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[CEDEC 2022]一般のゲームがシリアスゲームとして評価される? その変化と具体例を示す「シリアスゲーム最新事情」聴講レポート
現代におけるシリアスゲームの変化とその具体例について,ゲーム学習論や教育工学を研究している,東京大学大学院情報学環 准教授の藤本 徹氏と,ゲームライターの徳岡正肇氏が語った講演の模様をレポートする。
本題の前に,まずはシリアスゲームがどんなものかという基本的な定義から講演はスタートした。シリアスゲームとは,「社会の諸領域の問題解決のために開発・利用される(デジタル)ゲーム」のことだ。その由来は,クラーク・アプト氏という社会科学の研究者が1970年に書いた「Serious Games」という著書からである。
この言葉が普及した経緯は,2002年にアメリカの公共政策部門の研究センターであるウッドロー・ウィルソン国際研究センターが開始した,「シリアスゲーム・イニシアチブ」というプロジェクトが発端となっている。このプロジェクトは,デジタルゲームの技術を社会の重要課題にも応用しようという考え方で展開されたものになる。従来の教育ゲーム,学習ゲーム自体はそれ以前から存在していたが,ここでは公共政策や経営課題など,教育以外のもの対象となっている。またゲーム開発だけでなく,既存のゲームの用途開発も同プロジェクト内では対象だ。
初期のシリアスゲームで代表的な事例は,まずシリアスゲーム・イニシアチブが立ち上がる契機となった「Virtual-U」という大学経営シミュレーションを作るプロジェクトだ。スタンフォード大学の当時の副学長が,産学連携プロジェクトとして提唱し,資金提供する財団や大学,ゲーム会社を巻き込んで開発された。実際に,アメリカの大学院などで教材として利用され,広く普及したという。
アメリカ陸軍が新兵募集用に開発した本格的なFPS「America's Army」も大きな話題となった。同作は2002年から一般に無料で配布され,800万人がプレイしたタイトルとなった。軍のマーケティングのツールとして有効であるとされ,リニューアルしながらつい最近の2022年5月までサービスが提供されていた。
少し間が空くが,国連が取り組んだシリアスゲームの例としては,2005年に配布された「Food Force」が挙げられる。これは,国連食糧計画の食料援助活動をゲーム化したもので,子供向けに活動内容を伝えるものとなっていた。開発された後に,各国語版が配布されており,日本ではコナミが協力している。
特定の目的のために開発する以外に,市販のゲームをシリアスゲームとして利用しようという試みも行われた。例えば,米国ウエストバージニア州では2006年に,「ダンス・ダンス・レボリューション」が公立学校に導入され,体育の授業や健康増進の課外活動に活用された。
ほかにも,Electronic Artsが教育機関などと協力して設立したGlassLabという組織が中心となり,学校の授業で利用できる教育版「SimCity」を提供した事例などがある。
2000年代中盤にこうしたシリアスゲームが展開されたことで,従来それぞれの分野で周辺的に行われていたことが,シリアスゲームという1つのコミュニティになっていった。その結果,資金や人材が流入し,大きな柱として研究や開発が進められていったのは,1つの大きな変化だったと藤本氏は述べた。
藤本氏が2007年に講演した当時は,「Wii Fit」や「脳トレ」を背景に,各業界がシリアスゲームというキーワードに注目していた時期だったという。開発者教育や社会啓蒙活動,産業振興の位置づけでもシリアスゲームが取り上げられるようになり,すでにわざわざ「シリアス」と言わなくても,ゲームがシリアスなものとして社会で認識されていたそうだ。
続いては,シリアスゲーム分野でこれまでに得られた知見と,近年の変化が紹介された。
数多くのシリアスゲームが開発される中で,さまざまな失敗事例も発生した。藤本氏は,2010年の時点でその要因をまとめており,例えば過大な期待をしながらも,「よく分からないけど」と少ない予算で参入してきた人達は,もちろんうまくいかなかった。ほかにも,学習者がどういった状況なのかを調査しないままに,シリアスなテーマで開発してしまって失敗したり,とりあえずシリアスゲームの波に乗ってみようと本気でないパートナーと組んで頓挫したりと,理由はさまざまだ。
そうした失敗から得た知見としては,シリアスゲームは目的に応じて開発されるべきであり,なんでもゲームにすればいいというわけではない,というものだ。特定の目的にフォーカスし,部分的にゲームとして成立させれば,効果のあるものが作れる。フォーカスの絞り方を工夫することで,限られた予算でもいいゲームが作れるのだ。単純に楽しいゲームを作るだけでなく,学習目的と組み合わせる以上は,その相性を考慮してデザインすることで,さらに精度の高いゲームが開発できるだろう。
また,ゲームそのものを開発するのではなく,ゲームの要素を取り入れたほかのサービスでも,ゲーミフィケーションとして展開が可能だ。
シリアスゲーム分野の近年の変化としては,資金や人材が入り,企業が参入するというムーブメントも一巡し,事業として成立しているものと,資金が尽きて継続できなくなったものとで分かれてきているという。
加えて,先にもあったように「シリアス」と言わなくてもゲームがあらゆる形で社会に浸透したことも,変化の一つである。
さらに大きな変化としては,一般のエンタテインメントとして開発されたゲームの中にも,戦争やトラウマ,病気など深刻なテーマを扱った作品が,社会的な影響を持ってシリアスゲームとして評価されるケースが出てきてたことが挙げられる。いわば,質を変容させた新たな形のシリアスゲームが展開される状況となったと,藤本氏は語っていた。日本でもプレイした人が多いであろう「Papers, Please」や「Life is Strange」「This War of Mine」などは,その好例だ。
講演の後半は,徳岡氏がシリアスゲームの新しいフィールドにおける顕著な作品を紹介していった。
まずは「This War of Mine」だ。同作はポーランドの11 bit studiosが開発し,2014年にリリースしたタイトルだ。戦争をテーマにしつつも,プレイヤーは兵士となって戦うのではなく,ごくごく普通の一般市民として極限状態の中でサバイバルしていくという,変わった切り口で話題を呼んだ。
同作はポーランド政府によって,2020年に学校推薦図書にもなっている。このゲーム自体は教育用に作られたわけではないが,大きな教育的な効果があるということで,ポーランド首相自らが,「若い世代にとって本と読むのと同じぐらい,思いをはせさせる力を持っている」と指摘している。
かつてシリアスゲームは,教育や広報といった目的のもとに作られ,それが学校で利用される構造であった。それに対して本作はメッセージ性が高く,リサーチも行き届いていたため,教育側が活用するという形で,シリアスゲームという概念を拡張することになったわけだ。
また同作は,ポーランドのゲーム文化において非常に大きな意味を持っていると徳岡氏は続けた。ここで,推薦図書入りしたときの続きのテキストが紹介されたのだが,そこには「このゲームはサラエヴォ包囲をモチーフに描いているが,同時にワルシャワ蜂起をモチーフにしている」とった内容の首相の言葉が書かれているという。
これを読んだだけではよく分からないかもしれないが,この言葉には大きな意味がある。徳岡氏は,11 bit studiosと一緒にポーランドのカンファレンスに登壇したことがあり,そのときに「なぜポーランドの皆さんが,サラエヴォ包囲をモチーフにしたんですか? シチュエーションが似ていますから,皆さんの地元でなじみ深いワルシャワ蜂起で作ったほうがよかったんじゃないですか?」と質問したそうだ。すると,当時はゲームが遊びだと思われており,ワルシャワ蜂起のようなポーランドの文化や歴史にとって極めて重要な意味を持つものを,ゲームごときが取り扱うとは……という雰囲気で,それはできなかったと回答されたのだそうだ。
そんな背景の中で学校推薦図書に入り,ワルシャワ蜂起を踏まえているとポーランド首相自らが明言する形で認められたのである。
次に紹介されたのは,チェコのCharles Gamesが2017年にリリースした「Attentat 1942」だ。ハイドリヒ暗殺事件を題材としたポイント&クリック型アドベンチャーで,もともとは歴史学習用に作られたシリアスゲームど真ん中の案件となっている。
同作は,もともと「Czechoslovakia 38-39」というチェコスロバキアの歴史をトピックごとに切って,それぞれをゲーム化していくという野心的なプロジェクトに組み込まれていた。そのため開発チームはチェコのカレル大学とチェコ科学アカデミーの混成チームであり,シリアスゲーム「Czechoslovakia 38-39: The Assassination」を作るプロジェクトとして動いていた。その後,このチームがCharles Gamesとして独立。もとのThe Assassinationはチェコ語しかなかったが,多言語対応を行い,「Attentat 1942」としてリリースされたという流れになっている。
面白いのは,「Attentat 1942」は確かにシリアスゲームなのだが,エンターテインメントゲームとして非常によくできているということだ。実際,ポーランドのゲームアワードでHidden Gem賞(隠れた宝石)を獲得するなど高い評価を獲得している。
このように,シリアスゲームを作るチームがエンターテインメントゲームの会社として成長するキャリアパスはあり得るのだということで,ゲーム教育に携わる人であれば参考にすべき事案ではないかと,徳岡氏は話していた。
3つめのタイトルは,「ComBat Vision」だ。ComBat Vision Gamesが2015年にリリースしたゲーム……というよりは,ゲームをサポートするために開発が始まったシステムである。もともとは,LARPを支援するためのシステムだったのだが,2014年に勃発したドンバス戦争に伴い,負傷兵の救助活動支援システムとして改変されたという特殊な経緯を持つ。
そもそもLARPとは何かという話をすると,「Live Action Role Playing game」,すなわちテーブルトークRPGをテーブルに縛られずに遊ぶというものだ。ごっこ遊びとして,衣装や舞台に注力する例もあり,海外ではお城を借り切って行うLARPのイベントもあるという。
ComBat Visionを開発したYaraaslau I. Kot氏はLARPが大好きで,LARPで修士論文まで書いた人なのだそうだ。
そんなKot氏は,当時LARP市場が拡大しているのを見て,「ゴールドラッシュではジーンズを売ったやつが勝ちだ」的に,LARPを支援するシステムを販売することを思いついた。
実際,LARPは扱うデータ量が多くなってしまうことが多い。また,現実の空間で行われるので,現実の地図を元にゲームデザインやシナリオ制作をできると便利だ。
さらに,ゲームが始まると参加者がバラバラに動き,いろいろなところを探索するわけだが,このときプレイヤーがどこにいてどんな情報を持っているか,NPCとしてプレイヤーに接するアクターは一体どんなリソースを渡したのか……といった情報を一元管理する必要が出てくる。でなければ,例えばこの世に1本しかないはずの聖剣が,複数配布されてしまうことになりかねない。
こうした問題をサポートするために,この楽しげなシステムが開発されていったのだが,2014年のマイダン革命,そこから始まるドンバス戦争によって,状況が変わってくる。
ドンバス戦争でウクライナ軍は,負傷兵を救出するためのミッションで大きな問題を抱えていた。何が問題だったのかというと,負傷している兵士本人に,正確な場所を報告させることができず,街で戦っているためGPSも正確に機能しない。
そのため,「あそこで兵士が負傷している」といった複数の情報を突き合わせて,場所を推定するために,それを一括管理するシステムが必要となった。救出が必要だという情報は,いろいろなチャンネルに放たれるので,それも統合しなければならない。
そのうえで,特定された兵士に医療部隊が派遣されたという情報も,共有されていなければリソースの偏りが発生し,助かる命も助からなくなってしまう。
こうした状況に,Kot氏が開発していたLARP管理のための支援システムの要件が,見事に一致したのである。こうした経緯から,このシステムはComBat Visionとして生まれ変わり,ウクライナ軍が正式採用することとなったそうだ。
これは極端な事例ではあるものの,こうした話から“ゲームをサポートする”ということの意味を見直したほうがいいと,徳岡氏は語った。ゲームのプレイヤーは現実世界に存在する。そのプレイヤーをサポートするというのは社会的なアクションであり,社会的課題の解決に利用し得る,また利用され得るということを,ComBat Visionは示唆しているのではないかとまとめ,講演を締めくくった。
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