インタビュー
内なる“怒り”が新生FFXIVを作った――不定期連載「原田が斬る!」,第6回は「ファイナルファンタジーXIV」吉田直樹氏に聞く,MMORPGの過去と未来
会食にて――終わらない昔話
原田氏:
話は変わりますが,吉田さんが「Dark Age of Camelot」になんでそこまで情熱を注いでいたのか聞いてみたいですね。なんでDAoCだったんですか?
吉田氏:
きっかけは, EQで果てまで行くことができなかったっていう後悔。EQリリース当時は仕事がめちゃくちゃ忙しくて,僕がEQを始めたのは,周囲の先輩達と比べて少し後だったんです。そうしたら,先輩たちが本当にノーラスから帰ってこなくなっちゃった。もうブリタニア以上に。ノーラスに旅立つ前は本当に優秀な先輩だったのに,心底仕事しないダメ先輩になってしまっていて(笑)。
原田氏:
ああ,あれはダメ人間製造機でしたからねえ。僕もダメになった時期が(笑)。
吉田氏:
いや,本当にそのとおりで。「何をやってんだこの先輩は。いいから仕事しろよ!」って思ったけど,ちょっと落ち着いて自分もプレイを始めたら,「あ,これは確かにヤバい」と。EQは“Time to Win”の最たるものじゃないですか。サブスクリプションに合わせて「時間を使わせるゲームデザイン」がすさまじくて,本格的に追いつくためには死ぬ気でやるしか……というタイミングで,DAoCが出るという話を聞いたんです。
原田氏:
ああ,それで今度は乗り遅れまいと。
吉田氏:
はい。3D空間でPvPをやるというのが,めちゃくちゃ面白かったんです。最初は自分なりにカジュアルにプレイしていたのですが,本格的にRvR(Realm vs Realm)に出るようになって,一気にのめり込みました。僕は戦場に出て間もない頃はWardenというハイブリッドクラスでした。戦場に出たらその時の有名指揮官プレイヤーに,「お前みたいなWardenが,前に出てきてんじゃねえ。後ろでヒールでもしてろ」って言われて。それがすごくショックだった。「ハァ?」と思って,そこからキャスターを育て始めて,それが殺戮マシーンと化すきっかけでした。
原田氏:
そのときは,リアルの知り合い同士でプレイしていたんですか?
吉田氏:
いえ,完全にネット仲間だけでした。ギルドに入ってくる連中もだんだんガチ勢が多くなっていって,気付いたときには群れて行動するのが敵に対して申し訳なくなり,遊撃軍のように8人で戦場を駆け回っていました。一時期は敵軍53人を味方8人で真っ向勝負!みたいな感じで……最後は敵の増援が来て,ポーションもすべて尽きて1人また1人と倒れていきましたけど(笑)。
原田氏:
映画の「300(スリーハンドレッド)」みたいだ(笑)。オンラインの知り合いだけでそこまで行くなんて,すごいですね。
4Gamer:
吉田さんのギルド,当時のフォーラムではチーター扱いされてましたからね。
吉田氏:
うーん,一生懸命やってただけなんですが……。なかなか死なないので周りの人からは「あの人達だけ死なないんだけど!」って,言われてたみたいですね。
4Gamer:
ちなみにDAoC以外のタイトルでは吉田さんはどんなプレイスタイルだったんでしょう。やっぱりPKですか?
吉田氏:
基本的には「行き着くところまでやる」という感じです。ただ,PKのあるゲームというとどっぷりやったのはUOくらいですね。UOは2キャラを使い分けてひとつは完全PvEの善人キャラで,もう一キャラがPKメインでした。PvE側は普通にメイジタンクと呼ばれるプレイスタイルだったのですが,それとは別にキャラクターを作って,そっちでは極悪PKを……。
原田氏:
僕もね,DiabloでPKに憧れて,負けず嫌いだから「PKとかやったら,きっと俺は向いてる!」って思ってたんですけど。……僕ね,UOで自分が善人だったことに気付いてしまったんです。
吉田氏:
殺せなかった?
原田氏:
いや,当初試しに何度かやっちゃったんですよ。「山賊だ! 身ぐるみ剥いでやるぜ!」みたいなロールプレイをしたことが実はあって。それでPKして身ぐるみ剥いでやったら「OOooOo」って……。
吉田氏:
ああ,幽霊になっちゃって。
原田氏:
そしたらそいつ,戻って来ちゃったんですよ。その時は「なんだ,また殺されに来たのか」ぐらいに思ってたんだけど,そいつが「どうしてこんなことするの?」って聞いてくるんです。「僕は14歳でクレジットカードも作れない,お父さんにこのゲームがやりたいって1週間前からお願いして,お父さんのクレジットカードで初めて遊んでるんだ。その最初の日に,君みたいな人に殺されるとは思わなかった。僕と君は友達になれないのかい?」って。14歳にですよ? そのときにものすごく……。
吉田氏:
でもそれ……分かんないですよね。14歳のロールプレイだったかもしれない?
原田氏:
逆に僕はピュアだったんでしょうね。なんてことしちゃったんだろうって思って。それで結局友達になっちゃった(笑)。ちなみに本当に14歳でした。あと,事故でPKしちゃったこともあって,それでどんどん罪悪感が重なって……。
吉田氏:
ああ,僕みたいにオンラインゲームにスレすぎた人間にならなくて良かったですね(笑)。僕は反対に,初心者の頃にブリタニアの東でPKをされたんですよ。で,やっぱりその場で復活しちゃってまた殺されて。もう一回復活したら,そのPKに説教されたんです。
原田氏:
お前,なにやってんだと(笑)。
吉田氏:
そう。「お前スキルダウンって知ってるか?」って。それでブリタニアの理(ことわり)を詳しく教えられたあげく,「お前のようなNewbieは,肥沃な東の地で獣狩ってると,俺みたいなPKに狩られる」「ブリタニアの西の不毛な土地で,鶏を一生懸命狩って強くなれ」って言われて。
(一同笑)
吉田氏:
もう,ものすごいカルチャーショックだったんです。この人はどんだけUOを愛しているのかって。それで「THX」って書いたら,「PKにお礼を言う奴がいるかバカ!」って言われて。「でもお前が持ってた初期の60ゴールドは返さない」。「なんで?」って聞くと「それは俺がお前をPKした証だからもらっていく」って。
原田氏:
うーん素晴らしい。感動しちゃいますね。でもそう,PKはロールプレイできる人が多かったんですよね。だから人気者だったし,僕も好きでした。
吉田氏:
感動ですよ。感動のあまり,言われたとおりブリタニアの西に行って,鶏を殴り始めましたもん。
原田氏:
ストーリーを作ってくれたわけだ。ヘタしたらゲームマスターだった可能性すらありますよ。でもそうです,PKほどそういう人が多かった。
吉田氏:
貧しい土地じゃないですか,ブリタニアの西なんて。素材が売れる鹿なんてほぼいなくて,鶏だって多くはない。Popしたのを見たら,誰かが殴ってようが殴りに行きました。「俺はいつかあのPKにリベンジしてやるんだ」って。でもだからこそ……フェルッカとトランメルに分かれたのは痛かった。
原田氏:
PKできるエリアと,できないエリアに分かれてしまったんですよね。僕もあれで冷めちゃいました。鉱山掘ってても眠くなっちゃって。なんだろうこの……。
吉田氏:
あまりにも世界が安全になってしまった。僕はその辺りから完全にPKシフトになりました。もう,危険エリアにやってくる「勇者様御一行」に挑むことに心血を注ぐようになってしまって……。平和な世界から狩場を求めてやってくるんですが,平和ボケしちゃってるのかこちらが攻撃しても,「こいつPKだ!」ってチャットしてて……。死んじゃいますよ,その間に……。
(一同笑)
原田氏:
チャットしてる場合じゃない。逃げるなら逃げるで,やるべきことがあるわけだから(苦笑)。
吉田氏:
平和な世界から来る人たちは,フルプレートにマントをつけて,後ろにガンダルフみたいな魔法使いを従えていて。平和すぎるとロールプレイも極端になるんだな,と妙に納得してしまったり。
原田氏:
豪華な格好をするのは街中に入ってからじゃないと。外はせいぜい骨の鎧か,ヘタすりゃ裸ですよ。
吉田氏:
そもそもAPB(Anti Paralyze Box)※も持ってない人が多かったですね。「動けないー」って,パラライズの魔法を当てているからなのですが,僕の住んでいた世界の経験上,APBでパラライズは必ず解除されるもので,その直後の行動と反応を見て次の手を考える,みたいな生きるか死ぬかの緊張感がすごかったのですが……。
※Anti Paralyze Box……ポーチなどにMagicTrapの呪文をかけておいたもの。開けるとトラップ発動によってわずかなダメージが入るので,不意にかけられたパラライズを無効化できる。
原田氏:
パラライズかけられたら速攻で懐のAPBを開けて,爆発を起こすくらいじゃないと! まぁでも,ちょっと危険な場所に行ってみたかったんでしょうね。
吉田氏:
色々ありましたね,PKの後にゲートの魔法で転送先のポータルを開けると,PKしてきた相手が開いたゲートなのに警戒なくそれに入って行ったり。
原田氏:
いやいや,他人が開けたゲートになんて,普通は絶対入んない。入っていいわけがない(笑)。
吉田氏:
ですよねえ。で,絶海の孤島に……。
原田氏:
置いてっちゃうんでしょう? 絶対誰も助けに来なくて,GMコールするしかなくなるやつ。
吉田氏:
GMコールするしかないのですが,呼ばれたGMはPKを叱るのではなく,「いいですか,ここは危険な土地なんです。知らない人が開いたゲートには二度と入らないでくださいね!」って。何もかも自分たちで決めるゲームだったからこそ,ものすごく熱中したんですよね。
原田氏:
むしろそれ,PKとしてはまっとうなほうですからね。僕らの頃なんて,PKが矢を撃ってくる横から素っ裸のおっさんが走ってきて,トレードウィンドウを出してくるという。
吉田氏:
うわー,それ最悪なやつですね……!
原田氏:
もう,すごい数のトレードウィンドウが画面を埋めつくして(笑)。走りながら必死にキャンセルするんだけど,向こうも併走しながら大量のりんごを渡そうとしてくる。人間じゃなくUIシステムとの戦いって,なんなのそのPK。すごいアイデアと連係プレイだよ!
(一同笑)
吉田氏:
だったら,二対一で挑んでこいよって話なんですど(苦笑)。その後,結局走りながらのトレードは禁止されましたけど,みんなのアイデアがすごかったですね。あんなに人間と向き合ったゲームはほかにないと思います。サンドボックスの極みでしたね。
プログラマーは神様だった
4Gamer:
吉田さんは「Diablo」もプレイされていたんですよね。そこではPKはされなかったんですか?
吉田氏:
UOの前は「Diablo」の4人マルチをやっていて,その時は日夜チーターPKと戦ってたんです。今思えばネットワークゲームの技術的な知識の基礎は,すべてあのときに身につけた気がします。当時いたプログラマーに,奴等はなんであんなチートができるのかって,質問攻めにして。
原田氏:
ああ,それは僕もやりました。「Diablo」は最後はチーターとの戦いになるんですよね。10歳ぐらい年上のプログラマーにチートの種明かししてもらってね。
吉田氏:
同じですね。「街の中では攻撃アクションに禁止フラグついてるはずなのに,なんであいつらスペル使えるの?」って聞いたら,「処理判定をクライアントでやってるからだよ」って言われたりとか。「え?クライアント?」となり,まずは基礎用語のクライアントというものを教えてもらって……。何をクライアントで処理して,何をサーバーで処理しなきゃいけないのかって線引きを学べました。キャリア的にもこれは大きかったですね。余談ですが,僕はクライアントが発注者の意味で使われるということをずっと後で知りました(笑)。
原田氏:
あのころのプログラマーって,魔法使いみたいでしたよね。しかもあの当時は,ゲーム業界に最先端の人が集まってましたし。
吉田氏:
僕は仕様書を床に投げ捨てられてました……。「何書いてるか分からねえ,明日までに何書いてるか分かるようにしてこい」って。それで一生懸命書き直して持っていったら,「中身は分かるけど,つまんねえ。明日までに面白くしてこい」って言われ。それでまた徹夜で書き直して,ようやく「まあ,いいんじゃない。作ってやるよ」って言ってもらえた。
原田氏:
あの頃のプランナーは,プログラマーに育ててもらったようなところがありましたね。
吉田氏:
はい,むしろとても愛情があって,ものすごくありがたかった。ヘタにアルゴリズムに口出ししようとしても,「そんなの俺らに任せとけ。お前は何が面白いかをちゃんと考えろ。お前らプランナーはプログラム書けるわけじゃないんだから」って。それでも僕は,プランナーの中でもプログラムがそこそこ書ける方だったんで,「お前はコードが分かるから話が通じやすくていいな」って言われていました。勉強していて良かったと心底思いました。
だからFFXIVでも,プログラマーには「とにかく企画には厳しくしてほしい。よく分からない資料を持ってこられたら引き受けないように」って言ってます。
原田氏:
僕らの世代は,企画もビジュアルもプログラマーだけで出来ちゃってたんですよね。今でこそ部門が分かれていていますけど,あの頃はプログラマーがどれだけ未来を見せられるかがすべてだった。プログラマーがテクノロジーの限界と次のステージを示して,その中で何ができるのか,という世界でした。
吉田氏:
「これぐらいまでできるんだけど,これ使って何かできない?」っていうプログラマーの言葉が,すべてを支配していましたね。
4Gamer:
ちなみに,それはいつ頃のお話ですか?
原田氏:
少なくともPS2ぐらいまではそうでした。
吉田氏:
初代PSの頃までは,完全にプログラマー達の独壇場でしたよ。
原田氏:
やはりこのあたりの認識は同じですよね。プログラマーが絵まで出しちゃう時代だったし,ビジュアルの善し悪しもプログラマーの力量で決まる世界でした。とくにレジェンドクラスのプログラマーを抱えてた,当時のナムコやスクウェアはなおさらです。
吉田さんと僕の違いは,20代の頃にすごく偉大なのに優しいプログラマーが会社にいたことですね。
吉田氏:
ええっ?
原田氏:
当時のナムコには,1980年代のアーケードゲームで鍛えられ,名を馳せたようなレジェンドなプログラマーが揃っていたんですけど。僕は自分でも分かるぐらいに,優しいプログラマーの先輩に恵まれていました。吉田さんのさっきの話でいえば,僕が言われたのは「何が面白いか伝えろ」って部分だけでしたから。
吉田氏:
……やりたいことを言ってみろと。
原田氏:
そう。プログラムの仕組み上ナンセンスというか,ワケ分からないことを書いて持っていっても,「あー,そういう仕組みじゃないんだよなあ。原田君はやりたいことだけ言ってくれればいいから。プログラムのところは僕らが何とかするからさ」って。
吉田氏:
ええぇ……。
原田氏:
「じゃあ,ドンってやった時,アニメーション班の作業を介さなくても,僕がギュッ! スーッってこう,キャラを押したり引っ張ったりできるような……何て言うんですか,ツールとかスクリプト? それを作ってもらえないですか?」「うーん,分かった。じゃあ明後日までに作っとくね」って感じで。「やったー! なんか言ったことが全部実現する!」って思ったものです。
吉田氏:
「うわ,この人達魔法使いだ!」みたいな(笑)。
原田氏:
そうそう(笑)。「じゃあビカッ! ってなる,今業界で話題の粉みたいなやつ……なんでしたっけ?」「パーティクル?」「そのパーティクルが毎回同じのが出るのでつまんないんです」「じゃあどうしたいの?」「なんか毎回違うのが良いです」「それはランダムって意味?」「ランダムというか,すごく強いときはこんな風にボン! こっちに殴ったときはあっちにボン! って」「うーん,原田がやりたいことは分かった。じゃあ待ってて」って。で,次の日見たら,殴った方向や強さに合わせてにパーティクルが飛ぶようになっていた。
吉田氏:
そんなバカな……。
原田氏:
「あれ,何かわがまま言うだけでゲームができていくぞ!」って感じですね(笑)。
吉田氏:
ウチは「ビカッ! って感じです」なんて言ったら,「お前な,今日び,すすきのを歩いてるニーチャンだってビカッて言うぞ?」ってスゴまれましたよ。だから描けない絵で一生懸命パーティクルの話をしようとするんだけど,当時はそんな言葉すら知らなくて,また冷たい目で見られるっていう。
原田氏:
「お前,そんなことも知らないで仕事してんの?」みたいな(笑)。
吉田氏:
その代わり,分からないから教えてくださいって頭を下げたら,1から10まで全部説明してくれるんです。パラメータをいじるだけで指向性が変えられるとか,エントリーしてるエフェクトの粒のタイプをいくつも作ることによって,同じエンジンでも違った表現ができることとか。かつ,それを踏まえて発注したら,「お前がやりたいのはこうだろ?」って,発注以上のものがあがってくるんです。
原田氏:
あ,そうなんですよね。僕の場合は,吉田さんの途中にあるプロセスをすっとばして,いきなりツールができあがる感じでした。だから,そのツールに僕がいきなりパラメータを打ち込むだけで,好き放題できちゃう。
吉田氏:
……それはねえ,マジでうらやましい(苦笑)。
原田氏:
僕は最初営業で,2年めから企画だったんですが,当時はゲーム会社って全部そうなんだって思ってました。けど10年後ぐらいに聞いたら,どこの会社も全然違うんですよね。よその会社だったら……僕ならたぶん辞めてただろうなあ。
吉田氏:
すごいですよそれ。でも確かに,遠藤雅伸さんに連れられていった飲み屋でお会いしたレジェンドの皆さんは,皆半端じゃなく優しかったです。「面白いことだけを考える若者の夢を実現するのが楽しかった」って言ってました。
原田氏:
そうなんですよ。ナムコはレジェンドな人達が,皆さんそういう気質だったんですよね。たぶんこれもまたうらやましがられる気がしますけど,ナムコの企画職って「Born to King」って言われてて,企画というだけで皆から尊重してもらえてた。
吉田氏:
うちは逆です。底辺でしたよ。プログラマーが神様で。
原田氏:
いや,当然ナムコでもプログラマーは神様でしたよ。僕自身,プログラマーは常に畏怖と尊敬の対象でしたし。
吉田氏:
でも,菩薩なんですよね? 僕らのところは閻魔でしたよ! もうこの人達を怒らせるのは,プロデューサーの機嫌を損ねるよりも100倍ヤバい。次の日のビルドが上がってこないんだからって。それを考えると,ナムコの環境はすごいですね。
ハドソンはプログラマーがドットを打ち,サウンドまで作ってボンバーマンが1日ででき上がる会社だったので,企画職は使えない奴の集まりみたいな扱いでした。入って早々に言われたのが,「ゲームはプログラマーだけいれば完成する。デザイナーはユニークなキャラクターが作れるからいてもいいが,お前は何だ? 面白いことを考えるだけなら俺達でもできる」ってセリフでしたもん(笑)。
原田氏:
かなり痛いところを突いてきますね。
吉田氏:
そうなんです。でもそのおかげで,ほかの人が考えつかないこと,あるいは思いつくけど形にしようとしないことを,形にできるよう愚直に人を説得したり,それによってどんな面白さや体験が得られるのかを説明する力が身についたんだと思います。
それがあるから,今ライブストリームでプレイヤーの皆さんに我々の思いを伝えることができるし,開発の現場でいろいろな立場の人から協力を取り付けることができる。すべてはあの頃に鍛えてもらったおかげです。
原田氏:
得難い経験だったと。僕なんか企画に入って2日目に,「原田くん新人でいきなり社長賞もらって営業から来たんでしょ? 噂は聞いているよ。ストリートファイターとかバーチャファイターとか好きなんだって?」「大好きです。あれを10年後に越えたいんですけど!」「じゃあ,まずどうしたい?」「じゃあ,まずボーンでドカーンでバシーン!」ですから。いや,そこまで馬鹿ではなかったですけど,例えるならこんな感じ(笑)。
吉田氏:
おいおい,なんだこの育ちの差は! 僕は一言目に「お前に何ができる!」でしたよ(笑)。
原田氏:
ただね。だから,僕はディレクターやプロデューサーになった当初,教育係としては苦労したんです。新人をどう教育したらいいか聞かれても,「俺の画面から盗め」とか「自分のやりたいようにやれ」としか最初は言えなかった。あげく「プログラマーがもっと教えてあげてよ」とか言って,「えー! マジっすか?」って言われちゃう状態でした(笑)。
吉田氏:
そうか,僕はナムコに行くべきだったのかなぁ……。
原田氏:
でも,吉田さんがナムコで育っていたら,このFFXIVの再生はなかったかもしれない。
かつて見たアーケードの風景
4Gamer:
ところで,原田さんが先ほどおしゃっていたツールというのは,どういうものなんでしょうか。当時の鉄拳に,実際に使われたものですか?
原田氏:
当時というか,拡張を続けながら今でも使っています。これは鉄拳の良いところでもあり悪いところでもあるんだけど,グラフィックスデザインを企画から切り離せるように,その時作られたツールやスクリプトが,いわば格闘ゲームエンジンとして代々受け継がれてきているんです。だからアニメーションと音とモデル,つまりゲームのアセットさえ発注してネットワークフォルダに揃えておけば,あとは企画チームだけで,独自のスクリプト言語を使って全部組めてしまう。ゲームデザインの部分だけが,完全に独立して組めてしまう形なんです。
吉田氏:
ということは,根っこの部分のパラメータは,原田さん達が付けたんですよね。「鉄拳」のカウンターの快感といったらなかったですよ。
原田氏:
あれは,僕ら企画が爆笑しながら設定していたものも多かったんですけどね。プログラマー達も「そういうのは任せるから」ってことで,ゲームデザインを切り離していたわけです。
吉田氏:
確かに爆笑でした。即死とはいかないまでも,ものすごいダメージで。あのおかげで,「この一撃にすべてを賭ける」っていうプレイスタイルが可能になった。コンセプト勝ちだと思いましたね。
原田氏:
いやいや,冷静に考えたらおかしいですよね。2発や3発で終わる格ゲーってどうなってんだって話ですよ。
吉田氏:
当時はどの格ゲーも,だいたい2コンボ入ったら終わってましたし,あまり変わらないですよ(笑)。
原田氏:
確かにそうですけど(笑)。
吉田氏:
僕の鉄拳のファーストインプレッションは,「お互いに鋼を殴ってる感じ」だったんですよね。パーティクルとSEの硬質感だと思うんですけど,「バーチャファイター」(以下,VF)が肉を殴る手触りだったのに対し,鉄拳は鍛えた鋼の肉体を殴っている感触があって。だから,まったく毛色の違うゲームだなと感じたんです。ちなみに,あの軸をズラすって発想はどこから出てきたんですか?
原田氏:
当初の鉄拳はポリゴンこそ使っていても,1軸だから2D格闘に近かったんです。でもせっかく3Dゲームなんだから,もうちょっと“アナログな要素”を入れられないかと思って生まれたのが,あの横移動です。
4Gamer:
“アナログな要素”とは,どういう意味なんでしょうか。
原田氏:
軸をずらして攻撃を避ける要素って,普通に作ったら成功と失敗が明確に出る形になると思うんですよ。成功したら回避できるし,失敗だったら相手にスキを晒すことになる,というゲームデザインですね。
だけど鉄拳の場合,当たり判定はほぼ見かけどおりになっていて,攻撃を避けられるかどうかは相手との距離とタイミング次第。横移動した瞬間に,技が追尾してこない時間を設定しているにせよ,同じフックであっても距離とタイミングで避けられることもあれば,偶然引っかかっちゃうこともある。
4Gamer:
なるほど。ゲームのメカニクスとしてではなく,偶発的な揺らぎとして用意されたものだと。
原田氏:
そう。最初は僕らもVFやストリートファイターを追いかけて作っていた側面がありました。だけど,後発のタイトルである我々が10年後に勝つためには,追いかけるだけではダメだと考えるようになった。「3」ではそういう思いもあって「不確定な要素」を意図的に入れたんです。
吉田氏:
鉄拳はあそこがターニングポイントでしたよね。当時の僕はガチの格闘ゲーマーだったので,東京出張にかこつけて,都内の有名ゲーセンによく行ってたんですよ。TGSよりも「カニスポ」(新宿スポーツランド中央口店/2004年閉店)が目的だったくらい。
原田氏:
分かります(笑)。
吉田氏:
そうすると,鉄拳の筐体の周りには,僕が今まで見てきたのとは毛色の違う人達――革ジャンを着た兄ちゃんとか,ホストっぽい風体の人とかが集まってた。僕はそれを,「うらやましいけど,今から入れるのかな」って眺めてたんです。あれはきっと,鉄拳のエンタメ性があそこでガラっと変わったからじゃないですか。
原田氏:
当時のコア層とは違う人達ですよね。おっしゃるとおり,僕らはストイックな格闘ゲーマー達じゃない,新しい層を開拓するしかなかったんです。吉田さんは恐らくそのストイックな層だったので,なんとなく馴染めなかったんじゃないですか。
吉田氏:
そうだと思います。そうこうしているうちに,「ストリートファイターIII」が出て,僕は鉄拳のほうではなく,そちらに引っ張られていきました。でもね,「2nd」まではイケたんですよ。誰と対戦しても結構な確率で勝つことができた。それが「3rd」で赤ブロ※が導入されたとたん,どうにもならなくなって……20〜30連勝できてた相手にも勝てなくなってしまった。そこで世代が変わったのを実感しました。
※赤ブロ……連続ガードに割り込む,「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」の上級ゲームシステム。成功時の赤いエフェクトから赤ブロッキングと呼ばれた。ちなみに正式名称はガードブロッキングという。
原田氏:
それが,会社を辞めようと思ったエピソードにつながると(笑)。ただ「3rd」は,それぐらい突き抜けたゲームだったのは確かです。
吉田氏:
でも,あの完璧なまでのゲームデザインが,逆に当時の格闘ゲームにトドメを刺してしまったのだと思います。MMORPGにおけるWoWと同じで。
原田氏:
そうなんですよ。あれからストリートファイターは,「IV」までの10年間続編がでなかった。後で聞いた話だと,「これ以上の2D格ゲーが果たして作れるのか」という思いがあったみたいです。
吉田氏:
それはプレイヤー側も同じなんです。2D格ゲーの究極を見せられてしまったわけですから。あれほど正々堂々としたゲームはないですし,だから「3rd」は今でもトーナメントが開かれている。
原田氏:
突き詰めてしまった結果の現れだったんでしょうね。僕なんかあれを見て,あえて別の方向に進むことにしましたから。競技性は意識しつつも,エンターテイメントとしてもうちょっと緩いベクトルへ。それでいて,上級者の魅せプレイが映えるようなものを,というように。
吉田氏:
格ゲーを再構築することで,やっと「IV」は前に進めた。すごいと思いました。だから「IV」は僕も楽しく遊べたんです。「V」は忙しくてプレイできずにいますが,「IV」はあの割り切りがよかったのでしょうね。
原田氏:
「IV」のローンチのとき,僕は(カプコンの)小野さんに「IVのコンセプトって何?」って聞いたんですけど,彼は「同窓会!」って言ってました。それを聞いて,「やっぱりね」と思ったものです。
吉田氏:
ガンダムでいうと「0083」ですよね。「3rd」を超えられるわけじゃないけど「ストリートファイターが好きだった人達が作ったゲーム」,という感じがすごくするんです。
原田氏:
「昔好きだった人達を,同窓会的に呼んでくる」がコンセプトで,実際最初に「IV」に食いついたのも30〜40代だった。いやしかし,吉田さんがまさか格ゲーにここまで精通しているとは思わなかったな。
吉田氏:
僕はシューティングゲームから入って,その後に格ゲーとMMORPGを並行してプレイしてたんです。「エリア88」まではガチでしたし,「アフターバーナーII」はゲーメストのスコアランクに応募して全国2位になったこともあります。ベーマガでやってた「F-ZERO」のタイムアタックもワールドレコードで2位まで取りました。
原田氏:
マジですか!?
吉田氏:
本当にお金がない家庭だったので,50円でどれだけ長く遊べるかが肝だったんです。「イシターの復活」とかも,うまい人のプレイをずっと後ろで見ていて,攻略を覚えたりしていました。
原田氏:
僕の子供の頃は,「ドルアーガの塔」をやってる人がダンボールで画面を隠して,宝箱の出し方がバレないようにしてましたね。今考えると,子供になんでイケズなことする必要があったんだろう(笑)。
吉田氏:
宝物の出現条件に「スタートボタンを押す」ってのがあるじゃないですか(編注:31階のパールの出現条件)。あれバレないように膝で押すんですよね。
原田氏:
そうそう! 「あれ,今何で出たんだ?」って! これ今の子には絶対に分からない話だろうな(笑)。
吉田氏:
遠藤さんが言ってましたが,「イシターの復活」は彼女と一緒に遊んでほしかったそうです。カイが強いのは,彼女のほうがゲームが下手だろうからってことで,でも,ここぞというところで彼氏に活躍してもらうべく,ローパーはギルのほうが倒しやすくなっていたんだとか。でも,そもそもあの当時ゲーセンに行くやつに彼女なんていなかったっていうオチになるんですけど(笑)。だから遠藤さんは,あのゲームは早すぎたとおっしゃってました。
原田氏:
皆カイだけ使ってギルは放置でしたからね。ゲーセンに彼女を連れてくる時代は,バーチャファイターぐらいからかな。まさかそんな時代が来るとは,思ってもみませんでしたけど。遠藤先輩は先を行き過ぎてたんだな(笑)。
吉田氏:
ゲーセンに彼女連れて行っても,だいたい「つまらない」って文句言われるだけなんですけどね。男の方は「え,こんだけ俺が連勝してるのにつまらないの?」ってなるんですが。
原田氏:
「俺が良いところを見せてるのに!」って。いや,そりゃつまらないんでしょうけど(笑)。
吉田氏:
あと格ゲーで言えば,昔AOUショー(現・JAEPO)に「ストリートファイターEX」が出展されたとき,出張にかこつけてプレイしに行って,ザンギエフを使って57連勝したってエピソードも……。その後,近くにいたスタッフの方に,「開発チームが戦いたいって言ってるのですが,お願いできますか?」って言われて,嬉しくて「もちろんです!」って。真剣にやって開発者の方3人を完膚なきまでに……そしたらリリース版でザンギエフがめちゃくちゃ弱くなってた(笑)。
(一同笑)
原田氏:
それ,アリカの西谷さんをやっつけちゃったってことですか(笑)。
吉田氏:
西谷さんだったかどうかまでは覚えてないですが……。うーん,どうだったろう。
原田氏:
完全にやっちゃった系ですね。AOUショーとかで目を付けられたら下方修正されますから。やべえって思ったら,わざと負けとかないと。格闘ゲーマーのセオリーです。
吉田氏:
それ,「ストリートファイターEX2」のときに言われました。当時たまたまアリカの方と会う機会があったので,この話をしたら「聞いたことありますよ! AOUショーでめちゃくちゃ連勝してる奴がいて,ザンギがおかしいって話で修正されたんです」って。東京滞在の2日間,僕ずっとそこにいましたから……。
原田氏:
西谷さんと三原さんは絶対に覚えてると思うな。今度会ったら聞いてみよう(笑)。
吉田氏:
いや,あのザンギエフについては本当にごめんなさいという感じです(苦笑)。
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ファイナルファンタジーXIV: 紅蓮のリベレーター
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