした。本当のパニックになりました。
4Gamer:
アフターバーナーパニックのメンバーに外部のミュージシャンも交えて,並木晃一(※17)さんをリーダーとするS.S.T.BANDが1988年にスタートするわけですが,どういった流れがあったのでしょうか。
※17 1987〜1995年にかけてセガ・エンタープライゼスに在籍していたコンポーザー。「サンダーブレード」や「ギャラクシーフォース」などの楽曲を手掛けた。2011年に元S.S.T.BANDメンバーを中心としたバンド・Blind Spotを結成し,現在も活動中。
Hiro師匠:
当時,アルファレコードからレコードやCDを出し始めたのですが,それに収録するアレンジバージョンを作っているとき,大野(※18)さんから「これでバンドをやったら面白いんじゃない?」と提案されたのが最初でした。それはセガだけじゃなく,タイトーさんとかにも言ってたみたいですが。
※18 大野善寛氏:アルファレコードにプロモーション担当として入社したが,ゲーム好きなところを買われて“G.M.O.レコード”に携わることになり,そこから黎明期のゲームサウンドトラック市場を支えた人物。セガやタイトーとの関係などについては「REAL ZUNTATA NIGHT 3」のレポート記事を参照してほしい。
4Gamer:
光吉さんがS.S.T.BANDに憧れてセガを志望したという話は有名ですが,具体的にはどういったところに惹かれたのでしょうか。
光吉氏:
大学の4年間,ずっと軽音楽部でフュージョン系のバンドをやっていたんですよ。それで「願わくば音楽で食べていきたい」と思ったりもするわけですけど,小さいころから音楽教育を受けていたわけでもなく,せいぜい高校くらいからクラシックピアノを習った程度なので,音楽での生活は半ば諦めていました。
経済学部だったので,普通に就職活動をしていれば当時元気のあったファミレスとか,定番で行けば銀行とか,そういう選択肢もあったとは思うんですけど,どれもしっくり来なくて。そんなとき,軽音楽部の後輩が運転するクルマに乗っていたら,彼がカーステで流したのが「ギャラクシーフォース」のサントラだったんです。
4Gamer:
まさにS.S.T.BANDのデビュー盤である,サイトロンレーベルの「ギャラクシーフォース -G.S.M.SEGA 1-」ですね。
光吉氏:
今はこういう仕事をやっていますが,それまでゲーム音楽は「ピコピコ」だと思っていて,そこにFM音源とかPCMのサウンドがグワァーッと来たので衝撃を受けました。しかもスラップベースがすごくリアルに入ってる。
最初はそれがゲーム音楽だと思わなかったんですけど,話を聞くとアーケードゲームの曲だと。しかも「ゲーム会社の社員が書いてるんですよ」みたいな説明もあり,「会社員なのに,音楽を作って,バンドもやれて,飯を食える仕事があるんだ!」と驚きました。
それが1989年のことで,S.S.T.BANDとか,カプコンのALPH LYLAさんとかもあって,盛り上がりがピークに達する手前くらいでしたね。そういうのを調べていくうちに,「ギャラクシーフォース」を作ったメーカーがセガで,そこにS.S.T.BANDがあって……ということを知り,興味を持って,曲も聴いているうちに,「このバンドに入ろう!」と思ったんです(笑)。
Hiro師匠:
「セガに入ろう」じゃなくて「バンドに入ろう」だったんだ(笑)。
光吉氏:
最初はそうでした。まして,当時のセガって,自分には得体が知れない会社だったんですよ。もともと外資系だったこともあって,日本の会社なのか海外企業の支社なのかさえよく分からなくて。でも,そこも「普通の会社に行くよりも面白いかな?」と妙に惹かれるところでした。それで面接を受けて,当時の偉い方に今と同じような話をして,「S.S.T.BANDに入りたいです」と言いました。
Hiro師匠:
その面接って俺いたんだっけ?
光吉氏:
いないですね。
Hiro師匠:
デモテープは聴いたはずだよな……。
4Gamer:
覚えてらっしゃいますか?
Hiro師匠:
たしかCS-10(※19)を使ったやつで……。
※19 ヤマハから1977年に発売されたモノフォニック・シンセサイザー。ライブパフォーマンス向けの設計で,コンパクトさと操作の簡易さに秀でていた。
光吉氏:
全然覚えてらっしゃらないです(笑)。TX81Z(※20)で作ったんですよ。
※20 ヤマハから1986年に発売されたフルラックマウントサイズのFM音源モジュール。安価なモデルだが,MIDIへの対応や,サイン波以外の波形をオペレータに搭載するなどの画期的な仕様で支持を集め,ほぼ同仕様のキーボード・V2が1987年に発売されたりもした。
Hiro師匠:
それって1個で全部の音がでるやつ?
光吉氏:
たぶん,それも違う人の話です。
Hiro師匠:
というわけで,覚えてません(笑)。
光吉氏:
まあ30年前の話ですから(笑)。
4Gamer:
実際に入社してみての感想はいかがでしたか。
光吉氏:
最高でしたね! 裕さんの部署は,長尺の音楽を作らせてもらえるような仕事が突然入ってくるような環境だったので,毎日が新鮮で刺激的でした。
Hiro師匠:
最初は何をやったんだっけ。
光吉氏:
「GPライダー」です。オートマチック操作を選んだときのレース中の曲を書けって言われて。ループしてますけど,それでも3分くらいありましたね。
4Gamer:
「GPライダー」は,Hiro師匠と光吉さん,それと高木さんで,1曲ずつ書こうというコンセプトがあったとか。
光吉氏:
その通りです。
Hiro師匠:
サウンド担当が最初は俺1人だったのが,高木が入って,光吉が入って,そこで「次に作るGPライダーでは3曲を入れたいです」という話が来たので,「ちょうどいいじゃん!」と思って割り振りました。それ以外の指示とかは,とくに無かったよね?
光吉氏:
強いて言えば,「どのモードの曲を書きたい?」みたいなことを聞かれた気はします。
Hiro師匠:
逆に「こんな感じ」と言ったらイメージが狭まってしまうので,何も言いませんでした。俺も高木も光吉も全員個性が違うから,イメージが被ることも無いと思っていましたし。ボツも無かったよね。
光吉氏:
ボツがあるかどうかより,長い曲の構成を考える方が大変だった印象が強いですね。
4Gamer:
長い曲というのは,最近だとあまり作られないですよね。
光吉氏:
モバイルでは長いのもあったりしますが,アーケードだと1分とか30秒とかです。
Hiro師匠:
長くて2分くらい。ゲームのワンプレイがそうなっているから。
4Gamer:
では,長い曲というのは当時ならではのテイストということですね。
Hiro師匠:
でも最初から長尺にしようと思っていたわけではなくて,ゲームの尺に合った曲を作った結果,ああなりました。そこは今も同じです。
光吉氏:
当時のタイトルでも「G-LOC」なんかは曲が短いですしね。
Hiro師匠:
「G-LOC」はラウンドも短いから。ただ,あれはそもそも「イントロだけ出して,すぐフェードアウトしよう」ってコンセプトだった。当時は俺も斬新で良いと思ったんだけど,今聴くと「この尺に合うような曲を作れば良かったんじゃないかな」って思える。今だったら何か作れる気がするよ。
4Gamer:
S.S.T.BAND始動の1988年,メガドライブの発売もありました。メガドライブ互換であるSystem C系の基板がリリースされたのもこのころですが,思い出などはありますでしょうか。後期には光吉さんが「タントアール」に関わり,初めてプログラムを担当されたとか。
Hiro師匠:
俺はこのボードをいじってないかな。System C自体,どんなのだったか覚えてない。
光吉氏:
「タントアール」では,僕は効果音を担当しました。その前の「わくわくソニックパトカー」もSystem C系だったので,FMやPCMが何音鳴るとか,そういうところは入りやすかったのですが,「タントアール」は効果音に考えなくてはいけないことがあったんです。当初のプログラムだと,新たに出した音が,それ以前に出ていた音を上書きする方式になっていて,効果音が途中で切れてしまう。
4Gamer:
出音に対してチャンネルが不足していたと。
光吉氏:
それがどうしても馴染めなくて,プログラムに強い同期と相談しながら,特定のチャンネルでなく,空いているチャンネルをつねに探して音を鳴らすというプログラムを作り,効果音を鳴らすことにしました。プログラムまでやったのは,これと「バーチャレーシング」の2つだけです。勉強になりました!
4Gamer:
他のタイトルでは,チャンネルを取り合うほど効果音を必要としなかったということなのでしょうか。
光吉氏:
そういうわけでもないのですが,そのころ新しいセガのサウンドドライバを作ろうという動きがあったので,僕も「作ってみない?」と言われたのだと思います。MIDI規格を使った本格的なサウンドドライバをHiro師匠や中村さん(※21)が後に作るんですけど,その“はしり”と言うか。
自分も正直,悩んでいたんですよ。さっきもお話したように,全然理系ではないのですが,セガに入ってみたら先輩方はガチガチ理系の人ばかりで。僕はプログラムなんて分からなくて,そんな状況で仕事をやっていくのもしんどいわけですが,自分自身で何かをブレイクスルーするしかない。
※21 中村隆之氏:現ブレインストーム代表取締役。アストロシティミニ収録タイトルでは「コラムスII THE VOYAGE THROUGH TIME」と「バーチャファイター」のサウンドを手掛けた。なおナムコ(当時)で「ことばのパズル もじぴったん」を手掛けた中村隆之氏は同姓同名の別人。
4Gamer:
その一環でのチャレンジというわけだったのですね。
- 関連タイトル:
アストロシティミニ
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